77:初手

77:初手


 無言で茂みから飛び出してきた20名以上のコボルドと一人のヒューマンは、油断しきっていた冒険者達の側面へと殺到した。


「へあっ!?」


 脛に石槍を突き立てられ悲痛な声を最初に上げたのは、徒戦甲冑を纏った大柄な女剣士だ。

 財政と仕事の性質上、軽装を好む者が多い冒険者の間では重装と言える分類ではある。が、一般的な歩兵の実戦甲冑の常として足甲を装着していない。背の低いコボルドからは、格好の狙い所となったのだ。

 続いてその近くにいた魔術師も攻撃を受けてうずくまる。槍を持った長髪の冒険者は、飛び上がった小人から斧を顔面に叩き込まれ、絶命しながら後ろへと倒れ込む。驚愕と苦痛の声が一瞬で周囲の空気を塗り替えた。

 そしてその中で最も冒険者側に打撃を与えたのは、黒いマントを纏った鍔付き帽子の女剣士、ダークである。


 五尺七寸の長身に似つかぬ俊敏さでコボルド達を追い抜き、一人の騎士へと駆け寄っていく。

 その背に胸を合わせると、まるでしなだれかかるように腕を纏わりつかせ、愛撫するような手付きで兜の面頬へ左手で触れた。続いて撫で上げるようにそれをぱかりと開け。外套の下から取り出した短剣を、右手で相手の顔面へと突き立てたのだ。

 スティレットと呼ばれる、鎧の隙間を突き刺すことに特化した短剣である。錐状の細く鋭いその刃は、騎士の左眼窩を容易く貫いて中へと達した。

 ダークは捻りを加えて撹拌すると、抜き取らずに手を離しそのまま身を翻して身体を離す。標的が崩れ落ちるまでに、もう数瞬を要するだろう。

 この動作を一過に終わらせてしまうあたり、彼女の体術と技量が非凡であることが十分に伺える。


 傍らの短槍持ちが黒衣の刺客を捕らえようとしたが、続けて飛び込んできたコボルドが鶏卵の殻に灰を詰め込んだ目潰しを投げてそれを妨害した。

 刺激物も含まれていたのだろう。その冒険者は小さく悲鳴を上げ尻餅をつく。それをまた別のコボルドが襲い、脚を斧で斬り付け傷を負わせることに成功する。


 だが、そこまでであった。


 意識して防御した者もいれば、反射的に突き出しただけの者もいる。用いた過程は違えど、ある物が冒険者たちを守ったのだ。そう、各人が運搬していた盾板である。

 本来の意図とは違う形で使われたそれは、あるところで無装甲の者を守る盾となり、また別の場所ではコボルドの行く手を塞ぐ壁となった。


『やっぱりだめだあああああ』


 誰かの叫びは、芝居であったのか、それとも本心からのものか。

 その声は直後に湿った悲鳴となったため、真意は分からない。


 攻撃を阻まれただけの者はいい。冒険者達の間をすり抜け、対岸へ駆け込めたのだから。

 だが足止めを受けたコボルドは即応した冒険者に取り囲まれ、餌食となった。

 鉄が骨を砕き、毛皮と肉を裂く。それと共に上がる断末魔を背に受けながら、コボルド達は武器を放り投げ森へと逃げ込んで行く。


「逃げたぞ! 追え!」


 興奮した様子で叫んだのは、コボルドの頭蓋をメイスで叩き潰した銀髪の冒険者だ。

 おそらく彼はチームのリーダー格なのだろう。その近くに居た数名の者達が指示に従い、森へと飛び込む。

 釣られるように周囲の者達も盾板を放り投げ、手負いと看護を残しそれに続いて走る。


 ……あれが限界、やはり小型獣人風情、恐るるに足らず!


