170:未練の撤退
170:未練の撤退
周囲の妖樹すら萎れ始めるような瘴気の中、きらきらと光るものがある。
魔法合金と鋼鉄が衝突する度に、欠片と火花の煌めきが散り。そして魔剣の作用らしき細氷が、時折宙に木漏れ日を反射していた。それらを生んでいるのは、猛烈な速度で応酬される斬撃の嵐だ。
「上官を、戦友を、部下を、周りを犠牲にして。自分一人、己だけ生き残っている気分はどうだい!? 【人食いガイウス】!」
「よく知っているものだ」
「君のことは随分、調べたからね!」
叫びと共に、叩き込まれる櫂船甲板撃。一振り一振り全てが、やはりガイウスを上回る剣速と重さで繰り出されている。幾重もの強化刻印を過剰に刻まれた処刑剣は、一合ごとにフォセを削ぎながらも刃こぼれ一つ見せぬ。
「雪山を共に降りた同僚らは負い目から自裁したのだろう? なのに何故君だけが、のうのうと生きている? 心は咎めないのか? 罪は感じないのか? 仲間の命を啜る価値が自分にあったのかと、疑いもしないのか?」
「思った。幾度もな」
その間にも振るわれる、トムキャットの魔剣。
しかしコボルド王は圧倒的劣勢の中、幾多の傷を負いつつそれを凌ぎ続けていた。
「……やっと、合点がいった」
「アハハハハ! 何がだい?」
「貴殿はあの時、苔砦(フォート・モス)にいたのだな」
その言葉を聞いた雄猫の身体が、びくりと大きく痙攣する。
目と口から吹きこぼれる漆黒の流体。足下の花が垂れたそれを被り、みるみるうちに枯れ草へと姿を変えた。
「やはりか」
それでも打ち込まれる斬撃を受け、ガイウスは呟く。バインドのまま膠着する、両者の剣。
「徹底抗戦を指揮した将は陥落寸前に、ノースプレイン侯の包囲を少数の生き残りで突破したと噂に聞いていたが。それが、貴殿だったのだな」
数瞬硬直した後に、黒く染まった目を細め「……ああそうさ」と呪塊は答えた。
「馬を、草を、苔まで舐め取り。兵を食い、食わせもした【蟲】が僕さ! ケダモノの君以下の人間だよ! アハハハハハ! いや『元人間』かな!?」
どろどろと溢れる黒い液体が、量を増していく。
周囲の瘴気もそれにつれ濃くなるものの、逆にトムキャットの集中に綻びが見え始めていた。
バインドを横へ弾いた彼が、ここで初めて後ずさる。
「そうか……貴殿の呪い、中身が分かった気がする。私が呪いの中で、まだ立っている理由もな」
一呼吸おいて、ガイウスから暴風雨の如く叩き込まれる大鉈。
今度は雄猫が、刃の乱舞を懸命に防ぐ番だ。
「アハハハハ! 僕は、僕はまた、ここまでしても、あそこまでしても! またか、またなのか! アハハハハハハハ!」
未だトムキャットの力と速度は相手を大きく上回る。上回るが、ガイウス=ベルダラスは技量によってそれらに順応し始めたのである。
防戦一方となった呪塊は少しずつ押され、削られ、血の代わりに傷から滲む黒色が肌と鎧を汚していく。
勝敗の天秤が、反対へ傾こうとしたその瞬間。
どごん!
