第84話 怪獣と野獣

 甲子園で優勝しなかった投手の中で、てっきり優勝していると思っていたと言われるピッチャーは、上杉と真田である。

 上杉の場合はその後のプロでの活躍を知っていると、甲子園の舞台でも普通に優勝していると思われるのだろう。

 真田の場合は大阪光陰のエースということで、それなら一回ぐらいは優勝しているだろうと思われるらしい。

 SS世代と完全に重なったのが不幸と言うべきか。

 故障もあったが真田のいた五期は、ベスト4、ベスト4、準優勝、準優勝、準優勝と、とんでもない戦績ではある。

 永遠の二位と言われそうな成績であるが、プロになってここまでの成績は、11登板9先発9勝0敗2ホールドと、完璧な結果を残している。


 対する上杉は今年で四年目、既に三度の沢村賞を受賞し、プロで70勝を上げている。

 四年目の半ばで70勝というのがおかしな数字であるのだが、三振奪取率や完投数など、半世紀前のピッチャーが甦ったような数字を残しているのだ。

 はっきり言って鉄人であり超人である。

 だからこそ戦う価値があると思えるあたり、真田も立派な戦闘民族である。


 この日、今季初めて上杉は、甲子園にやってきた。

 甲子園での完封記録や奪三振記録を持っている上杉に、甲子園でのホームラン記録を持っている大介。

 そしてプロまで通じてこの世で唯一、甲子園で場外ホームランを打たれた真田という組み合わせで、もう満貫全席もいいところの組み合わせである。

 あとは数日前に大介の発表した、三振ボーナス。

 上杉ならば三振も奪えると、ライガースのファンでさえ、大介との対決を楽しみにしている。

 そして真田が投げて、どれだけ上杉と張り合えるか。


 はっきり言って、有利なのは真田である。

 単純にチームの得点力が、ライガースの方が上なのである。

 ただ守備はおおよそ互角であり、神奈川も上杉が登板するときは、ねちっこくなんとか一点を取ってこようとする。

 一点を取れば勝てる。

 上杉が投げる試合というのは、そのような感覚さえ抱かせる。

 それがむしろ、上杉の先発する試合では、大量点差がつかない原因なのかもしれないが。




 そのねちっこく来るはずのスターズ打線を、真田は三者三振で切って捨てた。

 いくら神奈川が貧打と言っても、本当に一点しか取れないチームなわけはない。

 左打者が多いというわけでもないので、それほど真田が優位なわけでもないのだ。

 それでも、右打者にさえ真田のスライダーは武器となる。


 このスライダーとストレートに、たまにカーブを混ぜる。

 すると三振の出来上がりというわけだ。

 それなりに体力のある真田だが、初回から力が入っている。

(こりゃ早くに援護してやらんとな)

