163:橋頭堡襲撃

163:橋頭堡襲撃


「まさか野営地が襲われるなんて……隊長、この戦いはこれからどうなるんでしょう?」


 夜は明けたが、木々の影でまだまだ暗いザカライア軍第二橋頭堡。

 疲労でうずくまる馬たちの背を撫でながら、農家の五男だという若い兵が隊長に問うた。

 二頭は先程まで【跳ね豚】らを乗せ懸命に走っていたものだ。乗り手自身は要件を簡潔に告げた後ここで馬を乗り換え、既に前線へと向かっている。


「どうなるも何も……伯爵様次第よ」


 左手に巻かれた包帯を眺めつつ、第二部隊隊長はぼやく。彼女と二十四名にまで損耗した第二部隊が、現在この陣地の守備についているのだ。

「引き上げるしかない」と本音を言わないのは、その発言が人伝に主君の耳へ入るのを警戒してのためであった。


「……臭うかしら」


 くんくん、と鼻を左手に近付けたその時である。


 ロウ……アア……イイ……


 幾つにも重なった【詠唱音】が、彼女らへ届いたのは。


「敵襲ーッ!」


 若き女隊長の対応は早く、兵の反応は機敏であった。

 魔素の嵐が防壁へ叩きつけられるころには、全隊員が既に戦闘態勢に移っている。


「方向を報告!」

「北からです!」


 丸太壁に突き刺さる【マジック・ミサイル】の音に首を竦めながら、古参の兵が報告を寄越す。


「応戦! 魔杖を持たぬ者は壁際で待機! 乗り越えさせるな!」


 元より夜襲に備え構築された陣地だ。全周の壁で外部からの射撃を防ぎ、周囲の木は切り倒して射界を確保してある。苦心して掘った溝も、安易な接近を許さない。

 第二橋頭堡は初期に作られたものだけあって、工兵が前進した後も守備隊の手で日々改修と拡大が進められている。当初は胸壁だった囲いは人の背を上回る高さに補強され、溝には杭も埋め込み済みだ。古典的だが、この兵数でも十分な防御力を期待できるだろう。薄闇は原住民の味方と言えど、近付けば陣地の明かりに照らされ標的と化す。

 事実コボルドらは先手を取ったものの取っただけに終わり、遠目にまばらな射撃を行ってくるだけではないか。


「よし。攻め落とされさえしなければ、こっちの勝ちよ。私たちの役目はあくまでここを維持することだからね」

「「「はいっ!」」」

「でも気をつけて、連中の小賢しさは前線で散々思い知らされて……」

「た、隊長ー!? 何か来ますーッ!」


 南側防壁、枯れ川向きに配されていた魔杖兵の叫び。

 反射的に振り返った隊長の視界に、枯れ川をのしのしと渡ってくるその「何か」が映った。


「……壁?」


 壁である。

 丸太を数本並べた、防盾(マントレット)と呼ぶには分厚く細長い壁が川向こうから迫ってくるのだ。

 それは守備兵らが盾としている防壁が、縦にそのまま寄せてくる錯覚を起こさせた。


「何をしている! 魔杖持ち! 撃て!」


 指揮官の叱咤で我に返り、急ぎ詠唱を始める兵たち。

 だが焦りの中で放たれた【マジック・ボルト】の半分は目標を外れ、残りは丸太を幾らか抉るに終わった。ほとんどの魔杖兵が北側で応戦中ということもあり、集中射撃の衝撃で押し止めるにも至らない。

 そして再攻撃の間を与えず【壁】は溝まで達すると、跳ね橋を下ろすかのように倒れ込んだのである。


 どしん。


 いや、これは攻城傾斜路(ランプ)だ。

 溝から防壁までを一息に繋いだその姿を見た時、守備兵らは理解したのである。

 傾斜路自体が運ばれてきたのだ、と。


「中に入れるな! 押し止めろ!」


 流石に隊長も正規軍一隊を纏める人物だ。即座に指示を飛ばしていた。動揺する隊員を現実へと引き戻し、自らも応戦すべく抜刀する。

 そして顔を進入路へ向き直した刹那に、彼女の肩口には鋼鉄が打ち込まれていた。


「ごっ……?」


 女隊長は痛みと熱さを認識もできぬまま、「ぐるん」と大きく持ち上げられる。

 次いで獣の唸りと共に地面へ激しく叩きつけられ。その衝撃で意識と自身の半身を、彼女は永久に失ったのであった。



 ガイウス=ベルダラスは加虐趣味など持ち合わせてはいない。

 だが彼は敵の士気を挫くことの重要性を、その身で知っている男でもあった。


「……ぐぉるぅ」


 フォセの【薪割り】で指揮官と思しき女騎士を両断したガイウスは、ぐるりと陣地内を見回す。

 四十八個の怯えた瞳が、彼を見つめていた。

 場はこの一振りだけで、猛獣に飲まれたのである。


『とーつげきー!』

『牙とともにー!』

『にわとりだいすきー!』

「ぜーっ、ぜーっ、コボルド王国の、ぜーっ、大臣ドワエモン見参! ぜーっ、ぜーっ」


 さらにわらわらと毛玉の戦士が乗り込んできたことで、守備兵たちは完全に戦意を喪失した。ほぼ悲鳴と形容すべき「脱出!」「逃げろ!」という声を上げながら、囲いを乗り越え壁外へと逃げ出していく。ある者はそのまま離脱に成功し、またある者は背を襲われ地に伏した。降伏の判断を下せた者は幸運だろう。

