116:うんこ大臣

116:うんこ大臣


『『「きゃあああ!」』』

「がおおん!?」


 すぐ背後から現れた巨体にナスタナーラ達は悲鳴を上げ。そして熊もその反応に驚愕し、大声で鳴いた。

 あまりに驚いたせいか、立ち上がってから尻餅をついた程である。


『『「うわああああ!」』』

「ごおおおん!?」


 再び上がった叫びに対し熊が、また驚く。

 そしてもう一度の、悲鳴の応酬。


 フラッフとフィッシュボーンはまだ子供である。

 ナスタナーラも武芸の心得はあるものの、これ程近くで猛獣と突如遭遇したことはない。

 そしてこの熊も血に狂った蟲熊ではなく、森に暮らす普通の熊であった。

 彼等が一様に声を上げたのも、無理からぬことだろう。

 そこへ。


「おうらああ!」


 咆哮の直後に。ナスタナーラのすぐ脇を、何かが飛沫を散らしながら飛び去っていく。

 それは「べちゃり」という音をたてて熊の顔面へと命中し、巨体から更なる悲鳴を引き出した。


「うおらあああ!」


 続けて少女の脇を、下半身を露出したままのドワーフ少年が猛然と駆け抜け。

 あろうことか一直線に熊の頭へと組み付いたのである。


『兄ちゃん!』

「おい逃げろガキ共! ナッス! 助けを呼べ!」


 そして彼は雄叫びを上げると。手に掴んでいる何か泥のようなものを熊の顔へ、鼻へ、そして目へ塗り込んだ。

 猛獣は悲痛な声と共に身を捩って少年を振り落とそうと試みるが、エモンは渾身の力でしがみつき離れない。


「何やってんだブス!」


 そこまで吠えられてやっと正気を取り戻したナスタナーラがすぐさま立ち上がり、両手を広げる。


 ロウ…… アア…… イイ……


 褐色の肌を透かして血管が魔素を輝かせ。そして彼女の肌に刻まれた印も熱と光を放ち始めた。

 ナスタナーラの大技、多連装マジック・ミサイルの【詠唱】である。


 だが熊は、刹那に本能で危機を察知したのだろうか。この野生動物は怒りも困惑も投げ捨てて、一目散に逃げ出したのだ。

 こういった判断が出来るため。実は蟲熊よりも普通の熊の方が賢く、長生きをする。


 がつん!

 ババババババシュバシュ!


