64:記憶と嘘
64:記憶と嘘
黄金色に輝く麦畑の上に軍が駐屯地を作り、怒り狂った農民達の手によって殲滅されたのだという。
どこの国の、どの軍隊かも分からぬような、古い時代の言い伝えだ。
ノースプレインの西隣であるゴルドチェスターは、そういった故事に基づき名付いた地方である。
謳われる通り、そこは豊かな穀倉地帯であり。
そして、五年戦争の舞台でもあった。
前の戦争で、ゴルドチェスターの西側半分は奪われており。
そこからさらに領土を拡大しようと隣国が連合を組み再侵攻してきたのが、あの五年戦争である。
当初の三年はイグリス王国側の劣勢が続いたが、四年目以降は奪われた西側へ逆侵攻し。五年目にはついに連合軍をゴルドチェスターから完全に追い払い、戦争は終結する。
少女と父親がたまたま滞在していた村がイグリス王国軍に襲われたのは、四年目のことだ。
父親が殺されたことに、少女は特に哀情を催さなかった。
博打のイカサマで勝ったことや、店から商品を盗んだこと、泥酔者を殴り殺して金品を奪ったことを自慢しているような男である。
少女を連れ立っての放浪も。愛情からではなく道具として、だ。
泥棒の見張りもさせられたし、窃盗自体をやらされたこともある。酒代や博打の負けを、少女で支払うのも日常であった。
だから目の前でその小汚い男が頭を潰された時は、これで痛いのも臭いのも終わりだ、と喜びすらしたのだ。
だが、終わりにはならなかった。
連れて行かれた山の館には、付近の村や町から拐かされた子供達が集められていたのだ。
レディッシュ、ブロンド、グレイ、ダーク、アッシュ、ブラウン、ブルネット。
おそらくは髪の色からだろう。適当な名前を割り振られ、使われた。そして、飽きたり、機嫌を損ねたり、動けなくなった者から処分されたのだ。レディッシュとグレイ、そしてブラウンを埋める穴を掘ったのは少女である。彼女が生き残れたのは、どうやら父親の仕込みが良かったためらしい。
だが「補充」も都度入ってくるし、飽きられるのは時間の問題であった。
そろそろ自分の番だろうと思っていた頃に、その男は現れたのだ。
どうも補充の際に足がついていたらしい。
男は突然館へ乗り込んでくると、味方のはずのその貴族達の大半を斬り殺してしまったのである。
恐ろしい、とても恐ろしい顔をした男であった。
血まみれの全身を震わせ、歯を食いしばり。猛獣のような貌に、憤怒を漲らせて。
そして、泣いていた。
その男は、子供達や、子供達の残骸を見て涙を流していたのだ。
少女に対しても、やはりそうであった。
少女は驚いた。
自分のために涙を流す人間を、彼女は生まれて初めて目にしたのだ。
それはまるで、天啓を受けたに等しい衝撃であった。
王都の施設に送られる段になって、少女は駄々をこねた。
この恐ろしい男と、共に居たいと願ったのだ。
……当然、頭を横に振られたが。
少女は文字通り一昼夜、男の腕にしがみつき懇願することで。とうとう彼を根負けさせたのである。
◆
「良い訳がないだろ」
恐ろしい男から約束をとりつけたその晩。少女は隣の天幕からかすかに聞こえた声で、目を覚ました。
彼女はこっそりと寝床を抜け出すと。新月の闇に紛れてその天幕の外側へ這い寄ったのだ。
「ビルキッドの言う通りだ。お前は、もっと自分の立場を考えろ」
「しかし先輩、団長。私は彼女に約束したのです」
布地に耳を近づける。
中では、あの恐ろしい男とその先輩騎士、そして上司が口論をしているらしい。
「お前自身じゃない。庇ってくれたルーカツヒル辺境伯ラフシア家や将軍方、陛下や先王妃様のことを考えろと言っているのだ」
「そうだぞ。クソッタレ=ビッグバーグ卿は軍規なんか関係ないからな。アイツからお前を守るために、皆がどれだけ骨を折ってくれたと思う」
男が斬った王国騎士の中に、後に王国宰相となるエグバート=ビッグバーグの縁者がいたことを少女が知ったのは、後のことである。
