225:尻太鼓を打ちながら

225:尻太鼓を打ちながら


『よーし、後退させてみてくれー!』

『あいよー!』


 号令と共に枯れ川を進む横並びのそれは、ゴーレム馬と木組みで接続された丸太壁だ。

【動く壁】と名付けられたそれらは、幾度も枯れ川多重防壁群の防御を担当してきた農林大臣レッドアイの発案で建造されたものであった。


「試験は順調ではないか。レッドアイよ」

『試作三号機は数頭立てにしたことでより安定した。壁一杯に兵を並べても、重量も強度も問題ない』

「うむうむ」


 ガイウスが【動く壁】へ手を振ると、満載されたコボルド兵も一斉に振り返す。


「楽しそうだなあ、どれどれ」

『オイ馬鹿お前は乗るなよ! 重いんだから!』


 一歩踏み出したところで尻を叩かれ、しょんぼり肩を落とすコボルド王。


『まあ、これなら相手の前進に合わせ随時防御線を下げられる。多重防壁は一定距離まるまる捨てなけりゃあいかんし、後ろの壁まで退く時の隙も怖かったからな』


 第四次王国防衛戦では、敵の勢いに押され数区画一度に放棄する場面もあった。


『そして何よりコイツなら、相手が下がった時に進ませて押し返せる』


 退くだけでなく、前進もする壁。それでいて構造は兵器と呼ぶのが躊躇われるほど単純で雑なため、再生産も容易い。極端な話、その辺の妖樹を切り倒し現地で作れる程度だ。


『あー面白かった』


 なおも続けられる実働試験の【動く壁】からぴょっこり飛び降りてきたのは、赤胡麻毛皮のコボルド。猟兵隊長レイングラスだ。


『どうだレイングラス? 感触は』

『おう、なかなかだ。いざという時はゴーレム馬を切り離して、壁自体を捨てちまえる作りなのもいいな。これなら枯れ川に水を流す直前、すぐに脱出できるだろ』

『お前さんにそう言って貰えるならまあ、及第点だな』

『へへへ』


 平時において農業と狩猟のリーダーとして役割は異なり、またレッドアイは人間で言えば中年のレイングラスよりもさらに一回り年長だが……両者の間には敬意を伴った信頼が存在していた。

 勇ましく面倒見の良いレイングラスと冷静で思慮深いレッドアイの結束と連帯は、毛皮の村人たちにどれほどの安心感を与えてきたことか。


『そういえばガイウスよー。今度やって来る敵って、第三次や第四次の時みたいに知ってる相手なんだろ? サーシャリアちゃんはえらく嫌そうな顔をしてたけど』


 こっそり【動く壁】へ乗り込もうとしたコボルド王の臀部を叩き、猟兵隊長が呼び止めた。


「コボルドの皆はどうして最近、私のお尻をいじめるのかね。この間は狩りの一団を見送ったら、出発する際に順繰り叩いていったし……」

『ガイウスの尻は丁度良い高さにあるから、まあ仕方ないだろう』

『ヒューマンの尻ってのは叩くといい音がするなーと気が付いたのさ。お前の尻はたるんでるから、なおいい音がするだろ? ダークの尻も、きっといい音がしそうだな』

「ふむ、まあ確かに。あれも大分、肉が余っている」

『だろー? サーシャリアちゃんやナッスちゃんだと、たるみがなさそうだしよ』


 レイングラスは後日ダークにそれを実行し、臀部に触れたことではなく説明した内容により苛烈な制裁を受けることとなる。『俺は褒めたんだよ! 褒めたんだよぉぅ!』と、お尻を真っ赤に腫らした彼は涙ながらに弁明したのだという。

 なおコボルド王国の公式記録には『猟兵隊長に連座し、国王も過酷な仕置きを受けり』と記されたそうだ。


『しっかしあれだな、今度の相手はイスなんとか伯爵だっけ。海のほうの奴なんだろ? まーた縁の無いところから攻めてくるもんだよな。なあ、レッドアイ』

『商会長が探ってくれた話によると、ノースプレイン政情回復の一環としてコボルド村討伐の要請をミッドランドから受けているらしい。もっぱら世間の予想では、そのイスフォード伯が手柄を立ててそのままノースプレインの一部を治めることになるのでは、ということだ』

