199:お館様

199:お館様


「邪魔するぞ」


 早朝。討伐軍司令官の天幕へ、承諾も得ず入ってきた人物。

 彼女を見て、ローザ=ギャルヴィンはわざとらしく驚いた素振りを見せた。


「おや、お嬢。本当に来るとはね」

「妾がいたほうが、何かと話が早かろう」


 ジガン家現当主にてノースプレイン侯爵、ケイリー=ジガンその人である。


「大人しくフォートスタンズ城でふんぞり返ってりゃいいのに……とは言わないよ。貴族ってのは武家なんだからね。頭領が戦場に姿を見せるのは、本来悪いことじゃない」


 ただね、と一言置く。


「昔から、戦に大将が並んで良い結果を生んだこた無いのさ。痺れを切らして来ただけなら邪魔だから帰んな、お嬢」


 指揮権の分散、命令系統の混線。それらが敗因となった戦は、歴史上になんと多いことか。


「案ずるなギャルヴィン。こと戦闘中、口を挟むつもりなど無いわ。前に出て騒がせたりもせぬ。椅子を温めるのが常の妾とて、その程度の分別はついておる。説明だけくれれば良い」

「弁えてるならいいさ」


 身体を揺らしつつ、アヒルの如き笑い声を上げる。


「ま! 実際お嬢がいれば、何をするにも誰を従わせるにも話が早いからね。全権委任ってお題目も、即座のお墨付きには敵わないのさ。心情的に、ね」

「妾もそう思うからこそ、ここ来たのじゃ」


 結構! とギャルヴィン。


「……ま、それでも野良猫は扱いづらいんだけどねえ」

「トムキャットか。奴はどうしておる?」

「体調を整えるとかほざいて、自分の天幕に引き籠もってるよ。戦いたいのか戦いたくないのか、グランツ野郎のくせによく分からんね」

「好きにさせておけ。そういう約束ぞ」

「あたしは知らんがね。アレが寝こんでる間にベルダラスの首級を獲っても、文句を言わせんでおくれよ?」

「その時は彼奴の落ち度じゃ。そこまで気を回してやる必要も、無い」


 頷く老臣の脇を歩み、ケイリーが机に寄った。


「……これがコボルド村一帯か」


 指されたのは、卓上に置かれた地図だ。広い森を村まで続く、蛇の如く幾重にも幾重にもうねった枯れ川が描かれている。軍議で使う大地図の写しなのだろう。


「マニオン家の小僧や、グリンウォリックに引き渡す前に捕虜から聞きだした情報で作らせといたものさ。ランサー坊やが無邪気に話していたことも、随分役に立ったようだね。可哀想に、フェフェフェ」


 コボルド側で言う第一、二、三次王国防衛戦で人界側が得た情報に、使者として往復し続けたランサーが当時報告していたものまでを蓄積した地図である。参考回数を重ねたそれは枯れ川の形状や森の中におけるコボルド村の位置を、見る者へ十分に教えていた。


「この川底を道として、一気に村へ進むのじゃな」

「一見簡単だろう? でも重々承知なんだよ、連中も」


 ギャルヴィンがケイリーに、枯れ川突破を方針としたザカライアが敗れた経緯を語る。やはりこれも、グリンウォリック兵から聴取したものだ。


「グリンウォリック伯がやったのは言うなれば『点』の押しでね。枯れ川に固執して一点突破をかけたから、コボルド側も戦力を集中して対応できたんだろう」

「だがあれは総数でも五百と少しだったではないか。今回の兵力であれば、千の大軍で壁の群れを一気に薙ぎ倒すこともできるのではないか?」

「いいねえ。飽和攻撃、人海戦術! 基本にして道理だよ」


 目を細め頷く老婆。


「でもそれは、普通の戦みたいに場所が広けりゃの話だ。千の兵で速攻をかけるに、この道は狭すぎるのさ」


 地図上の砂地をなぞる、皺深い指。


「コボルドどもはおそらく全兵が魔杖兵……その辺の近代軍顔負けの火力さ。狭い道じゃあ、先頭から順番待ちして薙ぎ倒されかねない。まともに枯れ川を攻めるなら結局、グリンウォリック伯と似たように戦争馬車(ウォーワゴン)やらなんやらで一枚一枚壁を崩してくことになるだろうね」

