113:親衛隊の初陣
113:親衛隊の初陣
打擲された父親を庇おうとした男児が、腹を蹴り飛ばされた。
小さな身体は「く」の字となって浮かび上がり、受け身も取れぬまま後頭部から落下する。
農民達の悲鳴と、奴隷狩人達の嘲笑。頭目と思しき男からの怒声が一度に上がり、場は騒然となった。
そしてその光景は。元々加熱され続けていたガイウス=ベルダラスの怒気を、瞬時に沸騰させたのである。
「何をしておるか!」
聞いた者の肺腑が震えるような咆哮であった。
嗜虐者と被虐者の視線が、吸い寄せられるように一方へと集中する。
「何をしておるかと、聞いておるッ!」
お伽噺の人食い怪物が持つような大鉈。それを携えた猛獣が、二本足で猛然と迫ってくるのだ。
その姿に農民達は恐れおののき、奴隷狩人達は狼狽した。ごく数名の者だけが、平静を保っている。
「ひっ!? コ、コボルドだ! 何でこんなところに!? 許してくれ、許してくれぇぇ!」
最近奴隷猟団に入ったばかりの冒険者崩れが、猛獣の背後に続く少年と数名のコボルド兵を見て狂乱し、逃げ出す。
だが直後。すぐ脇にいた年配の剣士に襟首を掴まれ、地面へ引き倒されていた。
もう髪の白いその剣士は、聞き慣れぬ単語に眉を顰めている。
「か、頭! まさかジガン家の兵隊で!?」
慌てふためいた様子で、髪を剃り上げた狩人が頭目へと問いかけた。
無理もない。現在ノースプレインにおいて彼等は強者だが、それはさらなる強者が義務を放棄しているからこそ成り立つ地位であったからだ。
彼等の装備と技量は、せいぜい農村の自警団を無力化する程度のもの。さらに言うなれば、無抵抗の弱者を襲う覚悟しか備えていない。貴族のお抱えが出張ってきたとあれば、狼狽えるのは当然だろう。
「騒ぐんじゃねえ、ハゲ」
流石に落ち着いた様子の頭目は、装填済みのクロスボウを持ち上げゆっくりと構えた。
逃走奴隷を撃つために常備している物だが、無論、こういった事態にも有用である。
「ジガン家のバカ共は姉弟喧嘩の真っ最中だ。百姓なんざ守らねえよ。大体、後ろの変なのはなんだ。あんなのを連れた騎士がいるか。ボケ」
「は、はあ。まあそうですが」
「大方、西方諸国の亜人でも雇った農村の用心棒が巡回してるのか……」
手慣れた様子で頭目は狙いを定めると。
「……ただの馬鹿のどちらかだな」
引き金を引いた。
ぴゅう。
カン!
「は?」
頭目が馬鹿と呼んだ男は、人斬り包丁を盾にクロスボウのボルトを「手慣れた様子で」弾いたのである。まるで日差しを遮るが如き自然さであった。
そして彼は。そのまま速度を落とすどころか、むしろ勢いを増して迫ってくるのだ。
「お前ら! 呆けてんじゃねえ! 早く剣を抜け!」
しかし遅い。間に合わない。
彼等の大半にとって実戦とは、無抵抗の人間を虐げることと同義。その程度の男達である。
体勢を整える前に、一人目の首が宙を舞っていた。
続いてその隣の者も、ロング・ソードを振りかぶった腕ごと顔面を割られて絶命する。
「おいセンセイよ! こういう時のためにあんたを雇ってるんだぞ」
頭目の怒声を無視するかのように。白髪の剣士は「ほう」と短い感嘆の声を漏らしつつ、剣を握り直した。
シャスクという、緩やかな曲線を描く刀身を持った片刃剣だ。本来は騎兵が用いるものだが、これは木製の握りを長いものに交換、両手で扱うよう独自の改造を施されている。
「仕事はするさ。ふう。ちゃんとな」
剣士はそう言って頬を歪めると。ガイウスが三人目の胴を裂いた間隙を狙い、一気に間合いを詰めた。
踏み込みつつ、左から鋭く薙ぐ。回し斬りである。
しかしガイウスは予見していたかのように上半身を大きくひねると、人斬りの大鉈……親方が新造したフォセ……で迫る刃をすくい上げ、払い除けたのだ。
素早く三歩引いた剣士が切っ先を向け直した時には、もう相手は対峙し、構えていた。
「長生きはするものだな。背後からあの一撃を防がれたのは、ふう。初めてだ。後ろに目でもあるのか?」
「気配で分かる」
「ほお【お若いの】。お前もか。ふー」
皺の刻まれた顔を歪めつつ、周囲を見回す。
付近の狩人達はコボルドや少年の対応で手一杯であり、加勢する余裕はないようだ。
「ふぅふ。名乗ってみろ」
「親から貰った名と、恩人から賜った姓だ。外道に聞かせては、申し訳が立たん」
「では、ふー。名無しのまま死なせてやろう」
