224:女騎士と子守と鮫男

224:女騎士と子守と鮫男


 ライボロー市街の宿、その一室。

 机上の書類を整理するビクトリア=ギナを横目で見ながら、椅子にかけたチャスは手慰みに無精髭をちまちまと抜いていた。


 ……無理の多い女だ。


 それが数週間行動を共にした彼の、雇い主に対する感想である。

 要求が無茶とか、行動が無謀とかそういう話ではない。中央の軍人というとにかく性に合わぬ仕事を無理に務めている、というのがビクトリアという女なのだった。


 学もあるし記憶力もいい。木剣で手合わせしてみれば、先日の無様とは裏腹に腕も立つ。騎士学校首席卒業についてチャスは当初疑いもしたが、それもどうやら本当の様子。

 ただ……ただ残念なことにこの女騎士、精神的重圧がかかるとすぐに狼狽し、実力がまるで発揮できなくなるのだ。加えて目端も気も利かぬ性分の上にやたらと名門の自負が強いため、王都の軍部でやっていくのは相当に過酷だったことだろう。


「なぁビクトリア。お前さん、どうして軍人になろうと思ったんだ」

「我がギナ家はイグリス王国建国以前からの武家だぞ。その一門たる私が、武人として生きずにどうするというのだ」

「家は家、お前さんはお前さんだろ」

「フン、所詮平民の貴様には分かるまい。武門の貴族には色々とあるのだ」

「色々って何さ」

「それは、その……親戚からの圧力とか、他の家からの目とか……色々……だ」


 どうやらこれでもビクトリア本人は取り繕っているつもりらしいが……やりたくてやっている訳ではないのを、チャスからは容易に透かして見えた。


「武家名門ねえ。そういや聞いた話じゃあ、コボルド村の軍師も武家名門デナン家の娘なんだっけか。俺は見たことねえが、ありゃあ中々の用兵家だな。冒険者ギルドの連中は一昨年の戦いで、随分な目に遭わされたものさ」


 おまけに美人らしいじゃねえかと茶化す元冒険者を、眉を顰め睨む女騎士。


「ん。貴族繋がりでお前さん、知り合いだったりするのかい?」

「サーシャリア=デナンは、騎士学校時代の同期だった」


 吐き捨てるように答える。


「なんだ、じゃあ友達なのか。討伐軍の手伝いも気が引けるよなぁ、そりゃあ」

「馬鹿な! デナン家といえば建国以前からギナ家の競争相手とも言うべき家だ。馴れ合うはずがないだろう。まあもっとも、奴は家を捨て出奔した身だがな! フン」


 この短い応答だけで、チャスは何となしの事情を察した。

 とうとう反逆者に成り果てたとはいえ、寡兵で大軍を破り続けた【欠け耳】の風聞は一種の名望となり、輩出したデナン家の評価を中央武家界隈において相当高めたはずだ。武家とは、そういうものである。

 そしてその煽りを、ビクトリアは受けているのだろう。デナン家の娘はあれほどの実力を示したのに、同期だったお前がいつまで燻っているのか……などと。


「大変だな、お前さん」


 チャスの同情に、怪訝な顔で首を傾げる女騎士。


「何がだ?」

「ああいやいや。お前さんが鉄鎖騎士団から一人でイスフォード伯爵軍へ派遣される役目を受けたのにも、色々事情があるんだなと思っただけさ。どうせ皆嫌がったんだろ? 【剥製屋】と同行なんてよ」


 オジー=キノンの悪評は、庶民にも広く知られている。


「ぬ。確かにイスフォード伯は、あまり人気がおありでない。騎士団の皆が尻込みするのも分かる……だがな、だからこそ私がこの任を受けたのだ。ギナ家の人間は、そんな感情を挟まず軍人としての職務を冷徹に全うするのだとな」


 職務励行姿勢を示したい当人と、押しつけたい周囲。両者が皮肉にもよく噛み合ったのだろう。

 鉄鎖騎士団もノースプレイン各地の掌握で忙しいのだろうが、それにしても彼女単独というのは酷である。もしかせずとも騎士団内で疎まれ虐められているのではないか、と本気で心配になってくるチャス。


