62:ギルドへの帰還

62:ギルドへの帰還


 数日の道程を経てライボローへと帰還した討伐隊は、疲労と憔悴の極みにあった。

 金が入れば享楽に浪費するのが常とされる、刹那主義のあの冒険者達ですら。

 報酬受け取りを後日回しにしてでも、ベッドに倒れ込むのを優先した者が多かったほどである。


 そんな中、ギルド長たるワイアットのみが終始泰然としており。

 その肉体と精神の頑強さを、周囲に再認知させていた。



 冒険者ギルドに戻ったワイアットは、コボルド村について情報を隠していたシリルを拘束。賞金首用の牢に押し込むと。

 参加者への報酬手配など喫緊性の高い事柄だけを片付けて、自らの執務室に戻った。


 ドアを開け、剣を外し卓上に置く。鎧は手を借り一階で脱いである。

 人目が無くなり落ち着いたところで、ワイアットは大きく息をつき顔に手を当てると。

 その下からは、先程までは必死に隠されていた苛立ちに満ちた顔が現れたのだ。


「ぐぅ」と、獣の様な唸りを上げた後。

 ワイアットは振り返り、本棚の方を睨みつけた。

 そして、仇を踏みつけるかのような足取りで棚へ近付くと、そこから一冊の本を抜き取ったのである。


【鋼鉄騎士イワノシン】


 彼が手に取ったのは、そう背表紙に題された書籍だ。

 少年期からの持ち物であり、思い出の品と呼べる戯画本である。

 だがワイアットは、それを両手で掴み。


「うおああああ!」


 両の表紙に捻りを加えると、背表紙を縦に引き裂いたのだ。

 二つに裂いた本をさらに三つに、四つに。

 中のページまで手を付け、千切り、破り取っていく。


「ふざけるな! ふざけるな! 巫山戯るなぁっ!」


 紙片を撒き散らしながら床へと叩きつけ、踏みしだく。


「何が友に託された、だ! 何が男子の一命だ!」


 肩で息をしつつ。目を血走らせながら叫んだ。

 階下に聞こえているだろうが、構わない。とにかく何かで発散せねば。いや、発散する振りをせねば。

 胸中を焦がした炎が、再燃しかねないのだ。


「あの時、あの時!」


 決着の直前、乱入してきたコボルドが告げた報。それによりガイウスは、森の中へと消えていった。

 ワイアットは追った。追ったが、木々の間で振り切られ。彼はその後、味方の再集結と負傷者の救助に追われて、そのまま撤退せざるを得なかったのだ。

 あの邪魔さえなければ。あの邪魔さえなければ!


 ……斬られていたのは、間違いなく自分の方だっただろう。


 実際に刃を交わした者だけが分かる感触。

 そしてそれを理解せぬような愚者では、ワイアットはない。

 だからこそ。なおのこと彼は、やりきれぬ憤りに苛まれていたのである。


 息を。吸って、吸って。吐く。

 もう一度大きめに。今度はゆっくりと、あと一回。


「落ち着け。落ち着くのだワイアット」


 右手で左肩を叩きながら、自身の激情を懸命に宥める。

 そして、自分の椅子に座り込んだ頃には。彼はもう、冷静さを取り戻していたのだ。


(失態だな)


 やがて始まる内紛へ向け。主君のために集めていた戦力を20人近く失ってしまった。しかも客観的にみれば惨敗である。

 今回の敗戦は隠し通せるものではないし、冒険者への威厳やギルド長としての沽券、そして、主たるケイリーからの評価に影響するだろう。

 失態だ。大失態もいいところである。


 ……だが、大失態なだけだ。


 集め続けている戦力。400名にも及ぶ冒険者達のうち、20名が失われたに過ぎない。

 未開で貧弱なコボルドに負けたという戦歴も、嘲笑の対象となろう。評価も下がるだろう。だがそれも、それだけだ。それだけなのだ。

 ワイアットは破滅していない。彼が積み上げてきたものは、まだ何も崩れてはいないのである。

 そう、ここであの男を追うのを止めれば。

 ガイウス=ベルダラスを忘れれば、彼はまた前へ進めるのだ。


 口を細めて吐き出した息が、胸から熱を奪っていく。


(そうだ。あの様な些事に関わるのは止めれば良い。ああ、私はあの男に敗れた。否定された。もう少しで斬られるところですらあった。認めよう。だが、それがどうしたのだ)


 胸の奥にくすぶる火種がワイアットに問う。


 お前はそれでも前に進めるのか?

