152:ゴブリンの村

152:ゴブリンの村


「ううぅー……」


 村。おそらくこれは、村だったのだろう。

 あちこちに転がる、子供ほどの背丈をした緑肌の死体。地に吸わせるままの、黒い血痕。

 そういったものを恐る恐る避けて歩きつつ、軽装剣士風の娘が何度目かの呻きを上げていた。


「おうへティー、だらしねえぞ。放校くらったとはいえお前、騎士志望だったんだろ?」


 彼女の前を歩く、はち切れんばかりの肥満体が振り返る。

 著しく前線が後退し、中央突破を受けた髪。弛んだ顎、上を向いた鼻頭と大きく開いた鼻孔……と、誰もが失礼ながら豚を連想してしまうような中年醜男であった。ご丁寧なことに、鼻をすすると「フゴッ」という音まで鳴る。


「そんなこと言ったってぇー、おやっさん」


 ヘティーはそこまで口にしたところで、うっかり死骸の一つと目を合わせてしまう。そして数秒攻防を繰り広げた結果、その場に膝をついて嘔吐し始めた。


「おげえーげろげろげろえー」

「ああもう、しょうがねえな……」


 醜男が面倒臭げに眉を顰めつつ歩み寄り、へティーの背中をさする。


「ほれ、もう吐くなら全部吐いちまえ」

「うう……不細工上司がここぞとばかりに乙女の身体を撫で回してくる……性的嫌がらせだ……おげろげろ」

「アホか。お前みたいな、尻がでかいだけのガキに興味はねえ。女ってのはな、成熟した手首の色っぽさが大事なんだよ」

「ぐぐー、機に乗じて聞きもしない変態性癖を押しつけてくる……性的言動だわ……憲兵に訴えてやる……」

「元気なのか元気じゃねえのか、はっきりしろや。ああもうほれ、口周りを拭え。これで濯げ」


 肥満中年は手拭き布や水筒を手渡すと、娘の回復を待った。


「ふぅ……おやっさん。今日は随分用意がいいですね」

「馬鹿野郎。俺はいつでも用意がいいンだ。腹の調子が悪い日は替えの下着を準備しておくくらい、周到な男よ」

「……それ、何も間に合ってないんですけどぉ」

「そうでもねえ。この間、実際に役立ったぞ」

「最低過ぎる……」


 うがいを済ませたへティーが口周りを拭い、よろよろと立ち上がる。


「うぐう……おやっさんは、こういうの平気なんですか」

「平気じゃねえ。慣れてるだけだ」

「前の戦争でですか?」

「前の戦争も、前の前の戦争でも、だ」


 忌ま忌ましげにそう答えると、へティーの上司……イグリス王国【黒猪戦士団】団長ジョン=ピックルズは再び気怠げに歩き始めた。部下も、ふらふらとその後を追う。


「これが、うぷ、ゴブリンですか」

「ああ。【大森林】外縁部に生息する種族だ……とは言っても俺も都会っ子だからよ、見るのは初めてだがな」

「ごぶ、ゴブリン、どこか村でも襲ったんですか?」

「いいや、何もしてねえ」

「え?」


 上司の上着の裾を掴んで歩くへティーが、驚いた声を上げる。


「じゃあ、どうしてです!?」

「グリンウォリック伯がベルダラス討伐の前準備として、【大森林】での行軍と行動に兵を慣れさせたかったんだとさ。まあ自領内だと、先代の目があって何かとやり辛かったんだろうな」


 ピックルズは唾を吐こうとしたが……その先に緑肌の死体があったため取り止め、渋面のままそれを飲み込んだ。


「冒険者からここの情報を買った伯は、都合良しと仮想戦場に設定したんだろうよ。まあ、本番の前にやったのは正解っちゃ正解だ。実際今回のゴブリン攻めにしても、【大森林】の行軍中に行方不明となったり、魔獣に遭遇して結構な損害が出てるからな。もしぶっつけ本番であの昼行灯と戦ったなら、どうなったことか」

