57:許せぬ者
57:許せぬ者
ガイウスを取り囲んでいる冒険者は八人。
弓までも潰された今。この程度の人数では一方的に損耗するだけだ。
(つまりは、自分が【イグリスの黒薔薇】の相手をせねばならないのか)
【憤怒の構え】から上段構えである【屋根の構え】へと移行しつつ、ワイアットはそう覚悟を決めた。
「ベルダラスの相手は私がする!お前達はあの女を斬れ!三名は深追いした連中を呼び戻しに走れ!」
ガイウスの剣に怯んでいたのだろう。包囲の輪はこれ幸いとばかりに解かれ、下がっていく。
その内三名は指示通り、仲間達がコボルドを追いかけた方角へ手分けして走っていった。しばらくすれば戦力を呼び戻せるはずだ。
そして残りが黒マントへ対応すべく、ワイアットの後方へと向かうのであった。
「やあやあ皆さん!自分はダークと申しまして、何を隠そうガイウス殿のあいじ……うわおあぶねっ」
どさくさに紛れて何か要らぬことを吹聴しようとしたのだろうが、女剣士は冒険者達に追い立てられてそのまま森へと逃げ込んでしまった。
これで枯れ川に立っているものは二人。騎士ワイアットと、コボルドの食客ガイウス=ベルダラスである。後は、地面に転がる半死人達だけだ。
ガイウスは周囲を見回して状況を確認すると、改めてワイアットに向き合い。
眉を顰め、何か考えるような表情を見せた後。ゆっくりと構えた。
剣を突き出し、刃先を斜め上方へと向けた【突き受け構え】だ。片刃剣術では「最も安全」と評される、防御重視の姿勢である。
(【イグリスの黒薔薇】が、私に対して……構えた!)
十人の冒険者に囲まれても、表情一つ変えず無造作に立っていただけの男が。
あの地獄の五年戦争で英雄と呼ばれた人物が。自分に対して、己ただ一人だけに対して!
慎重と言われる構えをとったのである。
……涙が零れそうなほどの、感動。
それは、「汝は敵足りうる」という無言の賛辞に他ならなかった。
敵手から、それも自分が憧れた相手からの敬意ほど、男にとっての誉れがあるだろうか。
長い人生においても、そう容易くは見つかるまい。
だがワイアットは微かに頭を振ってその感情を押し込める。これよりは、剣戟の時なのだ。
彼は素早く息を吸い込むと、【屋根の構え】から斜めに斬りつける【憤激】を叩き込む。まるで鉄板のようなあの剣と膂力を相手に、守勢に回るのを避けたのである。
高い強度を持つミスリル合金の魔剣。そこに強化の術式を組み込んだ【ソードイーター】は持ちこたえても、ワイアットの肉体がどこまであの豪剣を受け続けられるかは分からない。
ワイアットの斬撃を同じく【憤激】で受け止めるガイウス。剣と剣がぶつかり、交差する。この鍔迫り合いに似た状態を、ロング・ソード剣術ではバインドと呼ぶ。
ガイウスは素早く刀身を巻き上げて、先端の両刃部分で突く。ワイアットは受け流してのカウンターを試みる。
だがガイウスはそこからフォセを傾けて切っ先での再攻撃に転じ、ワイアットはそれを防御するために相手の刃を押し下げることを強いられたのだ。
正面に隙を作られそうになった、その刹那。
(いかん!)
ワイアットは弾くようにバインドを解き、距離を取る。
(あんな肉切り包丁でロング・ソードの様な技を繰り出してくるとは!)
正直なところ先刻まで彼は、【イグリスの黒薔薇】の武功とはその恵まれた体躯によるものだと思っていた。
だが、刃を一度交えて理解したのである。
ガイウス=ベルダラスは、力まかせの剣士ではない。恐るべき剛力に、研ぎ澄まされた技量までをも備えた、まさに怪物なのだ、と。
◆
三十合近い打ち合いが繰り広げられ、なおも両者は対峙していた。
ワイアットの頬には鍔迫り合いでついた赤い線が一本走り、防具もあちこちが欠け、傷ついている。息も荒い。
一方でガイウスは、無傷のまま平静であった。
(五合打ち合う度に、一手遅れる)
太刀打ちは出来る。いや、かろうじて出来ているだけと言うべきか。
一歩、あと一歩が。どうしても届かないのである。
奥の手はある。あるが、それまでにあと何合打ち合えば良いのだろう。
(刃を合わせる度に腕ごと持っていかれそうな、あの豪剣相手に!)
その時まで持ち堪える確証すらも、ワイアットは持てなかった。
「……これほど、これほどの剣技を持ちながら!」
溢れ出すように、ワイアットの口から叫びが漏れ出た。
「あれほどの武勲を立てながら!あそこまでの地位を、身分を得ながら!」
ガイウスは「ん?」と小さく唸って、構えたままその言葉を聞いている。
「何故、それを捨てた!我等武人が目指すものを!剣に生きる者の栄光を!その上、全てを放り投げてこのような僻地、【大森林】で樵や農民の真似事だと!?しかも、再び剣をとったのは獣人を守るため!あまつさえ、罪人となってその身を差し出そうとすらした!コボルドごとき下等なモンスターのために!」
まさに怒声であった。
だがガイウスは首を傾げただけで、ぼそりとそれに答える。
「友に頼まれたのだ。当然であろう」
「友?友だと!?その友とは、まさか【犬】のことではあるまいな?」
「勿論コボルドだが……それがどうしたのだ」
ワイアットの顔が引き攣る。
「巫山戯るなッ!貴様は仮にも五年戦争で英雄とまで称された男だぞ!?貴様が望もうと望んでいなかろうと、英雄と呼ばれる者は、その生き方に責任があるのだ!後へ続く者達へ見せる背中についての責任がな!貴様がやっていることは!捨てた行為は!同じく高みを目指す者への侮辱、いや冒涜なんだぞ!栄誉と、富と、位と!それを手に入れるために、手を伸ばすために!足掻き、藻掻き、手を汚して来た者への!手を汚さざるを得なかった者への!否定であり!悪罵なのだ!許されるか!許せるものか!」
彼自信ですら、何を口走っているのか分からないのだ。
だが、支離滅裂なその言葉こそが。紛れもなく彼の心底から溢れる叫びなのであった。
鬼気迫る表情で睨みつけるワイアットに対し、ガイウスはただ、困ったように眉を顰めている。
「すまん。大変申し訳ないのだが、難しくて何を言っておるのか、よく分からぬ……だがな」
握り直され、ワイアットへ向けられる剣先。
「私は友から託されたのだ」
そして、そこに続けられた言葉が。
「……男子が一命をかけるのに、それ以上の理由が必要なのか?」
ワイアットの胸中を、劫火で焼き尽くしたのである。
「殺す!殺してやるぞッ!絶対に、絶対にだ!ガイウス=ベルダラス!」
「お断りしよう。ワイアット殿」
次の斬り合いで決着をつけるつもりなのだろう。
両者の間をそれまでで最も強い殺気が満たす。
張り詰めた空気の中、動いたのは。
ワイアットでもガイウスでもなく、傍らの森、そこの茂みであった。
息を切らして駆けてきた若いコボルドが突如として、顔を突き出すようにしながらガイウスへ向け叫んだのである。
『大変だガイウスさん!村が、村に奴等が向かってるんだよ!』
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