06:ホワイトフォグ

06:ホワイトフォグ


 ぽかん、と口を開けて呆けるガイウスに、白い犬は続けて言い放った。


『アタシはコボルド族の戦士、フォグ!犬扱いするんじゃない!』


(この犬が喋っているのか!?)


 周囲を見渡すが、他には誰もいない。やはり、言葉の主はこの犬なのだろう。


『聞いてんのかい、このトロル!』


 トロルとは、身の丈十尺に届くこともある頑健な肉体を持つ亜人のことだ。

山岳部や【大森林】外縁で農耕や林業を営む者の多い、素朴な種族である。南方諸国群では稀だが、西方では珍しくもない。

 イグリス王国やその周辺国の者には馴染みが薄いが、他の地方との交流があるため、知識としてその存在は知られている。

 筋骨隆々たる戦鬼オーガ、長命なエルフ種、勇敢なるオーク族、小柄で愛嬌のあるホビット、勇者と変態の短躯種ドワーフ等と同様に……巨体と怪力のトロルとして。

 ガイウスもその大柄さ故に度々トロルと間違われた経験があったし、そして、あながち間違いとも言い切れぬ事情が彼にはあった。


 それにしても。

 この喋る犬、いや、「本人」は犬ではないと否定するが。

 明らかに人とは違う口、異なる舌。発音に向いたものではない。むしろ獣に近い代物だ。

 この姿、この形で人間と同じ言葉を話すことが出来るとは、驚きである。

 だが。むしろその声は、普通にヒューマンが発するものよりはっきりと、そしてしっかりと。ガイウスの耳に届き、伝わっていた。


「あ、いや、これは申し訳無い。失言をお詫びする」


 気を取り直したガイウスが、慌てて頭を下げて謝罪する。

 コボルドのフォグ……と名乗ったその生き物は、当初は牙を剥いていたものの、大男の態度にすぐ拍子抜けしたようになり。

 少々の気まずい間を置いた後、ゆっくりと口を開いた。


『あー、その。悪い。ちょっと混乱してたんだ。こっちこそごめんよ……アンタが助けてくれたんだものね』

「悲鳴が、聞こえたのでな」


 あの悲鳴は、「彼女」のものだったのだろう。

 子供と勘違いしてしまったのは、フォグの小柄な体躯によるものなのか、あるいは命の危険に晒されたための素の声だったのか。

 まあ、今となってはどうでもいいことだ、とガイウスは思った。

 彼女の声が、身体の割には良く聞こえるものであった幸運を、感謝するだけである。そうでなければ、彼の場所まであの叫びは届かなかったかも知れないのだ。


『ホント、助かったよ。もう少しで食われるところだったんだ』


 感謝する、と、今度はコボルドの方が深々と頭を下げる。

 慌てて両手を振って、頭を上げるように促すガイウス。


『改めて名乗らせてもらうよ。アタシはフォグ。コボルド族の戦士、ホワイトフォグだ。アンタは?』

「私の名はガイウス。そこの村の者だ」


 ガイウスが、親指で村跡の方を指した。


『村?まさかあそこの廃墟?』

「正確には出身、だな。子供の頃、まだ村があった時分に住んでいたのだ」

『何かあったのかい?』

「魔獣だよ。昔、蟲熊……ああ、先程の奴と同じ種類の魔獣だな……その群れに襲われて、な。それからは、他所で暮らしていた」

『ふーん、アンタも村を無くしたクチか』

「そんなところだな」

『……アタシらと同じか』


 首を傾げたガイウスであったが、問いを発しようとしたその口は、フォグの呻きによって閉じられる。


「痛むか」

『どうってことないよ』


 強がるフォグ。だが押さえた右脚の傷は、なかなかに深そうであった。

 それを裏付けるように。一度は立ち上がろうとしたものの、苦悶の表情を浮かべて座り込んでしまう。


『爪が掠っただけだよ。少し休めば大丈夫』

「そうは見えぬが」


 ガイウスはフォグの胸のあたりを両手で掴むと、優しく持ち上げる。そして、右腕に持ち替えて抱きかかえると、左手に剣を握って立ち上がった。


『ちょちょちょっと!何するのさ!』

「その傷では歩けぬだろう。無理をするな。家まで送ろう」

『ちがう!変なとこ触るんじゃないよ!この助平!』

「ぬおおおぅ!?す、すまん」


 慌てて何度か抱え直すガイウスであったが、正しい持ち方が分からない。

 そのまま彼がおろおろとしているのを見て。

 フォグが、「はぁー」と深く溜息をついた。


『……いいよ、もう』

「むう」

『森を這って帰ったら、それこそ他の魔獣に食われちまう。甘えさせてもらうよ。アンタ、悪い奴じゃなさそうだし』

「そう思って貰えたなら、良かった」


 はっはっは、と愉快げに笑うガイウス。

 実際、人間にしても動物にしても、初対面の相手から凶人扱いされなかったのは稀であり。嬉しくもあったのだ。


『匂いで 分かるのさ。なーんとなく、ね』

「匂いか」


 ますます犬っぽいと思ったが、口にはしないでおく。


『そう。魂の匂い』


 フォグはそう言って口角を引き、にやり、と笑うような仕草を見せた。


『とにかくアタシはこんな所で死ねないのさ。家には、まだ小さな子供達が待っているんだからね』



 馬車の荷台でガイウスから手当を受けながら。

 フォグは大きく目を見開いて声を上げた。


『土の塊が動いてるのかい!?変なモン連れてるねえ!』


 視線の先は、馬車に繋がれた土色の物体。

 黒く穿たれた目。表情のない、稚拙な造形。

 泥で出来た、ゴーレムの馬である。


「うむ、我が愛馬、その名もマイリー(泥んこ)号である」


 名前を呼ばれたと勘違いしたゴーレム馬が、軽く嘶いて応えた。


「餌も水も要らないし、多少壊れても土を塗りつけてしばらく放っておけば直る優れものでな」

『森の外は、便利なモンがあるんだね』

「実際、重宝している」

『アンタ、動物の世話とか苦手そうだもんね』

「……うむ」


 昔の話ではあるが、これは、騎士だというのに馬という馬から怯えられて難儀していたガイウスを見かねて、姫が当時の王に頼んでわざわざ東方諸国群から調達してくれたものだ。

 以降、公私に渡りガイウスの足として。彼のガサツな扱いに耐えつつ懸命に支えてきた、物言わぬ忠馬であった。

 ちなみにマイリー号の名付け親は、贈り主の姫本人である。


「よし」


 傷を綺麗に洗い、血止め軟膏を塗り。包帯を巻いて応急手当を終える。

 そして痛み止めの薬が入った瓶からフォグの体重に合わせた分量をカップに注ぐと、彼女にそれを飲むよう促す。


『……苦い』

「後は、村に帰ってからきちんとした治療をしてもらえばいい」

『ありがとよ』

「して、村へはどう行けばいいのだ?」

『あっちに干上がった川があるだろ?あれを辿れば、アタシの村が見えるところまで行ける』


 先程様子を見に来た川を思い出すガイウス。


「馬車で通っても、大丈夫かね。泥濘があると車輪をとられるかも知れんが」

『砂と砂利ばかりで、泥はなかったと思う』

「そうか。まあ、何とかなるだろう」


 ガイウスはそう言って手綱を握ると、愛馬マイリー号に指示を出し。

 先程訪れた、枯れ川へと馬車を進めるのであった。

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