219:喚ばれた伯爵
219:喚ばれた伯爵
「ごふっ、ごふっ……ああ……可哀想なザカライア。私が逝ってしまったら、お前の頭を撫でてくれる人は、もう誰もいなくなってしまうのね……」
「母上、母上」
……。……。……。
「父上、今日の勉強は終わりました」
「一々そんな報告をするな。時間が空いたなら、剣なり馬術なりの修行に充てろ。そんなことで、ベルギロス一門を背負えると思っているのか」
……。……。……。
「貴様が伯父上の息子というガイウスか? 開拓民育ちという割には、女みたいにヒョロヒョロと生白いじゃないか」
「よろしくね、ザカライア君」
「フン」
……。……。……。
「うわあ、すごいなあザカライア君。こんな大きな馬に、そんなに上手に乗れるんだね!」
「はははは! どうだ、見たか! すごいだろうガイウス!」
「ザカライア君はすごいなあ。きっと、いっぱい練習したんだよね?」
「はははは! そうさ!」
……。……。……。
「どうだガイウス! お前は頭が悪いから、こんな難しい本は読めないだろう?」
「サッパリ分からないや。ザカライア君は、頭が良いなあ。たくさん勉強したんだね」
「はははは! そうとも!」
……。……。……。
「何故ですか父上! 何故ガイウスを追い出したのですか!?」
「今更になって妾腹など探し出して来た時は、慌てもしたが……我が兄の逝去は良い機会であった。喜べザカライア。これで私はベルギロスの当主にしてグリンウォリック伯爵。そしてお前は、その唯一の後継者だ」
……。……。……。
「久しぶりだな、ガイウス。相変わらず知性の欠けた顔をした男だ」
「おお従兄弟殿! 元気にしておられましたか。こんなところで再会できるとは、いやあお懐かしい」
「フン。吾が輩はベルギロス家次期当主だからな。王都へ訪れる用も多いのだ」
「そうですかそうですか。ご立派になられて、叔父上も安心でしょう」
「……貴様は何か、思うところは無いのか」
「何がですか?」
「いや、何でもない」
……。……。……。
ひそひそ。ひそひそ。
「やれやれ。放逐されたガイウス殿は剣一本で【イグリスの黒薔薇】と呼ばれる英雄になったというに」
「ベルギロス本家筋のベルダラス姓をイグリス王より賜ったのも、納得というものよ」
「それに引き換えザカライア様は、五年戦争の際も碌な武功を挙げておらぬ」
「戦死されるのを、お父君が恐れたのだよ」
「それにザカライア様は見栄えは良いが、武門の頭領としては器量というものが……狭い」
「やはりベルダラス卿が、本筋通りグリンウォリックを継ぐべきだったのではないか?」
ひそひそ。ひそひそ。
……。……。……。
「いい加減に妻を娶れ! 子を作れ! 私の言うことが何故きけぬ!?」
「申し訳ありませぬ父上。そういう気分には、なれませぬ」
「ええい、いつまでそんなことを言っている! 良家の子女が性に合わんと抜かすなら、この際我が兄のように、庶民や婢に産ませるのでも構わん! とにかく子を作ってこの家を、血筋を繋げろ!」
「で、ですので。親族から養子を迎えようと吾が輩は考えております」
「馬鹿者が! 親戚なら誰でも良いという訳ではない! それでは何のためにガイウスを追放したのか分からんではないか! お前のために当主の座を確保してやったのだぞ!?」
……。……。……。
地面に転がる、天使兵の死体。
「で、ではガイウス……これは、天使兵(これ)は凄くないというのか、貴様」
「……あまり」
……。……。……。
鼻をつく、自らが吐いた胃液の臭い。
滲む視界の中で、ガイウスとルクス=グランツが剣を構えながら対峙している。
「ま、確かに貴族としてはそれが一般的な意見だろうし、貴族でなくったって、どうかしてると笑うだろうね。なあ【人食いガイウス】、君だってそう……」
「笑わぬ」
ルクス=グランツの自嘲をガイウスが遮る。
「男の覚悟を、誰が笑おうか」
……。……。……。
ああ、何故だガイウス。
何故あのグランツ人を褒めておきながら、この吾が輩を褒めぬ。この吾が輩を認めぬ。
吾が輩に何が足りぬと言うのだ。
ガイウス、ガイウス。吾が輩を褒めろ、認めろ! 吾が輩を……見ろ!
ガイウス!
◆
「オヤビン、オヤビン」
乱暴に肩を揺すられ、グリンウォリック伯ザカライア=ベルギロスは夢から現実へと引き戻された。ソファに座り案内を待つ間に、どうもうたた寝をしてしまったらしい。
半覚醒で見回す光景が、ここはイグリス王国王都イーグルスクロウ、その王城の一室であったことを思い出させる。
「ええい、起きた。もう起きたというに。手を離せアンジー」
「オッス」
半仮面をした大柄な男装女性が、無表情のまま気安く返事をした。
だがまだ、手を動かすのを止めない。
「こいつ、言うことを理解しろ!」
ごすっ!
