コボルドキング

Syousa.

建国編

01:プロローグ

01:プロローグ


 森と森の間を走る、曲がりくねった道。


 正確には、道ではない。道のようなもの。ずっと以前に干上がったままの、川だ。


 緩やかに曲がった道のように続く、砂利と砂の川底を、馬車が進んでいる。

 何の飾り気もない、普通の馬車。

 王都の周辺でも、都市を結ぶ街道でも、農村を繋ぐ田舎道でも見かける、ありふれた幌付き馬車だ。

 いや、むしろ普通のものより粗末かもしれない。

 積んでいる荷物も、鋤や鍬、鎌といった農耕具や野菜の種や苗。フェルトや麻織物といった衣料や、干し肉や魚の干物なども積んでいる。

 農夫が生活用品の買い出しに街へと出かけた、その帰途なのだろうか。


 ただ、車を引く存在はありふれてはいなかった。


 一歩一歩、地面を踏みしめて歩く土色の足。

 黒く穿たれた、何をも見ることのない、目。

 丸みを帯びた形状で構成されたその全身は、まるで子供が粘土をこねて作った玩具の馬……いや、説明されて初めて馬だと気付くような、そんな代物だ。

 それが、車を引いている。


 土で出来た、ゴーレムの馬だ。


 勿論、通常であれば、農夫が買い出しに使えるような代物ではない。

 土くれで出来た馬、と見た目こそ貧層ではあるが。ゴーレムの身体の中には、魔法金属として名高いミスリル銀で作られた小さな魔法玉の核が収まっているのだ。

 ミスリル銀そのものの稀少さだけではなく、幾重にも複雑な術式が刻まれたその玉の価値は、貨幣に換算すればとても庶民の手が届くものではなかった。


 それが何故、こんな馬車を引いているのか。奇妙な話である。


 奇妙といえば。

 御者席に座る人物も、この馬車には似合わない男であった。

 コート・オブ・プレートと呼ばれる上着型の胴鎧、それと革鎧を組み合わせたものを着けた、まるでトロルと見紛うかのような大男。

 短く刈った灰色の髪をした彼の顔には幾つもの傷跡が刻まれていたが、特にその右側には、大きな刀傷がこめかみから顎までぱっくりと裂けるように、生々しく残っていた。

 顔つきも厳つく、見るからに無頼の者である。

 幼子が目を合わせればそれだけで泣き出し、婦人は顔を引きつらせて退散するだろう。

 そんな、風貌をしていた。


 顔の右側には大きな傷が目立つ一方で、左側にも特徴が見られる。

 彼の左眉から下へは入れ墨のような線が縦に走っていて、まるで釣り合いをとるために左側にも傷を模したかのようにすら、思えた。

 ……いや、これは入れ墨ではない。魔術と呪術による印だ。

 呪印は目の下から頬の辺りでまるで弾けるかのように千切れており、四方に散らばった黒い線が描くその様は、まるで黒い薔薇のようでもあった。


 無精髭の生えた顎を掻く指は太く角ばっており、腕は丸太の如く太い。肩や胸にも異様に厚く盛り上がった筋肉が備わっているのは、防具の上からでもすぐに分かる。

 それは。彼の人生が、長年武器を振るい続けて積み重ねられたものであることを容易に想像させた。


 そんな男が眼光鋭く周囲を見回しながら、貧相な馬車を進ませているのだ。


 ……しばらくして。


 川底の両脇の森の、密度が緩やかに薄くなる。

 そこから広がるのはまるで、楕円状に森の一部が禿げ上がったかのような広い空間であった。

 川底は、その楕円を突き抜けて更に森の奥まで続いている。


 そして楕円の中央。

 そこには、村があった。


 村と言っても、大したものではない。


 男が以前住んでいた王都の街並みとは、勿論比べるまでもないだろう。

 だが、農村の素朴な民家群と比較しても、いささか以上にささやかなものである。


 家は、地面に穴を掘って木の柱で骨組みを作り、その上に草や土を被せて屋根とした程度のもの。

 平たく言ってしまえば、竪穴式住居だ。ただし、その大きさは本来のものよりもかなり小さめであった。

