217:二度目の冬

217:二度目の冬


 第四次コボルド王国防衛戦は、トムキャットの戦死した十九日目をもって事実上の戦闘を終えた。兵站を雪で封じられることになる侵攻側は、もうこれ以上戦いを続けられないと分かっていたからだ。

 軍使を立てたやり取りが幾度か前線で進められ、遺体回収及び引き渡しに捕虜返還という既定路線の御題目を条件にノースプレイン側は軍を退き……二十四日目には最後の後処理部隊が、雪を踏みしめつつ【大森林】外縁から撤退する。

 撤兵以上の外交交渉へは進まなかったが、兎にも角にも今年の戦は終わったのだった。


 今回、戦いに投入されたコボルド王国側の戦闘人員は二百六名。

 一割以上にあたる二十九名ものコボルドとゴブリンが戦死し、重軽傷者は全軍の三割近く五十三名にも及んだ。

 新装備や様々な策で妖精犬らは果敢に大軍相手に戦ったが、傷は決して小さくない。もしこれが春や夏で戦いがさらに長引いたなら、勝敗の天秤は果たしてどう傾いていたことか。


 しかし一方のノースプレイン軍も、被害はより甚大である。

 再起組と増援を加え数えた彼らの総投入戦闘人員は三千百八十八名。戦死及び行方不明は全軍の二割五分にあたる八百十六名、負傷者は九百八十五名にも及ぶ。

 そして兵の損失もさることながら……不慣れな森中で超近代軍とも言うべきコボルド軍と交戦した結果、兵卒のみならず貴族指揮官や騎士にも多数の死者を出したのだ。

 ノースプレイン陣営とジガン家家中は、数字だけでは読み取れぬ痛手を被っていた。


 ……これが憎悪による更なる報復を招くのか、講和の材料となり得るのか。

 今、雪の上に列をなす妖精犬らを眺める欠け耳の将軍にも、到底見通せるものではない。


「おやサリーちゃん。ここにおりましたか」


 ぼんやりとした様子で佇むサーシャリアに声を掛けたのは、白い息を吐くダークだった。


「おやおや可愛い額に皺を寄せて。何か難しいことでもお考えで?」


 普段調子な蛙の鳴き声。

 先の戦いが終わって以降、死人顔の剣士はどことなく機嫌が良い。


「ううん、そういうのじゃないの。気分転換に散歩していただけ。今日は晴れているから、お日様も浴びておきたかったし」


 誤魔化し気味に頭を振るサーシャリア。

 その横に並んだ黒衣の剣士が、自然に友人と同じ方向を向く。


「王宮(ウチ)に続くあの行列は……あー、そうか。論功行賞は今日まででありましたな」


 然り。あの列は若いコボルドたちが、じゃれ合いながら順番待ちをしているのだ。

 星へ送られた仲間の分まで生を謳歌すべしという、【大森林】と戦いの中を生き抜く種族の逞しさがそこには感じられた。


「ダーク、貴方も並んできたら? 敵の手練れを討ち取ったのだし」

「あいや結構結構。そもそもこのダークめはこういう時に役立つ責務を負うからこそ、ガイウス殿の側に控えておりまする故」


 掌をひらひら前後させて否定し、一笑するダーク。


「義務や債務を履行したところで、功を論ずるには値しませぬよ。道具が機能を果たしても、わざわざ褒める輩がおりましょうや?」

「貴方まだ、そんなこと言ってるの?」


 強めの語気で文句をつけるサーシャリアだが、僚友はいつもの笑いでそれを遮った。


「……で、サリーちゃん。さっきはどうしてあんなに額に皺しておられたので?」


 最初に話を戻された半エルフは、小さく唸る。


「別に考え込んでた訳じゃないわ。雪を見ていたら、ちょっと思い出しをしただけよ」

「……ガイウス殿の、スノーケープ山の件でありましょう?」


 言い当てられたからか。小さく跳ねた半エルフが髪を揺らす。


「え?」


 だが肯定しないのは、ガイウスはダークの居る場では雪山の話をしなかったことを覚えているからだ。そこに何かしらの事情があるのでは、と慮ったのである。


「あー大丈夫大丈夫。強がりなのか何なのか、あのオッサンその辺のことはこのダークめには全く話しませぬが……まぁそれなりに自分も、調べたり聞いて回った多感で可憐な時期がござりました故、ね。子細はむしろ、サリーちゃんより詳しいかと思いまする」


 可憐は無いわねと異議を挟みつつ、少女ダークの行動力にやや驚くサーシャリア。


「ルクス=グランツもそうだったけど……ガイウス様も、その冬では辛い思いをされたのよね……」

「あのボンクラはああ見えて妙に線の細いところもありますからな……ご遺族や心無い連中からの誹りは、なかなかに堪えたことでしょう。他派閥の煽りもあって、大分酷かったようでありますよ。事実、共に山を下りたお二方はいずれも自裁されておりまする」

