212:お待たせ

212:お待たせ


 今後の作戦と方針について、ケイリーとギャルヴィンが暗い顔で打ち合わせしている。

 度重なる損害と苦戦に、特に女侯爵は心労と焦燥の色が濃い……が、それでも自ら任じたギャルヴィンを罵り責め立てはしないあたりに、領主の座を手にした女貴族の矜持が窺えた。


「やっほう! ケーイーリーちゃん」


 その天幕へ現れたのが、雄猫だ。


「おおトムキャットか。伏せっておったそうじゃが、もう良いのかえ?」


 ケイリーの機嫌がやや回復したのは、【魅了】の影響だろう。


「アハハ、なんとかね! ……遅くなったけど、僕も参戦させてもらうよ。明日の朝一番で、ベルダラスの首を獲りに行こうと思う」

「おお、そうかそうか」

「駄目だね。三日後にしなグランツ野郎」


 割り込んだのは、ローザ=ギャルヴィンである。


「三日後には、五百の兵が到着する。その上で、最後の攻勢をかける手筈なのさ。それまでは迂闊に前線を掻き回さんでもらいたいね。あんた一人が斬り込むだけなら本来どうでもいいけど……小競り合いが全面交戦を誘発する例だって、戦場じゃあ珍しかないんだ」


 そう言って制した老騎士だが、その顔には苦い表情が浮かぶ。

 時期と兵站による事情があったとはいえ、結果的に、戦力逐次投入の上で長期戦となった惨状を自ら口にしたからだ。


「ええっそうなのかい、お婆様。それは困るなあ。この歳で三日も徹夜は無理だし……次に眠ったら正直、もう一度起きられる自信が無いんだよ」

「何ワケの分からないことを言ってんだね、このグランツ野郎は……」


 腕組みしながら、ギャルヴィンが息を吐いている。

 やはり雄猫の【魅了】はこの老婆に効いていないらしい。【魅了】の存在を知らぬのにそうであるのは、ケイリーのような魔法抵抗の素養というより……単純に警戒と不信、そして嫌悪が強過ぎるのだろう。

 そのことはトムキャットに、戦地で再会したアマーリエの姿を思い出させる。あの赤毛の娘も、【魅了】が効いた様子はまるで見られなかったからだ。


「……そうだなあの子から恨まれて当然だからな、僕は」

「ああん?」

「どうしたのじゃ、トムキャット」

「ああいや、何でもないよケイリーちゃん、お婆様」


 一瞬消えるも、すぐ端正な顔に蘇る笑み。


「さて、ここからは真面目な話をしよう。話は聞き集めてきたけど、皆はコボルド側の防御線に苦戦しているんだろう?」


 上下に揺れる、二人の頭。


「僕を戦場に投入してくれれば、敵の防御線に必ず穴を空けられる。後は頃合いを見て、兵をそこから進めてくれればコボルドの村を直撃できるよ。そうだなぁ、合図に角笛でも吹いてあげるさ」

「調子に乗るんじゃないよ、グランツ野郎。あんたの腕が立つのは五年戦争でもこないだの内紛でも知ってるがね……この戦いは、一人二人の手練れでどうにかできるようなモンじゃあないんだ。そういう自惚れが、昔に苔砦(フォート・モス)で地獄を生んだって分からんのかい?」


 もし全てを透かす眼を持つ者が居れば、この時金髪猫の内側でうねり渦を巻く黒い澱みを見たやも知れぬ。


「何じゃギャルヴィン、苔砦とは」

「フン。そのうち気が向いたら、お館様にも話したげるよ」

「アハハ! いやあ……耳が痛い。痛いなあ……そう、そうなんだ。お婆様の言う通りさ。僕は本当に愚かだった、いや、今もか」


 金髪猫はもう一度笑う。


「……でもこれは本当でね。明日僕に合わせて軍を動かせば、この戦いは終わらせられるんだよ。これは家臣としての筋による、本気の献策さ」

「寝言は寝てから言いな。剣一本でひっくり返せる戦の時代は終わったんだ。まったく。年寄りに、こんなことを言わせるんじゃあないよ」

「トムキャットよ。妾とてそなたの意志を尊重してやりたいが……ここは、ギャルヴィンの言葉に従うのが良かろう。そなたがベルダラスを討つ望みとて、戦力を整えた上で連携する方が成し遂げ易いはずじゃ」