 木にぶつかったエモンがはたき落とされるのと。目標を失ったマジック・ミサイル群が別の幹を抉ったのは、ほぼ同時であった。

 悲しそうに吠えながら走り去る巨体を見送ったフラッフとフィッシュボーンが、顔面を強かに打ったエモンと、熱に悶えるナスタナーラへ駆け寄り介抱を始める。


『ヒュー! やっぱ! ウンコが! 兄ちゃんは! チンチンがブラブラで! グワーッって! こう! すげえや!』


 物事を説明するのが苦手なフラッフである。ただでさえ普段から一言も二言も足りないところにさらに興奮し過ぎているのだから、最早何を言っているのかさっぱり分からない。


『ウンコで、熊を、やっつけたなんて、聞いたこと無い』


 ナスタナーラに水筒の水を掛けながら。フィッシュボーンは半ば呆れ、半ば感嘆して言った。


「よっぽど臭かったんですのね……」

『ちょっと、かわいそう』


 冷静さを取り戻してみると、少女達にはあの熊も被害者の一員に思えてくる。

 熊の手では顔を拭うことも容易ではあるまい。そう考えると、哀れすら誘った。


『おいお前ら、大丈夫か! ……うわくっさ!』


 魔杖を持ったコボルド達を率いて駆けつけるやいなや、鼻に皺を寄せたのはレイングラスだ。

 霊話の素養があるフィッシュボーンが、近くの巡回班に助けを呼んでいたのである。フラッフも霊話は使えるが、彼は慌てるばかりでそこまで頭が回っていない。


「熊ですの! あっちの方へ逃げましたわ!」

『分かった! おい、追うぞ! こんな近くまで来た奴を逃がすんじゃねえ!』

『あいよ! というか臭いな』

『早く行こうぜ、息止めてるんだ俺』


 レイングラスは他のコボルド達へ号令をかけると、そのまま駆け出していった。

 魔杖持ちが6名もいる上に、狩りに慣れた彼がいるのだからもう大丈夫だろう。


 安堵で深呼吸したナスタナーラとフィッシュボーンが、感覚の蘇った悪臭に咳き込む。

 その横でフラッフだけが目を輝かせながら、奇声を発してエモンを称え続けているのであった。



「なーなー、俺にも何か肩書をくれよー」

「貴方まだそんなこと言ってるの?」

「はっはっは」

「笑い事じゃねえよオッサン! サーシャリアは将軍、姐御やレイングラスは戦いの時は何かの隊長格! レッドアイは農林大臣、ブラッディクロウはニワトリ大臣、ブルーゲイルは親衛隊長、親方は親方、新入りのナッスだって魔法院院長じゃねえか! 悔しすぎるだろ! 俺だけだよ! 俺だけじゃねーか何もねーの! 俺だって何か、カッコイイ肩書が欲しい!」


 指揮所で打ち合わせをしていたガイウスとサーシャリアに、エモンが頼み込んでいる。

 ナスタナーラへ対抗すべくエモンが考えついた起死回生の策は。なんと、駄々をこねて自分にも称号を付けてもらうことであった。

 その発想の情けなさに、サーシャリアが溜息をつく。


「まったく、子供なんだから。肩書なんかどうでもいいでしょ」

「お前は炎魔将軍とか【欠け耳の悪魔】とかカッコイイ異名まであるじゃねーか!」

「はっはっは」

「あああれはダークが捕虜にあることないこと吹き込んだせいでしょ!? どうでもいいわよそんなの!」

「うるせー! どうでもいいなら俺にも何か二つ名とかつけてみてくれよ!」


 鼻水を垂らしながら全力で食い下がるエモンに気圧され、サーシャリアは一瞬考え込むと。


「例えば……【スケベドワーフ】とか?」

「とか? じゃねえよボケ! そのまんまじゃねえか! 大体ドワーフってのは皆、助平なんだよ! 騎士学校次席卒業の頭でひり出したのがそれかよフザケンナ!」

「何だと貴様ァッ! 歯を食いしばれ! 修正してやる!」

「そこ脚ーッ!?」


 杖を支えに器用に下段回し蹴りを叩き込むサーシャリアを持ち上げ、宥めるガイウス。同時にエモンの頭も小突いておく。

 だがサーシャリアはまだまだ頭に血が上っているようで。


「大体貴方、スケベな以外に何か誇れることがあるの!?」

「ほら、俺って頑丈だよな?」

「それはドワーフだから丈夫なんでしょッ! 何の自慢にもならないわよ!」

「じゃあ例えば……剣とか……?」

「貴方こないだ、ナスタナーラはおろかブロッサムにも負けてたじゃない!」


 間髪入れず叩きつけられた言葉に、エモンが唸る。


「いや、サーシャリア君。私も意外だったが、ブロッサムのあれは天禀というものだろう。仕方あるまい」

「ガイウス様は黙ってて下さい!」

「あ、はい。ごめんなさい」


 脇に抱えられたままのサーシャリアから怒鳴られて、ガイウスが大人しくなる。


「レッドアイさんの農林大臣は、村の頃からずっと畑仕事を取り仕切ってきた功績と実力によるものよ!? ダークは騎士学校出だし、レイングラスさんは黙っていても男衆が着いてくるでしょ! ブラッディクロウのニワトリ大臣は鶏にかけるあの異常……右に出る者がいない情熱が評価されたもの! ブルーゲイルは人望と真摯さで親衛隊をまとめているのよ!? 親方は親方だし、ナスタナーラの魔術に関しては言うまでもないでしょ! じゃあ、貴方はどうなのよ!」