再び剣戟を始めた二人を横目に、頭目は「武芸者気取りのジジイめ」と舌打ちする。
しかしこれで最大の脅威は封じられた。後は周囲の小物を掃除してから、囲み直せばいい。
彼は思考を単純にして、冷静さを取り戻そうと試みる。
「何してる! 農民の見張りはいい! 取り囲め!」
商品を囲んで逃走を阻ませていた半数、いわば後衛へ怒鳴りつける頭目。
その時。
ロウ…… アア…… イイ……
状況もあり、呼びかけに重なった【詠唱音】に気付いた者は少ない。
だが放たれた数条の魔素が空気を裂いて地面へと着弾した時。狩人達は皆、敵が他にも居ることを理解したのだ。
頭目の援護に回ろうと駆け出していた者達は怯み、足を止める。
直接彼等を狙わず地面を撃たれた理由にこの時狩人達が気付けば、難民を人質にとる、といった行動も取り得ただろう。が、この局面でそのような機転を利かせるのは無理な話である。
そして、足止めを受け分断されたままの彼等へ。
『牙と共に!』
『『『牙と共に!』』』
ガイウス付きと魔杖担当を除く、残りの親衛隊員を率いたブルーゲイルとレイングラスが、まさに牙を剥いて襲いかかったのである。
その数全部で20名。体格差が著しいとはいえ、倍の数に殺到された奴隷狩りの後衛は瞬く間に恐慌状態へと陥り。集団としての機能を失った。
まばらに立っていた彼等は三名一組の連携戦法を用いた親衛隊に押され、次々と討ち取られていく。難民達から離れた狩人は、誤射の心配を排した魔杖兵からの集中射撃を受け地面へと倒れ込んだ。
ガイウスやダークを仮想敵手とし、ブルーゲイルによって変態的なまでに鍛え上げられたコボルド族の若き精鋭達である。
奴隷狩人程度では、既に相手にもならなかったのだ。
「嘘だろ」
自らが陥った状況を受け入れられない頭目が、唖然として呟く。
そしてその視界の隅で、猟団の用心棒として雇った剣士が猛獣と攻防を繰り広げる様を、忌々しげに睨めつけるのであった。
白髪剣士は、外見に似合わぬ鋭い打ち込みと洗練された動き、加えて巧みな剣さばきで剛剣に対抗していたが。決着は不意に訪れた。
刹那のバインドから刃を滑らせ、指を狙おうとしたところに。ガイウスが片手で剣を支え、交差する点をずらしつつ、素早く踏み込んできたのだ。
そして彼は空いた左手を、剣士の両腕の上に通らせ手前へ引くと、同時に右手のフォセでシャスクを押しやった。
二人の両腕がねじれたように交差した瞬間、白髪剣士の腕から得物がもぎ取られる。所謂、上段剣取りである。
「ふう、力頼みと思いきや」
実際には言い終える前に、老剣士の身体は袈裟懸けに両断されていた。残りが呟かれたのは、黒く塗りつぶされる意識の中で、だ。
一連の剣戟を目の当たりにした奴隷猟団の頭目は逃走と降伏の二者択一を迫られていたが。
その躊躇により生じた隙により右脇腹、続いて左脇、そして喉への連続刺突を受け。選択の結果を口にすることなく、草むらへと崩れ落ちたのであった。
◆
20名いた奴隷狩人の内13名が死亡または重体。3名が降伏もしくは捕縛、残り4名が逃走している。
一方でコボルド王国側の死者は無し。親衛隊に軽傷者が5名、重傷はドワエモンのみであった。
圧勝である。
状況がコボルド側に優勢だったことや、ガイウスが敵戦力の要を引き受けた事情はあるが……それでも近接戦闘においてコボルドがヒューマン相手に勝利を収めたという事実は大きい。
勿論過信は禁物だが。親衛隊には自信となり、王国民達にも大きな励みとなることだろう。
「ブルーゲイル。難民の枷を外し、負傷者の手当を急げ。レイングラスは親方とマイリー号の馬車を連れてきてくれ」
『かしこまりッ! ましたッ!』
『いいぜ』
跳ねるように行動へ移った二人の背を見送りつつ頷くと、ガイウスは農民達へ歩み寄り。
そして彼等の前で「どっしり」と両膝をついて、笑みを浮かべながら極力の優しい声色で語りかけた。
「驚かせて申し訳ない。私は、彼等コボルド達を率いているガイウス=ベルダラスと申します。賊共は制圧致しましたので、どうかご安心いただきたい」
……当然といえば当然なのだが。
血に塗れたままの凶獣に牙を剥かれたご婦人方の内半数は、そのまま天を仰ぐように卒倒してしまったのである。
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