49:ギルド長の苛立ち

49:ギルド長の苛立ち


 ライボロー冒険者ギルドの建屋二階、責任者の執務室。実用一点張りの事務机や椅子に対して、壁には最近流行の画家が描いた風景画が掛けられていたり、年代物の壺が隅に飾られている。全体的にテーマが無く、どことなくちぐはぐな印象を持たせるその部屋は、主であるワイアットの写し身とも言えた。


「マクアードルもいい加減、仕事を終えた頃合いか」


 机の上に広げた地図、それにつけられた幾つかのバツ印を指でトントンと叩きながら、ワイアットは苛立たしげに呟く。


 ワイアットの主であるジガン家長女ケイリーと、対立する次男ドゥーガルドとの跡目争いは数年続いた結果、もう武力衝突が目前だ。

 家臣はほぼ二分されたが、兵力はこちらの方が上回っているので優勢と言っていい。

 だが次男はその状況を覆すために傭兵団を招く手筈を進めており、長女は早急に決着をつける必要に迫られていた。

 今回ワイアットが次男派の仕業に見せかけてマクアードルに村を襲わせたのは、言わば自作自演の大義名分作りなのだ。


 こういった汚れ仕事を積極的に引き受けることで、彼はケイリーの信頼を得てきた。

 五年戦争で武功を挙げ騎士に取り上げられたとはいえ、ワイアットは平民出身の新参、成り上がりに過ぎない。貴族階級の者達と競り合うためには、その程度の付加価値は最低限必要不可欠だったのである。

 その結果彼は「無能には務まらぬ」と言われる冒険者ギルド長の役目を任じられるに至っていた。

 縁故もない平民出の一兵卒あがりとしては、破格の出世と言えよう。


 彼は武人として更なる栄達を望んでおり、そしてその機会は十分に用意されている。

 これから起こるであろう内紛については、失われて久しい武功を立てる好機だと認識していたし、ジガン家の家臣団が二つに割れたのも、むしろ競争相手を一掃するに都合が良いと考えていた。

 更にワイアットが主から命じられている「冒険者達をケイリー派兵力として利用する計画」についても、内戦という状況では貴重な兵力としてより高い評価を得られるはずだ。


 ノースプレイン侯爵領での内紛に対し、盟主たるイグリス王国からの介入の恐れもない。そういう密約が出来ている。

 そもそも、ケイリーに入れ知恵をしているのは国王の義父にして現宰相たる公爵なのだから。

 既に、勝ちが決まったようなもの。この戦いの功績があれば、貴族に取り立てられることも決して夢ではない。いや、おそらく実現する望みだろう。


(運は向いて来ている)


 なのに、何故こんなにも苛立つのか。

 ……いや、分かっている。分かっているのだ。


「ベルダラス卿」


 そう、あの人物だ。

 貴族に捨てられた私生児でありながら、己の剣、立てた功績で爵位まで手に入れた男。


 ……【イグリスの黒薔薇】は、かつてワイアットの憧れであったのだ。

 同じく剣に依って立つ者として。上り詰めた者として。


 手柄さえあれば、あそこまでいける。

 武功さえあれば、あそこまでやれる。


 その事実はワイアットの励みであり、目標でもあった。


(なのに)


 あの男は、ワイアットの目指すものを自ら捨てたのだ。

 何の執着もなく。何の未練もなく。何の価値も見出していなかったかのように。


 それはワイアットにとって、自己を全否定されるに等しい行為であった。

 自分の努力を、自分の歴史を、自分の存在を。自分の決意を。

 汚泥の付いた靴で踏みにじられたかのような感覚。殺意すら、覚えたのだ。


 そのことを思い出し。苛立ちが心の縁を越え漏れ出した。

 ワイアットは舌打ちしながら拳を机に振り下ろすことで、溢れ出したその赤黒い感情を少しでも身体から追い出そうとする。

 震えた机上で据え置きのインク瓶が微かに跳ね上がり、その反対側では積まれた書物がばさばさと音を立てて床へと崩れ落ちた。

 八つ当たりをしながらも、インクが溢れぬ程度に加減する冷静さが彼にはある。盛大に落ちた本は、鬱憤晴らしのための演出だ。墨と違って、本は拾えば済む。


 加減した憂さ晴らしで落ち着きを取り戻した彼は、ゆっくりと椅子から立ち上がり、拾い集める。

 そして自嘲を込めて鼻で笑うと、拾いついでに本棚へ戻し始めた。


(これは、ここ。こっちは並べ直しておくか)


 本棚に空いた隙間へ、次々と書を戻していくワイアット。だが、最後を差し込もうとしたところで、その手が止まる。


【鋼鉄騎士イワノシン】


 そう題された背表紙。文字もかすれたような古い一冊が目に入ったのだ。


「はは、懐かしいな。ここに置いていたか」


 これはワイアットの私物で、幼少の頃父から誕生日に贈られたものであった。

 当時はイグリス王国全土でドワーフの戯画本がちょっとした流行になっており、このシリーズもかなりの数が輸入されていた。

 鍛えた剣技で悪を斬り、弱きを助くイワノシン!……内容はシンプルな勧善懲悪冒険活劇だが、子供の頃友人と回し読みをしながら、文字通り擦り切れるほど読んだものである。

 そしてこの本との出会いが、ワイアットが剣の修行を始めるきっかけになったのだ。

 才能に恵まれていたのだろう。尋常でない、それこそ血を吐くような努力もしてきた。

 その腕前が戦場で多数の首を挙げ、騎士を何人も討ち取り、今の地位を彼に与えたのである。


「ドワーフは嘘つかない、か。ははは」


 イワノシンの決め台詞を口にしながら、ぱらぱらとページをめくる。手垢に塗れた紙がささやかな風を生み出し、ワイアットの前髪を揺らした。


(この一冊があったからこそ、今の私がある。言うなれば、私の原点だな)


 そうだ。

 この本があったからこそ、武勲を挙げ、騎士になり、そして貴族に手が届こうとしている。

 その後の働き如何では、爵位すら、あるいは。


 だが。


 期待に胸を膨らませて、初めて木剣を手に取った少年の日。

 あの時の自分は。何がしたくて、何になりたくて、道場の扉を叩いたのだろうか。


 ワイアットには、思い出せなかった。

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