66:長老

66:長老


 降り続いていた雨は夕方前には上がり。

 主婦達は夕食の支度に、男達は様々な雑用に。

 そして子供達は、日が沈むまでの短い時間を最大活用すべく、元気に走り回っていた。


 小さなコボルド達が遊ぶ広場の片隅で、サーシャリアの相手をやっと孫娘と交代した長老が、休憩をとっている。

 そこに近付いてきたのは、一人のヒューマン。ガイウス=ベルダラスであった。


「ここ、宜しいですかな」

『好きにせい』


 失礼、と言いながらガイウスが長老の横に腰を下ろす。

 老人は彼の方を一瞥もせず、ただずっと、子供達が戯れる様を眺めていた。

 ガイウスもそれに倣い、広場の方をじっと見ている。


「御老体。そう言えばお名前をまだ、伺っておりませんでした」

『バーニングクオーツフライングナックルハンドアックスオブスリーマジックアンドマイトグレートデリシャスじゃ』

「デリシャス殿」

『……長老でいいわい……で、何の用じゃ』


 視線を交えぬまま、言葉を交わす。


「朝方。レッドアイや男衆から、話がありました」

『ふん』

「この危機を乗り越えるため。私が村の長(おさ)になるように、と頼まれたのです」

『ほーん』

「今夜の集会で、返答が欲しいと」

『そうか』


 耳裏を掻きながら、老人は相槌を打っている。


「そして……この話を皆に説いて回ったのは、長老だと聞きました」

『あー、そうじゃったかもなー?』

「何故です?ヒューマンの私を長に、などと」


 老コボルドは指先についた毛を息で『ふっ』と吹き飛ばす。


『必要なんじゃよ。長がな。村を、皆を守るためには』

「ですが、何もヒューマンの私を推す必要はないでしょう。御老体もいらっしゃる。レッドアイは畑で皆をよく仕切っておりますし、レイングラスも勇敢で仲間思いです。先日の戦いでは、冒険者を討ち取りもしました」

『じゃが、奴等では外の世界の連中には勝てぬ』

「村の用心棒が必要なのでしたら、私が努力致します。長は村の者が務めるべきではありませんか」

『……お前、本当に馬鹿じゃのう』

「恥ずかしながら、よく言われます」


 長老は顔を傾け、半分だけガイウスに向くと。


『あ奴らはな、お前に付いていきたいのじゃよ』


 頬を歪め、そう口にしたのだ。


『抜け出す機会なら、幾らでもあった。冒険者が来た後でも、な。じゃが、お前はそうしなかった。それどころかヒューマン共と戦い、あまつさえ、村を守るためにその身を差し出そうとしたそうじゃな。そして、次はもっと大軍が来るかも知れぬのに、今もまだここにいる。もう、村の者はヒューマンだとか気にせんよ。お前さんは村を大事に思ってくれとるし、皆もお前を信頼しておる。それで十分じゃろう』


 ガイウスは言葉に詰まる。


『ワシが言ったことを若い衆が素直に聞くと思うか? 思わんじゃろ? これはな、元々、皆がそう思っておったから、そう望んでおったから、ワシの話に耳を傾けたのじゃ』

「……御自身は、それでよろしいのですか」

『ハ! 本音を言えばな、良い訳なかろ!? 純然たるコボルドの村としての歴史が終わるのじゃぞ?』


 打って変わって、吐き捨てるように言う。だがこれも、老人の本心なのだろう。

 ガイウスは「そうですね」と呟き、視線を広場の子供達へと戻した。長老も同じく、そちらへと顔を向ける。

 そのまま続く、無言の時。

 しばらくの間、子コボルド達のはしゃぎ声だけが聞こえていた。


『……可愛いものじゃのう』

「ええ、全くですね!」


 大きく頷くガイウス。


『じゃがな。ワシは、それを見捨てて逃げ出したんじゃ』


 老コボルドの声は、震えていた。


『村を襲われたあの日、ワシは娘に息子夫婦、そしてその子供達を失った。生き残ったのは、孫娘のホッピンラビットただ一人だけじゃ』


 ガイウスは、敢えて彼の方を見ない。


『辛うじて生き延びた者の話では、息子は槍で突き殺されたのじゃという。そして嫁と孫達は捕われて袋に詰められ、冒険者に踏み殺されたらしい』


 相槌はない。ただ、頷くことで会話を成り立たせていた。


『のう、木偶の坊よ。その時この老いぼれは何をしておったと思う? 笑えるぞ。そんなことになっているとも知らず、ただただ、走っておったんじゃよ! よろけながら、転びながら、な! ああそうとも! 幼い孫達が惨たらしく殺されている間! ワシはな! ひたすらに逃げておったのじゃ!』


 生き残った村人のほとんどがそうである。実際、長老がその場に居たところで事態は何も変わりはしなかっただろう。

 だが、ガイウスはそう慰めはしなかった。

 この老いた男は、そんなことは分かっているのだ。分かった上で自らを許さず。悔やみ、嘆き、そして語っているのだから。


『分かるか!? この怒りが! 分かるか!? この口惜しさが!』


 故にガイウスは彼の涙を見ず、ただ黙って聴くのである。

 それこそが。ずっとずっと抑え続けていた心情を吐露したこの老夫に対する、最大限の礼儀であった。


『……じゃからワシは、もうそんな光景は見とうない。他の者に見せとうもない。その為なら、コボルドの伝統も歴史も、どうでもよいのじゃ』


 そう言って長老は立ち上がり、ガイウスに背を向ける。


『お前にはお前の考えと道理があるじゃろう。だから無理強いはせぬ。じゃが、皆の思いだけは知っておいてくれ』


 そしてゆっくりと。その場から立ち去っていくのであった。

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