「だがなチャス。そのような物言い、明日イスフォード伯の前ではしてくれるなよ? 流石に不興を買うぞ」

「え?」

「えっ?」


 目を点にする二人。


「何で?」

「何でって貴様……予定通りなら伯は明日、ライボローに到着するのだ。私は軍目付としてイスフォード軍と同行するのだから、当然伯爵にもお目通りせねばならん」

「そりゃそうだろうけど、俺は関係ないだろ。俺の仕事はアンタのライボロー近辺での現地案内人だぜ。【剥製屋】なんかと会うのは御免……」


 途端にガクガクとビクトリアが震え出す。


「つつつつつ付いてこないのか!?」


 涙目で問う女騎士の醜態を見たチャスが、溜め息を吐く。


「俺は行かねえぞ」

「ききき貴様の服もちゃんと用意したのだぞぞぞ?」

「そういう問題じゃねえよ。俺の仕事はお前が買い付け仕事をする現地案内人だぞ? 契約外もいいところだ」

「そそそそんな」

「だーかーら! 行かねえっつってんだろ!」



 ライボロー郊外、野営中のイスフォード軍陣中にて。


「ダハハ! 手間かけさせたな! 何分オッレの家来はへぼ揃いな上に、ノースプレインじゃあツテも土地勘もなくてな。先行補給監督官の代行をしてもらって、助かったぜ。ま、段取りつけてもらったから後はウチの連中に任せてくれ」

「あ、ありがとうございます。伯爵閣下のお力になれて光栄です」


 イスフォード伯オジー=キノンの謝意へ、慇懃に応じるビクトリア。本来土地勘もツテも無かったのは彼女とて同じなのだが、そこはまあ、言わぬが花というものか。


(あーあー無理しやがって。膝が震えてるぞ)


 雇い主の後ろ姿を眺めつつ、小さく溜め息をつくチャス。


(まあ仕方ねえか。俺だってこんな奴とお喋りしたかねえや)


 大抵噂は尾鰭や誇張が付き纏うものだが、【剥製屋】は評判通りの男であった。無論、悪い意味で。

 この男は嬉々として人間を素材にする、と聞かされれば納得しない者のほうが少ないだろう。その肉食魚じみた相貌のせいではない。皮一枚下に潜むおぞましい臭いが、ヒューマンの貧弱な嗅覚をも刺激するのだ。


(立って話してるだけでも、コイツには大健闘だな。後で褒めてやるか)


 すっかり保護者気分の元冒険者が見守る中、やり取りは続けられていく。

 今は確認のために、ビクトリアから渡された書類へ伯爵が目を通しているようだ。


「よしよし。糧秣以外に牛や羊もちゃんと手配されているな。急だし大変だったろ? 干し肉塩漬け肉じゃなくて生きた家畜としてだからよ」

「は、はひ。特にのご要望でしたので、そのあたりは何とか。ただ豚は不可ということでしたので、費用は嵩みましたが」

「ダハハ! 仕方ねえさ。客がな、豚はあまり好きじゃないって話だからよ」

「は、はあ」


 首を傾げる女騎士。その様子が可笑しいのか、伯爵はもう一度歯を剥いて笑う。

 どうやら不幸なことにビクトリアは、この鮫人間に気に入られてしまったようだ。まあ、いじり甲斐がありそうと見たのだろう。


「で、軍目付殿……ビクトリアだったか。オッレの軍を見た感想はどうだい」

「き、近代化された見事な軍だと思います。装備の質は、ミッドランドをも上回るかと」


 それは、後ろで聞くチャスも同感である。中世よろしく剣槍主体だった冒険者ギルドとは大違い。ノースプレイン軍よりもさらに魔術兵魔杖兵を主軸とし構成された近代軍隊だ。

 海運で栄えるイスフォード伯領の力を見せつけるその遠征軍は、実に戦闘人員一千三百人という大軍であった。

 だが。


「んー? 何か言いたげだなビクトリア」

「い、いえそんな」

「ダハハ! 構わん構わん。確かにお前のオシゴトは、宰相閣下へオッレの働きを報告するための軍目付だけどよ。そんな範疇に留まらずにに、思いついたとことは言ってもらいてえし聞いて欲しいんだわ」


