42:踏みにじる者

42:踏みにじる者


 白くふわふわとした小さな生き物がまるで毬のように宙を舞い。

 放物線を描いてぽすり、と草むらへ落下した。


「あははは!見たかオイ、結構飛んだな!」


 蹴り上げた足を戻し、強風になびく髪を押さえながら。チームのリーダーであるセロンが、上機嫌で仲間に言う。


「次はこいつでやってみてよ。この魚の骨みたいな模様した奴」


 アビゲイルが愉しげに進み、別の子犬……子コボルドを掴み上げる。

 もう一匹琥珀色の子供もいるが、これは恐怖で身が竦んでしまっているため、後回しにされた。


『フラッフ!フラッフー!』


 掴み上げられたその子は半狂乱で騒ぎ立てると。身を捩ってがぶり、とアビゲイルの腕に噛み付く。


「痛っ!」


 小さな口のささやかな反撃だ。

 だがそれでも、アビゲイルを激高させるには十分な行動であった。


「このクソ犬が!」


 噛み付いた子コボルドは首根っこを掴んで地面に押し付けられる。

 ばたばたと動くその足をアビゲイルはもう片方の手で乱暴に掴むと、力を入れて捻った。


 ぽきり。


 という手応えとともに、肉に包まれた硬い物が折れる。


『あああううううう!』

「私の腕によくもやってくれたね」


 激痛にもがく子供のもう一本の足に手を伸ばし、勢いをつけて手首を曲げる。

 先程と同様の感触、そして音。

 ショック状態に陥ったその「子犬」が、泡を吹いて力を失った。

 アビゲイルは首を掴んだままの手首にゆっくりと体重をかけ、胴体を圧迫し始める。みきみきと胸骨が軋む音が掌から伝わり始めた瞬間。


「何してやがんだテメーら!」


 突然の怒声。

 チームの皆が視点を移すと、一人の少年が駆け寄ってくるではないか。


「……何だあのチビ」


 グラエムが顎を撫でながら呟く。肘が動く度に、手甲が厚い甲冑胴に擦れて金属音を立てた。

 探索に向かぬ重装甲であるのは、【大森林】での魔獣との遭遇に備え、前衛役の彼が先んじて戦闘装備をとっていたからだ。負担や荷重はディビナが支援魔術を定期的にかけることで大幅に軽減されている。

 本来であれば騎乗を強いられるような重装甲兵に魔術士の支援を合わせて運用するのは、南方諸国では軍事定石の一つであった。勿論それは個人戦闘においても、応用されることが多い。


