165:天使兵

165:天使兵


『『『牙と共に!』』』

「オホホホ遅いですわー! 遅いですわよエモン!」

「うるせー! うるせーブッス!」


 喊声を上げ、親衛隊を中心としたコボルド王国軍約五十名が木々の間を縫い殺到する。

 ザカライア側も照準が困難と悟ると魔杖は一射のみで諦め抜刀し、迅速にこれへ対応した。彼らは農民に魔杖を持たせた即席兵士ではない。訓練を積み、剣の研鑽も重ねた職業戦士なのである。


「白兵戦用意ーッ!」

「「「おおーッ!」」」


 両陣営はがしりと組み合うように衝突し、解け、混ざり、場はたちまちに乱戦と化す。

 親衛隊員は連携して職業戦士に対抗し、ブルーゲイルは奇声を上げながら剣を振るい、ダークは数人を相手に立ち回り、エモンは敵に取り囲まれ袋叩きに遭っている。一見すれば、拮抗状態にも見えた。

 だがそんな中でも、周囲を圧倒し切り崩していく一角がある。

 ガイウス=ベルダラスだ。


 コボルド王は熟練の五人に攻められつつも、その斬撃を受け、躱し。逆に一振り毎に敵の手足や頭部を切り飛ばす。この場の首はあの刃に刈り取られるために生えているのではないか……そう思わせる剛勇であった。自然、凶人を囲む輪も徐々に広がっていく。

 なれど、そこに自ら注意を引きに行く者がいた。


「ガァイウス!」


 目を爛々と輝かせ叫ぶ、ザカライア=ベルギロスだ。

 背後には、ローブで姿を隠した異形の集団を従えている。


「……従兄弟殿か!」


 グリンウォリック伯爵自らが別働隊を率いているとは流石に思わなかったのだろう。やや驚きを含んだ声を、コボルド王が漏らす。


「久しいな、従兄弟殿。このような形で相見えるのは不本……」

「やぁぁぁぁっと姿を現したな! 吾が永遠の好敵手ガイウス! 待ちかねたぞ待ちかねたぞ待ちかねたぞォ!」


 ガイウスの言葉を遮り、飛沫を散らしながら捲し立てるザカライア。


「何故、このように無益な戦……」

「憎いか! この吾が輩が憎いのだろう! 分かっているぞ! お前のことは何でも分かっている! 家督を奪われたと、逆恨みしているのだろう!?」

「病床の叔父上も心……」

「だがな! グリンウォリックを今まで治めてきたのは吾が輩と父よ! 吾が輩こそがベルギロス家の正当なる当主! だ・ん・じ・て! 断じて貴様などではない!」

「……ザカライア君」

「ザカライアきゅんとか言うなァ!」


 会話が成り立たない。

 多数の切っ先を向けられても動じなかったガイウスが、たじろいだ様子を見せる。


「たかだか人斬りが得意な程度で、本家筋のベルダラス姓を賜ったのも許せん! 貴様のその思い上がり、吾が輩が叩き潰してくれるわ!」


 合図に応じ、彼の背後に控えていた集団のローブが護衛兵の手で外された。

 しゅるりという衣ずれの音と共に、厚布の下から六人の異形戦士が姿を現した。内一体の顔には、真新しい火傷跡を隠すように包帯が巻かれている。


「見ろォォ!」


 恵まれた体躯、虚ろな瞳、人形の如く整った顔立ち……だがそれだけならまだ、選別されたヒューマン女性兵士に過ぎない。やる気無く手に握られた巨大なメイスも、まだ尋常の範疇だ。

