132:相互利益

132:相互利益


「……これは」

「まあ、予測してはおりましたが」


 越冬用食料の買い付けについて。

 ダギーが提示した見積もりを確認し、サーシャリアとダークは眉根を寄せた。


 書かれた額面は、ダークがウィートマークで現地商人達と商談した時の金額を大きく上回るものであった。

 ガイウスが都を離れるにあたり持ち出した金は決して少なくはないが、それを全て充てても足りない程だ。


「こっちとしても危険な橋を渡る訳で。この程度のお手当はいただいてもまぁ、バチは当たらないと思いますがね」


 豪商の圧力の中で物を集め、政情不安定のノースプレインに入り、荷を届ける。

 山賊や傭兵崩れの襲撃という直接的な危険だけでない。このことが明るみに出れば、ケイリーが内戦に勝利して侯爵を継いだ場合、ルース商会はノースプレインに関わる商いの一切を諦めねばならないだろう。

 流石に他の貴族領であるゴルドチェスターにまで手を伸ばし処罰を加えるとは考え難いが、商会の行動圏が大きく狭まるのは言うまでもない。ダギー達にとっても、将来を切り売りするに等しい行為である。

 そして同時に。窮地にあるルース商会が当面存続していくために必要な金額でもあるのだ、という裏事情も容易に推察出来た。


 そのあたりを理解出来ぬ訳ではないサーシャリアだが。額が額であるため、足元を見た暴利という感覚も拭いきれないのである。しかし。


「同感だ。その条件で頼もう、商会長殿」


 ガイウスは一呼吸だけ間をおくと、それを承諾した。


「ありがとうございます、ベルダラス王」


 ダギーの首筋を、汗が一筋流れていく。

 彼は彼の立場で、博打を打っているのだ。


「後悔してから金貨を積んでも、失ったものは返って来ない」


 内心で、何かと何かを天秤にかけたのだろう。

 ガイウスは言い終えてから、緩やかにもう一度息を吐いた。


「ガイウス様。でも、今の国庫では……」


 心配そうな表情で、サーシャリアがガイウスの袖を引く。


「黙っていて申し訳ない、サーシャリア君。実は手持ちの金以外にも、当てがあるのだ」

「そうなのですか!?」

「そうなのでありますよ」


 ずず、と椅子ごと近寄り。ダークがサーシャリアに頬を寄せて囁いた。


「ダーク? 貴方、心当たりがあるの?」


 幽鬼のような顔を掌で押しのけながら、赤毛のエルフは問う。


「いやね。このオッサン、都落ちの際に持ち出したのが全財産ではなく、銀行にも結構な額を預けておりまして」

「知っていたのか」


 唸りながら、ガイウスがダークの方を向く。


「はー。ベルダラス家の家事家計一切を取り仕切っていたのは実質このダークでありますよ? 言わずとも、その程度把握しておりまする」

「むう」

「魔法の割符や証文は手元にありますので、王都まで戻らずともゴルドチェスターの銀行で事足りまする。一体何処に躊躇う理由があったのやら」


 銀行や大手の両替商は同業間で提携網を築いている。

 証明手段が確かであれば、高額の手数料を払うことで預金を下ろせるだろう。


「私の金では、ないからだ」

「は? なに寝言を言ってるので? ありゃあガイウス殿の預金でありましょう? 自分、金庫の中にあった証文も見たでありますよ?」

「……あれは、お前が嫁ぐ時の持参金にするつもりだった」


 ダークは目を丸くし。きょとんとした顔で頬を染めたが。

 直後に忌々しげな表情を一瞬浮かべると、すぐにいつもの薄ら笑いへと復帰した。


「あ、それ使うこと金輪際全くこれっぽっちも無いので! ありえないので! ちゃっちゃと国家予算に回すであります!」

「貴方いいの? それで」


 サーシャリアの問いにダークは答えず。

 将軍の胸を背後から揉みしだいて悲鳴を上げさせることで、この話題を終わらせたのであった。

 傍らでその様子を見ていたレッドアイは後に、『指の一本一本が蛇のように蠢いていた』と仲間達に語っている。


「いっ痛いであります! 胸が、胸がもげるであります!」

「もげときなさい!」


 ……女剣士が将軍から制裁を受けている間を小休止とし、その後も商談は続けられ。


 今度はコボルド王国側からの提案で、蟲熊の肝をはじめとする【大森林】の珍重品をルース商会に売却する話が行われた。

 王国は魔杖による大幅な軍備増強が行われた結果、現在はガイウスを伴わずとも魔獣を狩ることが出来る程に成長している。収獲品は、今後も提供出来るだろう。

 今までも買い出しの際に小出しにして売ってはいたが、所詮は素人の真似事。これを契機に、販路を作っておきたいという目論見である。


 一方ルース商会側としても、コボルドが魔獣を日常的に狩っているとまでは思っていなかったらしい。

 単価が高く需要も見込める【大森林】の品を買い付け出来るのであれば、それだけで商隊がわざわざ王国へ訪れる理由になる。

 ゴルドチェスター内で豪商達に睨まれ、圧力をかけられていようとも。【大森林】の中で採れる珍重品ならば、彼等の手でいくらでも捌きようはあるのだ。


 結果、一度の穀物買い付けのみに留まらず、コボルド王国とルース商会は今後も商取引を続ける方向で合意した。

 これで王国側は買い出し部隊という戦力を割かずに、物資の補充や外界の情報入手が可能となり。

 ルース商会としても一時の経営危機を乗り切るに留まらず、他社と競合しにくい商品を仕入れることで商売上の強みを得られる。

 上手くいけば、双方に利益のある関係が築かれることだろう。


 サーシャリアが構想していた外部との交易は。

 食糧危機をきっかけに、奴隷猟団との戦闘や人界の穀物騒動といった事件を経て、予想外の経緯で実現しようとしていた。



 翌日の早朝。

 王国を出発するルース商会、同行するダークと数人の親衛隊員、そして見送りのサーシャリア達が集まっていた。ガイウスは商会のご婦人方を怯えさせないように、留守番を言いつけられている。

 馬車の向こう側ではエモンがアンナに「また是非いらして下さい! 貴方のような麗しい御婦人の訪問なら、いつでも大歓迎です!」と全力の売り込みを行っており、騒々しい。心なしか顔の造形や声質まで一時的に変わっているようだが、ドワーフのでたらめさは今に始まったことでもないだろう。


「じゃあ、頼んだわね。ダーク。ダギーさんも、よろしくお願いします」


 サーシャリアはダークに声を掛けた後、商会長にも一礼する。


「まあ任してくれ。このダギー、引き受けたからには必ず! ご依頼の量を調達してくるさ」

「大丈夫ですよサリーちゃん。商会が金だけ持って逃げようとするなら、自分が全員斬り捨てますので」

「やーだなー! おっかねぇ冗談はよしてくれよダークさん! はっはっは」

「ケッケッケ」

「おほほのほ」


 僚友が一切戯れていないことに、サーシャリアは触れずにおいた。

 ガイウスを裏切る相手に、この黒髪の剣士は慈悲を持たないだろう。


「「いってらっしゃーい」ですわ」

『『『いってらっしゃーい』』』


 微かな寒気を感じつつ、レイングラスの隊に先導されて去りゆく商隊の後ろ姿を見送るサーシャリア。

 やがてその感覚が怖気ではなく純粋な冷気なのだと理解し、彼女はゆっくりと空を見上げる。


 気がつけば、冷えた風も大分増えてきた。

【大森林】の秋も。もう、本番である。

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