第62話 ストーブリーグ

 プロ野球選手には二つの戦いがある。

 レギュラーシーズンの戦いと、プレイオフの戦い……ではない。

 野球選手としての戦いと、プロとしての戦いの二つだ。

 野球選手としての戦いは、そのまま試合のことであると分かるが、プロとしての戦い方とは何なのか。

 簡単である。プロであるからには金を稼がないといけない。

 つまり年俸交渉である。


 大介はこの交渉に、代理人などは立てない。

 直史がいずれ弁護士になれば、ちょっとやってもらおうかなどと考えてはいるが、とりあえずは自分でやってみたい。

 入団時の契約金や年俸は、決められた最高額であったので、実際のところ今回が初めての交渉となる。

 ただ球団本社にやってきて、ちょっと驚いてしまった。

 オーナー、GM、編成部長に監督と、フロントと現場の最高権力者が揃い踏みである。

 あとは査定担当の職員もいるが、ほとんど置物となっている。


 一応は大介も事前にどういうものかは聞いているが、編成の人間と査定の人間が二人というのが一般的らしい。

 これはつまり、一般的ではない。

 まあシーズンの途中で、来季の年俸について話されたりしたのだから、自分が例外になるだろうとは思っていた。

 しかし選手の年俸交渉に、オーナーやGMまでが出てくるというのはなんなのか。

「まずは今年一年、怪我もせず大活躍お疲れ様でした」

 孫のような年齢の大介相手に、オーナーは丁寧に呼びかける。

「ありがとうございます」

 大介はこういう場合のやり取りを知らない。

「もうね、シーズンの最後もね、それで日本シリーズの最後もね、ほんますごいもんやった」

 あ、語彙力が衰えている。


 とにかくオーナーが口を開き、GMや監督がうむうむと頷く時間が続いた。

 小一時間ほどそんなことが続き、やがて島野監督が咳払いする。

「ああ、年寄りは話が長くなっていけない」

 そう笑うが、もっと話したい風ではあった。




 査定職員が直接に大介と話すわけであるが、横に球団上層部の人間がいるので話しにくいらしい。

「ええと、シーズン途中でも言いましたが、白石選手の場合は通常の査定は当てはまりません」

 そう、確かに大介の成績は良すぎる。

 単純に数字としての成績以上に、広告塔としての価値が高すぎた。

 大介がホームランを打てばバーゲンがあるので、そっちの方面での貢献も大きかったらしい。

 純粋に五億ぐらいは払っても全くおかしくないのだが、さすがにそれをするとバランスがおかしくなる。


 単純な計算式で大介の成績を計算すると、外国人助っ人の式を当てはめなくてはならなくなる。

 それでも四億ほどの年俸になってしまう。

 ただ、まだ一年働いただけの人間に、そこまで払うのは難しい。

 これは実力主義と言われるアメリカであっても、同じ傾向である。

 大型契約というのは、それまでに残してきた成績の、信用に対して結ばれるものでもあるのだ。


「白石選手の場合、複数年契約などにしてしまうと、むしろ三年目の年俸が安くなりすぎてしまう可能性があるので、まずは単年です。これを、純粋な年俸だけで一億500万円とさせてもらいました」

 一億でないのは、上杉の記録を抜きたかったからである。せこい。

「もちろん今年の活躍に見合ったものではないので、その分インセンティブを多く用意させてもらいました」

 さあ、ここからが本題である。

 書面で渡されたものは、以下のようなものである。


・規定打席到達で5000万円

・首位打者、打点王、本塁打王、最高出塁率、最多安打、盗塁王、ゴールデングラブ賞、ベストナイン、シーズンMVP、日本シリーズMVPに選出された場合、各1000万円ずつの出来高

