169:指

169:指


「やれやれ。しばらく尻穴を舐ってやらない間に、随分捻じ曲がって育ったものであります」


 剣を前方に出す【突き構え】をとるダーク。距離を確保し、間合いを探る意図もある。


「そう言う……お前は……何のために……わざわざこんな……森の中で……剣を握る」


 対するアッシュは小型盾剣術【第三の構え】だ。先の【第一の構え】との違いは、右腕を左腕に回す上下の違いである。それ故、【腕上の構え】とも言う。


「あの男……ベルダラスは……お前に……手を付けて……いないの……だろう?」


 あぁー、とダークが面倒臭げに一声吐く。


「そーゆー情緒があるものとは、違いましてなぁ。自分、ガイウス殿に借りというか負債がありまして。その弁済なり義理なりを果たすまで、お務めせねばならぬ身なのですよ」

「なるほど……そう……自分を言い聞かせて……己一人だけ……貴族の……預かりに……なったのか……クフフ」


 美剣士の嗤いに、青白い下瞼がぴくりと震えた。


「俺はまだ……彷徨っているのに……お前だけ……居場所を見つけて……クフフ……狡い……女だ」


 肩の上下が止まった瞬間、素早く踏み込み刃を打ち込むアッシュ。彼は敢えてダークの剣へ上から被せて刹那のバインド状態を作り出し、巧みに力を加えることで彼女のハンガーを下へと押しやる。


「シッ」


 更なる踏み込み。

 距離を一気に詰めた美剣士は、バックラーで黒衣者の腕を打ち姿勢を直す余裕を奪い、下から跳ねるように首筋へビルボを振るった。

 尋常の剣士であればこの時点で終わっていただろう。だが上体を反らし、間一髪それを躱すダーク。数瞬遅れで彼女の頬を走る、赤い筋。


「ほう……相変わらず……器用だな」


 横転し距離を取った黒剣士へ向け、再び左腕を正面に掲げるアッシュ。

 普通の盾は体に寄せ守りを固めるが、離し取り回すことで真価を発揮するのがバックラーだ。時に受け時に押し時に打つ、見た目よりも攻撃性の強い防具である。


「こっちこそ驚きでありますよ。歌の上手なアッシュ坊やが、こんな腕前の剣士になるとはね」

「喉も……胸も……もう……治らないそうだ……これを……代わりと見做すには……到底物足りん……さ」

「……そうでありますか」


 不意に間合いを詰め繰り出されるビルボを、躱すダーク。

 反撃のハンガーが、バックラーに阻まれた。


「おまけに……このせいで……俺より……手練れが……滅多におらず……困っている……俺は……強い男が……好きなのにな……クフフ」

「なるほど、孤児院では物足りぬ訳であります」


 絶え間ない金属衝突音。なおも続く攻防の合間で、交わされる言葉。


「これまでの……中でも……お前の腕は……中の下……あたり……だな」

「そりゃどーも。でもお生憎様ですが」


 振るわれる鋼鉄を、黒剣士が刃で弾く。

 アッシュはその隙を埋めるべく再びバックラーを突き出すが、ダークは左手で素早く外套の下から楕円状の何かを取り出し、むしろそこへ投げつけたのだ。


 ぼふっ、と噴煙が広がる。


「そういう奴を出し抜くのは、慣れているんでありますよ」


 その正体は、鶏卵殻の内部に灰と刺激物を封入した目潰しだ。

 そして間髪入れず右側から踏み込んだダークのハンガーが、さらに外側から弧を描き標的の左側頭へ鋭く叩き込まれる。

 ……だが彼女の手に届いたのは、肉と骨を割る感触ではなかった。


「なっ!?」


 美剣士は目を閉じたままビルボをぐるりと左腕の外側に立て、斬撃を受け止めている。

 衝撃で剣の腹が二の腕に食い込み、受け止めきれぬハンガーは左頬を割っていた。だがそれでも彼は、塞がれた視界の中で致命の一撃を防いでいたのである。


「シッ」


 アッシュはその体勢のまま前腕だけを捻り、相手の側頭部をバックラーにて打つ。怯んだ隙を突いて、叩き込まれる斬撃。

 ダークは背後に倒れこむことで辛うじてビルボを回避すると、勢いそのままに後転数回。素早く立ち上がり、何とか距離を確保した。


「ぐっ!?」


 剣もそうだが、盾撃(シールドバッシュ)も見た目よりずっと重い。あるいは、自分で自身に強化の魔術をかけているのか。


「……やはり……狡い……女だ」


 煙を避けて下がったアッシュが、ようやく目を開け向き直る。

 一方手酷い打撃を受けたダークは、木を背に体勢を立て直していた。


「ぐぶ……綺麗な顔に傷が付いたのに、随分と余裕でありますな」

「大丈夫だ……この傷すらも……俺は……美しい」

「ケッ……こういう時、顔を傷つけられた美形は怒り狂うってのが……お約束でしょうに」

「クフフ……俺より……お前の方が……酷いだろう?」


 剣を握り直そうとしたダークが、そこでようやく手の違和感に気付く。

 見れば彼女の左手……手甲の装甲板が無い内側……は薬指と小指に付け根以降までが一部欠け、断面より血を垂らしているではないか。


「ちっ」


 思わず数歩退いた黒剣士を見て、目を細めるアッシュ。

 彼は盾を突き出したまま片膝をつくと、切り落とした指を拾い口へ運ぶ。


「この指にも……世話に……なったが」


 れろ、れろ、ぶち、ぶち、ぶち。


「ぺっ……これで……お別れだな」


 地へ吐き捨てられる、噛み潰しの二指。


「先程までの……威勢は……どうした……流石に……堪えたか?」

「別に」


 ぽたぽたと血液を流す薬指の付け根を眺めながら、ダークは無感動に呟いた。


「……自分の未練がましさに、呆れているだけでありますよ」


 片手剣術上段【見張りの構え】。ロングソード剣術【屋根の構え】の片手版である。


「元より疎ましい指でしてな。スッキリしました」

「下らん……虚勢を……張る」

「いや、割と本気でしてね」

「先の……盾撃……よほど効いた……のだな? ……足が……ふらついて……いるぞ」


 嗤いつつ一歩詰める、鉛髪。

 だがその表情が、刹那に一変した。


「……何を……している」


 敵手とは違う方向へ顔を向け、目を剥くアッシュ。


「だから……保つのかと……言ったのだ……!」


 そして彼はしばし苦い顔で逡巡の様子を見せると、剣を鞘に収めたのである。


「お前に……構っている……暇も……ザカライアを追う……時間も……無くなった」

「アッシュ?」


 ロウ……アア……イイ


「くっ!?」


 撃ち込まれる【マジック・アロー】を、木の幹を盾に防ぐ黒剣士。


「先の……言葉を……返してやろう……昔の馴染みで……見逃してやる……ダーク」


 美剣士はそう言い捨てて昔馴染みを捨て置き、背を向けそのまま走り去ってしまった。【跳ね豚】の後ではなく、瘴気の方向へと、だ。


「待つでありま、アッシュ……うっ」


 咄嗟にその後を追おうとして、転倒するダーク。やはり先の殴打が効いていたのだろう。

 彼女は立ち上がろうとして嘔吐すると再び倒れ込み、気を失ってしまったのである。

 

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