164:そもそもの目的
164:そもそもの目的
物資集積所が焼かれた。
【跳ね豚】が告げたその知らせは前線の将兵に少なからぬ衝撃を与えたが、同時に奇妙な安堵感ももたらしていた。昨日後方から上ってきたばかりの第十部隊を除けば、大半の者はいつ終わるかも分からぬ森中の戦いに疲れを覚えていたのである。
だからこの時点では、兵たちはそれほど事態を深刻に捉えていなかった。「これで森の外へ帰る口実ができた」と楽観的に受け止める者もいたほどに。
しかし、そこに間を置いて叩きつけられた第二、第三橋頭堡……連絡は無いがおそらく第一も……失陥の報がその認識を改めさせた。外への連絡と退路を断たれた自覚が、その瞬間に「帰れる」という期待を「帰れなくなる」という恐れに塗り替えたのだ。
侵攻部隊二百三名と第四、五、六橋頭堡の守備兵七十二名という数字は、現実には未だそれだけでコボルド王国軍を倍して上回る。上回るが、彼らは数的優位を有したまま孤立し、森の中に取り残された。
いや。【大森林】という緑の牢獄が、疲弊した兵らにそう思い込ませたのである。
「糧秣が焼かれた? 後方との連絡が分断された? だから何だというのか! 今日この一日で決着をつければ良いだけのこと! 目的地はもう目と鼻の先、こちらの侵攻部隊は二百名以上おる! 食物は犬の村から取り返せばい良い! 何なら、犬肉を当てにしてもよかろうよ」
未だ諦めぬ総司令官は【跳ね豚】の反対を退け、軍議にて全面攻勢を命じそう嘯いたが……こんな状態で兵が十分な実力を発揮できるはずもない。
ザカライアは物資の確保や敵の分析で準備段階において自身が決して無能ではないことを示し続けてきたものの、兵を数字でしか見られないことがこの局面で露呈した。
加えて彼は錯覚していたのである。「多重防御線は全て同じ厚さで用意されている」のだと。だから、同じ攻撃で突破できるのだと。コボルド側は、そんな思い込みに付き合う必要などないのに。
……五枚ほど防御線を抜いた侵攻部隊が遭遇したのは、今までになく重厚な防御線であった。
丸太壁の高さをかさ増ししつつ歩兵の足を止める杭付き壕、樹上を足場に流用した櫓。壁からの射線を確保するため要所を間引きされた木々。濃密に張り巡らされた罠の気配、茨の条網。時間稼ぎとは違い、受け止め、跳ね返すための防塞だ。
こうなると一見枯れ川部分が弱点にも思えるが、開けた川底に身を晒せば周囲から集中射撃の的となるのは疑い無いだろう。
無論、一つ一つ障害を潰していけば、侵攻部隊の戦力で破れぬものではない。擱座して以降再製作していない戦争馬車を用意したなら、突破の切っ掛けを作れるかもしれぬ。
だがそれは時間に余裕がある場合の話であり、そしてその時間がザカライアには残されていなかった。そもそも、この防御線が最後の一枚とは限らないのだ。
兵糧が失われていなければ余裕をもって対策を講じ対応できたであろうその緑の要塞に、侵攻部隊は準備も士気も無いままぶつけられ、そして当然の如く押し返される。
その内に、太陽は頂を大きく越え。
このまま攻撃を続けても、日没までに全防御線を抜くのは不可能であろう……と誰もが思わざるを得なくなった。
だがザカライアは未だ諦めておらず。
戦力の大半を防御線に当てて囮としつつ、自らが四十名余名の別働隊を率いて後背に回り込む……という賭けに出たのである。
◆
罠を警戒しながら、木々の間を別働隊が進んでいく。
不慣れな【大森林】の中を突発で強行行軍……しかも迂回して進む、という極めて危険な行動だ。
「止めましょうよ、ザカライア殿」
「別に【跳ね豚】は付いて来ずとも良い。そもそも吾が輩は、前線に来いと言った覚えは無いぞ」
眉を顰めつつ咎めるピックルズを、ザカライアは振り向きもせずにあしらう。
「そんなことより、森は連中の庭でしょ? その中を突出して進むなんざ、無茶です」
