45:圧倒
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「何だ、あれ」
屈んでいたセロンは立ち上がり、目を細めながら呟く。
「農民か?」
「おいセロン、ひょっとしてここは開拓村でもあるんじゃないのか?まずいぞそりゃあ」
若干焦った様子で、グラエムがセロンに問いかけた。
先程の少年に続き、今度は農夫らしき男までも現れたのだ。この空間には【犬】だけでなく人も住んでいると思って当然だろう。
殺人を犯すのに今更抵抗は無いが、ノースプレイン侯領で罪人として追われるのは、困る。
「俺は開拓民出身だから分かるけどな、【大森林】の中に飛び地で村を作る奴なんかいねえよ。危な過ぎる。もし仮に存在するなら、「人里の方が危なくて住めない」ようなはぐれ者だけさ。少なくとも、人数はいないだろ」
「それもそうか」
グラエムが、少しほっとしたような表情を見せる。
「じゃあ、ヒューマンも全員始末する方向でいいな」
「そういうこと。さっさと済ませよう」
武装しているわけではないが、随分と体格の良い男だ。
先程のコボルドのこともある。念を入れて、距離がある内に先制してしまおう。
そう、セロンは考えた。
「ディビナ、まだ魔術は撃てるよな?大丈夫か、よし。じゃあ、十分狙える距離になってから、思いっきり叩き込め」
彼女は返事の代わりに行動へと移り、体内魔素の練り上げを始める。
ロウ……アア……イイ……
ところどころの血管に沿って淡い光を輝かせながら、口からは魔素加工の作業音たる【詠唱】が漏れ出す。
工程を終わらせたディビナは【マジック・ボルト】を発射直前の状態で調整、維持。対象が射程へ入るのを待った。予詠唱(プレキャスト)という戦闘技術だ。
そして相手の顔が確認出来る程まで十分引き付けてから、押さえ続けていた魔素を解放する。
伸ばした腕を利用した直線的な照準は狙い違わず。魔素との急激な摩擦で加熱された空気に、雷鳴に似た音を鳴らさせながら【マジック・ボルト】が敵の顔面目掛けて飛ぶ。そして、
ガキン!
という金属音の直後、それは斜めに地面へと墜落し。土を抉って、消滅した。
「え?」
「は!?」
目を見開き、一様に呆けた声を上げる冒険者達。
だが無理もない。眼前の農夫は、【マジック・ボルト】を鍬で弾き飛ばしたのだから。
強固な盾で防ぐ戦法はある。人力に余るほど厚くした鎧を魔術支援で運用し、魔素の威力に耐える戦術も実戦的だ。だが、弾き飛ばすとは。しかも、鍬で!
「も、もう一度だ!ディビナ!」
認識を現実に引き戻したセロンは妻へ指示を出すと、グラエムにも声をかける。数秒の時間を浪費してしまったのだ。もう、近接戦闘は避けられない。
だが、相手の獲物は所詮農具。加えてこちらは人数が多い上に、ディビナが次に備えている。条件は遥かに有利だ。有利なはずなのだ。なのに何故、背筋がこんなにも冷たいのか。
「グラエムしっかりしろ!やるぞ!」
「お、応!」
自身を奮い立たせるためグラエムを一喝すると、セロンは挟撃に入るために農夫へ向かい合う。
右手からグラエム、左からセロンが回り込み。それぞれが攻撃態勢に移る。
はずが。
農夫は怯みもせず突進してきた上で、むしろ防具の整ったグラエムの正面へ素早く踏み込んできたのだ。
そして、まだバトルアクスを振りかぶったままの彼に対し。その手と盾の隙間を縫って、まるで下から上へと鍬で掬い上げるかのような仕草を見せた後。くるりとセロンへと向き直った。
直後に、グラエムが膝から崩れ落ちる。身体には損傷は見られない。だがその顔面には「顔」が無く、骨や肉、そして眼球が露出していた。
信じられないことに、鍬による一撃で彼は顔面だけを掬い取られていたのだ。
しかし、そんな光景を目の当たりにしてもセロンは攻撃を止めようとはしない。
グラエムとの挟撃は崩れたが、ディビナによる【マジック・ボルト】が詠唱を完了し、発射態勢に入ったのを視聴覚で認識していたからだ。むしろこれは最後の好機とも言えるだろう。
だが農夫はまたも、その目論見を打ち破った。
刹那、彼は距離を詰め。セロンの持ち手を握ってあっさりと斬撃を封じると、いつの間にか鍬を捨てていた右手で喉を掴み持ち上げ、諸共に向きを変えたのだ。
そしてディビナが農夫の背中へ向けて放っていた【マジック・ボルト】を、セロンを盾にして受け止めたのである。
ずぶっ、という感触。
魔素の釘はセロンのレザー・アーマーに突き刺さり、胸板を貫き、左肺を裂いた後、内部の弾力で反射し、更に気管支まで破壊してから消滅した。
無音の悲鳴を上げるセロン。声の代わりに、血が溢れる。
そして用済みとなった彼は地面へと打ち捨てられ。一回転した後、停止した。
混乱する意識、襲い来る激痛、そして呼吸困難……いや、もう息をすることは不可能であった。
そんな状態で草の上に倒れたセロンが目にしたのは、再詠唱を試みるディビナの姿だ。
ロウ……ア
しかし、その【詠唱】は二節目の途中で妨げられた。
農夫がディビナの首を片手で掴み、締め上げることで体内魔素の加工を妨害したからだ。
そして彼は手首の回転だけで魔術士の細首をへし折ると、これもまた無造作に投げ捨てる。
最後に残ったアビゲイルは短剣を捨て既に逃走を始めていたが、これは農夫が投げつけたグラエムの斧により背中を深く割られ、顔から地面へと沈み込んだ。
あそこまで刃が食い込んでは、もう助からないだろう。
(何で、何でこうなった!?どうして俺が、こんな目に遭う!)
痛みと酸欠で混濁する意識の中で、セロンは叫ぼうとする。
だが口からはもう、唾液混じりの血泡しか出てきはしなかった。
(ああ、そうだ、シリル!シリルいるんだろう!?助けろ!助けに来い!)
暗転していく視界の中、眼球を懸命に動かして森の方を見る。そこには、後方警戒に残しておいたシリルが潜んでいるはずだった。
(早くしろ!早く!早く!俺が、俺が死んでしまう!)
この傷ではもう助かりはしない。来たところでシリルの力量ではこの農夫に敵いはしないだろう。そして何より、シリルがこの好機を逃す訳が無い。助けになど、来るはずがないのだ。
だが、今際のセロンにそんなことが気付けるはずもなかった。
(グズめ!お前は昔から……)
……使えない奴だった。
セロンの意識は、そこまで言葉を続ける前に。
永遠に途絶したのである。
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