41:初めての匂い

41:初めての匂い


『フーラッフー、ブロッサムーねーちゃーん、あーそーぼー』


 間延びした声を上げながらフォグ家の玄関に現れたのは、長男フラッフの親友フィッシュボーンだ。

 その様子もいつも通り。鼻水を垂らしたまま、ぼんやりした顔をしている。


『いーいーよー』


 とてとてと彼へ歩み寄り、きゃーきゃー言いながら突っつきあい、じゃれるフラッフ。


『【ゆうきのいっぽんやり】であそぼー。かれがわのほうでちょうどいいのがあった』

『こんどはまけないぞー!』


 きゃはは、と笑い合う。

 ブロッサムは年上ぶっているのか、二人の傍らで腕を組んで立っている。


『エモンにーちゃんも行こうよ』

「行かん行かん。今日も朝から木人剣とか相手させられてヘトヘトなんだよ」

『ガイウスおじちゃんは?』

「フィッシュボーンの親父さんや皆と畑に行ってるよ」

『ちぇー、つまんないのー』


 舌を出すフラッフ。


『じゃあいってくるね、おかーさん!』

『わたしもいってきますわ、おばさま』


 子供達が連れ立って家から出ていく。

 クロシナの縄をなっていたフォグは顔だけそちらへ向けると


『森には絶対に入るんじゃあ、ないよ!あと、今日は風が強くなるから、その前に帰ってきな!ブロッサム、お馬鹿達の面倒頼んだよ!』

『わかりましたわ、おばさま』

『『はーい』』


 相変わらず分かったのか分かっていないのか不明な返事をして、子供達は駆けていった。


 ……それから暫くの間。

 家の中ではフォグが縄をなう音と、エモンが時々尻を掻く音だけが聞こえていたが、ふと。


『そういえばエモン、あの子達が言ってた【勇気の一本槍】って何なんだい?危ないモンじゃないだろうね?』


 作業を続けたままのフォグが、背後のエモンに尋ねた。


「ん?ああ、危なくはねーな。ガキンチョ共が最近開発した勝負……というか、遊びなんだけどさ」

『へえ』

「まず木の小枝を用意するだろ。次に、各人同じ長さになるように、調整する」


 エモンは身体を起こし、人差し指をそれに見立てるかのように、ぴん、と伸ばす。


「それを各自が持って、突き刺していくんだ」

『何に?』

「動物のウンコに」

『またかい……』


 がくり、と肩を落とすフォグ。


「で、一番ウンコに深く突き刺した奴が勝ちって訳さ。勇気を出して攻めるから、【勇気の一本槍】(スピア・オブ・ブレイブリー)ってこった」

『馬鹿じゃないの?』

「言っておくけど、俺が教えたんじゃないからな」


 眉を顰めて注釈を添えるエモン。


『まったく、どの子が考えついたんだか……ん?……ちょっと待ちな!それ、意地張って限界まで挑戦したら、手がアレにつくんじゃないのかい!?』

「しくじって手に付いた奴が他の子を捕まえる鬼ごっこに発展するとこまでで、ワンセットの遊びだぞ」

『ちょっと!すぐ止めさせてきな!あの子の前掛け、下ろしたてなんだよ!?』

「えー」

『アタシもこれ片付けたら探しに出るから、先に行って前掛けだけでも外してやっておくれよ』

「へいへい、分かったよ。どうせ枯れ川のあたりだろ」


 エモンは面倒臭そうに立ち上がり、伸びをすると。のそのそと家の外へ出ていくのであった。



『フラッフのかち、ね』

『まけたー』

『かったー』


 審判役のブロッサムから裁定を下され、がくり、とフィッシュボーンが膝をつく。一方フラッフは、両手を頭上に掲げて勝利を誇示していた。


『つぎおねーちゃんやる?』

『やらない。それよりフラッフ、そのてでわたしにさわったらなぐるわよ』

『ん?うん』


 言われて手の汚れに気付いたフラッフが、前掛けでごしごしと指をこする。


『これでよし!』


 良くない。


『あーあ、あとで、おばさまにおこられるわよ?』

『なんで?』


 疑問の声を上げるフラッフ。

 ブロッサムはそれには答えず。鹿の膀胱で作った水筒を従兄弟の手の上に差し出すと、水を流して手を洗わせた。用意の良い子供である。


『もっかいやろっか』

『やらないの!かぜがつよくなってきたから、かえるわよ』

『えー』

『さ、フィッシュボーン。あなたもかえるまえにてをあらいなさいな』


 だがブロッサムが彼を見ると、フィッシュボーンは首を傾げたまま、てんで別の方向を見ていた。

 それは、枯れた川底が【大森林】へと続いていく方向だ。

 ガイウスが森の外からやって来た道。そして買い出しに行く際に森を出て行く道。

 その方角を、この幼児は怪訝な顔をして注視しているのである。


 ブロッサムも同様にしてみると。川底沿いに誰かが歩いてくるのが、その目に入った。

 一人ではない。数名の集団だ。それもコボルドではない。もっとずっと背が高い者達である。


『あ!あれもヒューマンだよね!?おじちゃんのしりあいかな!?それともダークのしりあい!?サーねえちゃんのかな?』


 フラッフが嬌声を上げ、ブロッサムの脇をすり抜け四足で走っていく。


『あ!こらまて!』


 制止も聞かずに駆け出したフラッフは、すぐに集団と接触した。

 尻尾を振り、興奮した呼吸で。ヒューマン達の周囲をぐるぐると回り、興味を引こうと懸命である。


『ね!ね!どこからきたの!?どこからきたの!?だれのともだち?だれのともだち?』


 声を掛けられた男が足を止め、白い子コボルドへと向き直る。普段ガイウスがしてくれるように、このヒューマンも撫でてくれるのだろうと期待して。

 そしてつぶらな瞳を相手に向け、その手が伸びるのを待ちつつ。鼻を鳴らして軽く匂いを嗅いだのである。


 その時フラッフは、違和感に気付いたのだ。


 村の中で、母や村人達から感じられるぬくもりと。

 ガイウスやエモン達から発せられる感情と。

 そのどれとも違うもの。


 それは、フラッフが今まで一度も嗅いだことのない【魂の匂い】。


 そう。「悪意」の匂いである。

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