第160話 チーム
最強の打者は三番に置くべきだとか、いや二番に置くべきだとか、色々と言われている。
だが日本の、プロ野球の主砲と言うと、やはり四番というイメージはずっと続いている。
大介がいくら打っても、他の球団が三番に最高の打者を置くようにはなっていない。
最も巧打のタイプの打者は、四番から三番に移っている例はある。
全盛期の金剛寺であれば、今の価値観であれば、確かに三番を打っていてのかもしれない。
だが大介の後の四番を打つというのは、また違った意味がある。
今季のレギュラーシーズンにおいて大介は、得点と打点との差が少なくなっていた。
つまり踏んだホームの数と、叩き出した打点が近くなったのである。
それはホームランが増えたことも関係しているが、大介が塁に出た後、その大介をホームに帰すバッターが働いたということだ。
ホームランを打たれた上杉は、さすがにショックである。
だがそれは金剛寺に向けられるものではなく、自分自身に向けるべきもの。
見切りが甘かった。
大介以外のバッターは、八分の力で抑えるつもりであったが、全てがそう上手くいくはずもない。
金剛寺はその全盛期には、毎年40本以上のホームランを打っていた男だ。
それに対して自分は、体力を温存しなければいけないとは言え、力を抜きすぎた。
シーズン中も下位打線にホームランを打たれて、敗戦投手となったことがある。
今のはそれと同じことではなかったのか。
「上杉」
近寄ってきた尾田の表情も硬い。
「すまん。見誤った」
「それはこちらも同じです」
「いや……俺が見極めなければいけなかった相手だ」
尾田は金剛寺よりも年は下だが、一軍の中で頭角を現すのは先であった。
だから金剛寺の弱かった頃も、覚醒したかのように成長した頃も、そして今の必死で維持している状態も理解している。
それを全て把握した上で、上杉からは打てないと思った。
だが人の執念は、いくらでもグラウンド上で奇跡を起こすのだ。
(いや、奇跡だなんて、そんなことを言ったら失礼か)
もっとずっと泥臭いものが、何層も積み重なっている。
(老獪……まああの人は、しぶとさなら今のバッターじゃ日本一かもな)
金剛寺はバッターとしてはかなり遅咲きだったのだ。
それがもう、同期のドラフト組の選手では、他に一人しか現役はいない。12球団でたった二人。
大介を相手にしたあと、一時的にでも気を抜いたら、打たれるバッターではある。
だが初球を狙い打ちにされたのは、尾田も疲れて配球が安易になっていたのだ。
それを別にしても強いが、それでも勝たなければいけない。
もっとも尾田のようなベテランからすると、負けてしまったほうがいいのでは、とも思うのだ。
上杉は消耗している。
大介との打席のみではなく、それ以前からずっと投げ続けている。
味方でさえ正捕手の尾田ぐらいしか、それこそ監督たちでさえ気付いていないだろうが、六日間で三戦目。
しかも前の二試合を完投しているのだ。
既に名声も確立し、完全にプロ野球選手としては勝ち組となった尾田は、普段はチームの勝利を最大限に優先する。
だが、さらに広い視野をもって見れば、上杉を守ることは、プロ野球界全体の利益になるのではとも思うのだ。
別所監督の政権がここまで続いたのは、上杉のおかげだ。
上杉がいなかったらどうせ今頃、監督の顔は変わっていたはずなのだ。
二年連続で日本一の後も、三年連続でクライマックスシリーズに進出しているのだから、もうこのあたりで充分ではないのか。
(いや、今は試合のことだけを考えろ)
負けてもいい理由を考え始めたら試合は終わりだし、そしてプロとしても終わりだ。
一点が入った。
予想していた大介が倒れ、そしてその後の金剛寺が打った。
まさに四番としての仕事を果たして、一点を取ってくれたのだ。
(もう一点も許さん)
真田は静かに燃えている。
うなるようなスライダーを見せながら、ストレートとカーブで三振を奪っていく。
時折見せるシンカーを隠し味に、バッターを打ち取る配球。
今日の正捕手の滝沢の力と言うよりは、バッテリーコーチ島本の分析あってのものだ。
ノーノーを阻止された三番堀越に対しても、変に慎重になりすぎることもなく、自分の感覚を信じて投げ込んでいく。
ノーノーなどを目指すのではなく、とにかく失点しないこと。
全力を出して相手を0に封じ込めれば、九回で勝てる。
延長引き分けでも日本シリーズ出場は確定するのだが、ライガースのピッチャーでも、真田と並んでエース扱いの山田はかなり消耗している。
雨天順延のせいで、日本シリーズまでの日程が短い。
