216:雄猫は大山猫に還る

216:雄猫は大山猫に還る


「ガガガガガイウス様ーーーーッ!」


 ブルーゲイルのゴーレム馬に同乗し現れ、転がるように落……下馬したのはサーシャリア=デナンだ。直前までしがみつかれていた青被毛の親衛隊長も巻き添えを食い、『ぬわーっ!?』と枯れ葉の上に墜落する。


「やあサーシャリア君、来てもらってすまないね」


 長老と医療班のゴブリンから処置を受け終えたばかりのコボルド王が、小さく手を振り迎えたのだが。


「ぎーやー! がいうずざま!? けけけ軽傷だっで聞いていだんでずげどー!?」


 彼の顔に巻かれている包帯。血の滲みも生々しいそれを見た赤毛の将軍が、器用にも片足でぴょこぴょこ跳ねながら絶叫している。


「めめめめめお目々ばば」

「うん、どうも左目は潰れてしまったようだ。こうなるなら、老眼鏡は片眼鏡にしておけば良かったかな? わっはっは」

「ししししし失明ーー!? あばーばばばばば」


 枯れ葉の絨毯上で、半狂乱にてビチビチのたうち回る半エルフ。

 陸に釣り上げられた魚が、その姿によく似ていた。


『この木偶の坊め、余計な軽口を叩くでないわ! 嬢ちゃんが錯乱してしまったではないか、阿呆!』

「す、すいません! サ、サーシャリアくぅーん!?」


 長老に叱られつつガイウスが慌てて歩み寄り、華奢な彼女を抱え起こす。


「お、落ち着くんだサーシャリア君! ほ、ほら呼吸を整えて」

「は、はひ! ひっ、ひっ、ふー。ひっ、ひっ、ふー」

「そうそう、その調子その調子」

『ソレ、お産の時にやる奴じゃろ?』


 呆れた様子の老コボルドに見守られながら、ようやく正気を取り戻した将軍。


「す、すいません……私ともあろう者が、お見苦しいところを」

『すこぶる嬢ちゃんらしいがのぅ』

「コホン……そ、それより現状はどうだい? サーシャリア君」

「へ? あ、はい! 霊話でもお伝えしましたように、ノースプレイン軍から遺体回収のために一時停戦の申し出がありまして。今日一杯というそれを当方も受諾し、現在はホッピンラビットに指揮所を任せ各処理を進めさせています」


 トムキャットによる【緑の城】突破の報告を待ちつつ、並行して全戦線で攻勢をかけていたノースプレイン軍だが……雄猫の敗北と共に、いち早くコボルド軍は霊話を駆使し防御線を修復。突破口を作り損ね作戦の失敗を悟った侯爵軍は、攻撃を中断せざるを得なくなったのだ。


「うん……今回の戦いでは、ケイリー配下の貴族にも多くの戦死者が出ているからね。そうでもしなければ各家からの信頼やジガン家家中の結束も綻び、今後の領内運営は覚束なくなるだろうから」


 コボルド側としても、対外印象を考慮し人道的立場をとり続ける姿勢は変わらない。それに死体処理自体が難事だし、そもそも停戦中は無条件で時間が稼げるのだ。

 サーシャリアらに、申し出を断る理由はあるまい。


「う゛う゛お労しやガイウス様。こんな痛々しいお姿に……ごんなごどになっていると知っていれば、もっと早く駆けつけまぢだのに……ずびー」


 目に涙を、鼻に鼻水を溢れさせながら。サーシャリアはガイウスの手を握る。


「ああいやいや、サーシャリア君。君を呼んだのは、私ではなくてだね」

「ほえ?」

「彼の頼みなんだ」


 コボルド王に示され、その方向を振り返る将軍。


「……やあ。来てもらって悪いね……赤毛ちゃん」


 そこには上半身だけとなったトムキャットが、萎びた木の幹を背にもたれていた。

 黒い澱みは流しきってしまったのか消えたのか、もう瘴気は感じられぬが……この状態ですらまだ死に切れていないあたりに、彼が本当に人間を止めていたことを思い知らされるサーシャリアであった。


