220:二人の反逆者

220:二人の反逆者


 通された会議室。中央には、見事な無垢一枚板の大型卓が配されている。

 戸が開くのに合わせ、そこに一人着いていた壮年貴族が振り返り手を振った。


「おっ【若禿】じゃん。元気してたか? それにザカライアも。久しぶりだなぁオイ!」

「お久しぶりです、イスフォード伯」

「気安く呼ぶな、【剥製屋】」

「ダハハ! そういうお前だって渾名で呼んでくれてるじゃあねえか! なぁザカライアよ」


 両人差し指をクルクル回してから相手を指し、歯を剥いて嗤うイスフォード伯爵オジー=キノン。

 極端に薄い眉と丸い目、そして大きな口と高い鼻。後ろへ撫でたくすんだ銀髪と相まり、まるで鮫が上質の服を纏っているような印象を与えていた。


「渾名と蔑称の区別もつかんのか」

「えぁ? 蔑称ってこたねえだろ。だってオッレ、【剥製屋】って気に入ってるもん。大体お前、そういうのは世の剥製屋さんに失礼ってもんだぜ」

「真っ当な剥製職人相手ならば、吾が輩もこんなことは言わぬ。真っ当な職人ならな」


 舌打ちしながら、ザカライアは口論相手と一番離れた席へ着く。


「なーそれよりよう、ザカライア。この会議終わったら、グリンウォリックに帰る前にオッレの家へ久しぶりに遊びに来ねえ? 作品が大分増えたから、また館を増築したんだ。是非、観に来てくれよ」

「断固として断る」

「せめて遠慮するって言ってくれや……」


 本気で落ち込んだ顔を見せる【剥製屋】キノン。


「館に納めきれぬほど剥製を作り続けて、どうするのだ」

「え……博物館みたいに並べて楽しんだり、飾って狩りの思い出に耽ったり、暖炉の部屋で眺めながら酒飲んだりするに決まってんじゃん……他にどんな使い道があんだよ、お前怖っ」

「貴様にだけはそんな反応をされたくないわッッ!」

「まあまあ御両名、殿中ですので」


【若禿】が笑いながら取り成すが、その必要はなかった。


「王国宰相エグバード=ビッグバーグ様、御入来ぃー!」


 戸の向こうから届いた官人の声が、彼らの口論を即座に打ち切らせたからだ。

 立ち上がり、一同はその人物を迎える。


 ギィィ。


 ……室温が今、下がった。


 入ってきたのは、そんな錯覚を起こさせる高年の男であった。

 世界の全てに興味自体を持たぬかの如き、光の無い瞳。笑顔はおろか喜怒哀楽を見た者が居らぬという、凍土とでも言うべき無感動な顔。

【白黒の人】。陰でそう渾名されるのは、白髪交じりな彼の黒髪を表してのことでは、決してない。


「久しいなグリンウォリック伯、イスフォード伯。冬の最中に呼び付け、すまなく思っている」


 口ではそう言いつつにこりともせず、一同へ着席を促し自らも席に着く。

 そして二名の伯爵からの社交辞令を緩衝に置いた後、官吏や使用人が人払いされた。

 これで部屋に残るは、宰相、ザカライア、【剥製屋】、【若禿】の四人となる。


「では早速だが、始めよう」

「「はい」」

「おう」


 これだけ大貴族を一堂に集めるなら、本来、国王も出席するのが自然だろう。だが、それを求める者は誰も居ない。

 何故なら現イグリス国王は即位後しばらく親政と奮起したものの、失政の連続で失意。まだ三十代という若さにして政務を舅たる宰相へ任せ、引き籠もってしまっているからだ。


「まず本題に移る前に、両伯へ伝えておくことがある」


 首を傾げつつ、相槌を打つザカライア。


「先日、ケイリー=ジガンを王家と王国に対する反逆の罪で処断した」

「何ですと!?」

「オイ、どういうことだ?」


 流石に【剥製屋】も目を剥く。


「報告がこの場となったことは謝ろう。だが事を迅速に、そして何より民に被害を及ぼさず最低限の犠牲で済ませるには、必要な措置であったのだ」


 続けて言い継ぐように【若禿】の口より、かねてから領都フォートスタンズ近郊に潜ませていた鉄鎖騎士団をもってジガン家の居城を制圧したこと、ケイリーはその過程で死亡したことが説明された。