山田もそうだが真田も、アウェイで行われる一試合目と二試合目あたりまでは、試合を捨てる覚悟がいるかもしれない。
それでも、今日の試合で決めておきたい。
真田も優れたピッチャーなので、直感に優れたところがある。
上杉は確かに打たれたが、まだ折れてはいない。
一点差など、プロの試合で確実に守りきれるのは、まさに当の上杉だけであろう。
プロ以外にも範囲を広げれば、あの忌々しい化け物も、その例外的なピッチャーの一人だ。
そして今の上杉には、おそらく試合をひっくり返すパフォーマンスを発揮する余力はない。
一点差で勝てる。
自分が完封すれば、他のピッチャーは休める。
ならば全力で完封し、全力で休む。
日本シリーズの終盤までに回復すれば、それでどうにかなるだろう。
真田の力投に、バックもよく応えた。
真田も現在はリーグ屈指の好投手だが、それでも防御率は二点に近い。
一点を軽く切っている上杉が異常なだけだが、真田も歴代のシーズン記録に既に名前が載っている。
今日は珍しくというか、ライガースにとっては珍しく、投手戦だ。
上杉は追加点を許さないが、真田も失点を許さない。
今日は打撃で貢献できていない大介も、守備では平気で超ファインプレイを連発する。
サードが取れなかったレフト前へのヒットの打球を、飛びついてキャッチしてしまったり。
ピッチャーの頭の上を抜くセンター前を、キャッチしてしまったり。
まるで忍者のような守備力は、打撃がなくてもスタメンに入れるレベル。
ゴールデングラブ賞を、今年も取る気満々である。
そして試合は、七回の裏。
大介の三打席目が回ってきて、ノーアウトでランナーなし。
スターズとしてはここで、大介と金剛寺を連続で完全に封じ込め、残り二回の攻撃に勢いをつけたいところである。
だが大介も、肩の力が抜けている。
上杉との対決は、確かにお互いの全てを賭けた、頂上決戦である。
だが試合は、チームで勝つものだ。
上杉が大黒柱のスターズと、あくまで大介には好き放題にさせるライガース。
遊撃手であるだけに、大介に下手な制限を設けないのがよかったのか。
三年目も終わりであるのに、そんな分析をしたりしている。
たとえ負けても、傷跡を残す。
肉を切らせて骨を断つ、それぐらいの勢いで、大介は上杉と対決する。
相打ちでも、チームは勝てる。
上杉もまた、大介を抑えて勝たなければ、チームに流れは来ないと分かっている。
マウンドの上では表情を崩さないが、内心ではかなりの疲労が溜まっている。
それでも、どちらかが勝ち、どちらかが負ける。
当たり前の話だが、惜しい話でもある。
だからこそ面白いとも言えるのだが。
この打席で打たなければ、あるいはもうこの試合には四打席目は回ってこないかもしれない。
上杉ならば、その可能性はある。
そして上杉としても、大介を抑えない限りは、逆転の目はないと分かっている。
170kmオーバーが当たり前のように出る、この両者の対決。
大介の打球もファールになったとしても、遠くにまで飛んで広告看板を歪ませるだけの衝撃を持つ。
ここで打てば、おそらく試合は決まる。
ホームランまでは届かなくても、四打席目は回ってくる。
そしてノーアウトからなら、後続に期待して足で点を取ることも出来るかもしれない。
上杉が投げ、大介が打つ。
三度のファールの後の、上杉の渾身のストレート。
それを捉えた大介であるが、打球は高く上がった。
レフト方向へのそれは、風に流されてファールグラウンドでのキャッチアウト。
三打席目もまた、上杉の勝利であった。
引き分けでも、日本シリーズに進める。
だがそんな甘い考えをもって、投げるような真田ではない。
上杉が投げるこの試合、結局ヒットは真田が打った一本と、金剛寺のホームランだけ。
三振は16を数えて、四死球もなし。
普通に考えれば上杉が負けるような内容ではないのだ。
ライガースは前の二年間も含めて、五敗一分。
だが今日、その呪縛から解き放たれる。
上杉に、ポストシーズンでの初めての敗北を。
そしてそのピッチャーには、自分がなる。
上杉はほとんど大阪光陰のせいで、甲子園で優勝できなかった。
真田は完全に大介のせいで甲子園で優勝できなかった。
そして今、真田が上杉に負け星をつける。
不敗神話が終わる。
重要な試合には必ず勝つと言われてきた上杉が、ついに負ける時がやってきたのか。
ライガースの首脳陣は、真田の代え時も考えている。
だが150球近くまで投げて、まだ真田の球威には衰えがない。
むしろストレートも変化球も、キレは増してきている気さえする。