『なーんだ。俺たちは出しに使われるって訳か』

『表向きはな』


 猟兵隊長の疑問に応じる農林大臣。


『一応まあ、筋は通っているんだよ。俺たちはケイリー陣営相手にやり過ぎるほど随分やり合っただろ? ノースプレイン新秩序構築の際に、そんな危険な武装勢力を放っておけないっていうのは分かる話さ。だから聞かされた民衆は納得するはずだし、これが理由作りの戦ってことを察しても「ああそうか」としか思わないだろうよ」


 秘境【大森林】の中で生まれ育ち教育も受けていないが、人界の事情へも理解が及ぶ。 このレッドアイという男が全世代のコボルドから一目置かれ発言力も高かったことは、建国当初のコボルド族にとり、とてつもなき幸運であったのは間違いない。


『ただ、それだったらいいんだ。だったら侵攻軍を何度か退ければ、損得の問題でケイリーの時と同じように和睦が成立する公算は十二分にあるからな。でも、問題はそこじゃない』

『どこだよ』

『コボルド村はミスリル銀を産出する、という情報がどこまで漏れているかなんだ。ミスリルは魔杖や魔道具の原料として極めて重要な戦略資源だからな。お前さんだって魔杖の力を手に入れる意味をもう十分に知ってるんだから、どれだけヒューマンが欲しがるかも想像がつくだろ』


 狩りに、戦いに。コボルド族で最も魔杖を駆使してきた猟兵隊長が、腕を組んで唸った。


『つまりそれを知られていたら、損害なんか度外視でコボルド村は攻め続けられることになるのさ。どれだけ戦死者が出ようが、どれだけ戦費がかかろうが、ミスリル鉱床の前には些細な【経費】にすぎないんだ……だろ? ガイウス』

「その通りだ、レッドアイ」

『で、お前さんはどの辺まで漏れてると思う?』

「全く分からぬ。先の戦い、ジガン家家中それなりの貴族でも、真の目的は全く知らなかったようだしな」


 第四次コボルド王国防衛戦では中級指揮官をも捕虜にしたが、周到な尋問を行ってもその類は聞き出すことができなかったのだ。まあ事の重大さと機密性を鑑みれば、家中でもごく限られた人物しか知らぬのは道理だろう。


「ケイリー陣営がどう滅んだか仔細は分からぬ。ミスリル鉱床など常識の埒外であろうから、敢えて聞き出さねばミッドランドが知ることもないだろう。しかし……それでももしミスリルの存在がミッドランドまで漏れていたならば、状況は極めて難しくなる」

『そうなれば、イグリス王国自体……それも諸侯を糾合した軍を相手にするはめになるか』

「そうだ。しかも永続的に、だ」


 それは絶望的な戦力差である。人口限界のあるコボルドとは、ヒューマンはあまりにも母数が違うのだ。

 一度や二度なら防げるかも知れぬ。

 が、王国自体が敵となれば、大軍による長期包囲戦すら実現しかねない。そうなればコボルド側はいつか……いつか必ず滅ぶこととなる。

 全てを差し出し命乞いしたところで、それが果たされるとは思えぬ。よしんば一時許されたとしても、やがては必ず覆されるだろう。そうなった時、自衛自立の力無き種族に残されるのは、惨めで残酷な未来だけだ。