「そうね……」


 僚友から視線を逸らすサーシャリア。

 移した先ではドワーフ少年と伯爵令嬢が、毛玉の幼児に囲まれながら雪だるまを作っていた。


「……ま。あのクソ猫もガイウス殿も……いっそその戦場で斃れていた方が、余程気が楽だったやも知れませぬなぁ」


 独り言のように暗い声で呟く、黒い瞳の僚友。

 しかしサーシャリアはそれを聞くやいなや、頬を栗鼠のように膨らませて向き直り……唇を尖らせつつ言葉をぶつける。


「何よ! 惚気ちゃって!」

「はぁ?」


 思いもよらぬその反応と物言いに、頓狂な声を漏らすダーク。

 サーシャリアはそんな彼女の鼻先へ、指を突きつけ言い放ったのだ。






「ガイウス様は、貴方が居たから帰ってきたんでしょ!」






 黒髪の怪人は、しばし呆けたように目を丸くしていたが……やがて乙女のように頬を染めると、慌てて顔を逸らした。


「……まったくもう……人がどれだけ苦労して、折角踏ん切りを付けたと……」


 背を向けながら、苦笑いするダーク。


「サリーちゃんは本当、ヒトを惑わすのがお上手でありますなあ」


 今度はサーシャリアが「は?」と言う番であった。

 ……ぶっちゅー!

 不意に腰を落としたダークが、サーシャリアの唇を唇で塞ぐ。


「ん―!?」

「んぐんぐずずずんぐぐ」

「んんー! んんんーーーっ!?」


 呆然から騒然を経て、ようやく拘束を振りほどく半エルフ。

 コルク栓を、瓶から抜くような音がした。


「ななななな何すんのよおおおお!?」

「仕返しでありますな! ケーケケケ」

「はあー!? ててていうかしししししし舌入れたわよねええええ!?」

「絡めもしましたなぁ」

「ははははは歯の裏も舐めたああああああ!」

「ええ! 舐め申した」

「つつつ唾も飲んだあああ!!」

「ご馳走様です」

「わわわわわ私の初接吻(ファーストキス)ががががががああああ!」

「やったぜ! であります」

「死いいいいいいいねええええええええええええ!」

「あ、やっべ!? 本気の殴打来たであります!」


 ババン! ババン! バンバン!


 バンバンダンダン音を立て、真っ赤な顔で杖を振り回すサーシャリア。一方丸まり頭を抱え、打撃を懸命に受け流すダーク。


「ケーッケッケッケ! 人様一世一代の覚悟を台無しにした報いですな! ザマーミロであります! ケケケ!」


 ダン! ダダダダン! ダダン! ダン! ダダン!


「ムキー! ムッキー!」

「あだーだだだ」


 ……と。そんな間抜けな制裁劇は、しばし続けられていたものの。

 やがて疲れ果てたのだろう。サーシャリアのほうが肩を落とし、深く溜め息を吐いた。


「はぁー……もういいわ……転んで馬の糞に顔を突っ込んだと思って忘れるから……」

「あのー。口を地べたの雪で濯がれると、自分もそれなりに傷付くのでありますが……」

「お黙り!」


 重みのある音を伴う再制裁。

 直撃を受けたダークが、タンコブができていないか頭を擦っている。


「あーもぅ……このお馬鹿は!」


 欠け耳のエルフはその様子を見て、また肩を落とした後……意を決したように顔を上げ、雪に尻餅をつく友人の袖を引いたのだ。


「さ、立ちなさい! 行くわよ!」

「え? 何処に、でありますか?」

「決まってるでしょ! 論功行賞の列に並ぶの! 頭撫でて貰いなさい! 貴方も!」

「え、ええええ!?」


 凄まれたダークはまたも目を丸くしたが……やがて苦笑いしつつ、ゆっくり立ち上がる。


「やれやれ……仕方ありませんな。サリーちゃんは本当、どこまでもこのダークめの心を弄んで下さりまする。欠け耳の魔女ではなく、小悪魔ですかな?」

「うっさい馬鹿たれ! ホラ行くわよ!」


 目をつり上げ、怒気で雪を溶かさんばかりにズカズカ進むサーシャリア。


「……でもまぁ。それも、存外悪くはありませんかな」

「は!? 何よダーク! また何か言った!?」

「いいえ、何も何も! ああ~ん、サリーちゃん、待って下さいませ、でありま~す!」


 クネクエとわざとらしいしなを作りつつ、彼女を追い始めるダーク。

 それを遠目に見ていた列のコボルドたちが、手と尻尾を盛んに振って招いていた。


 ……コボルド王国、二度目の冬。


 春になればまた、更なる戦いが待つやもしれぬ。いや……待ち受けているだろう。

 だがそれでも、それでも今は。

 天から贈られた白い盾が、彼らに束の間の休息を与えてくれるはずだ。


 妖精犬とその王と……彼の背中を追い、そして共に並び歩いて行く仲間たちに。


(魔銀編 終)

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