134:フォートスタンズ

134:フォートスタンズ


 イグリス王国ノースプレイン地方領のほぼ中央に位置する領都、フォートスタンズの歴史は古い。

 はるか昔に南方全体を支配した南方大帝国(グレート・サウス・エンパイア)の時代、物資集積砦の裏に出稼ぎの屋台(スタンド)が並んだことが、人が集まった開始点である。

「ちゃんとした街になるなら、何故もっと真面目な名前にしておいてくれなかったのか」と後世の住人が嘆いたが、これは南方諸国全体の風潮なので仕方がない。王国宰相の領土であるムーフィールド公爵領などは「ムームー鳴いている場所」という羊の畜産に由来する地名なので、それに比べれば気持ち含蓄があるというものだ。

 そんなフォートスタンズも、南方大帝国が分裂して幾年月。かつて砦があった場所には今は城が築かれており、今日ではジガン家の居城として用いられていた。

 つまりここが、ケイリー派の本拠なのである。



「そうか。ベルダラスは話に応じるつもりか」


 帰還した使者からの報告を受け、ケイリー=ジガンは痩せた頬を摩りつつ息をついた。

 早期決着に失敗し弟ドゥーガルドとの抗争が膠着状態に陥っていることに加え、ガイウス=ベルダラスに陰謀の証拠を握られた思い込んだ心労から一時は不眠すら患っていた彼女だが、現在は最悪の精神状態から立ち直っている。


「これでランサー卿も無事にお戻りになれますな」

「ん? ……ああ、あー。うむうむ、そうじゃな」


 側近の声へ、思い出したように相槌を打ち、笑みを作るケイリー。

 ここぞとばかりに兄を放逐しようとするランサー弟を制してショーン=ランサーの返還交渉に応じたのは、勿論家臣団への配慮もあるものの、本命はガイウスに対し身代金で捕虜を取り戻すような敵対状態にある、という事実を積み重ね周知するためである。


「マニオンも何とか生還した。ランサーも帰ってくる。忠実なる妾の臣が二人共生きて戻って来てくれるのだ。主としてこれほど喜ばしいことがあろうか? ましてや妾はマッテルリを失ったばかりなのだ。これ以上家来を亡くしては……心が張り裂けてしまう」

「おお……流石はケイリー様! なんとお優しい」


 ロードリック=マニオン敗退の急報を受けた際は「これで完全に敵対したベルダラスが、怒りをもって諸侯へ陰謀を告発するに違いない」と白目を向いて気絶寸前まで追い込まれたケイリーであったものの……髪を掻きむしりながら一晩自室で唸り続けた末、錯乱の一歩手前でこの敗戦を利用する発想にたどり着いたのである。

 即ちそれが「ガイウス=ベルダラスによるノースプレインの辺境占拠及び討伐軍の敗退」を広く告知することであったのだ。


 ……【イグリスの黒薔薇】が内紛の陰謀を暴露する前に、明確に彼との敵対を世に知らしめる。

 これによりケイリーは、以降ガイウスが彼女を糾弾したとしても、全て「敵対勢力の宣伝工作」と跳ね除ける論拠を手にした……手に入れた、と信じたのである。

 主君が臣下ワイアットと違い破滅の袋小路から脱出できたのは、単純にこの発想と手段を取りうる権限、立場の違いであった。


 全てを知る者がいたならば、ケイリーが勝手にガイウスの政治力を過大評価し、一人怯える姿を笑っただろう。

 後世の歴史家の中には、こう分析する者もいる。

 もし彼女が、この時点で陰謀の秘匿を取引材料にコボルドたちの自治承認か不可侵を提案していたならば、後日の流血は幾らか少なく済んだのではないか、と。

 だがそれはあくまで両者の状況と背景、そしてその後を知る存在だからこそ語れる話である。

 当事者たちは相手の事情も思惑も分からぬ中、様々な制約に縛られつつ手探りで進まざるを得ないのだから。


 ケイリーは内紛開始後しばらくして、右腕であったマッテルリという騎士を急病……彼女はドゥーガルド一派による毒殺と睨んでいる……で失い、様々な汚れ仕事を担わせてきた懐刀のワイアットまでもが失態を晒した上で斃れている。

 血筋だけが取り柄の愚鈍な夫と言えど、三年前に亡くさねば幾らかは相談できた筈だろう。

 そもそもの入れ知恵をした王国宰相エグバート=ビッグバーグ公爵に伺いを立てるにも、ガイウス=ベルダラスに漏洩したという重大な一点がそれを妨げていた。率直に話せばいい、というのはやはり天上の視点である。


 つまりケイリーは表沙汰ならともかく、この陰謀について相談できる類の者を、現在全く持ちあわせていなかったのだ。安堵感を必死に求めたのも、無理はないだろう。


 ……とにかくも彼女は告発問題に関し精神的余裕を得た。得たと信じた。

 最終的には解決せねばならないが、これで当面はベルラダラスの後手に回ろうと対応できる。その間に、家督争いへ力を注げるのだと。

 だから今現在彼女の頭痛の種は再び軍事的劣勢に傾きつつあった内紛の挽回と、謁見の間の窓際に立つ一人の美丈夫であったのだ。


「アハハハ、良かったねケイリーちゃん。可愛い家来が返して貰えるって」


 古代彫刻を思わせる逞しい体に、繊細な筆致で描かれたが如き端正な顔立ち。やや癖のある金髪は、窓からの光を受け眩しく煌めいている。青く澄んだ眼差しで笑みを浮かべるこの人物の秀麗さに、ケイリーの傍らの侍女が無意識で溜息をついていた。ケイリーとて、その視線を向けられると熱いものを感じずにはいられない。