 ギャルヴィン老と僅かなジガン家近衛が最後まで抵抗を続けたが、コボルド村との敗戦で痛撃を被った家臣団もその兵も、ほぼ全てが各任地へ帰還していたため戦力は極めて手薄であり……かつ内応者による協力もあったことで、鉄鎖騎士団単体での奇襲的占拠を成し遂げたのだという。


「後処理は団員や伯父貴の部下に任せましてね。報告のため俺は、船で川を下って急ぎ王都に帰ってきたたんですよ」


 つまりこの男は一戦終え帰ってきたばかりなのに、何食わぬ顔でザカライアを案内などしていたのである。

 馬鹿にされたような気分で、眉間に皺を寄せるザカライア。


「ケイリー殿が反逆者……というのはどういうことですか閣下」

「オウそうだ。それだよそれ」


 仲違いの二人が、一緒になって問う。


「両伯は先のノースプレイン内紛について、次男ドゥーガルド派が長女ケイリー派の村々で虐殺を行った話は聞いているか」

「いや知らんなー」

「吾が輩は聞き及んでいます。あの事件の真偽と責任を争ったことが、ジガン家姉弟武力衝突の切っ掛けでしょう」


 ザカライアの言葉に、公爵が頷く。


「当方の調査により、あれはケイリーによる偽計であることが判明した。彼女は本来の後継者であるドゥーガルドを陥れその座を奪うために、無辜の民衆を虐殺し次男派の犯行に見せかけたのだ」

「何ですと」

「ジガン家の先代は、跡継ぎハッキリ決める前に病気で死んじまったんだろォ?」

「その風聞自体がケイリーの謀であったのだよ。ドゥーガルドを後嗣に定めるという、先代直筆の書簡も調査の際に発見されている。これも彼女が処分を試みたものだが、心ある者が密かに隠していたのだ」


 ザカライアが唾を飲み込む音が、会議室に響いた。


「つまりケイリーは本来の自家当主を弑したのである。イグリス王家が封じたノースプレインの領主をだ。これを王国への反逆、賊と言わずして何と呼ぶ」


 溜め息をつき、首をゆっくりと振る【白黒の人】。


「調査報告を受けた国王陛下は、ケイリーの蛮行にいたく心を痛め、そして激しく……激しくお怒りになった。道理上も道義上も許されぬと、な。それ故の、勅命による征討である」


 嘘だ。

 務めを放り出したあの若い王に、それほどの情熱や衝動があるはずもない。全てはこの宰相、エグバード=ビッグバーグの差配であることは疑いない。

 そんなことはザカライアとキノンも重々承知しているが、同時に虚実も無価値と知っている。これは筋と理屈を重ねた上に、力で押し固められた舗装済みの路面なのだから。後から来たノロマは、もうそこを歩くことしかできぬ。


「ケイリーも下手打ったもんだ」

「ううむ……」


 呻くように呟く、両伯爵。


「……で、宰相閣下。ノースプレイン領は今後どうすんだ? 本来の後継者っていうドゥーガルドは子供諸共内紛で死んだだろ」

「改易だ。ここまでの失態を犯した以上、今更ジガン家親族から立て直す筋は無い」


 それを聞いたキノンが、対面のガルブラウへ視線を移す。


「ハハーン、分かったぜ。陛下に頼んで【若禿】を新領主に封じてもらうって魂胆かい? 宰相閣下も悪どいねえ」


 ならば分かりやすい。

 ジガン家の混乱とケイリーの落ち度に付け込んで取り潰し、宰相自身の身内に与えるというのなら。実に、実に分かりやすい国政壟断というものだろう。


「今日オッレらをここに呼んだのは、その後押しをしろってことなんだろぉ?」


 ザカライア=ベルギロスのグリンウォリック領とオジー=キノンのイスフォード領は、宰相のムーフィールド領と南北で隣接するため親交も関係も深い。客観的にも主観的にも、彼らは宰相閥と言える。だからこそ、大貴族ジガン家の取り潰しに対しても悠長でいられるのだ。

