207:杖と短剣

207:杖と短剣


「早くしろ! 時間を無駄にするな、頭を使って動け! 一刻を争うのだぞ!」


 刻々と薄暗くなりゆく森の中。

 罵声を浴びつつも懸命に木を切り、壕を掘るマニオン隊の兵らがいた。明朝に援軍が駆けつける連絡線を維持するために、コボルドが放棄した陣地を緊急改造中なのである。


「浅い! ええい貸せ、穴も満足に掘れないのか貴様は! こうだ、こうやってだ! 分かったな!? そして切り倒した木や土嚢と組み合わせて、魔杖射撃から身を隠せる深さを早急に確保しろ!」


 奪い取った道具を押し返し、ロードリック=マニオンが兵に続行を促す。不満顔の男は何かを言いかけたが、噛み殺し作業へ戻っていく。


「まったく、この程度の作業もできんのか」


 苛立ったマニオンが吐き捨てるが、それは無理な話だろう。

 出撃前に本陣で土嚢用の袋を用立てておいたように、王都の騎士学校で教育を受けた彼は野戦築城も心得ている。だが掻き集めた臨時兵は、設営はおろか従軍経験すら無い者のほうが多いのだ。「陣地を作れ」の一言で事足りるのは、マニオン家……正確にはロードリックの父……が育てた職業戦士だけなのである。

 そしてその肝心な熟練兵を、マニオンは直接指揮が届かぬ支隊の質を上げるため本隊からごっそりと割いていた。この方針は説得力を持ち実際効果も上がったが、結果として彼自身の手元に古参常備兵はごく数名しか残っていない。

 寄せ集めに、迅速な働きを期待などできようか。


「のろまめ、もっと早く手を動かせ手を! そこ! そこのお前! 土嚢はこっちに積め馬鹿が!」

「は、はい」


 それでも懸命に続けられる作業。一方向にしか防御力の無かったコボルド陣地が、全方向対応の即席防塞へ作り替えられていく。


「ようし、後はこのまま朝まで陣地を維持するだけだな」


 突貫工事で困憊した兵たちへ呼びかける、未だ意気盛んな貴族騎士。

 既に森はすっかりと闇に包まれ、篝火だけが周囲を照らしている。距離を置いた向こうやその奥にもぼんやり見える灯りは、同様に連絡線要所を守る支隊、各五十名のものだろう。


「あの犬どもは防塞に籠もり射撃での防御戦闘に徹するからこそ、ようやくヒューマンと戦えているだけだ! 連中は体躯も力もヒューマンをずっと下回る故に、本質的に肉弾戦を避ける必要があるからな!」


 昨年の戦いでは、コボルドの白兵突撃を決定打とし敗れたマニオンだ。だが逆にその辛酸が、彼に確信を持たせたのである。

 あの時のように分断の上で包囲という混乱状態でなければ、ヒューマンがコボルドに白兵戦で後れをとりはしない、と。まともに戦えば、自分の率いる軍が負けるはずはないのだ、と。


「防塞を魔杖射撃だけで占拠することはできん! 白兵戦が必要不可欠な陣地制圧は、連中が最も苦手とするところで間違いはない! 警戒すべきはベルダラスのみだが、そのベルダラスとて守りを固めた陣地に易々乗り込めるわけでは無いのだ! 先の騎兵とて同様! つまり我々は圧倒的優位に立っている、そのことを忘れるな!」

「かしこまりました、若!」

「「「は、はいマニオン卿!」」」


 ロードリック=マニオンは血筋だけの能無し貴族ではない。確かな力量を持った秀才である。彼によるコボルド王国軍への分析と対策は、やはり正しいと言えるだろう。

 ただし……あくまでそれはマニオンが知る情報に基づいての範疇、という話だが。



 暗い森の中で木馬を撫でさすり労る、親衛隊の面々。


『フフフ……ビアンカ、今日も綺麗な肌をしているね……』

『フローラの年輪はいつも可愛いよ……』

『これ分かるかい? 新しいワックスさ……二人きりの時にかけてあげるね、デボラ』


 コボルド式ゴーレムは、魔法技術の未発達を独自の精霊憑依で補っている。それ故に精霊の機嫌はゴーレムの性能に直結し、もしヘソを曲げられたならば制御すら覚束なくなってしまうのだ。

 だから彼らはゴーレム馬に名前を付け、全力で褒め、口説くのである。多少……多少気色が悪いのはご愛敬ということしよう。


『よ、来たぜ来たぜ……ってお前らまたやってるのか、ソレ』


 手を振りながらそこへ現れたのは、猟兵を引き連れたレイングラスだ。


『ぅお疲れ様ですッ! レイングラス殿ッ!』


 暑苦しい声と敬礼で迎える、親衛隊長ブルーゲイル。


『東部の防戦ッ! お疲れ様でしたッ!』

『おうおう。他の部隊ももうこっちに来て、配置についているぜ』


 日中のコボルド側は親衛騎兵のみを西部へ急行させマニオン隊の前進を阻むと、十分に残した戦力をもって東部ノースプレイン軍の囮攻勢に対応したのだった。

 ヒューマンたちは夕方まで続いた激しい戦闘で損害を重ねた上で撤退し、今は朝の位置まで下がりコボルド軍の前線と睨み合っている……いや、「睨み合っていると思っている」。

 サーシャリア=デナンはその思い込みと夜闇に乗じて、東部戦力をごっそり西部へ移動させてきていたのである。

 つまり、東西時間差をつけての最大戦力投入作戦だ。


『やれやれ寝不足になりそうだな。若くない身には、なかなか酷だぜ』

『大丈夫ですよレイングラス殿ッ! 作戦が上手くいけば、明日の昼は寝て過ごせるはずですからッ!』

『そうだな、そう期待しよう』

『なりますともッ!』


 青毛の親衛隊長と赤胡麻の猟兵隊長が笑い合う。


『ブルーゲイル隊長、レイングラス隊長、指揮所から霊話あり! シャーマン組による精霊への接待が終わったので、各隊突入準備せよ、とのことです!』


 談笑へ割り込むように、親衛隊の霊話兵が伝えた。


『じゃ、ブルーゲイル。また後でな』


 はい! と応じてレイングラスと別れ、ブルーゲイルは踵を返す。


『親衛隊ーッ、着け剣ーッ!』


 既に歩兵用魔杖に換装し、整列していたの親衛隊員が一斉に短剣を鞘から抜く。

 全てが規格統一された、ミスリル合金製かつ強化魔術刻印済みの魔短剣だ。


『『『着け剣ーッ』』』


 そして復唱した彼らはその短剣を、魔杖の先へ近付ける。

 双方に細工が施されたその二つは、「ガチリ」と金属音を立てて噛み合った。


『親衛隊ーッ、前進!』

『『『はっ!』』』


 自身は魔剣を携えたブルーゲイルに率いられ、親衛隊が進む。左方では、やはり着剣で魔杖を槍に作り替えた猟兵隊が並進している。

 彼らが見やるは、正面向こうで篝火を焚き待ち構える敵陣地。


『指揮所から突入指示が来ました! 三十秒後に精霊が動きます!』

『よし! アオォォォォン!』

『『『アオォォォォォン!』』』


 ブルーゲイルの声に合わせ、親衛隊、そして猟兵隊より上がる遠吠え。

 そしてそれは、木々の暗がりの中からも同様に帰ってきた。

 幾つも、幾つも、幾つも!


『突入開始ーッ!』

『『『牙と共に!』』』


 南方諸国群史に記される、最初の杖剣(じょうけん)突撃である。

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