 本来であれば五十の齢を超えている筈のこの男は、純血のヒューマンでありながらどう見ても三十程度にしか見えぬ妖しい若々しさ、そして美しさを備えていた。


「相手がベルダラスだから、てっきり殺されるか食われるかだと思ってたけど……運がいいね!」


 余りに気安い語りである。だが、貴族家臣団の中にそれを咎める度胸のある者はいなかった。あの剣士は新入りではあるが、家格や血筋は彼らを遥かに上回るのだから。

 何度もイグリス王妃を輩出したジガン家ですら、その比較にはならない。それこそ、由緒はイグリス王家でも敵わないだろう。相手は南方大帝国皇室の血脈に連なる、諸国でも随一の貴人の家門なのだ。

 そう。例えそれが、かつて敵として争った国の男だったとしても。


「う、うむ」


 ……ケイリーはやや困惑した表情を浮かべつつ、数回頷いてそれに答える。

 ドゥーガルド派重鎮老騎士サザートンの首級を手土産に、突如彼女に仕官を請うたこの男。その押しかけ新参臣下の扱いを、女主人は持て余しているのだ。

 ともすれば場を飲み込みがちな彼の調子に合わせぬよう、ケイリーは話を急ぎ本題へと戻す。


「次は身代金とランサーの交換にあたる人選をせねばならん。さて、誰かおらぬか」


 謁見の間の臣下たちは、揃って床を眺めている。

 先日枯れ川入り口にて書簡を届け返答を受け取った使いとは違い、今度は場合によれば【大森林】の奥、コボルドの集落まで赴くかも知れぬのだ。

【イグリスの黒薔薇】は凶人と呼ばれているが、曲がりなりにも元男爵である。貴族間交渉の礼儀から言えば村まで招かれる可能性が大いにあり、また、その内情を観察してくるのもケイリーから求められるところだろう。

 だが、そんな危険な役目を引き受けたがる者はおるまい。

 軍を率いて攻め寄せるならまだしも、ほぼ身一つである使者の身でモンスターの巣に踏み込むのだ。【味方殺しのベルダラス】とまで称されたあの悪名もある。


「はいはーい! 僕がお使いに行くよ」


 重さを増した空気の中、にこやかに手を上げたのはあの美丈夫。


「ルクス殿……そう言ってくれるのは有り難いが……」

「やだなー、ケイリーちゃん。僕のことはトムキャット、もしくはトムと呼んでくれってお願いしたじゃないか。子猫ちゃん(キッテン)でもいいけど」


 チッチッチ、と指を振る自称【雄猫(トムキャット)】。

 ケイリーは再び当惑の表情を浮かべる。


「トムキャット……申し出は感謝するが、流石に先日加わったばかりのそなたに使者を任せるわけにはいかぬ」

「あ、そう? じゃあ僕はオマケで付いて行こう……ねえ、そこの君」


 先程まで報告を述べていた使者の貴族が周囲を見回した後、おずおずと自身を指さす。


「わ、私ですか?」

「うん。一回行ったんだから、もう一度くらい行ってもいいだろ?」

「私はその……」

「大丈夫だって! 僕が護衛に付いてってあげるから! 僕が強いのは知ってるだろ?」


 アハハと笑いながら歩み寄り、使者の肩に手を回してバンバン叩いた。

 そう言われると彼も反論できず、苦々しげな表情で頭を小さく上下させる。

 この美丈夫は先日の戦場において敵の有名な傭兵団長の首をほぼ単騎で持ち帰り、それを実証しているのだ。


「じゃ、決まりだねケイリーちゃん」

「う、うむ? ……はぁ。まあ良い。済まぬがもう一度頼むぞ」

「は、はい……」


 逃げ道を完全に塞がれた使者が、諦めたように頷く。

 トムキャットがその肩をもう一度ポンポン叩き、笑っている。


「いやあ、良かった良かった。僕もガイウス=ベルダラスの顔を拝んでみたくてね」

「はぁ……トムキャットは珍獣見物か何かのつもりでおるのか……」

「アハハ、まあ、そんなところさ、今回はね。ああでも、一度【人食いガイウス】と食事の話をしてみるのも楽しそうだなあ」


 そう言って雄猫は笑みを作り、白い歯を輝かせた。


「まあ、敵も先の敗戦で引き篭もっておる。こちらも攻め手の準備ができておらん。その間なら良かろう」


 とにかくこの男を手元においておくと調子が狂う。

 しかしその武勇と働きは確かであり、裏切る素振りもない。彼の故国が大騒ぎになっているのも事実らしい。

 ドゥーガルドに比べ人材面で一気に劣勢となったケイリーとしては、彼は今更手放せぬ人物になりつつあった。


 ……ゴルドチェスターの西隣に存在する、「輝ける国」グランツ王国。

 かつて隣国連合軍の一つとして、イグリス王国と五年戦争を繰り広げた三国の一つ。

 その第三王子たる大公、ルクス=グランツ。本来であれば王位を継いでいた男。

 それが突如地位を捨て、何の縁もないケイリーの元に一剣士として転がり込んで来たのだ。


 ケイリーは彼の働きに確かに助けられつつも、新たな悩みとしてその頭を痛めていたのである。

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