236:本陣襲撃
236:本陣襲撃
「火事、火事だーッ!」
「いや、て、敵襲だ! 武器を、武器を取りに行け!」
「その武器庫が燃えてるんだよ!」
イスフォード軍本陣に残された守備兵は約三十名だが……この戦いで出た負傷者三百弱のうち二百ほども、天幕群で療養している。大半が行軍や戦闘に支障をきたしている者だが、それでも剣や魔杖を手にすればある程度の脅威になるのは間違いない。
そのためコボルド突入隊は最初に、負傷兵の魔杖や武器を保管している天幕を周囲ごと【ゴブリン火】で焼いたのだ。
「火が強くて近付けん!」
「水をかけても全然消えねえぞ!?」
「クソ、まるで大昔に南方大帝国の海軍が用いたという【南方の火】ではないか……!」
イスフォード騎士の呟きは例え話に過ぎなかったが、実は真実を突いていた。
何百年もの昔に南方大帝国のヒューマンらは【大森林】のゴブリン族と通じ、これを提供させ【南方の火】の名で海戦兵器に用いていたのだ。しかし大帝国崩壊時に双方のツテも記録も失われ、今では幻として伝承に残るのみの存在となっている。
もし歴史学者が研究していれば、これはかつて南方でも多種族が当たり前に共存していたという暖かな証左になり得ただろう。だが今はただ辺境戦争の一武器として、夜空を赤く染めるだけであった。
『ハイーッ! ハイヤーッ!』
「うわわわっ!?」
懸命に消火活動を試みる兵を、駆けるコボルド騎兵が追い散らしていく。武器の無い負傷兵らは、火と煙にも追われて逃げ惑うばかりだ。
『逃げる奴は放っておけェ! 抵抗する奴だけ、討ち取っていくのだッ!』
『『『応ッ!』』』
焼ける天幕の間を縦横無尽に走り回り、実数よりも過大な錯誤を敵に引き起こす木馬騎兵。一層の混乱を招かれ、最早敵の大半は避難民の様相である。
それでも剣戟の音が響いてくるのは、やはり手元から得物を放さぬ者が一定数いたためだろう。コボルド軍は本陣防衛隊と彼らを押さえ込みつつ、総大将オジー=キノンを探し出すという難題をこなさねばならない。
「おうおう結構いるじゃねえか! おいナッス! 気ぃ抜くなよ!」
「それはワタクシの言葉ですわ! えーい八連装マジック・ミサーイルッ!」
「「「ぎゃー! 何だこの化け物ー!?」」」
「あっつーぅい!?」
「ああこの馬鹿、そこの水桶被っとけ!」
とはいえここまでに二百以上の防衛戦力を本陣から切り離していなければ、突入自体が自殺行為で終わっただろう。この状況ですら、コボルド軍は相当に恵まれているのだ。
「今の内であります! ここは自分たちに任せ、【剥製屋】を!」
顔の返り血も生々しいダークが、ガイウスへ促す。今は奇襲と武器庫焼き討ちが効いているとは言え、元々数的劣勢は承知の作戦である。本命を仕留めねば、やがて敵軍に囲まれかねない。イスフォード兵も落ち着きを取り戻せば、棒なりなんなり掻き集めてでも反撃してくるだろう。
コボルド王は「任せる」と短く応じ、親衛隊数騎を伴いさらに先へ向かっていく。
「このあたりの天幕にいるはずだ! 敵を排除しつつ、【剥製屋】を探せ!」
『『『了解しましたっ!』』』
指示を飛ばしてコボルド兵を散開させつつ、マイリー号から飛び降りるガイウス。そこをイスフォード兵四名が囲むも、たちまちに首や腕を刈り取られている。
しかしその直後、ガイウスの左側……潰れた左目の死角から躍り出た人影から、
ひゅっ! ぎんっ!