・他の賞などに選ばれたり表彰された場合は、翌年の年俸に反映

・打者六冠に関しては、二位でも500万円の出来高

・三冠王を達成したらさらに3000万円の出来高

・打者六冠に関しては、従来の記録を塗り替えたら、それぞれ1000万円の出来高

・再来年の年俸は、これらの出来高全ての結果からの全額をそのまま反映する


 簡単に言ってしまうと、今年と同じだけ大介が働いたなら、一億9500万円の出来高が発生する。

 そして再来年の年俸は、二億9500万円が最低でも保証される。

 ただ、大介としても甘く見てはいない。

 各タイトルは取れるかもしれないが、タイトルの記録を塗り替えるのは難しいだろう。

 特に打率、打点、出塁率などは大介が大幅に塗り替えてしまった。

 日本シリーズMVPにしても、チーム力が高くなければそこまで進めない。

 現実的なところでは規定打席到達と、首位打者に本塁打王、最高出塁率、ゴールデングラブ賞、ベストナインあたりまでだろう。

 それも勝負を避けられまくれば、本塁打王も微妙なところである。そして記録の更新はかなり難しい。

 だがそれでも、出来高で9000万円は上がるか。


 大介も年俸については散々に聞いていたので、自分の希望が全て通るなどとは思っていない。

 しかし二年目から一億の大台に乗り、出来高がここまで多いのはありがたい。

 三冠王を達成したら3000万円というのが嬉しいし、規定打席到達で5000万円というのは、ほぼ確実に取れるであろう。実質一億5500万円と考えていい。

 そう、規定打席だけでも、再来年は一億5500円が保証されるわけか。


 面白い、と大介は思った。

 下手に高額年俸を提示されるよりも、達成したら得られる出来高が多いのは、大介の性に合っている。

 ただ微妙なものもないではない。

「他の賞って、正力松太郎賞とか、コミッショナー特別表彰ってやつですか?」

「ああ、あれは普通、選手には出ないものですからね」

 その二つは野球関連なので、タイトルや表彰と同じ扱いにされるであろうということ。

「ただCMとかでベストドレッサー賞とかに選ばれても、さすがにそれはというか」

「ああ、なんかメジャーだとよく分からない表彰とかありますよね」

 メジャーというところで、ほんのわずかにオーナーたちの顔を引きつった。




 多少の雑談はあるとして、これで大介には文句はない。

 判子を押して、契約更改完了である。

 これが大物であるとした交渉などがあるのだが、大介の場合はあのシーズン途中のものがそれであったのだろう。

 オーナーなどもいることから、多少はゴネても年俸が上がった可能性は高い。

 だがこういうものは、選手が納得するかどうかが重要である。

 正直なところ球団側としては、各種タイトルはともかくMVPなどは、もう少し上げる余裕があったのだが。


「あとは年俸とは関係ないのですが、スポンサー契約などはどうするのですか? 今年は用具や備品の提供などに済ませてしまったようですが、逆にそれで売込みが凄かったですし」