 奇襲が跳ね上げた鼓動と、攻撃を防いだ高揚。敵の非力さに対する侮り。

 それらの状況と事実が彼等を鼓舞し、後押ししたのだ。


「この機を逃すな!」

「やはり弱いぞ! 行け! 行け!」


 前回の戦いを経験した者は当然躊躇した。森に誘い込まれ引きずり回されたのが敗因だったのを、身体で知っているのだからそれは必然だろう。だが今回の作戦、九割の者にとってこれが初戦なのである。

 興奮と熱狂、憎悪と怒りが作り出した波は一度立ってしまえば消すのは困難だ。かつ、至近でそれを止められる者は既に絶命していた。

 結果、指揮役を失った中後尾の列は乱れ、周囲の冒険者はかなりの人数が森へ雪崩込んでしまったのである。

 列前方に多く配されていた騎士達やワイアットからの制止は間に合わない。仕方のないことではあるが、長蛇となった列も災いしたのだ。


 ……指揮官が気をつけた程度で混成部隊の統率が取れたら苦労はない。


 先の戦いと同じ手口が通用するのだろうかと悩んでいたサーシャリアにそう助言したのは、ガイウスであった。

 サーシャリアはガイウスの経験を信じ。そしてそれを基に作戦を組み立て、実行させたのだ。

 偵察からの情報とコボルドの嗅覚による助けを得て、ダークが現場指揮官である騎士を狙い討ち取ったのも策の成功に大いに貢献した。


《発:攻撃班 宛:指揮所 誘導 成功》


 報告にすれば僅か二言。

 だがこの二言を得るために、多大な努力と犠牲が払われていたのだ。


 コボルド側死者4名。冒険者側死者2名。


 これがこの戦いにおける、最初の接触である。



 木々の間を走り抜けるダークの傍らへ、腕を振り回しながら寄ってくる者がいた。


『ハッハー! 一人仕留めてやったぜ!』


 攻撃隊に参加しているレイングラスだ。彼は前回の戦いに続き、今回も早々に戦果を上げたのである。


「こちらの被害はどうでありますか?」


 敵騎士を討ち取ったにも関わらず、ダークは冷静であった。まだ戦いは最序盤であることを、彼女は承知しているのだ。


『リーフテイルが脚を軽く切られた。あと……サンドヘッドが死んだ』

『指揮所から情報来ました。4班で二人死亡、6班で一人死亡一人負傷です』


 苦々しいレイングラスに言葉を続けたのは、攻撃隊霊話兵を務める若いコボルドだ。女性だが、狩りの主要メンバーである健脚を買われての編成である。


『怪我をした奴は走れないから、茂みに隠れている。安全になるまで見つからなきゃ、いいが』


 現在のコボルド側に負傷者を後送する余力はない。酷薄だが、当初から織り込み済みの対応だ。


『指揮所からの指示で4班に6班が合流します』


 先程の攻撃には攻撃隊12名と、6つに分けられたコボルド隊の内4、5、6班の各4名、合計24名が参加している。内6名が、先の交戦だけで失われたのだ。

 完全に不意を突いてですら二割五分の損失率。その数字は、あまりにも厳しい戦闘力差を再確認せざるを得ない。

 だがコボルド達以上に、敵側にとってその事実は影響が大きいだろう。

 それは、木々の向こうから迫る冒険者達の姿と怒声が物語っていた。


『思ったより沢山付いてきたな』

「追いつかれたら終わりとはいえ、全力で逃げる訳にもいかんですしなぁー」


 ダークは足を止め、鞘から刃を滑らせる。護拳のついたハンガーという片刃剣だ。

 刃先の三分の一は両刃になっていて、斬突両用に応用が利く。まるでナイフを細長く引き伸ばしたかのような無骨な作りはロング・ソードよりも頑強で、庶民の狩りに使われることも多い。

 彼女もガイウス同様各種刀剣の扱いに精通しているが、剣戟の場においては特にこれを好んで使用していた。


『お、やるか?』

「敵の後続が遅れておりますからな。もう少し鼻先に餌をぶら下げてやりましょう」

『オウヨ!』

「他の者はそのまま進め! すぐに戻る!」


 二人は来た方向へ駆け戻ると、先んじて追い来た軽装の冒険者三人に襲いかかる。

 レイングラスの斧が金髪剣士の脛を叩き割る間に、ダークは双剣使いの左手と斧持ちの指を斬り落していた。

 とどめを刺す必要も暇も無い。他の敵が追いついてくる前に、彼女達は再び駆け出す。


「難儀な追いかけっこでありますよっ……と」


 やがて敵の騎士なり指揮官ワイアットなりが追いついて来る。冒険者達の熱狂も落ち着く。

 そうすればこの報復者達も再編され、統率されてしまう。それは確実であり、時間の問題であった。

 集団として機能してしまえば、もうコボルド側に打つ手はないのだ。


 その前にダーク達は、予定の場所へ可能な限りの人数を引き込まねばならなかったのである。

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