213:対決と、もう一つの対決
213:対決と、もう一つの対決
先に動いたのはトムキャットだ。
踏み込むと同時に、頭上に掲げた処刑剣(エグゼキューショナー・ソード)を斜めに振り下ろす。しかし軌道を瞬時に見抜いたガイウスは既にフォセを傾けており、常人には反射すら叶わぬ剣先を迎撃していた。
先の対決同様、金属音と共に処刑魔剣の効果で細氷が輝き舞う。操者の体内魔素を浪費しつつも戦いに何ら寄与せぬこの作用は、雪山で斃れた思い人へ捧ぐ凍れる花弁か。
「ぬ」
「ちぃっ!」
衝撃が空気を振るわし、弾き合う刃同士。
なれどこれはまだ、初手に過ぎぬ。逸らされたと見えた処刑剣は、円運動で勢いを殺さぬまま再び標的へ襲いかかったのだ。
第三次王国防衛戦でも見せた連撃、【櫂船甲板撃(ギャリー・ギャングウェイ)】である。
ガン、ガン、ガン!
刃と言うより、金槌を打ち付ける如き音。
櫂船甲板撃を大振りの連続薙ぎと言い表してしまえば、それまでだろう。なれどガイウスを大きく上回る膂力で叩き込まれ迫り続けるそれは、刃の竜巻を思わせる苛烈なもの。しかもその強さと速さは、前回の対決時に倍するかと思われた。
一太刀受けるごとに七尺(約二百十センチメートル)の巨体が衝撃で浮き、または足が地に沈む。
「まさか! まさかね! あれからさらに呪いを重ねてきたのに! まだ持ち堪えるなんて! アハ、アハハハ! やるな、やるなあ【人食いガイウス】! 兄や弟が斬られる訳だ! 流石だよ!」
ガイウスのような遣い手でなくば、反応することも叶わぬだろう。
……いや。正確にはガイウスとて刃を目で追える訳でも、その速度に応じて動ける訳でもなかった。彼はトムキャットの視線と挙動から次の攻撃を予測し、その軌道へ剣を置くことで攻撃を防いでいたに過ぎぬ。
一度でも見誤れば、その時点で両断されるのは疑いない。正しい角度で受けねば、それだけで体勢も崩されるだろう。一合一合が目隠しの綱渡り一歩一歩に等しい、神速の剣戟であった。
ガガガガガ、ガン!
瞬く間の十数合。そして少しの距離をおき、再対峙する二人。
「そして実にいい剣だ! 実家の家宝をさらに強化したのに、真っ向から渡り合うとは!」
「やはりその処刑剣、グランツ王家秘蔵の【甘美死(ズューサー・トート)】であったか」
「アハハ、よく知っていたね!」
「名鑑でな」
グランツ王族や、それに連なる貴人を処する時のみに用いられた魔剣だ。
この名物は雄猫が譲り受けていたものか、はたまた持ち出したものか。
「でもそっちの大鉈も相当な業物じゃあないか。号はあるのかい」
「うむ。【猫轢(キャット・ミンチ)】という」
「アハハハ! ひっどい名前だなソレ!」
「この日のために我が国最高の鍛冶師が打ち、名付けてくれたものだ。気に入っている」
「なるほどなるほど、納得だ!」
雄猫はまたアハハと声を上げた後。
「赤毛ちゃんといい、ワンちゃんたちといい……君は、仲間に恵まれているなぁ」
視線を落として首を振り、深く息を吐く。
「……いやあ参ったね。年を取ると満足に嫉妬もできないや。自分がどうしてそうなれなかったかが、分かるからかな」
自嘲。
しばらくのそれをおいて、雄猫が再び刃の嵐を吹き荒らす。
ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ!