 にぱぁ、と鮫人間の口が開く。傍目には完全に、捕食の光景だ。


「いやぁね、オッレの家来どもはなんつーかこう……よく言えば従順だけどよ、自分の意見が無いっつーか、打っても響かねえ奴ばっかりでよぉ。面白みがねえんだな。だからたまにはお前みたいな、新鮮な立ち位置からの意見や要望が聞きたいワ・ケ・よ」


 それはそうだろう、と思う元冒険者。

 誰彼構わず皮を剥ぐ見境無しではないとチャスは【剥製屋】を見るが、逆に口実さえ担保されれば躊躇せぬのでは、という危うさがある。

 この主を相手に、臣下が気概を保ち続けるのは困難というものだろう。不興を買わぬ事だけに懸命のはずだ。


「は、はい。その、昨年の戦いでノースプレイン軍は累計で三千人以上の戦力を投入しましたが、村を攻め落とすことはできませんでした」


 思ったよりも率直な意見を述べ始めたビクトリアに、保護者がどきりとした表情を浮かべる。ある意味ビクトリアはキノンの家来のような察しがないため、求められ答えもできたのだろう。

 まあもっとも、王国から派遣された軍目付に危害を加えられようはずもないが。


「伯の軍は質においてそれを大きく上回ること疑いありませんし、戦術が異なれば単純な比較はできませんが……確実を期すためには、やはり数的な不安があるように思えます」


 別段、【剥製屋】が手を抜いてこの戦力という訳ではない。

 実際領内の保有魔杖・魔術兵の大半をこの遠征に投入しているし、領内であったノースプレイン軍とは事情も大幅に異なるのだから。


「な、なんだってー!?」


 ががびーん! と擬音を口にしつつ、大仰に【剥製屋】が驚く。


「何てこった! そうだったかー! オッレの家来どもは、そんなこと一言も言ってくれなかったぜ! しまったぁー!」


 わざとらしい芝居だ。やはりこの鮫男、ビクトリアをからかって遊びたいらしい。

 だが「家来は言ってくれなかった」という下りは、実際そうなのだろう。


「そ、その……やはりここはグリンウォリック伯の軍が到着するのを待ち、その大兵力の共同戦線にて攻略を行うべきだと小官は愚考致します」


 がっくり肩を落とし椅子に座り込む彼へ、おずおずと言葉を続けるビクトリア。


「やっぱりそう思うか……」

「は、はひぃ」

「だよなー! 普通はそう思うよなー!?」


 跳ねるように立ち上がった鮫伯爵が、女騎士に顔を寄せて歯を剥く。

 小さな悲鳴を上げ尻餅をつきかけた彼女を、元冒険者が素早く支えに入った。


「おぅ、いい動きだな兄ちゃん。随分な人斬りの目をしてるのに、今の仕事は子守かい」

「……ええまあ。今日日、職歴を活かして再就職というのは大変でしてね」


 初見で見抜かれていたことに、チャスも呻かざるを得ない。

 やはり【剥製屋】オジー=キノン、単なる異常嗜好貴族という訳では無いか。


「ダハハ! さて、ありがとよビクトリア。そういう普通の反応がオッレは確認したかったんだ。これならきっと、ベルダラスもコボルドどもも同じ風に思ってくれるに違いねえさ」

「ふ、ふえええ!?」

「オッレは楽しみなんだよ。連中が何とかいけそうだと思った矢先に……圧倒的な、そう圧倒的すぎる力に蹂躙されて絶望するのが」


 女騎士と元冒険者が、怪訝な顔で鮫を見つめる。


「ま、楽しみにしてなビクトリアと子守の兄ちゃん。南方諸国群にはついぞ無かった戦いを、たっぷり見せてやるから、よ!」

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