215:トムキャット

215:トムキャット


 ひたすらに続けられる剣戟の最中。まるで息継ぎの如く、間合いが離れた時だ。


「……アッシュは死んだか」


 南の方を見やるように、トムキャットがぽつりと呟く。


「分かるのか、ルクス=グランツ」


 その問いの裏に微かな安堵があることは、立会人だけが察していた。


「この呪いは、僕自身みたいなものだから。瘴気の圏内といわず、その近くにいれば……まぁ、知り合いの『肌触り』くらいはね。ホラさっきだってこの【緑の城】の中を、ちゃんと君のところへ辿り着けただろう?」

「合点がいった」


 頷くガイウスへ、うんうんと首を振る雄猫。


「あれも随分僕に付き合ってくれたが、気の毒をした……いや、アッシュだけじゃない。僕は色々な人を不幸にし続けてきた。ああ……やっぱり。幾らどう取り繕っても、僕は【蟲】なんだなあ」

「蟲?」

「イグリス人の君はそうだよな。そういえば【跳ね豚】君も知らなかった……『人の魂は暖かき園へ。獣の魂は暖かき園の周りへ。蟲の魂は冷たく暗き野へ』っていうグランツ圏の伝承だよ」


 言葉を続けながらも、トムキャットから溢れる澱みが量を増す。


「人も獣も蟲も、本来はそれぞれの器に入って生まれてくる。でも時々手違いで、人の身体に蟲や獣の魂が入ってしまうんだ。世の悪事や災いは、そういう連中が引き起こすもの……というお説法だね。どこの地方でも似たような話はあるだろうけど、僕は納得をもって信じている」


 より濃くなる瘴気。また一段、速度と力が上がったのだろう。


「まぁ獣はいいんだよ、獣は。勇猛な人物を獣に例えることもあるからね。だからほら、僕の家なんかはそれにあやかり、慣習で獣の名前を付けているだろう?」


【ルクス】は、大山猫(リンクス)を共通語ではなくグランツ圏の氏神言葉で呼ぶ名である。


「獣と人は絆を結ぶこともできる、愛だって育むことがあるさ。でも蟲はね、蟲は駄目なんだよ……分かるだろう? 蟲は人と心を交わすことも、愛を育むこともできない、『ありえない』」


 そこまで口にし、雄猫は小さく嗤った。

 なれど、コボルド王がそれを遮る。


「ルクス=グランツ」

「何だい【人食いガイウス】」

「サーシャリア君から、貴殿の話は聞いている」


 そうかい、と頷くトムキャット。


「貴殿も確かに、多くの人間を不幸にした。自身の望みで戦を招き、グリンウォリックやノースプレインの将兵を死に追いやり……そして我が臣民と友人たちの未来をも脅かしている。だから私は貴殿を斬らねばならぬし、私は貴殿を斬る」


【猫轢】の柄が、握り直される。


「しかしそれでもだ。私は貴殿を、【蟲】とは思わぬ」


 一瞬。一瞬だけ薄まる瘴気。


「さあ続けよう、ルクス=グランツ」


 告げ終えたガイウスめがけ、トムキャットが斜めに斬撃を打ち込む。最早目で追うことも叶わぬ櫂船甲板撃、その第一打だ。

 火花を散らし響く金属音。それが雄猫からの返答であり、返礼であった。対するコボルド王も全霊で、続く刃の豪雨を受け止め続ける。


「アハハハハハハ! さあもう一段階ッ!」


 数十合が一息に過ぎる。それほどの速さと勢いだ。


「アハハハ! ま、まだ、まだまだ上げるぞっ!」


 しかもそれが終わって、また数十合が始まるのであった。

 それを何度も、何度も、何度も!


「アハーハハ! まだ、まだ足りないのか!? も、もっとだ!」


 輝く破片は、砕け割れゆく【甘美死】【猫轢】双方のもの。刃たちも己の身体を削りながら、この戦いに臨むのである。おそらく決着がついた時には、どちらも剣としての生命を終えているに違いない。

 片やグランツ国宝の魔剣、片や新造魔剣とはいえそれに太刀打ちする一振り。好事家が目にしたなら、悲鳴を上げるであろう光景だ。


「これで! これで! 君を倒せば! 彼女を、アマーリエを死に追いやった者は後一人、後一人残るだけだ!」


 既に剣術と呼べる代物ではなく、櫂船甲板撃でもない。ただひたすらに剣を振り回すだけの攻撃だ。なれど一刀一刀で地を裂き石を割るであろう豪速豪圧を受けられる者が、果たして世にどれほど存在することか。


「アハハハ! さああの子と同じように、戦場で死に、食われるんだよ【人食いガイウス】!」


 おそらくは本人とて、制御し切れぬ域に達しているのだろう。強化された身体の限界をも、力は超えつつあるのだ。


「もう一段かバァァッ!?」


 ぶちりっ。


 空気を裂く音と衝突音に混じり、身体が壊れる音。それこそ肉の悲鳴が聞こえるほどの勢いで、だ。

 刹那に止まる、刃の嵐……そしてその隙を、ガイウス=ベルダラスが見逃すはずもない。

 彼はずっと、この時を待っていたのだから。


「ぐるぅぉう!」

 ドガンッ!