これは代えられない。
真田のピッチングは、エースのピッチングだ。
ここはたとえ点を取られても、真田を代えるような状況ではない。
九回の表、スターズ最後の攻撃。
下位打線から始まるこの攻撃に、スターズは代打も出してくる。
だがこの、打つべき時に打つ代打にも、真田のスライダーは有効だ。
右の代打を続けても、真田が打たれることはない。
二者連続で三振に取って、そして最後のバッター。
ここで打順が回ってくるあたり、上杉は持っている。
ラストバッターはピッチャーの上杉。
だが当然スターズベンチは、これには代打を出さない。
上杉はピッチャーだが、セのピッチャー全員の中で、一番の打率、打点、本塁打を誇る。
つまりピッチャーの中では打撃三冠であり、何度かバッターとしても使えないかという二刀流の期待さえされるほどだ。
だが上杉は、エースだ。
バッティングでも確かに、下手な野手よりはよほど期待値は高い。
それでも上杉は、エースであることを望むのだ。
一発の危険がある上杉であるが、当然ライガースベンチが敬遠のサインなどは出さない。
上杉を打ち取れるかどうかという話ではなく、プロならここで勝負しなければいけないだろうと分かっているからだ。
真田にとっても、ここは一つの正念場だ。
上杉を打ち取って、もう一つの壁を破れ。
スライダーから入ったピッチングに、上杉は反応する。
フルスイングしたその打球はレフト方向に伸びて、ライガースファンの間からは悲鳴が上がる。
ポールの向こうに切れていく打球に、どうにか安堵するのは真田も一緒である。
バッターとしても並のクリーンナップ以上の力がある。
それはこのクライマックスシリーズの第一戦で、己のバットで逆転弾を打ったことからも分かっている。
しかしそれでも、真田は立ち向かうのだ。
際どいところへの出し入れで、カウントはツーツーとなる。
最後に真田が選んだのは、スライダーではなくストレート。
上杉のスイングは、それを捉えた。
高く舞い上がった打球は、わずかに風の影響を受ける。
センターが深く下がって、フェンス近くでボールをキャッチした。
スリーアウトでゲーム終了。
クライマックスシリーズを制したのは、三年連続でライガース。
そしてクライマックスMVPに輝いたのは、二勝一完封の真田であった。
また、負けた。
そして上杉という絶対的なエースの、不敗神話の終焉。
別所監督の口は重く、おそらく己の進退問題にはなるだろうな、とは思っている。
だが、それでもいいだろう。
二年連続で日本一に輝いた後、三年連続でクライマックスシリーズファイナルステージ敗退。
下手にしがみつくよりも、誰かに譲った方が、自分のキャリアとしてはみっともなくならなくてよい。
上杉はインタビューを終えて、球場を後にする時も、顔をしっかりと上げている。
負けたことは負けたが、別に今まで不敗であったわけではない。
甲子園では結局、一番最後の試合には、一度も勝てなかった。
負けたが、まだここが限界ではない。
ここであっさり諦めてしまえるほど、プロ野球は甘くない。
来年はさらに力を増して、そして今度こそ優勝する。
高校時代、一度もこの甲子園では優勝できなかった。
そしてプロになってからも、これで三年連続で、甲子園でのプレイオフは敗北している。
今回はその黒星が、自分についたというだけだ。
未来は、人生は、そしてプロ野球選手としての生命は、まだまだ先がある。
(もっと、勝てるピッチャーにならんとな)
神を右腕に宿す最強のピッチャーは、絶望も慢心もせず、ただひたすら前に進もうとしていた。
そしてそれを、尾田もしっかりと見つめている。
上杉を援護できる打線が必要だ。
特に下位打線では、スターズはまだまだ得点力が低すぎる。
ヒットを打つ必要はないのだ。ただとにかく、泥臭くてもいいから点を取っていかないといけない。
そう、たとえば上杉からでも点を取るような、そんな覇気のあるバッターがほしい。
プロ野球人生、尾田は38歳のシーズンが終わった。
もう自分の栄光ではなくチームの、そして後進の育成に力を入れる段階だ。
(こいつをもっと、勝たせてやらないとな)
チーム全体のことを考える尾田は、選手ではあるが首脳陣、あるいはフロントに考えが近い。
二度あることは三度ある。
ならば四度目はどうなのか。
四度目までは嫌な尾田は、チーム全体の姿を見つめて、来年の構想を練るのであった。
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