 彼女らを異形たらしめているのは、その背に生える鳥の如き白い翼であった。


「……これは」

「そうだ! 無知な貴様でもその名を聞いたことはあるだろう! 吾が輩が手を尽くして聖人教団から手に入れた【天使】よ!」


【天使】とは、遺構から希に発掘される古代生物だ。

 太古に世界を均した天使と悪魔の大戦争という伝説を現実に繋げる名残でもあり、その姿をもってヒューマンこそが創造神の正当眷属であると聖人教が主張する論拠でもあった。

 一般的には得体の知れぬ怪物だが……イグリス王国の東に隣する聖人教団は、その教義故これらを熱心に集めているのだという。


「実物を見るのは、初めてだ」

「どうだガイウス! 驚いたか! 美しいだろう! 強そうだろう! 貴様ではとてもとても手に入れられんだろう!? 凄いだろう!? 昔のように、凄いと言ってみろ!」

「ぬ、ぬう」


 困ったように眉を顰めるガイウス。


「何だその目は! 生意気だぞ!」


 爪を立て握りしめられる拳。


「ようし! 天使兵! あの馬鹿を殺せ!」

「「「ハイ」」」


 ずごん。


 半数ほどの天使が返答し、先程彼女らからローブを剥ぎ取ったグリンウォリック兵へ一斉にメイスで殴りつける。

 両陣営の戦士が剣戟を忘れ目を剥く中。哀れな兵卒は鉄塊に肉体を潰され、抉られ、引き千切られた。正面から頭部へ叩き付けられた一撃は頭骨を熟果の如く変形させ、顎部も胴半ばまで陥没させるほどだ。戦慄すべき膂力であった。


「ヴぁー、馬鹿者ォォ! それは味方だー!」

「「「ハイ?」」」


 今度は、六羽が一斉に首を傾げる。


「お、お前たちの目標は、あそこに立つ身の丈七尺の男と、二本足の犬どもだ! 間違えるんじゃない!」

「「「ハイ」」」


 互いに顔を見合わせ、頷く天使たち。

 だが刹那。弧を描いた鉄塊が、高速でうち一体に打ち込まれる。


 がきん!


「ん?」


 再び小さく驚くガイウス。彼の大鉈は太く重い鉄棍棒によって受け止められていた。

 だが、コボルド王が声を発したのは天使兵の反射速度と怪力にではない。それは先の行動を見て、織り込み済みだ。

 問題は、防御されつつも天使の側頭から鼻まで食い込んだ刃が、致命の一撃足り得なかったことである。


「ぬう」


 ぶおん、と無造作だが猛烈な勢いをもって振るわれたメイスを、飛び退くように躱すガイウス。受けてはならぬと察したのだろう。


「わははははは! どうだガイウス! 凄いだろォォウ!」

「むう」

「むうじゃない! 早く凄いと言えーッ! 貴様も今見ただろう! これぞ不死の戦士、神の遺したる奇跡よ! 弱点などないッ!」


 その叫びを切っ掛けにするように、天使たちがコボルド兵へ襲いかかる。

 だがやはり命令を理解できていなかったのだろう。彼女らはついでに味方であるグリンウォリック兵へも攻撃を始めたため、辺りは混戦から三つ巴の混乱状態へと陥ってしまった。