 諭されたトムキャットが腕を組み、考え込む。


「困ったなあ、弱ったなあ。まあ信じて貰えないか。そりゃあ、そうだよな。うんうん」

「分かったらもう、自分の天幕へ戻りな。三日後の作戦には、あんたの配置もちゃんと用意してやるから」

「うん仕方ない! 根拠を見てもらうしかないな。三日後よりも、明日僕に合わせて兵を動かすべきだという、確かな根拠を」


 ぱん! と両掌を叩き合わせる美丈夫。

 そんな彼を、侯爵と老騎士は怪訝な顔で見つめていた。


「いやあ、ケイリーちゃんたちが夕食前で良かったよ」

「ふむ、根拠とは何じゃ? トムキャットよ」

「いい加減にしなグランツ野郎。もういいから……」


 ギャルヴィンの言葉を遮るように、トムキャットが咳払いをする。

 そしてその後に彼は一言……一言だけ、口にしたのであった。


「【解く】」



 コボルド側は当初からトムキャットによる防御線突破を警戒し続けており、その哨戒網は想定される侵入路全てを監視し続けていた。


 だが、この十九日目。

 各所で繰り広げられる戦闘に対し、その周辺だけがぽっかり……ぽっかりとノースプレイン兵のいない領域が出現したことで、今までの警戒は杞憂であったことを悟っただろう。

 探すまでもない。

 あの男がその気で来れば、いつでもどこからでもすぐ分かることなのだ、と。

 そして逃げ行く鳥の羽音、獣たちの鳴き声、朽ち行く木々の声ならぬ叫びに精霊の悲鳴が……「そこにおぞましいものがいる」と告げていたのだから。


 ……ガイウスらが今いるのは、その進路上とされる陣地の一つであった。


「ではガイウス殿! 打ち合わせ通り、人払いは安んじてお任せあれ」


 大げさな紳士辞儀(ボウ・アンド・スクレープ)。

 コボルド王は表情を変えぬまま、視線だけを向けていた。


「ああいやいや大丈夫大丈夫! 役に立ってこそのこの身であるのは、弁えておりまする。今度はちゃーんと、務めを果たして見せますので。サリーちゃんにばかり活躍してもらうのは、肩身も狭くありますし、ね? ケケケ」


 帽子を被り直し、背を向ける黒衣の剣士。剣戟用の重い外套が、ごく僅かだけ翻っている。


「ではでは失礼! ケ、ケ、ケケケのケ~」


 何かを言いかけるガイウスであったものの、結局黙したまま見送ることになった。


『……やれやれ。お前ら本当に馬鹿じゃのう。少しはナッス嬢ちゃんの素直さを見習えい』


 溜め息交じりに歩み寄ってきたのは、長老だ。


「ご老体もここを離れて下さい。じきに、彼が来るはずです」


 小言の内容には触れず、ガイウスは老人へ待避を促す。


『あぁん? 今更歩くのも億劫じゃ。ここでいい』

「ですが」

『お前が前回耐えられたという猫の呪いは、ワシも耐性があるはずじゃ。同じく自らを呪った者としてな……ま! 立会人くらいはしてやろう。感謝せえよ、木偶の坊』


 それはもしガイウスが敗れた時、自分も斬られる前に最速で指揮所へ知らせる役を意味していた。


「有り難うございます、ご老体」

『うむうむ苦しゅうないぞ? もっとしっかり跪け。ほれ頭が高い頭が高い、地に着けろ』

「ははーっ! ずりずりずり」


 ……ばさばさばさばさ!


 異様な羽ばたきの大合奏が、男たちの耳に届く。

 立ち上がるコボルド王と、腰を叩きつつ離れた切り株へ向かう長老。

 二人が見やる方向は徐々に空気が澱み、萎び、穢れ始め……そしてしばらくの時間を経て、白胸甲と白装束に身を包んだ美丈夫が、銅のゴーレム馬を伴い姿を現したのである。


「いやぁー、いくら何でも罠が多過ぎじゃない? 何個も何個もひっかかっちゃったよ」


【緑の城】の防御機構を幾つも作動させ、そして膂力と反射神経で強引に突破してきたのだろう。髪に木の葉を巻き込んだまま歩いてきた彼は、笑いながらそれを取り除いていた。


「待たせたね、【人食いガイウス】」

「遅いッ!」


 瘴気に心身を侵されながらも、一喝するガイウス。


「貴殿が遅れたせいで、本来私が流すべき血を民が流さねばならなかった」


 トムキャット一瞬は目を丸くした後。


「ああ……それはすまない。本当にすまない。悪かった……謝罪させて欲しい」


 本心からという表情で、深く頭を下げたのであった。

 そして顔を上げた時に、彼は長老の存在に気付いたようだ。


「なあ【人食いガイウス】、こちらのご老人は? こんなところにいて、大丈夫なのかい」


 どうやらこれも、本当に心配しての言葉らしい。


「立会人を請け負って下さった長老殿だ。貴殿の呪いにも……耐えられる」

「ああ、そうでしたか! 僕はトムキャットです、今日はよろしくお願い致します」

『んむ』


 皺だらけのコボルドは短く頷き、二人に決闘の開始を促す。


 コボルド王は七色の光沢を浮かべる大鉈を構え、呪い猫はゴーレム馬に乗せていた処刑剣を取り外し、その手に握った。

 そして双方の剣先が、ゆっくりと互いを狙い合う。


「コボルド王、ガイウス=ベルダラスである」

「今はジガン家家臣、トムキャットさ」


 ガイウス=ベルダラスとルクス=グランツ。

 二人の男の因縁は、十六年を経て肩書きも変わったこの戦場で……決着しようとしている。

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