ザカライアの拳が彼女の頬を打ち、衝撃でずれた仮面の下から火傷跡が覗く。
しかしアンジーと呼ばれた女は首を傾げて瞬きをしただけで、さしたる痛痒も感じていない様子だ。むしろ殴りつけた伯爵のほうが、拳を擦っている。
「まったく、天使などというご大層な名を冠しておきながら、実態は役にも立たぬただのグズではないか」
そう。彼女は第三次コボルド王国戦に投入された天使兵六羽、唯一の生き残りであった。
ただ一羽だけ帰還した彼女の羽を切ってアンジーと名付け、近侍代わりにザカライアは側へ置いているのだ。
「ウッス、オヤビン」
一時愛人としたアッシュ二世。彼に謀られていたと知ったザカライアは、それが自らの命を狙う親族の陰謀だと誤解し……疑心暗鬼にかられた結果、親族相手に一方的な暗闘を繰り広げるという暴挙に出た。粛正された者までいたというのだから、いかに彼が人間不信に陥っていたかが分かるだろう。
ヒューマンの代わりに、「役立たず」とまで呼ぶ天使をザカライアが側に置くのは、そこに原因がある。最近は、身の回りの世話までもアンジーにやらせているほどだ。
「ええい、呆けておらず仮面をとっとと付け直さんか! 襟も曲がっているぞアンジー!」
殴りつけた気まずさもあってだろうが、手ずから天使の身なりを整える伯爵。
そもそも彼女は、情緒常識の欠けた古代生物。会話も満足に成り立つとは言い難い。伯爵とこの変わった近侍と、どちらが世話を焼いているかは議論の分かれるところだろう。
コツ、コツ。
部屋のドアを叩く音だ。アンジーの髪まで整えていたザカライアが、慌ててソファに掛け直す。
「どうぞ」
「やあどうもグリンウォリック伯。お久しぶりです」
渋みと力強さを感じさせる声を上げ、戸を開けたのは一人の貴族騎士。
「ガルブラウ卿か」
「はっはっは水臭い。諸侯の皆様のように、【若禿】とお呼び下さい」
歩み寄りつつ爽やかに笑う男前は、現・鉄鎖騎士団団長にして王国宰相の甥。名は、ガイ=ガルブラウという。
自ら語るように、剃り上げた頭は三十代にして大きく不毛の地肌を輝かせているが……逆にそれが屈強な男としての色気を高めていた。まあ平たく言えばこの貴族騎士、男から見ても女から見ても「禿が似合う」としか言い様がないのである。そして実際、浮き名の絶えぬ身としても有名だ。
「まさかガルブラウ卿自らが、案内を?」
ザカライアは大分年下の、活気溢れるこの男がやや苦手であった。ザカライア自身が懸命に取り繕う才気と英気を、ガイ=ガルブラウは本物として纏うが故に。
「ええ、俺も伯父貴に呼ばれましてね、グリンウォリック伯と一緒の席に。ま、ついでごとですので。召使いに代わってもらい、俺が来た訳です」
伯父……宰相エグバード=ビッグバーグ、つまりムーフィールド公爵には、現王に嫁がせた女子以外に子供が居ない。公爵位そのままということはないだろうが、【若禿】が金融業盛んなムーフィールド領を継ぐのは確実視されていた。
修習と泊付けを兼ね今は鉄鎖騎士団……かつてはガイウス=ベルダラスが長を務めていた国王直属の騎士団……団長の役にあるが、実質の存在感は諸侯に並ぶ。それが、ガイ=ガルブラウという男だ。
「……そうか」
【若禿】も同席となれば、今回の召喚、ザカライアが親族と揉めたことを咎めてという訳ではあるまい。
これまで半ばそう思い込んでいたザカライアが、眉間に皺を寄せ一人唸る。
「オヤブン、ヨシヨシ」
痛がっていると勘違いしたのだろうか、伯爵の頭をまたもや雑に撫でるアンジー。
額に青筋を浮かべたザカライアが、それを撥ね除ける。
「わははは、仲がお宜しい。こんなに慣れた天使は、初めて見ましたよ。仮面は……おや、火傷ですか。あたら美人が、勿体ない」
「コレをご存じか」
「うちの実家ムーフィールドは、貴領の南。同じく聖人教圏と東で隣り合っていますからね。伯父貴がツテで買ったのを、館で何体か見たことがありますよ。まあ、こんな愉快な個体はいなかったようですが。伯の教育がよろしいのですかな?」
「アザッス」
他人の眼前でアンジーを殴りつける訳にもいかず、歯ぎしりするザカライア。
しかしそもそも彼がこの無垢に対し、語彙の教育を横着して館の書斎へ放り込んだ結果……適当な娯楽小説を基に自得されてしまったのだ。一にも二にも、全面的にザカライアが悪い。
「ははは。さて、グリンウォリック伯。そろそろ参りましょうか。先にお着きの方もいらっしゃいますし」
「ん……? 吾が輩以外にも、誰か招かれていたのか」
「ええ。イスフォード伯オジー=キノン殿も、今回の席に」
その名を聞いたザカライアの顔に、ありありと嫌悪の表情が浮かぶ。
「……【剥製屋】か」
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