 我を抱いたまま生きられるのか?

 何よりもお前が、「そうしたい」のではないのか?


 それらの声を理性で抑えつけ、重い蓋で閉じようとした、その時。


「お休みのところ、申し訳ありません、ギルド長。緊急にご報告したいことが」


 ノック、そして扉越しの声であった。事務方の女性職員だ。


「構わん。入れ」


 失礼します、という断りと共にドアが開く。

 廊下に待機していたのは、女性職員だけではなかった。

 彼女に続いて。数名の職員や冒険者が、ある人物を抱えながら入ってくる。


「マクアードル!」


 添え木を当てられ、包帯を巻かれ。

 自身では立つことも能わぬ状態で運び込まれたのは、ワイアットの部下、ロシュ=マクアードルであった。

 次男派の犯行に見せかけて農村を襲う秘密任務に従事していた騎士である。


「……申し訳ありません、ワイアット様……」


 予め言い含められていたのだろう。職員達は、マクアードルをソファーに寝かせると足早に部屋を出ていく。


「戻りが遅いと思えば、一体、どうしたのだその姿は!」

「面目次第もございません。任務の最中に、襲われたのです。逃げる途中で私は落馬してしまい、通りがかった狩人によって救助されました。ですが自らの身分を明かすことも出来ず、そのため帰還がかようにも遅れてしまい……」


 必死に謝罪の言葉を並べたてるマクアードルを手で制すと、ワイアットは要点へと話を戻す。


「何者に襲われたのだ。こうならぬよう、自警団もない村を選んでおいたのに。一体誰が現れたのだ」

「イ、【イグリスの黒薔薇】です。先日のあの、ガイウス=ベルダラスが!」


 ワイアットの目が、見開かれる。


「あの男が我等に問答無用で襲いかかり、手下達を、全て殺してしまったのです! 見られてしまいました、我等の行動も、紋章も、全て! 申し訳ありません! 申し訳ありませぬぅうう!」


 生存者や通りすがりに姿を見られたり、見破られたりするのも計画の内であった。その程度は見越していたのだ。

 そもそも次男派攻撃への口実作りに重要なのは真実ではないし、それに、一人や二人の農民が騒いだところで、耳を貸す者は大していないだろう。


 だが。【イグリスの黒薔薇】が言うのであれば、話は全く別だ。


 五年戦争の英雄が。名立たる諸侯と轡を並べて戦った大物騎士が。

 この陰謀を糾弾すれば、それだけで全ては終わるのである。


 長女ケイリー派が次男ドゥーガルド派を撲滅しても、諸侯はケイリーがノースプレイン侯爵を継ぐのを認めないだろう。

 裏で手を引くイグリス王国宰相も、そこまで事が露見すれば長女派を見捨てるはずである。

 その後は、新たに貴族が封ぜられるか、それとも王国が領地を召し上げて直轄地にするか。

 どちらにせよ、ワイアットを待つのは破滅のみであった。

 それを回避する手段は、一つしかない。


 がしり、と右手で己が顔を鷲掴むワイアット。指に力が込められ、頭骨がギリギリと軋む。

 余程強く握ったのか。フヒッ、という奇声まで漏れた。

 異様な、今までに見せたこともないその様子に怯えたマクアードルが、ソファーの上を手で後ずさる。


 だが。


「いや、マクアードル。大丈夫。私は怒ってなど、いない。私はね、嬉しいのだよ」


 掌の下から現れたワイアットの顔は。

 口角を上げ、目は細められ。喜色に満ちたものであった。

 ……その内側の感情を知りさえしなければ、そう形容出来ただろう。


「ありがとう。私に理由をくれて。ありがとう。本当に、ありがとう」


 胸の奥で再び燃え上がった炎に支配され。

 ワイアットは、禍々しく嗤うのであった。

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