168:昔の馴染み
168:昔の馴染み
「「えっほえっほ ほいさっさ」」
「おやっさんホラ、もっとちゃんと持って!」
「実家が小麦問屋だけあって、力あるよなお前……」
気絶したザカライアを協力して運ぶ、【跳ね豚】とヘティー。二人はトムキャットの瘴気から逃れる際、この伯爵をしっかり引きずって影響圏外へ離脱していたのである。
「でも良かったんですか? 勝手に逃げ出して来ちゃって」
「ちゃんと近くの班長格に合図してある! 連中こそボンボンが死にゃあ破滅だからな、反対なんかしねえよ。後は奴さんたちが敵の目を引きつけつつ、上手く下がってくれ……」
ロウ……アア……イイ……
「伏せろ!」
届いた詠唱音に即応し、上司が部下を突き飛ばした。
支えを失ったザカライアの顔が地を強打した瞬間、魔素の矢が【跳ね豚】の右腿肉を削りながら近くの木へ突き刺さる。
「ブヒー!?」
「流石に……よく……動く」
濃い木陰から浮かび上がる鉛色の長髪。
【マジック・アロー】を放った掌を下げつつ不快気に呟いたのは、味方のはずの男であった。
「お、おやっさーん!? ちょ、ちょっと! 顔の良いお兄さん! 誤射してますよ誤射!」
「間違っちゃいねえよヘティー。ああ畜生、露骨に怪しいとずっと思ってたけどよ、やっぱ最初からボンボンの命を狙ってたんじゃねえか」
幹を盾に、ぎこちなく剣を抜いて持ち替えるピックルズ。併せて部下へ、隠れていろと目配せを送る。
「そうでも……ない……状況を見て……善後策を立てるべきと……つい先程……考えたばかり……だ」
アッシュはぼそりぼそりと答えた後、顎に手を当てて少し考え込む。
「そうだな……その男に加えて……豚子爵も……死んでくれた方が……何かと火種は……残せそうだ」
「何処の手のモンだ、お前。ボンボンの親戚か、それとも他領の領主か」
「何処でも……ない……俺は……俺の目的のために……動いている」
すっ、と外套の下から帽子に似た金属円盤を取り出すアッシュ。所謂バックラーという、携帯性に優れた直径一尺(約三十センチ)程度の小型盾だ。
彼は左手でそれを突き出すと、右手で抜いた得物……小レイピアとも例えられる、決闘用両刃剣ビルボ……を腹越しにぐっと回して左脇に添えた。小型盾剣術ではこの体勢を、【第一の構え】もしくは【腕下の構え】と呼ぶ。
先程は攻撃魔術も扱ってみせたが、どうもこちらが本分らしい。
「おい舐めんなよ若造、老けたとはいえ黒猪戦士団団長ジョン=ピックルズ様が、テメー如きに斬られると思ってやがるのか。体だって、昔より絞ってんだ」
それで!? と叫ぶヘティーを一睨みし、木の陰から出た豚子爵が構えた。
左手に握る剣を突き出し、やや斜め上に向ける姿勢。防御重視の片手持ち、【突き受け構え】である。
「そうだな……お前が……万全であれば……難しかった……かもしれんな……だが」
一呼吸、吸い直し。
「お前は……右利きなの……だろう? 骨まで……やったか?」
「クソめ。これだから顔の綺麗な男は嫌いなんだ。その分、中身が悪ィからよ」
「醜男の……僻みだな」
やり取りの裏で探られる、互いの隙。
気配だけで一筋縄に行かぬと悟った【跳ね豚】は、前を向いたまま部下へ告げる。
「ヘティー、お前はボンボンを担いで陣地まで下がれ」
「でも、おやっさん」
「行け、そのデカ尻を引っ叩くぞ」
「……憲兵に訴えてやりますからね」
銀髪娘はザカライアを火消し担ぎで肩に負うと、鼻を一啜りし立ち去っていく。
目で追うアッシュを遮るように、豚子爵が横に二歩移動した。
「その足と手で……吹くものだ」
「うっせーな、仕事なんだよ。上司ってのは大変なんだ」
一歩詰める鉛髪。同じく下がる禿頭。
一対一に特化した小型盾剣術相手に、利き腕と片足を封じられた【跳ね豚】は著しく分が悪い。彼が取り得るのは、相討ち狙いの一撃だけなのだ。
だがアッシュもその意図を理解し警戒したのだろう。それ故に、この美剣士も一息には攻めあぐねている様子であった。
「本当に……この豚は……邪魔ばかりを……する」
「こちとら脂肪が厚いからよ、斬り合いじゃあ、そっちが先に中身をぶちまけることになるぜ?」
「試して……みよう」
「あいやしばらく! しばらく待たれよ御両名!」
殺気を削ぐ、道化の如き一声。
対決者らが間合いを確保しつつその方を見ると、そこには幽鬼のように青白い顔と烏を思わせる黒髪黒服の剣士が、木々の間を抜け歩み寄ってきているではないか。
「お久しぶりであります、ピックルズ殿」
「……あ、その不健康なツラ! ガイウスんトコの預かりじゃねえか。そうか、お前も来てたのか」
「そりゃー自分、ガイウス殿の愛人でありますので。当然ながら、お供しておりますよ」
「嘘つけ。アイツ童貞だろが」