 だがもし、この【白黒】が裏でケイリーとドゥーガルド双方を唆した黒幕だと知っていたならば、ジガン家先代の遺書も偽物だと教えられたならば、彼の真の目的を理解していたならば……流石に平静ではいられなかっただろうが。


「イスフォード伯、そうではありません」

「甥の言う通りだ。今回の取り潰しはあくまで、人道と道義に則ってのこと。執行者一門がそれに乗じ領地拡大したなどと記録されれば、後世で執政の公正さが疑われてしまう。そんなことを私は、到底受け入れられぬ」

「あれま」


 おおよそ風聞風評というものを意に介さなそうに見えるこの宰相。その口から出た言葉に、【剥製屋】は心底意外そうに目を丸くした。

 美酒美食、宝飾彩飾、趣味遊興、享楽漁色そのいずれにも興味を持たぬこの【白黒】に……まさか名誉欲だけは存在したのか、と。


「ノースプレインは一時、王家の直轄地とする。するが、正直に言えばノースプレイン全域などというものは手に余るのだ。現在のところ中央(ミッドランド)には、荒れた領地が急に増えても管理・復興する人的、財政的余裕がない」


 現王の親政時に傾いた王領(ミッドランド)を支えるために、宰相となった【白黒】が自領と自家の財産と人材を投入し続けているのは周知の事実だ。

 国王の義父となることで非自派閥を主流から退け、王を傀儡に独裁体制を構築した典型的奸臣と一見思わせつつ……まるで物質的な欲望を感じさせぬ人物像に加え、献身的とも見える王家への姿勢が、この【白黒】を評価し難い不気味な存在としていた。


「旧ジガン家家中から潔白な者を精査し用いるにしても、彼らはそもそも内紛で半減した上、先のコボルド征伐失敗でさらに多くが失われてしまっている。当てにはならんだろう。だからノースプレインは分割し、復興のため両伯爵家に彼の地を治めてもらいたいのだ」


 それは意外だが、同時に納得のいく要請でもあった。

 どうせ誰かを封じねばならないならば、自派閥に与えるのが一番マシということだろう。

 反宰相派である残りの諸侯が、この場に喚ばれなかった訳だ。


「まあオッレらにすりゃオイシイ話だな。最初は大変だが、領土が増えンだから。それこそ空から硬貨ってトコだがよ」

「ですがノースプレインを分割するにしても、吾が輩たちだけがその役を担うのでは……その、それこそ他の諸侯へ示しがつかぬのではありませんか?」

「おうそれよそれ。贔屓だってモメるだろ絶対。オッレは嫌だぜ? ラフシア辺境伯と喧嘩すんのとかさ。おっかねえ」


 ナスタナーラの実父たるルーカツヒル辺境伯カローン=ラフシアは、反宰相派の代表格である。


「それは問題無い。分割したノースプレインを両伯爵に治めてもらうのは、戦功に対する恩賞によってだからだ。それなら筋の上でも問題はない。不平は言われても、な」

「戦功と恩賞だって?」


 椅子の背もたれを軋ませつつ、剽げた声を出す【剥製屋】。


「だけどよぉ、もうそんなモンねえだろ? フォートスタンズ制圧と反逆者ケイリー征討っていう手柄は、そこの【若禿】が立てちまったわけだし……何が残ってんだよ」

「丁度良いものがまだ残っているだろう。戦場も、手柄首も、反逆者も」


 首を傾げるイスフォード伯に、宰相は無表情のまま言葉を続ける。


「コボルド族及び、それに組するガイウス=ベルダラス元鉄鎖騎士団団長だ。あれはイグリス王国外縁及び王家の威信を脅かす蛮族、としても差し支えはなかろう」


 胸中で燻り続けていた熱が火となり燃え上がるのを、ザカライアは確かに感じていた。


「両伯はこれを討ち、ノースプレイン分割領を得るための功績としてもらいたい」

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