『やーれやれ、逃げ場があるなら逃げ出したいトコだぜ』


 笑いながらぼやく猟兵隊長。だがそれが本心でないことは、戦友たちには分かっていた。

 故郷を捨て流浪の身となる悲哀と辛苦を、この赤胡麻毛皮のコボルドはよく知っているのだから。


『まあ実際、もうコボルド族の人口は村での農業無しには維持できない。不安定な狩りに期待しながら森の中を彷徨う訳にはいかんさ、それに』

『それに?』

『俺たち文明人としてはミスリルなんていう戦乱の種を、南方諸国群へ無法に投棄する訳にもいくまい?』


 言うねえ! と戦友二人が彼の肩を叩く。

 王様の掌はちょっと強過ぎたらしく、農林大臣にがぶりとやり返されていた。


「いててて……うむ。だから今度の戦い、可能であればオジー=キノンを捕らえ、そのあたりを質したいところだ」

『遠路はるばる領主が戦争に来るかね』

「来るだろうな。あれは、享楽に目の無い男だ」

『知り合いなのか?』

「戦時中、幾度か轡を並べたことがある。渾名は、【剥製屋】という」

『貴族でそんな呼び名ってことは、剥製作りが好きなのか』

「人間をも素材にして、な」


 ガイウスの魂から、強い嫌悪を嗅ぎ取るレッドアイ。


『珍しいな、ガイウスがそんなに嫌うなんて。悪趣味ってだけじゃ、お前さんそこまで反感を持たんだろ』


 腕を組み、険しい顔で黙るガイウス。


『話してみろよ』

「……五年戦争は、多くの民を巻き込んだ凄惨なものだった。だから戦場となったゴルドチェスターには、多くの未亡人や戦災孤児が出たものだ」

『ああ……それは前に聞いたことがあるな』

「戦争最後の年、たまたま奴のイスフォード軍と私が所属していた鉄鎖騎士団が同じ場所で野営していたことがある。珍しい話でもないが、軍の保護や施しを求め、野営地の周りには付近の難民が集まっていた。そしてその中に、希有な者がいたのだ。赤色と白色の二色が混じった、とても珍しい髪色の母子が」


 珍しいのか? と割り込むように問う猟兵隊長に、コボルド王は「ヒューマンでは、な」と言い添える。


「奴の悪癖は当時でも噂されていたが……しかし何より難民はイグリス王国民である。無辜の者を故なく害するなど、決して許されようはずもない。故なく民を害すれば、当然糾弾なり処分なりを受ける。だから騎士団の皆も私も当時の団長も、漠然とした不安はあったものの大丈夫だろうと、次の戦地へ向かったのだ」


 それが甘かった、とコボルド王はこぼす。


「……奴は【故】を作ったのだ。鉄鎖騎士団がいなくなったのを見計らい、オジー=キノンはその母親を窃盗の疑いで逮捕した」

『無実の罪を着せ、その母親を殺したのか』

「いや……奴の奸悪本領は、ここからだ。逮捕はあくまで疑いによるものであり証拠は不十分だったため、その母親は三週ほどで釈放されている。なまじ、詮議は正当に行われているのが悪辣だな。しかしオジー=キノンはその間で物資不足などを理由に、難民への配給を止めていたのだよ」


 コボルドたちが唾を飲む。


「配給が止まり他の者が他所へ移動していく中、幼い子供はそこに残り続けた。いや、母親が捕らえられている以上、一体何処へ行けるというのだ。他の難民も母子を引き離す訳にはいかず、なけなしの食糧を残し置いていったのだと聞く」


 強烈な怒りの匂いが、妖精犬には嗅ぎ取れた。


「母親が証拠不十分で釈放された時には、子供は既に餓死し死体も【剥製屋】に回収された後だった。全てを悟った彼女はオジー=キノンを襲撃して当然返り討ちに遭い、同じく素材にされたと聞く」


 こうなると事実概要としては、キノンは餓死難民と暗殺者の死体を処分したに過ぎない。

【剥製屋】は表向き道理を通して、いや道理を通したと言い張れるようにして、自身の欲望を押し通したのだ。


『ひっでえ話だな。村の若い連中には、とても聞かせられねえ』


 吐き気を催した、と言わんばかりの表情で首を振るレイングラス。


「オジー=キノンが単なる異常嗜好の猟奇趣味、浅はかな狂人であれば、とうの昔にその地位を追われていたことだろう。なまじ分別があるのが、周囲には不幸なのだ……うん、どうしたのかね、レッドアイ」


 顎に手を当て考え込む素振りを見せる農林大臣に、王が尋ねた。


『ん? ああ、いやな……逆に言えば、ソイツはそこまでしても、趣味というか欲望を抑えきれないんだろう? むしろそこに、何か付け入る隙があるんじゃあないか、と思ってな』

「ふむ、なるほど。流石だなレッドアイ」


 ガイウスも同じく眉間に皺を寄せ、考え込む素振りを見せる。

 一人取り残された猟兵隊長レイングラスも、慌ててそれに倣ったが。


『……ま! 難しく考えることは色々あるかもしれねえけどよ。とりあえず俺は、やってくる敵を倒しゃあいいんだろ?』


 すぐに熟考を諦め、いつもの調子で舌をぺろん、と出して笑った。


『はは、まあそうだな。お前さんはそれでいい。そういうところはやっぱり、いつでも頼もしいよ』

『だろだろ?』

『『いえーい』』


 ぱん! と叩き合う農林大臣と猟兵隊長の掌。

 コボルド王は目を細め、仲睦まじき戦友たちを眺めている。


「ふふふ、私のお尻よりも、そっちのほうがいい音がするではないか」

『お、そうか! 比べてみようぜ!』

『確かに比較実験は重要だな』

「えええ」


 お尻を押さえて逃げ回る王と、追いかける二人の戦友。

 彼らが他のコボルドから『真面目にやれ!』と叱られるまで、もう数秒のことであった。

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