「とは言っても、押し寄せる大波に対し処理が追いつかぬだろう」

「数字だけ見てんじゃないよ。兵士ってのは人間なんだ。自分らの死体で道を舗装しろと言われてみな? 数枚の防塞は勢いで抜けても、何十枚と繰り返されちゃあ気持ちが保たないのさ。こりゃそういう壁だよ」


 事実、コボルド側の枯れ川多重防壁はザカライアが率いた兵の士気を挫いたのである。


「大体連中には水攻めがあるからね。問答無用で一度は、枯れ川攻勢を退けられちまう。あれは実に面倒さ」


 老騎士の言葉に、唸らされる女侯爵。


「でもお嬢の言うことも道理よ……仕方もないし最短での出兵だったが、兎にも角にも時期が悪い。時間をかけ過ぎりゃ雪が降りかねないからね。そしたら村攻めはお仕舞い! 森外へ引き上げ封鎖に徹し、翌春から改めて仕切り直しになるだろうよ」


 そうなれば規模が大きい分、ケイリー陣営の負荷は重い。コボルド側に物心両面で立て直す時間を与えるのも望ましくないだろう。何より時間が経てば計画の遅れのみならず、事が外部に漏れる危険性まで高まるのだ。


「だからこそ、あたしは一回二回の反撃やしくじりで大崩れしかねない陣容にはしたくないのさ、積極性に欠けると言われてもね。何せ、あくまであたしらの情報は前回までのモンに過ぎない。あの可愛いおチビちゃんが何やらかすも分からない以上、対応力は保持しておきたいと思わないかね」


 いつもの笑い声。


「では、どう攻めるのじゃ」


 問われたギャルヴィンが、書類を留めていた綴じ紐を抜き取る。


「今度のあたしらは川だけに拘らず、『面』で押す」


 紐を地図上に寝かせ、両端を摘まみ村の方角である北へと滑らせていく。


「枯れ川と岸だけじゃなく、森にも広く戦力を展開し圧迫するのさ。枯れ川の防御が硬ければ、森の戦力を進ませて側面から回り込む。森でも手こずるなら、面の幅をさらに伸ばしてそこから突破する」


 紐の両端を交互に進め、少しずつ北上させる。


「軍に【大森林】の只中を歩ませるのは、難儀しそうじゃな」

「まあね。それに無制限に森の中へ入っていける訳じゃない。ホラ、あたしらは文明人だからさ! フェーフェフェフェ!」


 狩人や探索慣れした冒険者ならまだしも……部隊規模では森の行軍には限界があるだろう。連絡を確保できなければ、そのまま木々の海で遭難する危険性も高い。


「でも川と周辺だけならともかく、範囲を伸ばしゃコボルド側はどこかで絶対に人手が不足するし、守りだって自然に薄ーくなる」


 コボルド軍の規模は、これまでの情報から概ね推定済みだ。


「一方、こっちはどこを主攻にするか都度自由に決めていいんだからね。相手はそんなこと分からないんだから突破しやすくなるし、上手くいけば余勢を駆って敵戦力を噛み千切れるよ」


 ギャルヴィンが紐の一カ所を指で押すことで、横一線の紐に生じる歪み。そのまま彼女は膨らみの先端をぐるりと線まで引き寄せ、輪を作る。これは防御線の突破と、その後の背面展開による包囲を模したものであった。


「しかし……グリンウォリック伯は戦力が細く伸びきったところで側面や根元を衝かれた、とお前は先程説明してくれたな。面より後ろは隙だらけとなり、敵の跳梁や本陣への直撃を許すことになるのではないか?」

「勿論後方との連絡確保には、戦力を用意しておくよ。こっちにはそれだけの余力があるしね。その上でわざと隙を見せてもいい。迂闊に回り込んでくれれば、逆に向こうを取って食らう好機さ」


 真っ向からの白兵戦となれば、分があるのはヒューマンだ。コボルド側の優位はあくまで距離を確保して射撃を繰り返す防御戦闘にある……というのをこの老婆は情報から理解している。陣と罠による時間稼ぎを捨て妖精犬が出てくるならば、むしろノースプレイン側に望ましい状況と言えた。


「兵糧焼かれるのはやっぱり面倒だし、何よりお嬢やあたしがいるからね。本陣は陣地化して絶対に五百前後の兵で固めておくから安心しな。そうすりゃ直撃は、まずあり得ない」