吹聴し損ねの女剣士は残念そうに舌打ち。擦過音を鳴らし剣を抜く。親方特製の片刃剣ハンガーだ。
三者の間に走る、新たな緊張。
「醜女……邪魔を……するか」
「この局面で絡んで、どうするつもりだお前」
「いえね? 折角毒気から這い出たもので、ピックルズ卿を襲い伯爵殿の身柄を確保しようと先回りしていたら、この悶着を拝見しまして。でもお話を飲み込んでみると、どうにも宜しくないようですな?」
すすす、と立ち位置を変え。ダークがアッシュに剣を向ける。
「あのクソ従兄弟殿に死なれると、人界との和平が難しくなるのですよ。コボルド兵らも、殺すなと命じられております。ついでに黒猪戦士団団長まで、だとやはりイグリス本国との禍根が残りかねませんので」
「……何だ。思ったよりはまともな感覚してやがるじゃねえか、お前ら」
「ガイウス殿は確かに馬鹿ですが、それが分からぬ類でもありませぬ」
蛙のように笑う。
「という訳で、ここは自分が引き受けるでありますよ。ピックルズ卿は先程の可愛い娘を早く追いかけて下さいませ」
「馬鹿言え、コイツかなり遣うぞ。俺は手負いだが、それでも二人でやった方がいい」
「いやぁ、そういう訳にもいかんのであります」
今度は、苦笑い気味に。
「あの娘、森の奥へ向かって行きましたので。貴軍の陣地は、あっち」
「あンの馬鹿ーーーーーッ!」
「冗談無しで、お早く。近日の騒動もあり、気の立った魔獣が多数徘徊しておりまする故」
「……分かった。一つ借りとく。グリンウォリック伯は俺が必ず説き伏せて兵を引かせるから、それでこの戦は仕舞いにしようぜ」
「畏まりました。ガイウス殿にもお伝えしまする」
【跳ね豚】は対峙したまま後退すると、足を引き摺り部下の後を追いかけていく。
それを捉える美剣士の視線を、今度は黒衣の剣士がゆっくりと遮るのであった。
◆
ひらひらと掌を揺らすダーク。
「いやー申し訳ない申し訳ない。お待たせ致しました」
「待ってなど……いない……豚も……そうだが……お前も……不愉快だな……醜女」
苛立ちの皺を浮かべ、鉛髪の青年は呟いた。
「ほーん。かく言うそちらは随分とお顔立ちが宜しいようで」
「知って……いる……俺は……美しい」
「仰りますな!」
ダークがケケケ、と声を上げ目を細める。
「名は……何という……死人面」
「いやーん、口説かれてるー?」
「女に……興味は無い……苛つく醜女だが……名ぐらい……聞いておこう……俺は……今からお前を殺し……豚を……追う……からな」
微かな木漏れ日を受けて、突き出されたバックラーが七色の光を見せた。
「あーはいはい。自分はガイウス=ベルダラスの愛人で、ダークと申します」
「妙な……名だ……俺は……アッシュ……二世という」
「アシュリーやアシュトンではなく? 何だか、髪色そのままの名前でありますな」
「その言葉……そのまま……返す」
間合いを探りながら、名乗る両者。
だがすぐにどちらもが片眉を上げ、「「ん?」」と訝しむ顔を見せる。
「お前……ダーク……ダークなのか?」
「まさかアッシュ……二番目のアッシュでありますか!? あの館で一緒だった……」
各自基準で上がる、喫驚の声。
だがそれでも決して構えを崩さぬところに、二人が現在どう生きているかが表れていた。
「そうか……ベルダラスの預かりに……なったという噂は……本当……だったのか」
「そっちこそ、半年もたたずに孤児院から消えたと」
「あそこには……俺を……満たして……くれる男は……いなかった……からな」
漏れる、溜め息。
「アッシュ」
「何……だ」
「昔の馴染みで、見逃してやりましょう。お前が何処に雇われているかは知りませぬが、剣を捨てて帰るであります」
「クフフ……相変わらず……情に……厚い」
鉛髪を揺らし、小さく嗤う。
「歯を立てた……と毎日殴られる……レディッシュに……お前は……夜通し……口の使い方を……必死に……教えて……やっていた……な」
「あぁ、そんなこともありましたっけ」
「まあ結局……アイツは……前歯を全部……顔も潰されて……死んだが」
「いや覚えているでありますよ。埋めたのは、自分なので」
黒い眉が、皺を立てて歪む。
「お前は……男も女も……ほぐすのが……一番上手かった……俺も……皆も……その指と舌には……随分と……助けられた……ものだ」
「そりゃどーも」
切っ先を微かに回しつつ、ダークが相槌を打つ。
「お前は……上手かったから……重宝がられ……処分されなかった……俺は……美しいから……愛され……生き残った」
アッシュがすい、と摺り足で詰める。
「だから俺は……お前を斬って……豚を追う……俺が……美しく……生き残り……愛される……ために……だ」
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