 ザカライア兵個々の白兵戦力は一般コボルド兵を大きく上回るが、壊走状態に陥ればどんな軍隊でもそんなことは関係ない。

 圧勝であった。


『釣られるなよ! 逃げてもらうのも、閣下の作戦の内だ』

『はう。ごめんなさい、班長』


 興奮し、追いかけようとする新兵。それをブラッディクロウが壁際で捕まえ、窘めていた。鶏が絡まなければ、しっかり者で有望な人材だ。


『イグリス王国の諺でも「賢い雄鶏は威嚇しても鶏舎を離れない」と言うそうだ。目の前のことに気を取られ、常に目的を見失わないよう、気をつけるように』

『はーい』


 そんな諺は無い。ブラッディクロウの妄想である。


「想像力が豊かな子だなぁ」


 ガイウスがそれを眺めつつ一人頷いていると、背中から彼の後頭部をベシベシと叩く手があった。


『おい木偶の坊。もう少し乗り手に配慮せい。茶がこぼれたわ』


 腕の主は、国王付きの霊話兵を務める長老。

 王国一のシャーマンが搭乗する装甲背嚢は、親方の手で従来より軽量化されつつも耐久力と居住性を増している。快適なのか慣れたのか、時々中からボリボリと間食の音がするほどだ。


「これは申し訳ございません、御老体」

『うむ。今日は機嫌が良いから特別に許してやる。有り難く思えよ』

「ははっ。ご寛容に感謝いたします」

「畜生、雑兵にすら全然追いつけなかった……」


 息を切らしてそこに割り込んだのは、ドワエモンだ。

 日課の教練以外にも継続されるエモンの自主鍛錬を知るガイウスは、「そのうちそのうち」と彼の頭を撫でた。少年は頬を膨らませ、その手を払い除ける。


「で、どうするオッサン」

「要所を破壊して即座の再利用を阻害しつつ、備蓄食糧は森に遺棄する」

「例の【ゴブリン火】でみんな焼き払えばいいんじゃねえの?」

「あれはそんなに量がないから、ほとんど野営地襲撃隊に渡してあるのだよ」

『それにありゃ、危ないわい』

「ほーん」


 自分で聞いておきながら、気のない声を返すドワエモン。


「ねえ団長。使用不能にするなら、エモンがここでブリブリとウンコすれば事足りるのではありませんこと?」


 新たな提案を申し出るのは、頭付きの熊毛皮を纏ったナスタナーラだ。

 施設破壊に振るうため斧も携えており、最早誰がどう見ても伯爵令嬢の立ち姿ではない。そもそも一般的な大貴族の子女は、ブリブリウンコなどという言葉を口にしない。


「うーん? それは、流石に……」

「ああでもよく考えたら、毒物の使用は南方協定に反しますわね、止めておきましょう」


 腕を組み、褐色少女はしみじみと呟く。

 直後に少年と掴み合いの喧嘩が勃発したのは、語るまでもないだろう。


 ガイウスは「はっはっは」と、その様子を楽しげに眺めている。



(やはりこの人は、前線で剣を振るわせれば抜群に強い)


 盤上を見つめたまま報告を受け取り、改めてそう実感するサーシャリア。

 コボルド王国軍は近接戦闘の回避が基本戦術であるし、今回の戦では敵味方ともに魔杖が主力となってはいるが……最終的に陣地を奪い敵を打ち砕くには、魔術射撃だけでなく白兵戦という決定打が必要なのである。ガイウス=ベルダラスという「駒」は、その役目を彼女の期待と予測以上に果たしていた。

 ガイウスを戦場に投入した五年戦争の指揮官たちは、さぞかし楽しかったのではないか。そんな邪推すら、浮かんだほどだ。


『他の陣地も攻略成功です!』

「あ、ええそうね。ありがとうラビ」


 地図上では先の陣地以外にも、第一、第三橋頭堡の占拠を示し石が動かされている。

 ガイウスに付けられた兵が最も少なく、その分は他隊の補強に回されていた。


「本当は第四、第五橋頭堡も叩きたかったけどね……」

『でも第四以降は間隔が短いですし、本隊のいる第六に近過ぎて危険ですから』

「戦力も足りないしね」

『でもこれで敵軍は森の中で孤立しました。後は敗走した兵が時間差で、敵本隊へ状況を報告してくれますよ』

「尾鰭をつけてね」


 育成中の副官を撫でつつ、赤毛の将軍が微笑む。

 寿命の違いを鑑みればホッピンラビットがサーシャリアの後継者となることはないが、コボルド族からそういう人材が育っていく事実が重要なのだ。


「……ガイウス様が『何事もなければ必ず人は油断する』と仰っていたけど、その通りよね。連中も最初は気を付けていたのに、ずっと前線以外は安全だったから錯覚していったのね。そもそも私たちは、いつでも彼らの陣地を衝けたのだから」


 だが時機を探らず半端に攻撃しても一戦の高揚を得られるだけで、すぐ再建か代替陣地が構築されたであろう。何より相手は、これまでのコボルド戦を分析した上で挑んできたのである。一度でも手を出せば、必ず対策を採ってくるのは疑いなかった。

 だからコボルド王国軍は敵の油断と疲労を待ち、この一手までじっと耐え続けていたのである。


「さて、敵が動き出す前に急いで兵を戻すわよ。ほとんど全軍、この攻撃に回しちゃってるからね。奥様方、各隊へ連絡お願いします」

『『『はーい』』』


 コボルド王国最強派閥の皆さんが、親指を立て頼もしくそれに応じていた。

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