 獣の咆哮と衝撃。【猫轢】が、【甘美死】の刀身を強か過ぎるほどに打つ。


 ばきん!


 衝撃を受けた処刑剣は、柄をトムキャットの膂力で握られたまま……剣先を木の幹で支えるような状態でフォセの一撃を一点に受け、半ばほどで折れてしまった。


 ぶわり。


【甘美死】の断末魔か。刻まれた魔法効果の細氷が、血飛沫の如く飛散する。


「なんとぉぉぉぉ!?」


 驚愕のトムキャット。

 だがコボルド王はただ、押され続けていた訳ではない。嵐のような攻撃を受け続けながら、いや受け続けるように見せながら処刑剣の一点のみに疲労と損傷を集中させ続け……そして必ず訪れると分かっていた敵の隙を突き、強打。狙い通りの結果として、【甘美死】を破壊したのである。

 自身を数倍する速度と剛力へ対峙しながらもガイウス=ベルダラスは巧みに、正確に、確実に一手ずつ積み上げていたのだ。


 ズゴン!


 体勢も持ち直さぬ金髪猫へ向け、ついに横薙ぎで打ち込まれる【猫轢】。

 しかし白い胸甲と腰骨を避けたフォセの刃は、身体の半分ほど食い込み……そこで止まる。


「ぬう!?」

「アマァァァリエエエェェ!」


 まるで卓上に腕を置くが如きトムキャットの姿勢。

 彼は左腕の肘から手首までの肉と骨を刃に食い込ませることで、胴の両断を防いでいたのであった。この状態ですらまだ、決着はついていないとばかりに。


 ぐぐ、ぐぐぐぐぐ。


 傷から黒い澱みを噴き出しつつ繰り広げられる、凄惨な力比べ。


「アマアァァリエエエエ!」


 まさかこの状態でなお、速さと力を増そうというのか。澱みと瘴気をさらに溢れさせながら、呪塊が右手に未だ握る【甘美死】を振りかぶる。

 最後の反撃か。だが遠い、角度も悪い。何より処刑剣の刀身は半分程度しか残っておらず、相手を葬るには、刃渡りが足りぬ。届かぬ。

 しかし彼は、ガイウスとて思わぬ壮絶な方法でそれを補った。


 ぶちぶちぶちぶちっ!


 肉体の限界を超えて振るった一刀は、トムキャット自身の肩と腕の肉を引き千切り伸ばしながら弧を描いたのだ。

 コボルド王も咄嗟に身を逸らし捩る……捩るが間に合わない!


 ずばっ。


 破砕により尖った【甘美死】の先端が、標的の顔面を斜めに裂く。


『おい木偶の坊ッ!?』

「ぐおおうっ」


 老コボルドの叫びと、猛獣の呻き。

 だがそれはトムキャットへ、最後の一撃が失敗したことを告げていた。成功していれば、相手は呻くこともできなかったのだから。

 そう。切っ先はガイウスの左頬から左目を抜け、額までを薄く斬り抜けるに留まったのである。


「あぁ」


 吐息がトムキャットの口から漏れる。


「……これも、届かなかったのか」


 右腕が、だらりと垂れた。


「……結局……重ねた呪いに空いている【穴】も、君は……お見通しだったんだな」


 顔の左半分を血に染めながら、残った右目で対手を見つめ頷くコボルド王。


「サーシャリア君が貴殿を殴った時の話を聞いて、確信していた……貴殿の呪いは、痛みを消してはいないのだと。だから必ず、大きな隙が生まれるのだと分かっていた」


 そしてガイウスには、容易に想像し得たのだろう。雄猫が短期間で剣圧を高めるため、さらに呪いを重ねてくることも。加えてそれに身体と神経、何より技量は到底追いつかぬことも。


「ああ……赤毛ちゃんか……あの子はやっぱり……良い子だねぇ」

「うむ。自慢の友だ」


 雄猫は微笑みながら、なおも右腕を振りかぶろうとする。この状態で剣が手から離れぬのは、不思議と呼ぶしかあるまい。

 コボルド王はそれを見て小さく頷くと、フォセの柄に力を入れ……相手の身体ごと大きく持ち上げたのだ。


「終わりにしよう、ルクス=グランツ」


 ……【ベルダラスの薪割り】。


 呪われし雄猫の身体を、【猫轢】が両断し地を叩いた。

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