76:コボルド王国軍出撃す

76:コボルド王国軍出撃す


「これを背負うのかい」


 指揮所でガイウスが主婦連合から手渡されたのは、蟲熊の毛皮で作った背嚢であった。

 彼の言に応じ、奥様方が自信満々に頷く。どうやら秀作らしい。


「ええ。中には先日の戦いで冒険者から剥ぎ取った防具を入れてあります。蟲熊の毛皮自体の強靭さと合わせて、中身をそれなりに守ってくれるでしょう」


 サーシャリアの説明通り。ガイウスが背嚢を覗くと、その中には胸当てを加工したものがすっぽりと収まり、かつ動かぬように縫い付けられていた。

 軽量化のために背負われる側の装甲は取り払われているが、内部にはそれなりの空間が確保されるように調整が施されている。


「なるほど、この中にコボルドが乗り込むのだな」

「剣戟の最中ガイウス様と一緒に動き回るのは無理ですから。でもこれなら、はぐれること無く霊話兵を随伴出来ます。重量が増えるのは御容赦下さい」

「なんのなんの。私もこの方がありがたいよ。それで、一緒に来てくれるのは誰かな」

『ぼぼ僕ででです!!』


 震える手を上げて進み出てきたのは、あどけなさの残る年若いコボルドだ。


「おお、ブラウンタートルかい。宜しく頼むよ」

『はははいっ!よよよろしくおねががが、ガイウスささ、じゃなくておうさも!』


 返事を噛みに噛み、更には【王様】まで言い間違えている。

 緊張のあまり平静でいられないのが、誰の目から見ても明らかであった。


「そんなに固くならなくてもいいぞ」

『だだだいじょぶぶでっす!』


 どう見ても、大丈夫ではない。

 一抹の不安を感じたサーシャリアが、人差し指の中節を唇で噛み考え込んでいると。


『大丈夫なものか』


 しゃがれた声の主が、一同の注意を集めた。

 垂れた耳、艶の悪い毛並み。杖を突き、曲がった腰を叩きながら歩み寄るのは、一人の老いたコボルドである。


『ブラウンタートル、代われ。ワシが乗ろう』

『ちょ、ちょうろう!?』

「おじいさん!」

「おや、御老体」

『おじーちゃん!?』


 驚きの声が次々と上がる。最後の頓狂な声は、ホッピンラビットによるものだ。


『もんもん問題なないです。ごご心配ななく』

『そうよ、おじーちゃん。そういうの、年寄りの冷や水っていうのよ?』

『やかましいわ! まったく……のう、ブラウンタートルよ、お前の仕事はその鞄に入ってこの木偶の坊に背負われるだけではない。暴れ回るこいつの背中で振り回されながら、精神を集中させて霊話のやりとりをし、整理して伝えねばならんのじゃ。今のお前にそれが出来るのか?』


 垂れた毛の隙間から、濁った目がじろりと睨めつける。


『え、う、それは、多分』

『お前にはまだ早い。じゃが、ワシなら出来る。何せ村……いや、王国ではワシより精霊魔法に長けておる奴はおらんからな。自然、霊話もワシが一番慣れておる。のう、そうじゃろう』


 老人の言を、皆は否定出来ない。

 ブラウンタートルもやはり内心では不安を抱えているのだろう。小さく唸ったまま、黙ってしまった。


『まあ、あれじゃ。小僧、老い先短い老人に見せ場を用意するのも、嬢ちゃんが言っていた……ロージンフクシの一環じゃよ。今回は、譲れ』


 長老が片瞬きをすると、若いコボルドはゆっくりと頷いてその役目を老人へ引き継ぐ。


『という訳じゃ。それにはワシが入る。いいな、王よ』

「王国一のシャーマンがご同行下さるのです。心強く思いますよ」


 二人は数秒間互いの顔を見合った後、軽く歯を見せる。


『嬢ちゃんも、構わんかな?』

「困りますけど、どうもそのほうが良さそうですね。ブラウンタートル、こっちへ来て。新しい持ち場を割り当てるわ」

『は、はい!』


 どことなくほっとしたような顔のブラウンタートルが、サーシャリアの言葉に従い歩いて行く。

 それを見た主婦達や他のコボルド達も、各々の役目へと戻っていくのであった。

 後は各々が、それぞれの持場で最善を尽くすだけだ。


 こうして兵士達は最後の休息と準備を終え。

 冒険者達を迎え撃つべく、村を離れていった。


 コボルド王国軍、最初の出撃である。



 敢えて森の中に入り、持ち込んだ多量の盾板で密度の濃い円陣を組み。矢に対する防御を整えた上で伏兵を交代で置く。休憩も半分ごとに取り即応に備える。

 それが、前回弓攻撃を受けた冒険者側の野営方法であった。

 コボルドの矢程度では板を貫通出来ないし、火矢は向こうにとっても諸刃と言えるだろう。

 その見込みは正しく、実際防御面としては何も問題は無かった。むしろ逆に、仕掛けてくれば誘い込んで迎撃することが出来たはずだ。

 だが冒険者側にとって誤算だったのは、コボルド側は夜通し嫌がらせをしにきただけ、という点であろうか。


 攻撃は無くとも、休んだままではいられない。

 明け方まで心身の消耗を強いられ続けた冒険者達は、重い足を動かしながら枯れ川を進んでいく。

 眠気もあるし、疲れも抜けていない。倦怠感が体と頭を支配している。

 だがそれでもなお、ほとんどの冒険者は慢心していた。


 戦力差は圧倒的なのだ。

 ギルド長ワイアットの説明や帰還者からの話、また、捕らえられ脱出してきた者による情報も、それを裏付けるに十分であった。

 コボルドの戦闘力は低く、戦士の数も少ない。被害を出した弓攻撃に対しても、取っ手を付けた盾板が効果を発揮するだろう。

 ヒューマンの手練が二名いるというが、知能の低いモンスターならまだしも、人間の判断力があればこの人数相手に突入出来るはずもない。

 どちらかといえば行軍中に魔獣と遭遇する方が脅威であり、それですら外縁魔獣ならこの人数で十二分に対応出来る。どさくさで珍重品をくすねる好機とみた者もいる程だ。


 大半の冒険者にとって今回のオーダーは、ギルドから経費の出る割の良い仕事に過ぎなかったのである。

 そう思わぬのはワイアットを含む6人の騎士達と、何かしらの意志を持って再び討伐に参加した者達だけ。

 警戒を指示する指揮官や先達を、怯懦と笑う声すらあったのだ。

 だが初参加者の油断だけを責める訳にはいかない。主君への露見を防ぐため箝口令を敷き、直前まで詳細や【イグリスの黒薔薇】の存在を伏せておこうとしたワイアット側にも大いに非があるだろう。

 それがこの温度差を招いたのだ。

 だからコボルド達が列の中後尾へ斬り込んでくるまで、在りえぬことと。冒険者の多くは勝手に信じ込んでいたのである。

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