 コボルドは先の戦いで確かにグリンウォリック軍の本陣を襲ったが、あれはあくまで破壊工作に過ぎない。森外に出て、陣地に籠もる大軍へ強襲をかけるとは考え難いだろう。ましてや、織り込み済みの相手になど。


「グリンウォリックの遠征軍も似たような考えだったんだろうが、そこまでやるには流石に戦力が足りなかったね」


 しかし今回ノースプレイン軍は開始時点でその四倍近くになる。加えて、補充の用意も進められているのだ。先に進むほど伸びる側面をも、牽制する戦力は確保できるだろう。


「……そうか分かった。結局速攻はかけられぬのだな」

「いや緒戦は損害度外視で速攻をかけるよ? できるだけ奥へ進み、それにより総日数を短縮する。半分とは言わない、三分の一は進みたいね……そしてなにより、水攻めをとっとと使わせちまいたいのさ」

「そなた無理をすれば兵の士気が続かぬと言うたばかりではないか! 序盤でそんなことをすれば、後半保たぬと」


 流石に声を張り上げるケイリー。


「何を言ってるんだい。いるだろ、今回の戦い死ぬ気で……いや、死ぬ気以上で働く奴らが。そのためにお嬢へ頼んだんじゃあないか」

「……再起組か」


 それは先の内乱で弟ドゥーガルド派に与し、取り潰された元家臣らの生き残りや捕虜たちである。

 流石に中心人物らは処刑したものの……悉く殺すのは、自派家臣や領民に必要以上の動揺を招く恐れがあったのだ。


「使えるのか」

「使い潰すよ、連中には相応の禊ぎさ。ただ……それでも功を上げた家や生き残りには、キッチリ約束守っておやり」

「家中への復帰、保証しよう。洗った駒なら、再び懐に入れてもよかろうて」


 没落した貴族ほど、惨めなものもない。

 失ったものを取り戻す最後の機に縋り、彼らはどんな死地にでも飛び込むはずだ。

 そういう意味で、再起組もこの戦いの当事者といえる。


「……さて、そろそろ将兵の支度も終わった頃合いかね。一緒に、号令をかけに行こうか」

「うむ」

「で、その前にだ。一応最後に聞いとくがね、お嬢」

「何ぞ」

「本当に、いいん、だね?」


 一句一句、ゆっくりと区切りつつ尋ねる老騎士。


「隠蔽するにしても、宰相にへつらうにしても、もし考え直すなら……この瞬間が最後の分水嶺だ。今ならまだ適当に理由をつけて兵を引き、違う道を進むこともできる。なぁに出兵理由も適当だからね、どうとでもなるさ。しかし一旦おっぱじめたら、もう後戻りはできないんだよ」


 いつもの剽げた気配は、その顔に無かった。


「本当に、いいん、だね?」


 問いに対し、主君が頬を歪め応える。


「……二年だな。ミスリルを得て二年もあれば、ノースプレイン軍はイグリス最大最強の存在となる。グリンウォリック、ムーフィールド、イスフォード、ウェストフォード、ゴルドチェスター、ルーカツヒル、そしてミッドランド。それら全ての軍を屠る栄誉は……ローザ=ギャルヴィン、そなたのものじゃ。その誉れを、妾だけが与えてやれる」


 赤子の頃より彼女を知る老婆も見たことがない、野心というものを湛えた瞳。

 それはギャルヴィンの知らぬところでトムキャットの【魅了】が発掘したものではある……あるが、確かにケイリー=ジガン本人の奥底に眠っていた、眠らせていたものだ。だからこそ女侯爵の言葉は、老騎士を納得させたのである。


「痺れる口説き文句だねえ、お嬢! 聞いただけで三十年は若返るよ。溌剌とした二十代に戻った気分さ」

「分かりにくく鯖を読むな」


 苦笑。


「うんうん、王都イーグルスクロウ攻略戦! いーい響きだよ。先代様でも若様でもなく、お嬢があたしを、その晴れ舞台へ連れて行ってくれるんだね」

「そうだ、妾が連れて行く」

「フェフェフェ! そうかい楽しみにしてるよ、『お館様』」


 怪婆は愉しげに身体を揺すると、入り口の垂れ布を押し退けて主君の道を作るのであった。

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