だがそれでもなお、防ぎ続けるガイウス。
「アハハハハ! アハハハハハ! これはバレたかな! バレちゃったかなあ!?」
「やはりか」
「そうさ! そうなのさ! 僕は櫂船甲板撃(このわざ)ぐらいしかまともに使えないんだよ! アハハハハ!」
「以前の戦いから、予想はしていた」
「まぁ僕の場合、振り回してるだけなんだけどね! アハハハ!」
一つ覚えであろうとも、振るう圧と威力は紛れもない本物だ。事実雄猫はほとんどこの技だけで、戦場の敵を圧倒し続けてきたのだから。
猛烈な勢いで衝突し続ける双方の刃は傷付き、少しずつ欠け。細氷と共に宙で煌めく。
「でもこれならどうかな!?」
軌道を変える処刑剣。
しかしその先には立木があり、ガイウスへは届かない……はずであった。
ギン! ず、ずさささ。
重い金属音を鳴らし、【甘美死】を受け止める【猫轢】。
もう一つの音は、倒れ行く木のものだ。
雄猫の剣は、たった一振りで太い幹を両断したのである。それも、ミスリルに弱い妖樹ではない。人界にも生える、ありふれた樺の木を。
ヒューマンの範疇を上回る膂力。ガイウスがその威力を見抜いていなければ、この時点で勝負は決まっていただろう。
「アハハハ! まさか、今のまで防ぐとはね!」
どろり、と。トムキャットの目と口から、滲み始める黒い澱み。
形となって溢れる、あまりにも濃密な彼の呪いだ。
「でも僕はまだまだ速さと力を上げていけるんだ。これからだ、これからなんだよ? 君はいつまで、これに耐えられるかな」
滴る澱みが足下の草を枯らし、強まる瘴気が、コボルド王の心身を苛んでいく。
その中央で呪塊が目を細め、穢れをだらだらと牛の如く垂らしながら笑っていた。
「さあ【人食いガイウス】、圧を一つ上げていくぞッ」
◆
……黒髪の少女が初めて人を殺したのは、実齢で十三の時であった。
あの時刺客を差し向けてきたのは、何者だったのだろう。
凶相の男に斬られたグランツ王子の関係者による差配か、苦杯を舐めさせられた敵連合軍の誰かか、はたまた後にイグリス宰相となるビッグバーグ卿におもねる者だったのか。今となっては知る由も無く、当時に分かっても仕方がなかった。
戦後の混乱に乗じ幾度かあったことだが……男の悪評が少女を弱みや人質にならぬと暗殺者に思わせていたのは、幸いだったろう。
まあ何にせよその女刺客は通行人を装い、夜の川沿いで男を襲撃すると……当然の如く返り討ちに遭ったのだ。
「お、お慈悲を! 私には、私には五歳の娘がいるんです! 私がいなくなれば、あの子は生きていけません。私は娘を養うために、仕方なくこんな役目を請け負ったのです!」
それはあまりにも陳腐で、捻りの無い命乞いであった。
おそらくこの女自体、暗殺者としては大した格でなかったのやもしれぬ。
だがそれでも男は躊躇い、呻き……手負いの刺客を見逃してしまったのだ。まだ老成したとは言えぬ頃合いの彼には、そういう甘さが残っていた。あるいは、連れていた少女の存在が影響したか。
「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」
何度も地面に額を擦り付けた後、折られた右手足をかばいながら去る刺客。
凶相の男と黒髪の少女がその背を見送り、帰路へ戻った後だ。
「ウンコしたいであります」
「ぬ?」
「三日溜まった便が既に尻穴を圧迫しておりますため、その辺で野糞してくるであります」
「ぬおう!? わ、分かった。急がなくていいぞ」
少女は無様に狼狽える男へこの先の空き地で待つよう促し、すぐに姿を消した。
そして先の道へ戻ると……這いずる刺客の頭を、嬉々として石で殴りつけたのである。
「死ね、死ね、死ね」
刺客の言葉は偽りだと少女は分かっていた。
いや真偽はどうでもいい、そう判断することにしたのだ。
……あの男を欺いたこの女は、次はもっと上手くやるに違いない。こいつを生かして帰すことは、危険でしかない。
だから少女は、暗殺者の頭骨が窪み膨らむまで殴打を続けた。そして遺体を引きずり川へ捨てると、満面の笑顔で男の元へ戻ったのである。
「手に付いた故、川で念入りに洗って遅くなり申した! やあ、すっきりしたであります!」
待たされたせいか男は不機嫌そうにも見えたが、少女は幸福だった。
自分は役に立てたのだと、自分こそがこの男の役に立てるのだと。自分の願いで彼の貴族や家庭人としての未来を台無しにした償いは、これでこそできるのだと。
彼女は男を黒い薔薇から解放することに加え……男の役に立つことに、一振りの刃となることに、自らの生きる道を見いだしたのである。少なくとも少女自身は、そう思い込んだのだ。
役に立てる間はまだ、自分はこの昼行灯の隣にいてもいいのだと。
「さ、帰るでありますよ! 出すもの出したので腹が減ったであります」
「……ああ」
だが少女が騎士になりそして騎士を辞めるまで、再び「役立つ」機会は訪れなかった。
次に倒した刺客の命乞いを、もう男は聞かなかったからだ。
……。……。……。
家柄良し、器量好し、性格、うんまあ良し。
そんな赤髪の半エルフが凶相の男に好意を抱いていると彼女が知ったのは、共に鉄鎖騎士団員となってからのことだ。
精神成長にムラの目立つ半エルフのこれは恋心ではなく、乙女が抱く素朴な憧れや武人としての忠誠心、得られなかった父親を欲しての感情ということは容易に察せられたが……歴史上そこを始点に連れ合った者たちが存在せぬ訳でもないので、彼女は半エルフの望みを叶えるのも良いと考えた。
かつて自分の願いが損なわせてしまった生き方へ、あの男を復帰させるには丁度良い愛玩生物だ、と。個人的嗜好で、この乙女が好みだったこともある。
だからずっと黒い瞳は、愛でるような気持ちで半エルフを眺めていたのだ。つまみ食いしたいな、と時々思いつつ。
しかし赤髪の乙女は、愛でられるだけの存在に終わらなかった。
男の背を追うだけだった娘は転んだ後に立ち上がり、胸を張って並び歩き始めたのだ。しかも、追い抜かんばかりの逞しさで!