銅色の塊が、猛烈な速度でコボルド王の側面に衝突したのだ。
ガイウスとて万全の状態とは程遠い。不意を打たれた衝撃は彼を大きく弾き飛ばし、木の幹へ半身を強かに打ち付けた。苦悶と共に、巨躯が地に沈む。
「乗れ……トムキャット」
闖入者の正体は、トムキャットの銅ゴーレム馬に乗ったアッシュ二世であった。
だがやはり瘴気の影響を免れ得ないのだろう。手を差し伸べたまま端正な顔を歪め、喉と胸を吐瀉物で汚している。
「中身を……漏らし過ぎだ……それでは……身体が……保つまい」
「邪魔をするなアッシュ!」
払いのける仕草で、鉛髪を睨む雄猫。
「僕がこの瞬間をどれだけ待ち望んだか、君には分かるまい」
「そんなものは……知らん……だが……このままでは……お前は……敗れるぞ」
胃液を拭い、苦しげに続けられる言葉。
「お前は……『これ』で……納得できるのか」
「それは」
トムキャットは言葉に詰まり、視線を己の掌へ移した。
彼はそうしてもう一度どす黒い液体をごぶりと吐き出すと、逡巡の後にようやく顔を上げる。
「……確かにこのまま終わったら、僕は納得できない。何も聞けていない、何も見つけられていない」
その目はいつの間にかヒトのものに戻っており、濃く立ちこめていた瘴気も大幅に薄らぎ始めていた。呪塊は再び、分厚い【魅了】の殻を閉じたのである。
「さらに……言うなら……お前は俺に……契約を果たす……義務がある……それを……蔑ろに……するのは……お前の好きな……『筋』に……違えるのでは……ないか?」
「アハハハハ、いやあ全く、全くそうだよ。君の言う通りさ、アッシュ」
トムキャットは先の調子で答えると美剣士の白い手を掴み、ゴーレム馬の背に跨がった。
そして、剣を杖に立つガイウスへ顔を向ける。
「悪いね【人食いガイウス】、今日はお開きにしよう。どうも年甲斐もなく、はしゃぎ過ぎたらしい」
コボルド王は「待て」と言わない。瘴気の毒気と負傷や疲労で、彼自身も限界の淵に立つ状態だ。鉄板を思わせる大鉈もあちこちが酷く欠け、今や出来損ないの鋸にすら見えていた。
ましてやアッシュの参戦もある。ここからの決着は難しいだろう。
「今度戦場で会う時には、ちゃんと答えて欲しいな! じゃあね」
アハハと一笑いし、アッシュから手綱を受け取り馬首を返すトムキャット。そしてそのまま、二人乗りで木々の向こうへ走り去る。
ガイウスはそれを見届けた後に小さく呻き。ずしり、と地に膝をつくのであった。
◆
ザカライア=ベルギロスが目を覚ましたのは、第五陣地に担ぎ込まれしばらく経ってからのことだ。
既に陽は落ち、コボルド側防御線を攻撃していた戦力も、全てが陣地に引き上げている。最前線の第六橋頭堡は放棄され、疲れ切った侵攻部隊は防御を固めるため第五、第四橋頭堡へ溢れるように詰め込まれていた。
「まだだ、まだ終わらん」
「無茶を仰います。兵に食わせる物だって、もう無いんですぜ」
ここに至っても継戦を口にするザカライアを、諫める【跳ね豚】。
「早馬を飛ばし、周辺都市の商人から糧秣を買い付ければ、まだ何とかできるはずだ」
「それに何日かかると思います」
「残った食糧を切り詰め、森の動物を狩れば数日は凌げる」
「素人に狩りなんか、できやしませんよ。まして数百人を食わせる肉を、得られるはずがないでしょう?」
反論するピックルズへ、怒気を含んだ眼差しがグリンウォリック伯から向けられる。だが豚子爵もここが仕事の正念場だ。恨みを買おうとも、彼はこの機に畳み掛けねばならない。
「大体、買う金があるんですかい?」
「何を言う。ベルギロス家の財力を甘く見ないでもらいたい、【跳ね豚】殿」
「ええそうでしょうよ。お家に帰れば幾らでも壺から湧いてくるでしょうな、お家に帰ればね」
「何だと?」
「現金が足りない、と言っているのですよ」
ピックルズが「なあ?」と主計を務める騎士に問う。眼鏡をかけた若い貴族は、疲れた顔で無言のまま頷いていた。
「掛け買いで済ませればよかろう」