「ヒューマン?にしちゃ、身体のバランスがおかしいけど」

「えらくブサイクだし」


 この冒険者達はドワーフを見たことがないのだ。

 そしてコボルド以外の種族がいるという困惑が、魔術士による先制攻撃を躊躇わせたのである。


「フラッフ!しっかりしろ!あああ、何てこった、クソ!」


 少年はまず白い子コボルドに駆け寄り、抱き上げようとして、すぐ手を止めた。

 子犬は、口から血泡を吐いている。おそらくはセロンの蹴撃により、内臓に重大な損傷を受けたのだろう。

 そのままでは死に至ることが明白であったが、経験の少ない少年は重症者をどのように扱ってよいか分からず、戸惑ったのに違いない。


『エモ……にー……』

「フィッシュボーン!」


 泣きそうな顔で悲痛な声を上げた彼は


「ブッ殺してやる!」


 と叫ぶと、屈んで子供を押さえつたままのアビゲイルへ向け猛然と走り出し、腕を振りかぶる。

 アビゲイルは腰の短剣を素早く抜いて応戦状態に入るが。刃よりも早く少年を止めたのは、割り込んできたセロンによる、一発の蹴りであった。


「うぼあ」


 苦悶の息を吐いて倒れる少年にセロンは素早く跨ると、手甲を付けた拳を叩きつける。

 一発、二発、三発。命中する度に、組み敷かれた身体がびくりと痙攣を起こす。


 十回程殴りつけたところでセロンは少し手を伸ばし、やや大きな石を掴んだ。


「おいおいセロン、そいつは犬じゃない。殺しは止めとけ。ノースプレイン領で手配されたらお前、やばいんだろ」


 グラエムが良心からではなく損得の勘定で、セロンを制止する。だが彼は、


「もうここまでやっちまったら、生かしておくほうがまずいのさ。それにここは【大森林】の中だ。咎める奴がいるか?他にも誰か居たら、それも殺せばいい」


 そう答えると、組み敷いた相手へ向けて石を振り下ろす。

 ごつん、ぐしゃり、ごきり。

 数回の打撃でその頭は陥没し、体は動かなくなる。


「死んだか」


 セロンは息の止まった少年から体を離し立ち上がると、手に付着した返り血の汚れを見て舌打ちをするのであった。



 ツー、ツ、ツー。ツツツー、ツー。ツ、ツー、ツー。


『ん?』

『あ?』

『お?』


 畑仕事をしていたコボルド達の内何人かが、訝しげな顔をして空を見上げ、耳を立てた。


『なあ、誰か霊話(スピリットスピーク)使っているのか?』


 畝を作っていたレッドアイが周囲に声を掛けるが、皆、首を横に振る。


『じゃあ、ジイさんか?』

『違うわ。ワシみたいな熟練のシャーマンがこんな五月蝿いもの、わざわざ鳴らさんわい』


 水筒から水を飲みながら、長老は答える。


『こんなの、覚えたての子供が訳も分からず鳴らすくらいじゃろ。で、他の大人にそれが何か教わるのが、お決まりの流れじゃ』

『それもそうか。野良仕事終わって帰ったら、どこの子が覚えたか調べてやらないとな』


 ふぅ、と肩を竦めて作業に戻った。そんなレッドアイに、ガイウスが尋ねる。


「【霊話】って、何だね」

『ん?ああ、魔法というか、技というか、むしろ体質かなあ。シャーマンの素質がある奴しか出来ないんだが、【霊話】を使える奴にだけ聞こえる音を飛ばせるんだ』

「おお!凄いな!遠くの者と話せるのか!?」

『いや、変な音が出せるだけで何の役にも立たないんだ。誰が出しているかも分からないし。ただ単に五月蝿いだけだな。シャーマンの素質があるかどうかの判別に使うもんだぜ、これは』

「そうか……残念だな」


 そのやり取りを聞いていた長老は、ゴホン、と咳払いすると。


『かつて、神祖の力濃き頃のご先祖様達は……』

「おお!」

『おいガイウス。ジジイの話は長いから聞かなくていいぞ。それより、これ以上風が強くなる前に終わらせよう』

「ぬ、ぬう」


 やや残念そうな顔をするガイウスの太ももを叩き、作業に戻るよう促すレッドアイ。

 だが、そうしながらも彼の表情は怪訝であった。


『……使ってる本人にとっても鬱陶しいから、子供でもあまり使いたがらんハズなんだがなあ』



 村では一番の健脚だと言われていた。実際、男衆と競争しても、負けることなど一度もなかったのだ。


(なのに、自分の足がこんなに遅いと思うなんて!)


 滲みそうになる目を必死に見開き、フォグが駆ける。


(油断していた)


 前の村からの逃避行、新しい村の建設、食料や住宅問題への取り組み。技術の導入。

 気を取られて、忙殺されて。それらを乗り越えていく度に、いつの間にか『もう大丈夫だ』と勝手に思っていた。思い込んでいたのだ。

 そう悔やみつつ、走る、走る、走る。


(まったく、一番大甘なのは、アタシだよ!)


 だが、まだ間に合う。間に合うはずだ。。

 エモンが作ったあの僅かな時間、あれで、あのおかげで、自分の足はあそこまで届く。

 うん、大丈夫だ。いける。


「剣に慣れたいなら持ち歩いておくと良い」とガイウスから教わり、帯剣していたのも幸いだ。

 そうだ、運が良い。とても良かった。だからやれるはず。いや、


(必ずやる!)


 シュッ、とまるで風を切るような身のこなしで、フォグは恐怖で座り込んだままのアンバーブロッサムの前に駆けつけ、立ちはだかった。

 瞬間、周囲を見回し状況を確認する。重体のフラッフ、重傷のフィッシュボーン、生死不明のエモン。

 ヒューマンの集団は五人。長髪、鎧の男、槍使い、そして軽装の女が二人。


 五対一。だが問題無い。問題は、無い!


 しゅらん、と擦過音を立てながら、フォグが鞘から剣を抜く。


『アタシはコボルド族一の戦士、ホワイトフォグ!これ以上、お前達の好きにさせるものか!』

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