「ルクス=グランツ……!」


 その凄惨な姿に一瞬驚愕の表情を浮かべるも、すぐにそれは消えゆく。彼女とて軍人であるし、状況も事情も知っているからだ。

 ただ。代わりに目を三角にして、


「ムキー! よくもウチのガイウス様を虐めたわね! このド変態! キェーッ!」

「サ、サーシャリア君! 止めなさい! 松ぼっくりやドングリを投げつけるのは止めてあげなさい!」


 慌てふためくガイウスと長老から、取り押さえられていた。


「アハハ……痛いや。これが今日で、一番痛いなぁ……アハハ」


 おそらくはもう、ほとんど感覚もあるまいが……弱々しく笑う、血塗れのトムキャット。

 長老に松ぼっくりを取り上げられたサーシャリアが、ようやくにして対話を始める。


「……で、何よ。用って」

「何だかね……最後に君に、もう一度会って……謝っておきたかったんだ……色々と迷惑をかけて、ごめんね」


 もうロクに動かせぬ顔を、上下させていた。


「許す訳ないでしょ。貴方のせいでガイウス様もダークも怪我をしたし、何より私の教え子たちやその家族をまた何人も失ったのよ! 絶対に許さないわ」

「うん……そうだね。当然だ……分かってる」


 ガイウスがゴブリンをブルーゲイルに送らせる光景をぼんやりと眺めながら、トムキャットはもう一度頷く。


「本当、迷惑よ! はぁ……で、気は済んだの?」

「どうだろう……まぁ一番の仇は討ったことになるから……零点ではない気分かな……?」


 アハハという声も、もう力が感じられない。

 サーシャリアが言葉に困っていると、その間に彼はまたガイウスへ視線を移した。


「……ああそうだ、【人食いガイウス】……君に聞いて……おかないとな」

「なんだ、ルクス=グランツ」

「あの子は……アマーリエの肉は……美味かったかい?」

「ああ。命の味がしたよ」

「アハ……嘘吐きめ……」


 微かに頭を振る。


「なあ……君はどうして……あの雪山で生き足掻いた? 凍り付いた地獄で……敵だけでなく味方の亡骸からも……食料と衣服を剥ぎ取ってまで生き延びようとした? ガイウス=ベルダラス……君さえいなければ、君の仲間が雪山へ追い詰められる……こともなかっただろうに……自分のせいだ……自分がいなければ……いなくなるべきだ……そうは思わなかったのか?」

「そう、貴殿の言う通りだ。班の皆が死ぬ原因は、貴殿の兄ルーヴェ=グランツ第一皇子を戦場で私が斬ってしまったことにより作られた」


 トムキャットの視線を受け止めながら、ガイウスは答えた。


「……戦友が殺し合うことで残した物資を、私はそのままでは受け取れなかっただろう。共に山を下りた僚友が二人とも自裁したと聞いた時、私もそのままなら後を追っていたかも知れぬ。いや、追うべきだとあの時私は確かに思った。だが……」


