166:雄猫の助太刀
166:雄猫の助太刀
「だが貴公は、ケイリー殿から案内人として派遣していただいたのだ。それを……」
「ケイリーちゃんだって君に死なれるとすっごく困るからね。それは分かるだろう? むしろここまで来て何もしなかったら、僕が後で怒られちゃうよ、アハハ」
ザカライアの言葉に、トムキャットが笑いながら返す。
「それは……」
普段の彼であれば、頑として撥ね除けたことだろう。
だが精神の動揺と、金髪猫の【魅了】がそれを困難にしていた。
「しかし他者の手を借りては、吾が輩の力をガイウスと世に示すことが……」
「……ザカライア様」
ぬるり、と顔を寄せたのは鉛髪の従者だ。
「アッシュ?」
「先代様に逆らい……大金を投じ……兵を動かし……ここまで手を尽くしたのは……森に惨めな屍を晒し……ただ一人……ガイウス=ベルダラスに名を……成さしめるためで……ございますか?」
「馬鹿な!」
「ザカライア様は……ベルダラスの引き立て役として……その生涯を終える……おつもりでしょうか?」
「断じてそんなことはない!」
アッシュだけでなく自らへも言い聞かせるが如く、叫ぶザカライア。
そんなグリンウォリック伯の耳に唇を這わせるように、従者は妖しく囁き続ける。
「それに……ご安心下さい……あの者は……私めが……もしもの時に備え……呼んでおいた……のです」
「それはまことか、アッシュ」
「私がザカライア様に……偽りなど……申しましょうか」
さらり、とザカライアの顎を撫でるアッシュ。
「そうそう! これは君の従者の手配。引いては君の差配なのさ。だからここで君が僕の助太刀を受けるのは、ちゃーんと筋が通っている。だから、何も恥じることは無いんだよ」
そこに添えられた雄猫の言葉が決め手であった。
まるで石壁の亀裂に雨水が流れ込む如く。【魅了】の呪いが、追い詰められたザカライア=ベルギロスの精神に侵食し始める。
「……て」
「うんうん」
「……手を借りよう。ルクス=グランツ」
「何だい、知っていたのか。つまらないなあ。まあいいさ」
ばん! と助太刀相手の肩を叩いたトムキャットは、用済みとばかりに相手を小さく押し退ける。
そして息を吸い込み「うん!」と満足げに頷くと。銅のゴーレム馬に括り付けられた武具を取り外し、ガイウスへと向き直った。
しゅるり。
包まれた布の下から現れたのは……丸められた切っ先、そして七色の光沢を見せる幅広い刃。処刑剣(エグゼキューショナー・ソード)と呼ばれる、文字通り刑場で首を斬るための大剣だ。
特に貴人へ用いる種は刀身まで優美な装飾や彫刻が施されるのが一般的であり、これもその類であることは間違いないのだが……この刃は、そういった巧緻を踏みにじるが如くびっしりと赤い文様で上書きされていた。
本来、辿れば間違いなく魔剣名鑑に記される業物なのだろう。しかしどうも、持ち主がこれに求めたのは魔か呪の刻印を描き込む広い画布(キャンバス)としての役目だったらしい。
「さて」
優美で厳かで禍々しく、そして雑なその一振りを手に。雄猫はコボルド王へ向け「アハハ」と笑いかける。
「いやあ、待たせたね【人食いガイウス】! これでようやく、ここからは僕の戦争さ」
◆
「待っていた訳ではないが」
上段、【屋根の構え】にて答えるガイウス。
先制しなかったのは、先の位置関係ではザカライアを巻き込む恐れがあったからだ。
コボルド王国が人界との共存を望む以上、あくまでグリンウォリック伯には生きたまま敗退して貰わねばならぬ。
「そうかい? 僕は何百年も待った気がするよ」
トムキャットが剣を背中に担ぐような姿勢をとった。【憤怒の構え】である。
「再会した時より、こうなる気はしていた」
「アハハ、率直に嬉しいね」
「私は貴殿の兄弟を五人も斬っている。その恨みは我が臣民ではなく、この身で受けるのが務めであろう」
雄猫は目を点にし、「んんん?」と唸った。
「君も【跳ね豚】君みたいにそんな勘違いをしているのかい、嫌だなあ」
「家族の復讐ではないのか」
「違う違う、あんなのはどうでもいい。死んだ兄弟とはあまり仲良くなかったしね。グランツっていうはそういう家なんだ……ああ長兄はあるいは、少し優しかったのかもしれないな。あの一族にしては」
遠くを眺めるように、トムキャットがふと視線を外す。だがその直後にがきん! と響く金属音。
横薙ぎの一閃だ。刹那に雄猫は距離を詰め、斬撃を加えていたのである。
速すぎる一撃。二人の対峙を見る者の大半は、いつ雄猫が踏み込み、攻勢に転じたのかすら分からなかったほどに。
そしてそれ以上に周囲を驚かせたのは、処刑剣を打ち落とすガイウスの大鉈が押し負け、弾かれていたことであった。彼自身は身を捩り、相手の刃を辛うじて回避している。
あり得ぬ事に、あの美丈夫の膂力はコボルド王の巨躯を上回るというのだ。
「ほーう。流石だな【人食いガイウス】。初見の一撃は入ると思ってたけど、あそこから上手く躱すもんだ」
「そちらこそ、このような力を隠していたとはな。手が痺れる。この一撃、私が若い頃でも受けられなかっただろう」
「君で発散するために、随分と溜め込んできたからね」
片瞬きしつつ、そこからまた連撃を加えるトムキャット。近付いて水平薙ぎ、踏み込んで横斬り、次いで逆側からのもう一薙ぎ。防御するフォセとの衝突音に合わせ、煌めきと金属片が宙を舞う。
櫂船甲板撃(ギャリー・ギャングウェイ)という、手漕ぎ軍船のように左右回避の利かぬ狭い通路で用いる技の一種だ。ただこの場合は場所ではなく、尋常ならざる踏み込みと刃の速度が、ガイウスの体術をもってしても回避を困難にしている。
瞬く間に打ち合われる九合。両者は、再び距離を空けて向かい合う。
「アハハハハ! 凄いな! 凄いぞ【人食いガイウス】!」
「これ程の力があるのなら。わざわざこのような場を選ばずとも、あの夜私を斬れば良かったのではないか」
息を整えながらガイウスが問う。その右頬を、傷に沿って汗が流れ落ちた。
彼を知る者なら、それだけで相手がただならぬ剣士であることを理解するだろう。
「それじゃ駄目だ。駄目なんだよ」
「どういうことだ」
「あの日にも言っただろう? 筋が通らないんだ」
「筋、か」
「そう、筋さ。大事なことだよ。筋を通さず君を殺しても、何の意味も無い」
再び遠い目を見せ、直後に斬りかかる雄猫。金属音と火花が撒き散らされ、その速度や激しさが周囲の目と心を奪う。
「あの子は僕の戦争で死んだ。だから【人食いガイウス】を殺すのは、僕の戦場でなきゃいけない」
三度見せる眼差し。
「そして僕はここで君の肉を食らうんだ。ムシャムシャってね」
目の焦点を現実に戻しつつ、雄猫は笑みを浮かべた。
ガイウスは柄を握り直し、無言でそれに応える。
「……なあ【人食いガイウス】。あの子の肉は、美味かったか?」
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