と速く鋭い一撃が打ち込まれたのだった。
空気を裂く音に続く金属衝突音は、それをガイウスのフォセが防いだものだ。
「何でこれを防げるんだよオイ……その眼帯、ひょっとして嘘なのか? 【イグリスの黒薔薇】さんよ」
転がるように距離を確保しつつ、ボサボサ髪の襲撃者が舌打ちした。
「貴殿は一昨年の……冒険者のチャスであったか。相変わらず、良い太刀筋をしている」
「覚えててくれたか、嬉しいぜ。もっとも今は『元』冒険者さ。転職したもんでね」
「ほう」
視線を交えた男たちが、頬を歪める。
しかし見る者が見れば、このやり取りですら隙を窺う無形の攻防だと分かるだろう。
「やれるのか!? チャス!」
元冒険者の背後より叫ぶ、一人の女騎士。
「ああ、お前さん家の魔剣を借りたからな。これで一昨年みてえに、得物を叩き折られたりはしねえさ」
右雄牛の構え。
七色の光沢と強化の魔術印を見せるそのロング・ソードは、年代物だが業物である。おそらく調べれば、名鑑に名を連ねられるであろうほどの。
確かに以前ガイウスに折られた安物とは、訳が違うというものだ。
「おや……君はダークが騎士学校時代の同窓ではなかったかな。確か首席卒業をした、ギナ家のビクトリア君か。うちのダークがお世話になっています」
元冒険者と切っ先を向け合ったまま、小さく頭を下げるコボルド王。
王城で数度挨拶しただけの自身を記憶されているとは思わず、ビクトリアは目を白黒させていた。
「……しかし折角、王領(ミッドランド)の騎士がこんなところにいるのだ。後ほどじっくり、話を聞かせてもらおうか」
ガイウスとしては単純に尋問したいだけなのだが、ビクトリアは過酷な拷問をされるとでも思ったのだろう。悲鳴を上げる気力すら奪われ、しなしなと地面にへたり込む。
それを庇うように、割り込むチャス。
「おおっと【イグリスの黒薔薇】さんよ、浮気は止せや。相手は俺なんだぜ」
「そうだな。すまなかった。早く終わらせて、私も仕事に戻らせてもらおう」
向き直る二人。
そして一呼吸を置いた後に……また刃同士が激突したのであった。
◆
オジー=キノンのものらしき大型上質天幕に、その姿は無かった。
だからコボルド突入隊はイスフォード兵を退けながら、危険を承知で手分けの上して捜索せねばならなかったのだ。
『……まさかな』
怒号と喧噪の嵐の中。鼻をひくつかせつつ、ある天幕の前で立ち止まるレイングラス。
それは大型だが、お世辞にも上等とは呼べぬ天幕だった。伯爵の寝所などとんでもない、物資置き場や雑兵の詰め込み宿舎にしか見えぬ程度の。
だが赤胡麻毛皮の狩人は一種の予感を抱いてそこへ踏み入り……そして、それを的中させたのである。
「ダハッ! ここに隠れてりゃあ、やり過ごせると思ったんだがな」
天幕内にいたのは、作業衣に前掛け姿の中年男。手には睾丸(ボロック)ナイフと呼ばれる、球二つが鍔を飾る短剣を携えている。
一見すれば貴族らしくもない、その風体だが。
『お前がオジー=キノンだな?』
「いいや違うぜー? オッレの名前はザカライア……」
『あおぉぉぉぉぉん!』
「おいゴラ少しは考え込めや!」
遠吠えを終え、キノンへ向き直るレイングラス。
霊話の使えぬ彼はこうするしかないが、周囲のひどい喧噪に掻き消され誰かに届くかは疑問だろう。とはいえ表に出て仲間を求めれば、その隙に逃げられるのは必定だ。それだけは絶対に、避けねばならない。
「見くびられたもんだな、お前一匹でこのオッレを足止めするつもりかよ」
『隠れてた奴に言えることかよ』
そう言いつつも互いの隙を探る両者。方や逃げ出すため、方や逃がさぬため。
そうして視線を巡らせる赤胡麻の狩人であったが……ふと彼は左手方向に置かれた皮干し台に、あるものが張られていると気付いたのである。
『……レッドアイ』
変わり果てた友人の姿が、そこにはあった。肉と骨を削がれ一枚の皮となった、友人の残骸が。
「おっ、なんだなんだ? もしかしてソイツ、お前のオトモダチかーん?」
『……ああそうだ。俺のダチさ』
「ダハハハ! そうかそうか! お、鼻に皺寄せてよ。怒ってんのか? まさか怒ってんのかーん?」
友人と知り、キノンが煽る。揺さぶりで隙を作ろう、という腹づもりに違いない。
「でも文句言われる筋合いはねえぜー? お前らコボルドだって、獣狩って皮ァ剥いで暮らしてんだろぉ? それと何が違うってんだよー? あーん?」
更なる挑発のつもりか。だが。
『……勘違いすんなよ、別に咎めるつもりもねえ』
レイングラスはゆっくりと首を振り、肩をすぼめつつ応じたのだ。
『俺は狩人よ。可愛いあの子のご機嫌取るためだけに、リスの襟巻き作りもする狩人よ。それとお前のこれにどのくらい差があるかなんて、まあ……大した違いじゃないだろう』
「ほほーぉん?」
『ただな……ただちょっと……ちょっとだけ文句を言わせてもらうとよ』
「ダハッ! 何だよ?」
『ヘッッッッッッッタくそな剥ぎ方しやがって。刃を入れるところも走らせ方も、肉削ぎまでも全然なってねえぞオイ』
挑発側のはずだった、オジー=キノンの笑みが固まる。その一方で首は異様な痙攣を見せており、まるで噴火寸前の火山という様相だ。
『あーあー見ろよ、尻尾が千切れちまってるぜ……まあ慣れないと力加減しくじりやすい場所だからな……』
わざとらしい溜め息と共に、ゆっくり首を振るレイングラス。
そうして溜めるだけ溜めた後……彼は『にぃ』と歯を剥いて必殺の口上を放ったのだ。
『ド素人め』
「殺すッッッッッッッ!」
彼の中では絶対に譲れぬ矜持を傷つけられ、激昂するオジー=キノン。
最初からそれを見抜かれていた、この伯爵当然の敗北である。
「てめええは許さねえええええッ!」
『いいぜやって見ろよ!』
襲いかかる【剥製屋】、迎え撃つレイングラス。
こうして赤胡麻のコボルドは友人の力を借りることで、獲物を見えぬ鎖へ繋いだのであった。
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