105:魔杖と魔法院

105:魔杖と魔法院


 魔法とは、超常の力を借りて何かを為すことを言う。これは種族適性と才能が大いに求められるため、ヒューマンが他種族に大きく遅れを取る分野だ。

 呪術になると、技術と理論が介入する余地が増す。そのため適性は大幅に緩和されるが、基本的に神秘を扱う行為であるのに違いはない。

 一方、魔術は体内魔素を加工して神秘を真似る紛い物。修練と研究を重ね、ヒューマンが長い年月の末に生み出した、魔法の廉価粗悪品。神秘を理屈で実現させた代物と言える。

【魔杖】は、素質と修行が必要とされる魔素加工を、体内ではなく印を刻んだミスリル合金上で行わせる装置であった。


「南方諸国のお偉方がこぞって集めているモンを、こんな【大森林】の片隅で原始人みたいな生活をしてるコボルド達に持たせようたぁ、大それた話だな」

「ええ。確かに私達は規模も小さいし、少人数です。でも、だからこそ思い切ってやるんです」


 サーシャリアの言葉に親方が、ごわごわとした顎髭をかい撫でながら頷く。


「見ての通り、コボルドの皆さんは小柄です。一部の例外を除いて、一対一でヒューマンの相手は務まらない。弓にしても、コボルドの大きさでは射程も短く装備の整ったヒューマンに致命傷を与えられません。それに、今後軍隊を相手にすることにになれば、矢避けの魔法使いも居る可能性が高くなります」


 弓矢は昔から戦場の主役であったが、それは同時に、長年に渡り研究された対象なのだとも言える。

 結果としてヒト社会では矢避け矢落としの魔法や呪術、果ては数人がかりの魔術による妨害が最優先で開発された。加えて、太古からある【矢】という存在自体も極めて神秘の影響を受けやすいのが決定的であった。クロスボウのボルトも、その概念内だ。投石、投槍等も同様である。

 冒険者達のような個人戦闘を主とする集団はともかく、軍事組織であれば専属の魔法使い、呪術師は用意されていて当然であり。また、矢避けの術は自軍の矢も長時間に渡り無力化するため、今日に至って弓矢が正規軍同士の勝敗を決めることは、もうほとんどない。


 その後に魔術師による部隊が構想、実用化され。【ライン戦】と呼ばれる魔術射撃戦が軍事用語として定着した後も。

 育成と維持費の負担、困難さから。やはり魔術師兵というものは貴重で高価なものということに変わりはなかった。

 そんな中で発明された、一般兵を疑似魔術師に仕立て上げる【魔杖】が注目されない訳がないのだ。


「だから私は、今後の王国軍の攻撃力を確保するために、魔杖を増やしたいのです」

「確かに、それなら溶かさねえとな」


 既存の武器を加工したりガイウスの剣を新造したい、というのであれば。灼熱状態で柔らかくなった武具から作れば良い。

 だが魔剣、魔杖は駄目だ。あれは合金から作らねばならない。

 鹵獲した魔剣や魔鎧から鍛造しても良いが……ワイアットが所持していた【ソードイーター】や赤鎧は、通常の魔剣に求められるものよりミスリル量が相当多いと思われる。出来うる限りの数を揃えたいのであれば、一度抽出し、魔杖に必要な最低含有率を計算した上で合金を製造すべきだろう。