「でも、モンスターだからって、何もこんな風に殺さなくても」

「あのボンボン、聖人教に入れ込んでるからな。シッ、そろそろ気をつけろ……やあどうもどうも! ザカライア殿」


 掌をひらひらとさせつつピックルズが声をかけたのは、手拭き布で口を押さえたグリンウォリック現伯爵ザカライア=ベルギロスである。

 伯と供の向こうには【大森林】原産種の立派な丸太で組まれた塔……もしくは極小の砦……が建っており、周囲には焦げ跡や血痕がそこかしこに見受けられた。


「【跳ね豚】殿か」


【跳豚(ジャンピッグ)】とは本来ジョン=ピックルズの武勲に由来する異名であるが、彼の肥満体と姓名をもじった渾名でもある。戦友らは敬意と友誼を込めてこの名で呼ぶものの、それ以外の者は侮りを込めて言う場合もある。


「行軍時含め死者二十五名、負傷者多数、ですか。『止めときましょうや』っていう軍事顧問の忠告には、耳を傾けていただきたかったですな」

「フン、何が軍事顧問だ。父上が王都に頼んで寄越させた監視役だろうに」

「否定はしませんがね。でもせめて前線に同行くらい、させて欲しかったですよ。助言の一つくらいは、俺でもできたでしょう」

「それでは吾が輩の研鑽にならん」

「兵の犠牲も抑えられる」

「勝ち戦でも、兵は死ぬものだ」


【跳ね豚】は肩をすくめつつ、戦闘の跡が生々しい建物へ顔を向けた。


「あれですか」

「そうだ。ゴブリンども、小癪にも籠城戦など挑んできおって」


 頷きつつ、構造物へ視線を這わせるピックルズ。


「なるほど、唯一の出入り口は落とし格子の代わりに丸太の壁が降ってくる仕組みだったのですな。存外、手の込んでいることで」

「魔法使いが数名いたらしい。入り口や壁を破ろうとしたところで、上や横の狭間から火炎魔法を浴びせてきたのだ。ご丁寧に、油のようなものまで吹き付けて、な」


 単純故にほぼ完成形と言える【マジック・ボルト】などの攻撃魔術と違い、魔法使いの攻撃魔法は労力と隙に比して威力と命中率が低く、実戦に向かないとされる。軍事における魔法使いの本領は、あくまで支援活動にあるのだ。

 だが今回のように壁に取り付いた相手ならば、効果は十分に発揮できたのだろう。それが、周囲の地を血と焦げ跡で汚した原因と思われた。


「確かに、中々巧妙な狭間の配置ですな……ところでこっちからの火攻めは?」

「その程度、考えぬと思うか?」

「いや、これは流石に失礼でした」


 ザカライアは、一瞥のみで謝罪を受け取った。


「……水魔法だ。奴らは木を湿らせることで、それを防ぎ続けていたのだ。燻し出そうにも、風魔法まで操りおってな。下等生物の分際で、小賢しい」

「それは面倒ですな」

「ああ、面倒だった」

「放っておけば良かったでしょうに」

「馬鹿な。未開の亜人相手に退いたとあっては、誇りあるイグリス貴族の沽券に関わる。【跳ね豚】殿も子爵位を持つ身だ、分かるだろう?」

「……まあ、仰りようは」


 もう一度、肩をすくめるピックルズ。


「結局、森の木を加工して攻城の真似事よ」


 塔の周りには、攻略に用いたと思われる焦げた道具が打ち捨てられていた。

 急造の防護板で火炎の直撃を防ぎつつ、狭間を塞いで根気強く壁を破らせたのだろう。

 あの程度の粗雑品で防ぎきれるとは思えないが、作業者は余程忍耐強かったと思われる。


「まあともかく、【大森林】で行動する予行としては良かった。大枚を叩いて聖人教団から手に入れた天使の運用試験にもなったしな。あの恥さらしを成敗する時、役に立つだろう」