 大介はそう考えもするのだが、相手が上杉なのである。


 上杉相手にする場合、大介はかなり傲慢にならなければいけない。

 三振三つを奪われても、自分がホームランを打って勝つ。

 他の打者には期待しない心境でいかないと、上杉には勝てない。


 上杉と投げ合ってると考えれば、真田の疲労はより激しくなるだろう。

 いくら圧倒的な成績を残しているとはいえ、真田は上杉のピッチングを知らない。

 打席で上杉と対決してみれば、その恐ろしさも分かるであろう。


 少しでも優位に。

 そう考えて打席に入る大介は、三振の賭けのことは忘れる。

 そんなことが意識の片隅にでもあれば、上杉には勝てない。

 上杉と対決するならば、絶対ランナーを返すマシーンか、絶対ホームランを打つマシーンにならなければいけない。

 前の二人を、やはりあっさりと三振でしとめた上杉と、今季三試合目の対決である。


 ここまでまだライガースは、上杉に勝てていない。

 そもそも今年もまた、無敗記録などをやっている上杉の、存在自体がおかしいという話は置く。

 プロに入って四年目、そろそろ綻びが見えてもおかしくないはずの上杉だが、まだ勝率は九割を維持している。


 九割の確率で勝つピッチャー。

 それが今季は大車輪で働いて、チームの順位を守っている。

 無理をすれば数字は落ちて当然のはずなのに、上杉は完封までは普通にしてしまう。

 セの打者にとっては不幸なのかもしれないが、この不世出の大投手と戦えるのは、むしろ喜びにするべきだ。

 長いバットを持った大介が、左打席に入る。




 甲子園が揺れる。

 ダースベイダーのテーマの音が消え、うなるような歓声と、全力の楽器演奏。

 今年もまた、甲子園で怪獣大決戦が行われる。

 日々姿を変える上杉が、今日はどんな作戦を取ってくるか。


 初球のストレートが、キャッチャーのミットを揺らした。

(速ええな……)