「ああ、それはこちらで心当たりがあるので。高校時代の伝手から、契約します。あ、あと芸能事務所も知り合いの方に手配してもらうので」

「そうですか。地元は千葉ですからね」

「まあ中学までは東京だったんですけどね」


 大手芸能事務所はほとんどが東京にあるため、そちらに所属する者が多い。

 大介も出身が関東なため、それに不思議はないのだ。

 なんで野球選手が芸能事務所に所属するかというと、一つにはオフのスケジュールを管理しているため。

 大介などは放っておくと、次から次に出演依頼がやってくる。

 球団の広報ももちろんそれには対処するのだが、オフシーズンまでは手が回らない。


 このように平和に契約は終わり、記者会見などがある。

 これもしっかりと準備をしていたということは、多少大介がゴネたとしても、即座に条件を引き上げて、一発で更改させる計算だったのだろう。

「一本いきましたか?」

「行きました~」

 フラッシュが焚かれる。これにて史上二人目の、二年目の一億円プレイヤーの誕生である。

「そんでちょっとだけ上杉さんの二年目より上でした~」

 これは球団の意地というものもあるのだろう。

「他に契約内容として変わったものは?」

「出来高全部達成出来たら三億ですけど、ちょっとそれは無理っぽいです。あとは来年の話とか雑談をしました」

 この雑談が、実はけっこう重要だったのである。




 ぶっちゃけ大介の後ろに、ある程度危険なバッターがいなければ、大介は敬遠されて終わる。

 出塁率はともかく打点や本塁打は、前にいるバッターが塁に出てくれること、そして後ろのバッターが強いことが、大前提なわけである。

 実際に金剛寺の離脱期間は、大介も長打が出にくかった。


 編成もクローザーに関しては、外国人をかなり気合を入れて探しているようである。

 ただ打撃に関しては、長打を打てる選手はともかく、ヒットで確実に出られる足の速い選手は、なかなか市場に出てこないのだ。

 だから外国人はピッチャーに枠を使うことになるのだが、ピッチャーでは外国人枠四人を全て埋められるわけではないので、野手も必要となる。


 おおよそ外国人選手は打力を重視されるため、ファーストやサード、外野でもライトやレフトを守ることが多い。

 おそらく来年はセンターは守備力重視の起用をするか、レフトやライトからコンバートしていくことになるだろう。

 特に今年は、内野手として入った黒田と大江が、ともに打撃で活躍し、後半には外野を守ることも多かった。

 金剛寺はさすがにファーストから動かさない。なのでレフトかライトを守れる、しかも打てる外国人野手が必要ということになるだろう。


 キャッチャーに関しては、風間と滝沢の成長を待つしかない。

 だいたいキャッチャーなどは、大卒でも社会人でも、一年目から活躍するなどはありえないポジションなのだ。

 島本の薫陶を受けた上で、どうにか数年以内に育って欲しい。

 しかしするとピッチャーは大変ではないかとも思うのだが、今年の後半の防御率は悪くなったわけではない。

 柳本をはじめとする、ベテランピッチャーが、キャッチャーを育てたのだろう。


 あとルーキーを前にしてする話ではないのだろうが、来年の展望などもオーナーと監督が話したりはしていた。

 離脱した戦力が多すぎるため、再建に一年はかけるというものだ。

 だから来年は大介には、個人的にガンガンタイトルを狙ってほしいということである。

 もちろん外国人戦力が上手く確保できて、ドラフトの新人がいきなり即戦力になれば、それはそれで素晴らしいことなのであろうが。


 セ・リーグで一番、このオフに動いたのはタイタンズである。

 元々選手の獲得は多く、トレードやFAの利用も多い球団ではあるが、とにかく今年Aクラスにさえ入れなかったことが問題であるらしい。

 万全の体勢。今年はペナント奪還の自信ありと言っていたのに、Bクラスであるのだから擁護の余地はない。

 さらにここからまだ、外国人を補充していく可能性は高い。




 ファン感謝デーでは、大介はとにかくたくさんサインを書いて、握手をしまくった。

 生きてるうちにもう一度優勝が見られるとは思っていなかったという、凄まじいファンの人たちがけっこういたのが笑えない。


 大介のファンはちびっ子と、中年のおっちゃんやおばちゃん、そして爺さん婆さんが多い。

 なぜかプロ野球選手に群がる、妙齢の女性層が全くいないのである。

 身長か? 身長が足りないのか?

 10代で年俸一億いってても、まだ足らんのか!?


 ただ、上杉にもその傾向はある。

 というか上杉は、男のファンがすごく多い。

 カリスマ性というのだろう。確かに大介から見ても、上杉の男らしさはかっこいい。


 契約更改もファン感謝デーも終わって、今度こそ本当の、シーズンオフである。

「大介は来年どうするんや?」

 金剛寺からは、クラブハウスでそんなことを聞かれた。

「どうって?」

「自主トレや。まさか二月までぐ~たら……お前はせえへんよな。秋キャンプも動いてたらしいし」


 プロ野球のシーズンは三月末からであるが、キャンプ入りは二月の初日である。

 ならば二ヶ月は何も動かなくてもいいのかというと、そういうはずもない。

 一人でやる人間もいれば、数人で集まるものもいる。

「一人じゃなくて……ちょっと、知り合いを通して、高校時代の知り合いとやろうかなって。ちょっと話してみないと分かんないすけど」

「そうか。もし一人でやるつもりやったら、俺の沖縄の別荘で集まってやろうかってな。もし決まらんかったら電話してみ」

「うす。ありがとうございます」

 さすが金剛寺。沖縄に自主トレ用の別荘まであるのか。




 そんな大介も色々と、金儲けの種は転がっている。

 初年度は野球に集中するため、テレビの取材や出演は、球団の広報に完全にシャットアウトしてもらった。

 さすがに球団が必要と思ったものは別であったが。

 そして待っているのが、スポンサー契約である。


 大介は高校時代からMIZUHOの製品で統一している。

 正確に言うと特注の商品を、開発したり調整したりしてもらっていたのである。

 実はアウトな無料の商品提供であるが、セイバーが個人的に契約を結んでいたので、その意味ではセーフである。

 今年はとりあえず無料契約は結んでいたのだが、さて三冠王の肩書きに、スポーツメーカーはどう反応してくれるのか。


 なんだかんだ言って大介は、セイバーのことは信頼している。

 銭ゲバなどという人もいるが、彼女は必要なもののためにお金を稼ぐ人間である。

 お金で幸福は買えないとよく言われるが、正確には買えない幸福もあるし、買える幸福もあるのだ。

 そんなことを考えながら、実家へと帰郷する大介であった。


×××


 本日は2.5にてワールドカップ組の忘年会が行われています。

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