「言われずとも分かっておる」
ザカライアは事前情報の分析から、コボルド相手に森深くで戦う不利を承知していた。だからこそ彼は枯れ川を進路とすることに固執してきたのだ。そしてそれは一定の効果を出しており、今までの侵攻者と同様に攪乱、分断され各個撃破を受ける轍を踏まずに済ませてきたのである。
ピックルズとて内心は、その方針に一定の評価と同意を示していた。それなのに今度は、ザカライア自らその考えを捨てるのだという。
「何もご自分で別働隊を率いなくとも、宜しいでしょう。他の隊長にやらせりゃいいじゃないですか」
「駄目だ。それでは目的を達する機会を失う。【アレ】は吾が輩の言うことしか聞かぬ。そういう風に、調整されているからな」
「そりゃあ……あれは強力なモンかも知れませんがね。でも本隊から離れた今を狙われたら、ザカライア殿の身が危ない」
「良いでは無いか、是非狙って貰いたい」
「は?」
「ついでに言うなら、別に吾が輩らは後背へ回り込めずとも良いのだ」
「はー?」
二度目の頓狂な声。
「じゃあ、何しに来たんですか」
「敵の打撃戦力を誘うためだ」
ようやく半分だけ顔を向けたグリンウォリック伯が、歯を見せる。
「忘れたのか【跳ね豚】殿。吾が輩の目的は犬の村を焼くことではない。あの男の首だぞ?」
「ああ……そうでした。そうでしたね」
コボルド側からすれば、別働隊が防御線の後背だけでなく村を直撃する恐れのある以上、この動きを無視はできまい。さらには進行経路が確定しないのだから待ち伏せするのは難しく、確実に止めるには強襲にてこれを食い止めることとなるだろう。そしてコボルドの有する最大の打撃力は、ガイウス=ベルダラスに他ならないのだ。
ガイウスを魔杖兵として防御線で戦わせてもコボルド一兵士と大差はないが、白兵戦力としては比較にならない。この別働隊を襲う敵戦力にガイウスが配されるという予測は、それなりの根拠を備えていた。
「罠や壁を盾に逃げ続けられ、村に辿り着くまでそれも叶わぬだろうと思っていたが……奴から近付いてくれるなら、手間が省けるというものだ」
「ご自身を囮になさるなんて」
「吾が輩は臆病者ではない。死など恐れぬ」
単なる馬鹿か臆病者の貴族であれば、これほど面倒はなかったものを……と【跳ね豚】は心中で毒づく。ザカライアの父親から息子を無事で帰すよう依頼されている彼としては、厄介なことこの上ない。
「流石は……グリンウォリックの……大殿……相応しき豪胆さに……ございます」
その時だ。
ぬるり、と湿った声が【跳ね豚】越しにかけられたのは。
「うむ、アッシュ」
「またアンタか」
「そのための……六羽に……ございます」
長髪の美青年が手にする縄の先には、フードで全身と顔を隠した大柄な人物が六人連なっていた。布の盛り上がりも尋常の体型ではなく、その姿勢と相まって異様な雰囲気を漂わせている。
「まったくザカライア殿も、嘘ついてまでこんなモン持ち込んで」
「伯爵様への誹謗は……許しませんぞ……軍事顧問殿。ケイリー様への……報告書……『傭兵六名』は……決して……偽りではありません」
「物は言い様って知ってるか? 顔の良い兄ちゃん」
「軍事顧問殿に……比べれば……ほとんどの男は……顔が良い……でしょうな」
ピックルズが腰の剣を抜く。
「止めぬか【跳ね豚】殿」
「……ほう……?」
ザカライアが窘め、アッシュが愉しげに唇を歪めた瞬間である。彼らの頭上を小鳥の群れが、鳴きながら逃げるように飛び越えていったのは。
抜刀の理由を察した一団が、ピックルズの視線の先を向く。
「……クソ、残念ながらザカライア殿の読みドンピシャですな。昼行灯のおでましですよ」
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