「よせ、よせ俺は味方ウボアー」

「いやー! おやっさんー! おやっさんー! 何処行っちゃったんですかー!?」

「ち、散らばれ! 天使兵の注意を引くぞ!」


 叫喚の場。なれどそこに、勇ましく上がる声がある。


「いいやっ! 弱点ならあるねっ! このドワエモン様が知ってるぜ!」


 跳ねるように向きを変えるザカライア。


「そこな不細工小僧ッ! 貴様如きが何を知っていると言うのだ!」

「ガハハハハ! ドワーフ族は天使の駆除も仕事だからな! 俺も軍人の姉貴から教えてもらったことがあるのさ!」


 親指で自らを力強く指し、得意げに少年は笑う。


「天使はな、首を斬り落として頭と心臓を潰せば死ぬ!」

「アホンダラですわー! ボケナスですわー! それで死なない生き物の方がどうかしてますのよー!」

『自信満々に言っておいてそれかよー!』

『がっかりです!』

『俺も俺も』


 ナスタナーラの多連装マジック・ミサイルにすら怯まぬ古代生物に追いかけ回されながら、コボルド王国軍が少年大臣に猛非難を浴びせている。


「あ、あれ? 何で俺、責められてるの?」

「馬鹿だからですわっ! お馬鹿極まりないからですわ! きゃー危なっ」


 天使の攻撃から全力疾走で逃げていくナスタナーラ。彼女だけではなく、敵味方が怪物の圧力を受けて散り散りになっていた。


「……いやエモン。君は良いことを教えてくれた」


 そう言ったのはガイウスだ。

 彼の足元には首と右腕を失い背から心臓を突かれた天使兵が倒れており、そのすぐ脇には割られた頭部も転がっている。


「斬れば死ぬ。大事なことだな」

「だ、だろー? オッサン!」

「ばばば馬鹿なー!? 吾が輩がこれを聖人教団より提供を受けるために、どれほどの金を費やしたと思っている! それが、それがこんなっ!?」


 額を掌で押さえながら、ザカライアが叫ぶ。ガイウスは少し考え込む顔を見せた後、従兄弟へ説明を始めた。


「確かに反応と力、そして生命力は尋常ではないが……だがそれだけ、それだけだ」

「な、なんだと」

「武術の心得が無いのだろう。少し陽動を織り交ぜただけで、すぐに防御が追いつかなくなっていた。攻撃も大振りかつ単純で、躱すのは容易い。斬っても止まらぬが、斬り落としてしまえば問題はないようだ」


 コボルド王はそう語りながら新たな天使を迎撃し、たちまち両腕を切断してこれを無力化した。加えての、とどめ。


「で、ではガイウス……これは、これは凄くないというのか、貴様」

「……あまり」

「なんだ……と」


 よろめくザカライアを、鉛髪の従者が支える。


「では従兄弟殿、そろそろ終わりにしよう」


 ガイウスが剣を握り直し一歩進んだ刹那だ。

 頭上の葉を揺らし、肉塊が落下してきたのは。



【跳ね豚】は、この好機を待っていた。

 それ故に気配を消し、大事な部下を放ってまで樹上に身を潜めていたのである。

 だが直上という死角から落果のようにガイウス=ベルダラスの頭部目掛け繰り出された下突きは、金属音と衝撃を併せてピックルズの肥満体ごと弾き返されてしまった。


「クソッタレ!」


 悪態をつきつつ、くるり、と回転して着地する【跳ね豚】。

 でっぷりとした脂肪だらけの肉体からは想像できぬ、曲芸師の如き身軽で機敏な動作だ。


「おお、やはり【跳ね豚】殿であったか。久しいな」

「嬉しそうに言うんじゃねえよ、この昼行灯が!」


 ガイウス基準の笑顔とともに繰り出された横一閃を、身を捻って避ける豚子爵。


「テメー! 今殺す気満々で振っただろ!」

「何を言うか。【跳ね豚】殿相手に手加減をすれば、死ぬのは私だ。それに貴殿とて、こちらを討つ気だっただろう」


 ガイウスが【寄り】という下段構えから、横殴りにピックルズの頭部へ打ち込みを加える。大振りだがその分、力の乗った一撃だ。防御ごと押し潰し頭部を直撃するこの技を、ロング・ソード剣術では【車輪切り】と呼ぶ。

 対するピックルズは受けず、後ろへ大きく飛び退き……そしてなんと木の幹を蹴り再跳躍したのだった。


「ヒョォォウ!」


 しかも一度ではなく何本もの木々を中継し、瞬く間にコボルド王の背後に回り込むと、最後の一跳びで強力な刺突を繰り出したのだ。


 ……これこそピックルズが【跳ね豚】と呼ばれる所以。

 彼固有の魔法で短時間荷重移動を巧みに制御し、熟達の軽業師も目をみはるような曲芸運動を可能とする。

 ピックルズはこの戦技で戦時中、走る馬から馬へと飛び移り、幾多の敵騎士を仕留めてきたのであった。固有魔法無しでも彼の剣技自体が相当のものであり、一騎討ちでこの豚子爵に勝てる者は、南方諸国を探しても決して多くはないだろう。