 凶相に浮かぶ、苦い表情。


「……じゃあ君はどうして……」


 がくりと首を傾けながら、トムキャットは尋ねる。

 ガイウスは目を閉じ腕を組んで小さく唸った後……その問いへ緩やかに、低い声で答え始めたのだ。


「……人を」

「ん……?」

「人を、待たせていた」

「へえ……」

「黒い髪と瞳をした、嘘吐きの女の子をだ」


 それまで死にゆく男へ顔を向けていた半エルフが、はっとして隣を見上げる。


「私はその子に、戻るのを家で待っていてくれ、と言ってしまったのだ。だから私は、どうしても帰らねばならなかった」

「……あぁ……そうか……そういうことか……それは……仕方ないな……」


 雄猫の溜息。


「なるほど……なるほどなぁ……アマーリエは……『ケダモノ』に食われたのではなく……『ヒト』と戦って、敗れたんだな……」


 一言一言を噛み締めるように、呟く。

 サーシャリアはそんな様子を眺めつつ、何か躊躇していたが……やがて踏ん切りを付けたように深く息を吸い込むと、彼へ話しかけた。


「ねえ、ルクス=グランツ」

「うん……赤毛ちゃん」

「私は貴方を許さないけど……祝賀会の晩、助けて貰ったお礼をちゃんと言ってなかったからしておくわ。アレだけは、ありがとう」

「どう……いたしまして」

「それでね。お返しって訳じゃないけど……一つ気付いたことを、教えておくから」

「アハハ……何だい?」

「貴方。戦時中にあの子と再会した時に【魅了】が効いてなかった……って思い出していたわよね?」

「そう……だね」

「私思うんだけどね。アマーリエには【魅了】が効かなかったんじゃなくて、効くまでもなくその子は元々……」


 再深呼吸。


「貴方をあああ愛あい愛あああ」


 頬を真っ赤にしての、咳払い。


「貴方のことをすす好す好きすす」


 そしてサーシャリアはもう一度さらに激しく咳払いすると、目を逸らしながらぼやくような表情で告げたのだ。


「……きっと貴方のことは……嫌いじゃなかったのよ」


 トムキャットは虚ろな様子でそれを聞いていたが……やがてしばらくおいた後、堰を切ったように笑い始めたのであった。


「……アハハ! そうか。そうなのか。そうだといいな。エヒ、エヒ、エヒヒヒヒ……!」


 急に変わったトムキャットの笑い声に、ガイウスたちが顔を見合わせている。


「エヒ……ヒヒ……!」


 だが、生者の中にこれを理解する者はおるまい。

 この意味を知るのは、今まさに死につつあるこの男と……赤い癖毛と緑の瞳を持っていた、この世にはもう居ないあの娘だけなのだから。

 それは雄猫(トムキャット)が、大山猫(ルクス)へと還った瞬間であった。


「エヒ……エヒ……ヒ……ヒ……」


 徐々に、徐々にかすれていく笑い声。


「……エヒヒ……エヒ……ヒ……」


 同様に暗く冷たくなりゆく視界と感覚の中で。

 男は暖かな記憶を抱きしめ、一人呟く。


 ……ああ、ああ、ああ。


 アマーリエ、アマーリエ、アマーリエ。


 僕はきっと、



 きっと。




 君を、





 愛しても、






 良かったんだ。







 ……ルクス=グランツは死んだ。

 自分を……いや。自分の愛を呪い続けた男が、死んだのだ。


 人間の亡骸となった彼を見つめる、ガイウスとサーシャリア。

 そんな彼らの髪へ、ふわりと何か乗るものがある。


「雪……ですね」

「うん」


 息を合わせたかのように、空を見上げる二人。


『これは……積もる奴じゃな』


 老コボルドも掌を空に向け、灰のようにひらひら舞い降るそれを受け止めていた。


「積もりますか」

『うむ。これから夕方、そして夜じゃしのう』


 そしておそらくこの雪は、一時の停戦を撤退へと導くことになるだろう。

 積もればノースプレイン軍は兵站を現在の如く維持できぬ。前線での実戦においても、ヒューマンには大いに不利となるはずだ。


「敵兵遺体の収容と引き渡し作業……急がせないといけませんね」


 多量の木の葉が絡んだ長い癖毛に、雪まで混じり始めてくるサーシャリア。

 ガイウスはそれらを払い除けながら、「そうだね」と応じた。


「ガイウス様、ルクス=グランツの遺体はどうしましょう。ノースプレイン側に、引き渡しを打診しておきましょうか」


 中腰で手を動かしていたコボルド王は、それを止めて少し考え込む。


「……ノースプレイン陣営はおそらく、彼の亡骸を求めまい」


 トムキャット主導主軸の作戦を納得させた背景に、呪いの威力を見せつけたことがあるのは想像に難くなかった。なればケイリーらとて、最早収容しようとは考えぬだろう。


「ではどうなさいますか? こちらで埋葬しましょうか」

「いや、このままにしておこう」

「え、このままですか?」


 ルクス=グランツを見つめたまま「うん」と応じるコボルド王。


「亡骸は戦場の雪に埋もれさせておく。そして春になれば獣や虫が彼の骨肉を食らい、地に還すだろう」


 主の視線をなぞり、赤毛の将軍がもう一度死者へ向き直る。


「……きっとこの男も、それを望んでいる」


 その言葉を聞き。

 サーシャリアもゆっくりと、頷き返すのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る