「……分かった。鍛冶炉だけじゃなくて、塊鉄炉もこさえる方向で考えてみるさ」

「お願いします」

「だが、問題は温度だな。ウチは水車ふいごを使っていたが、ここじゃ川や水路は無いだろ?」

「うーん、一応、堤を切って枯れ川に水を流せますけども」

「あれは戦時の奥の手ですゆえ。常用していざという時に湖の水量が不足したら元も子もありませぬ」


 親方の盃に酒を注ぎながら、ダークが懸念を示した。

 サーシャリアも自らの唇を指で挟みつつ「そうね」と返す。


『水が多い時なら、湖からは枯れ川以外にも流れがありますけど。それを利用してはどうでしょうか』


 手を挙げながらそう進言したのは、いつの間にかガイウスの横にぴったりと座っていたブロッサム。


『えー、でも森の中結構入るよ? そんなトコで仕事してたら危ないよ?』


 ナスタナーラの胸を両手で押して遊んでいたフラッフが、その提案に首を傾げる。

 ブロッサムは舌打ちして従弟をきつく睨みつけるも。ガイウスから頭を押さえ窘められた。


「ラフシア孃。魔術か魔法でどうにかなりませぬか?」

「うーん。耐火煉瓦に強化を施す技法は一般的ですけど、鉄を融解させるほどの炎の魔法はありませんわ。少なくとも南方諸国群のヒューマン界には」

「あちゃー。駄目でありますかー」

「じゃあさ、ジジイに相談してみたら?」

「なるほど、精霊の助力を得れば何とかなるやも知れぬ。流石はエモン。発想が柔軟だなぁ」

「たりめーだろ? 将来の大物は頭が柔らかいのよ頭が」


 ガイウスから褒められ、傍らのナスタナーラを「ヘッ!」と鼻で嗤いつつふんぞり返るエモン。

 ラフシア家の三女は一瞬それに頬を膨らませるも、すぐに気を取り直し。


「でもサーシャリアお姉様。ミスリル合金を作れても、印を刻む人が居ないと魔杖は作れませんわ!」

「ええ、そうね。それなんだけど……」


 この件についてずっと話す機会を伺っていたのであろう。サーシャリアが咳払いをして、ナスタナーラへ向き直る。

 察したガイウスが止めようとするのを掌で遮り。


「貴方に魔」

「ワタクシが刻みますわ!」

「話早っ!?」

「魔法学校開校以来の天才と言われたワタクシですもの! 当! 然! 魔術印くらい簡単に扱えますから!」


 勢いにたじろぐサーシャリアを他所に、ナスタナーラは横に座るエモンへ「ハッ!」とやり返す。

 彼女の胸に顔を埋め戯れていたフラッフが、驚いて体勢を崩した。


「確かに有り難い。だがそこまでしてもらって、ラフシア家に迷惑がかからないだろうか。我々はノースプレイン侯ジガン家のケイリー派と、抗争状態にあるようなものだよ」

「大丈夫ですわ団長! お父様がここにいらしたら、間違いなく「面白い! 許す! むしろやれ!」と言ってくださいますわ!」

「そんな……ああいや……カローン様なら確かにそう仰るだろうが……」


 ルーカツヒル辺境伯カロン=ラフシアの気質を知らぬ他の者達は、怪訝な顔をして視線を交差させる。


「その代わりと言っては何ですが、団長。お願いがありますの」

「何だい、ナスタナーラ君」

「コボルドさん達に、魔術を教えても構いませんか? どのくらいの方に素養があるかは分かりませんけど」

「それは……こちらとしては願ったり叶ったりだが。そんなことが君へのお礼になるのかい」

「勿論ですわっ! ワタクシ、自分が身につけた技術をもっと効果的に伝授したいと考えておりますの! ほら、王都の魔法学校って、どうしても精神主義、旧態依然、非効率なところがありましたもので! 個人的に、納得いかないところが多かったのですわ!」

「そうなのかい? 魔法学校のことは私にはよく分からないが……」


 ぎこちなく頷くガイウス。褐色の才女は、構わず早口で喋り続け。


「コボルドさん達って成長がヒューマンよりずっと早いのでしょう? ヒューマンなら数年かかる魔術教育も、ここなら数ヶ月程度で出来るかも知れません! 後日ワタクシが団長をお連れしてルーカツヒルに戻った後、魔術兵教育を行う際の試金石にしたいのですわ!」

「しかし……」

「私は彼女の申し出を受けること、強く進言致します」

「サーシャリア君」

「ガイウス様が友誼から辺境伯に配慮するのも分かりますけど、この際、王国の軍備増強が第一であることを忘れないでください。ケイリー派が再び侵攻してくる可能性もあるのです」


 何時になく強い口調で話すサーシャリアの言を受けたガイウスは、目を伏せてゆっくりと息を吐き出すと。


「分かった。その通りだ……宜しくお願いするよ、ナスタナーラ君」

「じゃあ、ワタクシ、本日から客人じゃなくてコボルド魔法院の院長で! よろしいですわね!?」

「う、うん? そうなるの、かな?」

「よっしゃですわ!」


 陽光のような笑顔を浮かべてはしゃぐ彼女に、ガイウスはそれ以上何か言うこともなく。

 ナスタナーラ=ラフシアの国立魔法院院長への就任は、そのまま認められたのである。



 コボルド王国にとっては魔杖と魔術教育を得るまたと無い機会であるが。

 同時にナスタナーラにとっては、魔術兵育成理論の研究と実践を短期に実験出来る好機であり。そしてそれは、後々ラフシア家の軍備増強に繋がるだろう。


 成長したコボルド王国が、人界から警戒される存在となったとしても。

 ルーカツヒル辺境伯領との間にはノースプレイン侯爵領やゴルドチェスター辺境伯領といった地方領、そして王領ミッドランドも間に挟むため。ルーカツヒルの脅威となる可能性はほぼ無い。むしろそこまで育てば、険悪な宰相派を牽制する手札にも成りうる。

 もし状況が悪化して非難の材料にされるようならば。ラフシア家はコボルド王国との関係を絶ち、ナスタナーラを「表向き」切り捨てれば良いだけだ。


 何にせよ。

 ナスタナーラの申し出は一見コボルド王国への厚意であるように見えて、十分にラフシア家の利に適う行為なのであった。

 だからこそサーシャリアは、ナスタナーラを利用することを躊躇わなかったのである。

 これをきっかけにラフシア家との関係を築き、将来的にコボルド王国の自治を人界に認めさせる後ろ盾とする方策も考えられるだろう。

 ならばガイウスとカローンとの個人的な友誼に期待するより、ラフシア家にとって利益がある存在であり続ける方が重要なのだ。


(それにしても……あんな調子でいても、やはり大貴族の子女ね)


 赤毛の将軍は一連の背景に思索を巡らせながら、眉間に皺を集めて溜息をつく。

 考えれば考える程、手の打ちようがない懸念ばかりが蓄積していくのだ。


 ……だが今回の件。


「所長! コボルド王国魔法院の院長ですわよワタクシ! オーホホホホホ!」

『スゲー! ナスねーちゃんかっけー!』

「くっそおお! 新入りのくせに抜け駆けしやがって! 俺だってな、俺だってなぁ!」

『でもエモン兄様が対抗出来るようなものって、何かありましたっけ……』

「オーホホホホッホッホグエーゲホゲホゲホ」

『ナスねーちゃんダッセー!』


 とやり合う少年少女達を見て。

 存外そんな事情など全く関係なく、単に出来たばかりの友達をからかいたかっただけではないのか……とも思えてくるサーシャリアなのであった。

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