 その数十戸の竪穴式住居を、先を削った丸太を斜めに突き刺して交差させただけの、簡単な柵が囲んでいる。

 それが、村の姿だ。


 建設中とおぼしき家も見受けられるので、まだまだ拡張中なのだろう。

 柵の外側には作りかけの畑も幾つか見える。

 どこかで火を起こしているのか、煙も何本か立ち上っていた。


 男はそんな村へ向けて、馬車を進ませる。


 村の入り口まで近づいた時。

 丸太柵の陰から、小さな影がひょっこりと顔を出した。


 犬だ。


 白い綿毛のような子犬。

 尻尾を、千切れんばかりに振って駆けてくる。


 男は手綱を引いて、ゴーレム馬を止めた。

 そして御者台から地面に降りると、膝をついて両手を差し出し、子犬の到着に備える。


 やがて子犬は男の元に辿り着き、彼の膝に前脚をかけ、小さい体で精一杯口を開くと、


『おかえりなさい! おうさま!』


 と叫んだ。


「ただいま」


 男はその巨躯を懸命に曲げて、子犬に顔を近付ける。

 刻まれた戦傷や厳つい顔つきからは、とても想像が出来ぬ、優しい眼差しと笑顔であった。


 いや……笑顔というよりは……どちらかというと……


「馬車の近くは危ないから、近付いてはいけないと言っているだろう?」


 男は低い声でそう言うと、子犬を太く硬い指で、優しく撫で始めた。


『ごめんなさいおうさま! きをつけます!』

「そうしなさい」


 子犬を抱きかかえて、頬ずりをする。

 その厳つい顔に浮かぶ表情は。

 ……完全に、にやけ顔であった。


 そのまま子犬と鼻を突き合わせていると、


『王様ー!』


 と、別の子犬が駆け寄ってきた。

 白い子犬よりもやや大きい、琥珀色の毛をした犬だ。


 ただし。

 二本足で歩く、犬である。


「小さい子は目を離すとすぐにどこか行ってしまうから、お姉さんが見ておかないと駄目じゃないか」

『……御免なさい』


 軽く叱られた犬は、しゅん、とうなだれたが。地面に降ろされた子犬へと歩み寄り、ぽかり、とゲンコツを食らわせた。


『お前のせいで怒られたじゃないの』

『おねえちゃんがぶったー!』

「こらこら、よしなさい」

『うぐぐ』


 男は二匹を抱えると、再び御者席に座り。

 馬車を、集落の中へと進めていく。


 ゆっくりと村の広場へ入ると、


『お帰りなさい、王様』

『お待ちしておりました』

『お疲れ様です』


 馬車を停めた男の周りに、次々と犬が集まってきた。

 驚いたことに、先程の犬同様、皆、二本足で歩いている。

 子犬らしき個体は裸だが、成犬とおぼしきものは獣皮や樹皮で作った貫頭衣を着ていたり、毛皮を羽織ったりしているようだ。

 また、石斧や簡素な農耕具を手にしていたり、鍋や土器を持っている犬もいる。


 そう。

 彼等は犬ではなかった。


 種族名【コボルド】。


 獣ではなく、獣人でもなく。

 れっきとした妖精属に分類される種族だ。


 尻尾を振りながら擦り寄ってくるコボルド達に声をかけたり、頭を撫でたりした後。

 大男が荷台から、荷物を降ろし始めた。


『降ろします』

『お手伝いします』

『私も』

『いえ私が』

『いえいえ私が』


 先を争うように、コボルド達が手伝い始める。

 皆、尻尾を強く振り。

 楽しそうに、嬉しそうに。

 大男もそれに、微笑んで応える。


 彼の名は、ガイウス。

 ガイウス=ベルダラス。


 イグリス王国鉄鎖騎士団団長、ベルダラス男爵。


 彼は以前、そう呼ばれていた。


 だが現在は、そうではない。

 そんなものは、捨てた。


 ……モンスター【コボルドキング】。


 イグリス冒険者ギルドに所蔵されている古いモンスター図鑑には、「コボルドの部族長もしくは幹部級の俗称」とだけ、短く記述されている。


 今は、それが彼の肩書であった。

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