22:元居候の場合

22:元居候の場合


 公安院に所属する騎士ダークは、三ヶ月ぶりに王都イーグルスクロウに戻ってきていた。

 随分と久しぶりになってしまったのは、王領(ミッドランド)の南にある港湾都市で、密輸案件の身分秘匿捜査に加わっていたからである。


「東方諸国群を経由して、グレートアンヴィル山からドワーフの秘宝を密輸入しようとしている商人がいる」


 という密告に基いて数ヶ月に及ぶ潜入調査を行った末に押収された物は、ドワーフが作った大量の卑猥な像や、多種多様な性癖で描かれたいやらしい書籍群であった。

 ある意味秘宝ではあり、好事家の貴族や金持ち達から収集を依頼された猥褻物だそうだが、別段禁制の品ではない。

 どうやらガセ情報を流したのはライバルの輸入商だったらしく、怒り狂った現地の公安支局員が、今頃は文字通り物理的に犯人を締め上げているだろう。


 潜入中は当然、知り合いと連絡を取ることなど出来ない。身内が連絡を取ろうとしてきても、当然公安院の方で遮断してしまう。

 だからダークは、ガイウスが役宅を引き払い、王都を離れていたなど、全く知る由も無かったのだ。



 ガイウス宅とは違う役宅の玄関。


「おお、久しぶりだな」


 そう言ってダークを迎えたのは、ガイウスの先輩騎士であるウィリアム=キッドだ。

 彼は騎士学校でガイウスの二年上級の先輩であり、鉄鎖騎士団で共に五年戦争を戦った人物だが、戦後は国土院でずっと机仕事をしている。

 時期こそ重ならないが、ダークにとっても鉄鎖騎士団に所属した大先輩であり、また、同じ戦技の師匠を持つ遠い兄弟子でもあった。

 下級とは言え貴族らしからぬ気さくさを持つ人物で、親しいものからはフルネームを縮め「ビルキッド」と呼ばれている。

 騎士学校に入るまでガイウス宅に居候していたダークもまた、懇意にしてもらって長い。

 そのビルキッドの横にちょこん、と立っている可愛らしい少女は、キッド家の長女であるニース嬢だ。


「ビルキッド殿、お久しぶりであります。ニース嬢も相変わらず可憐でありますなぁ」


 ケケケと笑いながらニースの頭を撫でるダーク。少女は嬉しそうに掌に頭を預けている。


「ガイウスのことだろう?」

「いかにも。あのオッサンは一体何処へ行ったのでありますか?」

「あいつなー、騎士辞めて爵位も返しちまったんだよ」

「あー、それで役宅出ていったのですな」


 はいはい、と頷くダーク。

 その顔には、「やはり」と言わんばかりの苦い表情が浮かんでいた。


 宰相からは、ずっと憎まれていたのだ。

 主だった部下は他へ異動させられ、逆に監視役として宰相派閥はどんどん増やされていった。

 昔のように刺客が送られないだけマシであるとはいえ、いつかはそうなるとダークは思っていたのである。


「……分かってはいましたが、限界が来たのですなあ。あの人、政治出来ませんからな」

「まあ、あの宰相相手じゃどうしようもない。やっこさん、お前さんにも何度か連絡を試みていたが、全部公安院で止められてて駄目だったみたいだ」

「内偵中は無理ですな……それで、ガイウス殿は何処に引っ越したのでありますか?」

「ああ、その事については手紙を預かっている」


 ビルキッドから手紙を手渡されるダーク。


「はあ、手紙ですか……相変わらず汚い字であります」


 眉をひそめながら便箋に目を通すと。


《ダークへ


 騎士辞めたので田舎に帰る。

 また連絡する。


 ガイウスより》


「えふっ」


 という変な咳と共に、ダークの鼻から水っぱなが盛大に垂れる。

 それほどに動揺した様をビルキッドは今まで見たことが無かったらしく、「おいおい大丈夫かお前」と心配そうに声をかけてきた。

 ニース嬢は慌てて背伸びをしながら、ダークの鼻水をハンカチで拭おうとする。良い子だ。


「……重大事項が簡潔を通り越して適当に書かれている……」


 腰を屈め、少女に鼻水を拭ってもらいながら、ダークは溜息をつく。

 が、すぐにすっと立ち上がると


「さて、こうしてはいられないでありますな」


 後頭部を掻きながら、呟いた。


「何だ、まさか追いかけるのか」

「当然であります」

「おいおい。そんなことしても、ガイウスの奴は喜ばんぞ?お前もいい加減、親離れしたらどうだ。それにお前、子供の頃からの夢が叶って、騎士学校を出てやっと騎士になれたんじゃないか」


 ビルキッドが腕を組み、苦言を呈する。


「あー、そのことでありますか」

「ああ」

「あれ、嘘であります」


「んふっ」という咳とともに鼻水を出したのは、今度はビルキッドの方であった。

 ニースはそれに対し何もしない。思春期の少女は、父親には冷たいのだ。


「嘘ってお前」

「騎士なんて、どーでもいいのですよ。正直面倒臭いだけであります。ケケケ」

「ええぇ……」

「さて、こうしちゃおれません。あっちの方が面白そうなんで、とっとと騎士なんか辞めてくるであります」

「仮にもお前は今公安院所属なんだぞ?そう簡単に辞めさせてくれないだろう」

「大丈夫大丈夫。適当に誤魔化します故。自分、嘘は得意でありますから」


 ダークはそう言ってケケケと笑い。


「では、自分はこれにて!落ち着き先が決まったら、また連絡するでありますから!」


 ばしん!と勢い良く拳を胸の前に当て、敬礼の姿勢を取ったかと思うと。

 猛烈な勢いで駆け出していってしまった。


 ……騎士ダークは公安院に辞表を提出したのはその直後だ。いきなりのことである。当然、受理はされなかった。

 だがダークはそんなことはお構いなしに、王都を出奔してしまったのである。

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