「それはようございました」


 フゴフゴと鼻を鳴らしながら、【跳び豚】はだるそうに言う。


「負傷者搬送の準備と兵の休息を考慮して、今夜はここで明かし、明朝撤収する」

「ひえっ」


 屍臭漂う村跡での一泊を想像したヘティーが、小さな叫びを上げる。

 だが幸い、グリンウォリック伯はそれを気にしなかったようだ。


「了解しました。ところで伯爵」

「何だ、【跳ね豚】殿」

「味方の死体は回収でしょうが、ゴブリンどもの死骸は如何します? とりあえず埋めておきますかね?」


 放置された死体は疫病の元だ。可能ならば処理しておくのが戦場の習いであり、生者の務めである。


「まだ春だ。一晩程度、平気だろう。その後ここで死体が病を振りまこうと、我が輩の知ったことではない」

「はあ、まあそうですがね。見た目がね、ちょっとね、流石にね」

「誇り高き我がグリンウォリック軍に、ゴミ掃除をしろと?」

「いや、そーゆー訳じゃありませんよ」

「そんなにやりたいのなら、軍事顧問殿だけでやるがいい。我が輩の兵は、貸さんぞ」


 ザカライアはそう言い捨てるとマントを翻し、傍らの鉛髪と共に立ち去っていった。ピックルズが溜息をつきつつ、その後ろ姿を見送っている。


「さて、と」


 無碍にされた軍事顧問は首をごきりと鳴らしつつ一回しし、グリンウォリック軍が開けた穴から塔の中を覗き込む。そしてしばらく、中を見回した後。


「はぁー……仕方ねえ、へティー。兵隊ンとこ行って、スコップを借りてくるぞ」

「ええー! 本当に私たちで埋葬するんですか!? 気持ち悪いから嫌ですよ!」

「俺だって気持ち悪ぃよ。こんなクソ仕事止めて、とっととカミさんのとこに帰りてえさ」

「えー、伯爵も言ってたじゃないですか。一日くらいほっといても平気だって」


 ヘティーはそう抗議したものの、豚顔の上司が微かに分かる顎を振って「こっちに来い」と命じたため、渋々それに従う。


「うう……くっさいよぅ」


 彼女の感想通りである。さして広くも無い内部には、散らばった臓物や血が漂わせる悪臭に加え、糞尿の汚臭までが充満している。馳走を嗅ぎつけた蠅の羽音が、不快感に拍車をかけた。


「分かるかヘティー」

「酷い臭いです」

「そうじゃねえ、死体をよく見ろ」


 低い天井に頭をぶつけぬよう気をつけつつ。ピックルズは狭間から槍を突き出したまま死んでいるゴブリンの一体に歩み寄り、うつ伏せだったそれを仰向けに置き直す。


「これでどうだ」

「……年寄り、ですか?」


 垂れ流しの糞尿跡が着衣に目立つその亡骸は、皺まみれの顔と四肢をしている。

 種族は異なれど、それが老体であろうことはヘティーにも漠然と理解できた。


「ああ。見たところ他の死体も全部、そうらしい」

「はあ」

「分からねえのか」

「いまいち?」


【跳ね豚】は禿げ頭をボリボリと掻くと、背中を向けたまま若い部下にその説明をしたのだ。


「……このジジババはな、若い連中を逃がすためにここへ残ったんだ」

「あっ」

「この抜け穴も何もねえ塔は、時間稼ぎのため建てられたんだろうよ。こんな足腰も立たなそうな婆さんたちが、初めからそのつもりでここに籠もったのさ」


 言葉を失ったヘティーが、周囲の亡骸を見回す。その目には、今までとは違う感情が点っていた。


「いいかヘティー、覚えておけ。誇り高いってのはな、こういう連中のことを言うんだ。爵位だの金だの、貴族だのは関係ねえ」

「……はい」

「分かったか。分かったら道具借りに行くぞ」


 ポケットに手を突っ込んだまま、豚面の上司は外へ出て行く。

 ヘティーは「はい!」と元気良く答えると、その後を追いかけるのであった。

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