「オラ死んどけや昼行灯ーッ!」


 しかしガイウスは視界に入れぬまま体を捻り、それをフォセで横殴りに打ち落とす。

 急ぎ剣でそれを防御した【跳ね豚】は大きく振り飛ばされ。地面をごろごろと転がって衝撃を緩和した後、素早く起き上がり体勢を立て直した。


「ウッソだろ……これを防ぐとか……いや、やっぱりってとこか。クソ、テメー背中に目でもついてやがんのかよ」

「貴殿こそ相変わらず身軽で、羨ましい限りだ」

「ぬかせこのハゲ!」

「え!? それは、その、そちらだろう……私はまだその……割と残っている……はず」


 言葉を交わしながら、互いに隙を伺う。

 その様子を見て、戦士団長の大事な部下が木の陰から拳を振り上げて激励を飛ばしていた。


「おやっさん強かったんですね! ただのデブだと思ってました! この調子でベルダラス卿もやっつけて下さいよ!」

「うるせえ! 黙って隠れてろ!」

「おや? 君はいつぞや王城の門で会った学生ではないか」

「ぎゃー! ベルダラス卿に覚えられてたー! いやー死ぬー!」


 ガイウスは幾らか傷ついた表情を浮かべた後、小さく頭を振りピックルズに向き直る。

 それに睨みで返す【跳ね豚】だが、こちらは呼気が熱を帯び始めていた。先程大鉈を剣で強引に受け止めた手も、どうやら痛めているらしい。


 長期戦の不利を悟ったピックルズが、舌打ちしてから僅かに右を向く。


「おい顔の良い兄ちゃん! ザカライア殿を連れて逃げるか、じゃなきゃ手を貸せ! お前、本当は相当遣えるんだろ!?」


 問われたのは、ザカライアを支えているアッシュだ。

 彼は「……ほう」と感心したように短く呟いたが。すぐいつもの表情に戻すと、【跳ね豚】の要請に答えを返した。


「……断る」

「う、うむ! そうだ! 馬鹿を言うな! アッシュをガイウスごとき野蛮な輩と戦わせるなど、吾が輩が許さんぞ!」


 アッシュの手に掌を重ねながら、ザカライアが【跳ね豚】へ抗議する。


「じゃあこのままここで、皆揃って鉈の錆にでもなるんですかい!?」

「アッシュを戦わせるくらいなら、吾が輩が戦う!」

「ちょ、ちょっと勘弁して下さいよ、アンタに死なれると困るんですって!」

「黙れ! 吾が輩は死など恐れん!」

「この馬鹿ボンめ!」

「何だと!?」

「……大丈夫でございます……閣下」


 口論を止めたのは、意外にも長髪の美青年であった。


「……私が……ピックルズ卿への……加勢を……お断りしたのは……必要が……無いからです」


 湿り気を帯びた声で、彼はザカライアの耳元へ吹きかけるように語る。


「どういうことだ、アッシュ」

「……助太刀が……ようやく……到着したからで……ございますよ」


 直後に届く、激しく地を蹴る音。

 気配を感じ構え直すコボルド王とザカライアの間を塞ぐように、木々の間を猛速度で駆け抜けてきたそれが飛び込んできたのだ。

 音を立て地面を削りつつ、銅の馬体が急停止する。


「アハハハ! 遅くなってごめんね! 寝坊しちゃってさあ!」

「……まったくだ……トムキャット」

「いや本当ごめんね、起きられなくてさ。でも間に合ってよかったよ!」


 場違いに明るいその笑顔を見せたのは、銅のゴーレム馬を駆る金髪の美丈夫であった。

 彼はひらりとそこから飛び降りると、ザカライアに歩み寄ってその手を取る。


「き、貴公……まさかこの森の中を早駆けしてきたのか!?」

「うん! 君を助けに慌ててやって来たのさ!」


 唖然とするザカライア。

 彼も馬上槍試合で名を馳せた男だ。馬術への理解があるだけに、見知らぬ森を全力走行してきたという異常に驚愕したのである。


「さあザカライア君。君はあと一言言うだけでいい、『手を貸せ、トムキャット』とね」


 ぎゅっ、と雄猫が親しげに手を握った。


「それだけで君は助かり、敵も倒せ……そして僕の、筋が通るんだよ」

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