03:味方殺しのベルダラス
03:味方殺しのベルダラス
お母さん、ごめんなさい。
私は今日、死にます。
ガシャン!と音を立てて剣が石畳に落下した刹那、ヘティーは心の中でそう呟いた。
一瞬で血の気の引いた顔を、足元へ向けると。
ベルダラス卿の剣は、柄のところにあしらわれた装飾が折れ、砕けていた。ひょっとしなくても、落下の衝撃によるものだろう。
(やっちゃった。やっちゃったんだわ、私)
武人の誇りとも言える剣を。しかも、かなり高級そうな代物を。
落としただけでなく、盛大に壊して。
しかも相手は、【味方殺し】とまで呼ばれる男、【人食いガイウス】なのだ。
ああ、と息を吐き、目を瞑るヘティー。
「ふむ、壊れていないかどうか、お前の首で試してみるとしよう」
という卿の言葉とともに、すぱーんと、自らの首が跳ね飛ぶ姿が、彼女の脳内に描かれる。
(きっと【ベルダラスの試し斬り】ってこういうのなんだわ)
短い人生だった、と涙を浮かべながら彼女が瞼を開くと、ベルダラス卿はさらに身をかがめ、破片を拾い集めているところだった。
「すすすすすすいませんベルダラス卿!とんだご無礼を!」
衛士が慌てて膝をつき、謝罪する。
卿は軽く手を振ってそれを制すると、
「無駄に重い剣で、申し訳無い。怪我は、無いか?」
ヘティーの方を向いて、言った。
「あ、でゃ、でいじょうぶ、です。ごごご、ごめんなさいいい」
ガタガタと震えながら口を開くヘティー。
「そうか。良かった」
ベルダラス卿は一通り破片を拾い集めると、近くにあった屑入れに放り込む。
「元々、登城用の飾りなのだ。これからは必要無い代物なので、気にしないでもらいたい」
「ですが」
衛士の言葉を掌で再び制し、立ち上がる。
そして、思考停止に陥ったままのポールから記入用紙のついた手板を取ると、署名と用件をすらすらと書き込んで返却した。
「騎士学校の生徒のようだが」
自分に問いかけられたのだ、と遅れて気づいたヘティーが「ひゃい」と返事をする。
「歳は」
「じ、じゆう、ななさい、です」
「ふむ」
卿は上着のポケットに手を入れ、探し物をしている様子であったが。
やがて包み紙に入った何かを掴むと、ヘティーの目前に、ゆっくりと差し出した。
「あの」
と尋ねる彼女に対し。彼は「これを」と一言言って、手を出すように促す。
恐る恐るヘティーが受け取ると、今度は別の包みをポールに与え。
「では、これで」
そう言って、城内へと歩き去って行くのだった。
◆
「剣を振り回すしか、能のない男さ」
休憩のために詰め所に下がったヘティーとポールに対し、二学年上の先輩がニヤニヤと笑いながらそう言う。
子爵を父親に持つこの貴族の次男坊は、事ある毎に平民を見下す態度をとるため。内心ではヘティー達から疎まれていた。
それに気付かないあたりも、いかにも貴族の子息といったところであろう。
「はあ、でも先輩。ベルダラス卿はとても怖かったですし、すごく強そうでした」
「もうガイウス=ベルダラス【男爵】じゃない。鉄鎖騎士団の団長でもない。あれはただの平民だ」
もう一度「はあ」と生返事をし、砂糖のたっぷりと入った茶に口をつけるヘティー。
緊張で疲れた身体に、強い甘みが心地良い。
「そもそも、あの男の【五十人斬り】ってのがインチキだからな」
「そうなんですか」
今度相槌を打ったのは、ポールである。
「戦争でついたよくある尾ひれと、あの男が吹聴した法螺だよ。大体、五十人も斬り伏せたり、たった一人で敵を防ぎ続けた、なんて話ある訳ないだろう?」
「それはまあ、そうですけど」
正直あの人ならやりそうだ、と思ったヘティーだが口にはしない。
「それを真に受けてしまわれた先代、先々代の王からは妙に気に入られていたらしいが……今の王様や宰相閣下は、あの手の嘘吐きには相応に手厳しい。多少剣術が出来るだけの男に、不相応な地位や役職を与えておくなど、良しとはされなかったのだな。化けの皮が剥がれて居辛くなった奴は、鉄鎖騎士団長の職務を辞し、爵位も返上。今日、目出度く都落ちという訳だ」
(それで、「もう貴族ではない」と言っていたのね)
ベルダラス卿の言葉を思い出しながら、再びカップに口をつける。
「元々ベルギロス家から愚鈍ということで放り出された私生児に、断絶していたベルダラス家の姓と爵位まで与えた先王が酔狂過ぎたのさ。知ってるかお前?あの男、一昨年騎士学校に会合で呼ばれた時、教授達から戦術議論をふっかけられてもロクに返答出来なかったんだぜ。曲がりなりにも一つの騎士団の長だったのにな。笑えるだろ?」
けらけらと笑う。
ポールは先輩の顔を横目で見ながら、曖昧に頷いた。
「じゃあ先輩、ベルダラス卿……いや、ベルダラス氏の【味方殺し】っていうのも、尾ひれの付いた噂なんですか?」
ヘティーの問いに、先輩は笑うのを止める。
「いや、それは本当だ」
「えっ」
「あの男は、自分の戦場での乱行を諌めたある貴族を、公衆の面前で斬り捨てたらしい。呪術師に怪しげな迷信を吹き込まれ、少女を拐かしてその血肉を食らったという噂話もあるな。騎士と呼ぶのも憚られる、野蛮で下劣な男だよ」
「ええ……」
ヘティーの頬が、ぴくりと引き攣った。
「運が良かったな。下手したら今日、お前は本当にあの男に殺されていたかもしれんぞ?」
再びニヤついた顔に戻った上級生の言葉に、彼女の背筋を冷たいものが滑り落ちる。
(やっぱり、恐ろしい人だったんだ。【味方殺し】で【人食い】。私が見逃されたのは、ただの幸運だったんだ)
寒気を堪えるように、カップを持たぬ手で反対側の二の腕を抱いた。
ふと。腕に当たった胸ポケットからの、違和感。
(そう言えば、あの時に何か……)
ベルダラス卿から渡された、白い包み紙に入った何か。
先輩から彼の話を聞いた後だと、ロクなものではなさそうだが。まさか毒物という訳でもあるまい。
ヘティーはカップをテーブルに置くと、膝の上にその包みを置き、おそるおそる、開いていく。その中には。
……にゃーん。
猫の顔の形を模した飴が、包まれていた。
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