「ケイリー殿が幾らでも現金で買い取ってくれるこの情勢下でですか? 踏み倒される危険を冒して?」
「ベルギロス家がそんな真似をするか! 何ならケイリー殿の倍の値を付けて商人から買ってやろうではないか」
「ますます疑われるだけでしょうな。そもそも、信用するしないは向こうが判断することです」
ぶっひっひ、と敢えて挑発するように嗤う。
「フン、だったら多少脅してやれば良い。貴族を敬わぬ者への教育だ」
「ご冗談を。地元グリンウォリックならともかく、ジガン家のノースプレイン領内で『お恫喝』をなさるつもりで?」
目を剥いて言葉に詰まる、ザカライア。
「そもそもザカライア殿は無理筋でノースプレインにお邪魔して、強引に兵糧を買い集めたんですぜ? これ以上に市場と流通を荒らせば、流石のケイリー殿も黙っちゃぁいないでしょうよ」
「それは……」
「いいや、流石にお怒りになるでしょうな、間違いなく。彼女の妨害を受けたら、この領内で物資調達などできませんよ」
断言するには裏があった。
ザカライアの父は息子を生かして戻す目付役として、イグリス軍に旧知であるピックルズの派遣を依頼している。だがそれのみに留まらず、ザカライア父はケイリーへも事前に根回しを済ませていたのだ。内紛後の相続を諸侯に認めさせる力添えをする……という餌をぶら下げて。
出陣前に【跳ね豚】が彼女と密会したのは、まさに実地面の協力を得る面談であった。つまり豚子爵は、ケイリーが「流石にお怒りになる」よう手を回せるのだ。
今後を考え現グリンウォリック伯の反感など買いたくないケイリーとしても、その状況ならば動く言い訳は十二分に立つ。いやむしろそれにより、ザカライアに貸しどころか負い目を負わせられるのだ。彼女は動くだろう。
「……明朝、全軍を撤退させる。ライボローまで後退し、フォートスタンドを経由してグリンウォリックへ帰還する」
「それが賢明でしょう。やり直すにしても、一度戻ってからです」
再度睨め付けるザカライアから視線を外しつつ、【跳ね豚】は応じた。
……ここまで持ち込むのに、ここまでで抑えるのに、どれだけの人命が失われたか。
ゴブリン集落のことも思い出され、彼の気分を暗くする。
「ところでアッシュはどうした。先程から姿が見えん。もしや、怪我でも負ったのではないだろうな?」
きょろきょろと周りを見回すザカライア。
豚子爵は一番面倒な説明が残っていたことを思い出し、なおも気を重くするのであった。
◆
こうして、第三次コボルド王国防衛戦は幕を閉じた。
コボルド王国軍は戦闘人員百七十六名の内二十二名を戦死させ、四十三名が負傷。
グリンウォリック側は戦闘人員五百三十二名の内百三十二名が戦死または行方不明となり、負傷者は百八十一名にのぼる。
遠征軍の疲弊著しく、帰途に死者数を幾度も書き足した上、フォートスタンドでケイリーから物資供与を受けようやく自領へと向かうことが叶う有様だったという。
……寵愛したアッシュに命を狙われたという衝撃について、ザカライアは当初頑なに信じようとはしなかった。疎んだピックルズが殺害したのではないかと、言いがかりを付けなじったほどだ。
だが状況証拠から思考の迷路に入り込んだ彼はやがて、あの美青年が今回の遠征を煽ったこと自体が、家督を狙う親族の策謀なのだと誤解の上で確信に至る。自身を正当化する意識もこれを助長したし、トムキャットがアッシュに付与した【魅了】の影響から外れたという、彼らの知らぬ事情が何より大きい。
疑心暗鬼に駆られたザカライアはその後親族との諍いに没頭し、結果的にこれがコボルド王国への再遠征を断念させることとなる。
……ともかくもコボルド王国は、多くの犠牲を払うことで三度にわたり人界の脅威を退けたのだ。
星へと送られる煙を眺めながら。この戦いの後に平和が訪れることを、誰もが願わずにはいられなかった。
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