「それに、事情が事情だ。ああいう目的で集められていた娘を斬り込んだお前自身が引き取ったら、世間はどう思う? お前が囲ったら、周囲は、どう見るか? お前が味方を殺して少女を奪った……そう思われかねないだろう? いや、お前が平気かどうかなんて話はしていない。お前を助けてくれた方々に迷惑がかかると言っているんだ。その辺りに少しは頭を回せ、馬鹿者」
上司から男が叱責されている。
子供には政治や立場などのことは分からないが。それでも、言わんとしていることを何となく少女は理解した。
「思われなければ、大丈夫なのでしょうか」
「思われるに決まっているだろう、阿呆!」
一喝。
彼女はそこまで聞くと、また這うようにして自分の天幕へと戻った。
申し訳ないことをした、と思いつつ。
明日の朝には願いを取り消そうと決めながら、寝床へと潜り込んだのである。
◆
「何やっとんだお前はあああ!」
先輩と呼ばれていた騎士の素っ頓狂な叫びで、少女は朝を迎えた。
目をこすりながら外へ出ると、少し離れたところであの恐ろしい男が、先輩に怒鳴られていたのである。
「昨晩のうちに町に行って、去勢魔法を刻んでもらいました! ほら、先輩先輩、お坊さんがよく入れてる奴ですよ、コレコレ。分かります?」
男が指差した自身の顔、その左側には。彼が言うように呪印の黒く太い線が刻まれ、そして、線は頬のあたりで弾けるように散っていた。
「あーもー何やってんだお前さんは。あーあー、しかもこれ、暴走してメチャクチャ深く癒着してるぞ!? どこのモグリにやらせたんだよ」
「どうも流れの呪印師さんらしいのですが、先方も酔っていたようで。あまりその辺の詳しい話は……」
先輩騎士が男の顔を掴んで引き下げ、汚れでも拭うかのようにゴシゴシと指でこする。
その度に、男は「いてて」と声を上げていた。
「うっわ、こんだけ深く結びついていると、経年で消えないぞこれ、どうすンだよ。解呪出来んのか? 出来ても相当大変だぞ」
身体に負担を強いる類の呪印は、経年で効果が薄れるように調整して施されるのが一般的だ。だが、意図したり暴走した場合はこの限りではない。
「中々解けないと思われた方が好都合ですし」
「……戦争が終わったら、陛下が縁談世話してくれるって仰ってたろ。アノー子爵の次女を。とびっきりの名家だぞ。忘れたのか」
「え!? そうでしたっけ?」
太い腕で、後頭部を掻く。だが天幕から顔を出している少女に気付くと。
頭を抱える先輩騎士を放置して、地面を揺らしながら走り寄り。彼女の前にしゃがみ込んだのだ。
「もう大丈夫だから、お前は先に家に帰って私が戻るのを待っていてくれ」
少女は少しの間呆けていたが。やがて、彼の頬を指差して言った。まるで、薔薇のようだと。
男は大きな口を開き、歯を剥く。それは獣が牙を剥く姿によく似ていた。
荒々しく、とても獰猛な貌だ。
だが少女は、もうその顔を恐ろしいとは思わなかった。
◆
少女は、自分の願いが彼のその後を台無しにしたのだと思い込んだ。
だからせめて、あの印を、あの薔薇から彼を解放することが自らの務めなのだと信じたのである。
そのために。機会を伺うために。少しでも長く共に居られるよう、歳を偽った。
少女が三歳鯖を読めば普通分かりそうなものだが。男は鈍感なのか、全く気付いていない。
だがそれも三年の猶予だ。年頃にもなれば、少女の頃以上に彼の元にはおれぬだろう。
どうしたら良いか。どうすれば良いか。彼女は考えた。
だから。
「おかえりなさいませ!」
戦争から帰ってきた男を、少女は敬礼で迎えたのだ。
「このダーク、ガイウス殿の様な立派な騎士を目指したいと思い、見習いとして弟子入りしたく! 何卒ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します、であります!」
そう言って、嘘を重ねた。
今も、嘘をつき続けている。
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