半エルフは最早追随者ではなく、同志、盟友と言えただろう。
黒い瞳にとりそれはあまりにも輝かしく、眩しすぎた。
……世界が滅んでも、あの男の隣にいるのは自分。一番役に立つのは、この自分。役に立ってこその、自分。
心の底を潤していた余裕は涸れ、自身の存在意義も揺らぐ。
そして。やがて彼女はその原因と、そう思うようになってしまった理由を自らの甘さに求めたのだ。
この村で、自身が本来得る資格の無い家族ごっこをしていうるうちに……刃としての自分は随分鈍ってしまった。錆び付いてしまった。それが先の対決で古い仲間に剣を振るうことを潜在的に躊躇わせ、敗北を招いたのだ。かつての自分なら、迷わず斬っていたはずなのに、と。
だから黒髪の剣士は、今日ここで旧友を斬ると決めたのだった。
自身の存在意義と、刃としての鋭さを取り戻すために。
◆
「やはり来たでありますな」
ガイウスとトムキャットの対決領域、その南。
北へと向かうアッシュの前に立ち塞がり、ダークが待ちかねていたように告げた。
右手に片手剣、左手は親衛隊仕様の魔杖を握っている。
「それは……俺の……台詞だ」
決闘剣ビルボを抜き、そう応じる鉛髪。
「前回のようにガイウス殿の邪魔をされては、困るのでありますよ」
「トムキャットの……邪魔は……させん」
ここにきて両者は、互いが同じ目的でここに立ったのだと知る。
だがそれはもう、刃を収める理由にはならない。
「クフフ……左手で柄を……握れなくなった……代わりが……その……魔杖か……実に……浅はか……だな」
第三次王国防衛戦で左手小指と薬指を斬り落とされたダークは、最早満足に剣を両手で握れない。
三本指で持つ短魔杖はその補いであり、そして剣と攻撃魔術を織り交ぜるアッシュへの対策であることは、一目で当人には分かっただろう。
「指二本で……懲りておけば……いいものを」
「小指はともかく、薬指を切ってくれたのは感謝しているであります。実際あれで、踏ん切りがつきましてね。ケーッケッケッケ」
蛙に似たいつもの声。
「で、そのお礼にアッシュ坊やへダークお姉さんから良い助言をしてあげようと思いましてな! ここに立つのは、それも理由であります」
「助言……だと」
へらへらとした笑みを浮かべつつ、ダークが頷く。
「アッシュ坊やは、用足しにもっと時間を掛けたほうがいいでありますよ」
「……ん?」
「いやねーホラ、あの館ではお前や皆を、自分がよくほぐしてやったでありましょう?」
「……それが、お前の……得意仕事だった……からな……クフフ」
「それがでありますねえ……」
一呼吸溜めて。
「……お前の尻穴だけいつも糞が拭き残ってて、舐め取るの大変だったンでありますよ」
ピタリと揺れの止まった、鉛髪。
あまりに安く下卑た挑発である。あるが……それは境遇を共にした仲であるがためより的確に深く、不快と怒りを誘ったのだ。
ダークだからこそ理解し、ダークが発したからこそ効果のある言葉だった。
「……煽った……つもりか……馬鹿め」
無論これだけで激昂するほど、アッシュは短絡でもない。
だがこの時彼は既に、相手の調子に飲み込まれつつある。
「今度は……もう見逃しては……やらんぞ」
「それこそ、こっちの台詞でありますよ」
互いを狙うダークの魔杖、アッシュの左手。
ロウ……アア……イイ……
重なる詠唱音。
そして数瞬置いた後に、双方の魔弾が放たれた。
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