「ぐぐぐ」


 反論に詰まった少年が呻く。


「いやあ、エモンにもね、有望さとか、すごいところはあるんだよ?」

「ガイウス様はこの子に甘いんですッ!」

「すいません」


 抱えたままの半エルフにドワーフ少年がやり込められるのを、ガイウスは後頭部を掻きながらしばらく傍観していたが。

 ふと視界の端に入った人物を見て何か思いついたのだろう。二人に気取られぬように、小さく手招きをする。


「まあまあサーシャリア君、エモンも王国防衛戦では冒険者ギルド長相手に奮戦したのだ。あれがなければ、王国の今は無かっただろう」

「……それはまあ、そうですけど……私もソレで助けられてますし……」


 涙目で鼻を啜るエモンを見て、流石に言い過ぎたと我に返ったサーシャリアが。その事実も提示され、気まずそうに口にした。


「あの武勲は大きいよ。だからそうだなあ、次に指揮所に来た者にエモンのすごいところを聞いてみて、それに即した称号をあげてみてもいいんじゃないかな」

「うう……ガイウス様がそう仰るなら……でもエモン! スケベだとか頑丈だとかが「すごい」って言われるようなら、この話は無しだからね!」


 エモンはその言葉を聞いて表情を明るくすると、握り拳を作ってガイウスとサーシャリアに宣言する。


「お、おう分かった! それでいい! 男に二言はねえ! 次に指揮所に来た奴が言ってくれた、その内容に従うさ!」



 ……フラッフにとって、幼い頃からドワエモンはずっと勇者であった。


 それはエモンが強いという理由からではない。どちらかと言えば彼の実力は未熟だということは、子供にも十分理解出来ていた。普段の行動だって、フラッフから見ても馬鹿だなあ、とかワガママだなあ、と思うことは度々あるのだ。

 だが、綿毛のコボルドにとってあのドワーフ少年が憧れであったのは、その未熟さ故だったのである。


 賊に襲われた村にガイウスが突入した際、エモンは後を追って返り討ちにあったという。

 冒険者達に蹂躙され母親が殺されたあの事件でも、フラッフは薄れゆく意識の中で聞いたエモンの声を覚えている。

 コボルド村防衛戦の時に、村人を避難させるためサーシャリアと共に時間を稼いだ戦いでも彼は多数を相手に必死に戦った。

 そして王国防衛戦においても、エモンは自身より遥かに格上である冒険者ギルド長ワイアットに対し、全力で抗いガイウスの到着まで持ちこたえたのだ。


 ガイウスは強い。それに疑いを挟む余地は無い。ダークも、外界ではかなりの手練に類されるという。

 幼い頃からそれが当然の事実であったフラッフにとって、強者が立ち向かう、強者だから戦えるというのはごく当たり前の認識であった。強さ自体に対して、フラッフはさほどの敬意や感慨を抱いていなかったのだ。

 しかしドワエモンは違う。彼は未熟であり、ガイウス達に比べれば遥かに弱い。だがそれでも、あのドワーフ少年はいざという時には必ず誰かの前に立つのである。難民救出戦の際も、あえて敵の注意を引く戦いぶりだったと親衛隊員から聞かされていた。


 勿論ドワーフの生命力に対する自信もあるだろう。気質による無謀さもあるかも知れない。だが怖いものは怖いし、痛いものは痛いはずだ。

 それでもなお土壇場では必ず立ち向かうドワエモンの精神に。フラッフは憧れ、焦がれるのである。


 先日の熊騒動は、それをこの白いコボルドに再認識させた。

 自らの糞便をもって熊に立ち向かう猛者など、フラッフは今まで聞いたことも見たこともない。誰かに真似出来るとも到底思えなかった。

 それが嬉しくて嬉しくて、仕方なかったのだ。


 本来であれば千の言葉を用いて兄貴分を褒め称えたいが、普段から三言も四言も足りぬと言われるフラッフである。残念ながら彼にそのような語彙力は無く、頭の回転も良いとは言い難い。

 だが彼のドワーフ少年への敬意は本物であり、憧れは情熱的であった。


 だから不意に、ガイウスに指揮所へ手招きされ、サーシャリアからエモンの美点を尋ねられた時も。

 フラッフははっきりと力強く、そして誇らしげに。五言も六言も足りぬ口で、全力にて褒め称えたのである。


『エモン兄ちゃんのウンコは、すごいんだよ!』

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