 球速表示が171kmを出している。

 さすがに故障じゃないかと思いたいが、世界記録更新である。

 だいたい大介以外には170kmを投げたことなどないというのに、それだけ上杉にとっても特別な存在なのか。


 お互いが特別なのだ。

 共に傑出し、立ちはだかる敵を排除してきた。

 心を折る手段を、両方が持っている。


 二球目は、だがあのしょんべんカーブ。

 たっぷりと爆発力を溜めたまま、大介はそれが近付いてくるのを待つ。

 充分に遅く、そして落ちてくる軌道のカーブは、それなりに長打にはしにくい。

 だが大介のように、自分のスイングだけで打球をスタンドまで飛ばす者には別だ。


 ジャストミートしたが、それでもやや早すぎた。

 ライトに切れていったが、スタンドの最上段へ突き刺さる。


 一歩間違えば、その球ならばホームランにする。

 次は三球目。

 新しいボールをもらった上杉は、指で縫い目を確認する。

 自分の力が、全てボールに伝わるように。


 振りかぶった状態から、大きなフォームで投げてくる。

 大介のスイングよりやや早く、ミットの中に吸い込まれていった。

 球速表示は171kmと出ているが、一球目よりも早かった気がする。

「ほい100万円~」

 キャッチャーの尾田が煽ってきたが、大介はスルーする。

 100万円は痛いが、それ以前の問題として、上杉は強い。

 早めの援護点は難しいな、と考える大介であった。




 投手戦となった。

 上杉が傑出していることは分かっていたが、真田も負けていない。

 フォアボールとデッドボールが一つあったが、それ以外はしっかりと抑えている。

 大介は二打席目もボールの軌道を捉えきれず、ゆるいキャッチャーフライとなった。


 まずいな、とライガースの島野は考える。

 真田がせっかくノーヒットピッチングをしているというのに、上杉はパーフェクトピッチングをしている。

 去年の完全試合を思い出してしまうが、そのペースではある。


 急激に力をつけていると言われるライガースの打線も、上杉にとってはその他大勢にすぎないのか。

 同じ人間であるのに、どうしてここまでの隔絶した実力差があるのか。

 まあ隔絶していると思っていない人間もいるので、どうにか興行が成立しているのであろうが。


 ここまでで29本のホームランを打っている大介。

 打率も打点も当然のようにトップを走っているが、その大介でも二打席凡退だ。

 四打席目が回ってくるとは限らない。

 そうなると真田にも0更新を続けてもらうことになるが、真田は想像の限界の中にある怪物だ。


 目の前に、知りうる最強の動物を思い浮かべる。

 それは象であるかもしれないし、シャチであるかもしれない。あるいは恐竜であるかもしれない。

 だが上杉はゴジラだ。しかも自衛隊でも全く対処出来ないレベルのシン・ゴジラだ。

 戦う方が間違っているとさえ言えるのだが、それでも負けることはあるだけに、戦わないわけにはいかない。

 何より上杉はピッチャーなので、戦うか戦わないかの主導権を持っている。


 ストライクゾーンに投げられた球を打つ。

 言葉にすれば単純なこのことを、実現するのが難しい。




 そして真田はヒットを打たれた。

 だがその後を無失点で締める。

 上杉もヒットを打たれた。

 当然のように無失点である。


 今年のライガースはこれが上杉との三度目の対決になるが、まだ得点がない。

 柳本が力を振り絞った引き分けはあるが、あれのせいで柳本は抹消となったわけである。

 上杉が化け物なのは分かっていたが、本気になった真田もここまでの化け物なのか。

 それはそうである。甲子園で大介と戦って、15回を無失点で抑えたのだから。

 上杉だって一年目から化け物だったではないか。

 あと真田の場合、要所で左バッターを完全に封じられるのが大きい。


 ただ投げ合っている真田は、巨大なプレッシャーを感じていた。

 ピッチングの技巧を尽くしている真田と違い、上杉は完全にパワーだけでねじ伏せにいっている。

 正直なところ大介がここまで打てないとは、想像の範囲外である。


 七回までを投げ終えて、ヒットとデッドボールとフォアボールで三人のランナーを出してしまったが、これでもほぼ完璧な投球と言えるだろう。

 上杉はポテンヒットを打たれただけ、ほとんどパーフェクトと言ってもいいぐらいの数字だ。

 上杉が投げると球が飛んでこないので、守備もやや気の抜けてしまうことがある。

 そんな状態でヒットを許してしまうと、後でベンチも含めて可愛がりが行われるわけだが。

 まあダメージが残るようなことはしない。プロ野球選手だもの。


「先輩、そろそろ打ってくださいよ」

 他の者には言わないが、大介には言う真田である。

「セ・リーグだからお前が打ってもいいんだぞ」

「あーたが投げてくれるなら、俺も打ちますけどね」

「なるほど」

 クソ生意気な真田の言葉にも、納得してしまう大介である。

 真田は投げるのが仕事、大介は打つのが仕事。

 まあ上杉のように、ピッチャーのくせに毎年五本はホームランを打つ者もいるが。


 二番から始まったこの回の攻撃も、あっという間にワンナウト。

 そして大介は打席に入る。




 上杉から確実に打つ方法。

 一応考えてはいる。

 ストレートだけに的を絞るか、遅い球に的を絞るかのどちらかである。

 だが上杉はおそらく、もうカーブは投げてこないであろう。

 あの打球を見たからには、緩急やコースを投げ分けるにしろ、160kmは出ているボールを投げてくると思う。


 ストレートを狙おう。

 上杉のことだから、一球は必ず、危険な100%のストレートを投げてくる。

 あとはそれがどのコースに来るかということだ。


 いや、関係ない。

 どこに来てもいいから、ストレートを打つのだ。

 初球のムービング系を見逃す。

 これは打ってもヒットにまでしかならない。

 二球目は高速チェンジアップ。

 これは狙っていたら、ホームランに出来た。


 だが、完全に追い込んだ。

 ここで上杉が遊び球を入れてくるか。

 上杉はそういうピッチャーではない。

 最初のサインにしっかりと頷いて、そして投げられるボール。

 大介は息を止め、そこから反応する。

 地面に糸を引くようなボールが、低めから浮き上がる。


 合わせて、振り切れ。

 スピードこそがパワーになる。


 ボールは上杉の頭の上を越え、バックスクリーンへ。

 直撃弾が、球場を揺るがす。

 大歓声の中、大介は歩き出す。

 球速表示は170kmと出ていた。




 負けた。

 三振を取られたことも大きかったが、それよりも大きなことは、試合で負けたことである。

 死んだような顔をしている真田を連れ出し、上杉と一緒にタクシーを多数出して、大阪にまでやってくる。

 こういう時もやはり肉らしい。


 本日のスコアは2-1で神奈川の勝利。

 そして真田には初めての黒星がついた。

 悔しさを顔の全てで表現しながら、それでも肉を食う。

「まあ、こういうこともあるわな」

 大介としてもそう言うしかない。


 八回の表、この日二つ目のデッドボールを与えてしまった真田は、やや不用意にラストバッターの上杉に対してしまった。

 これまでプロでも完封勝利をし、プロの常識に染まってしまっていたのが悪かった。

 上杉はホームランも打てるのだ。


 逆転のツーランホームランを上杉に打たれて、さすがの真田もそこでノックアウト。

 登板数とイニング数を稼ぎたい中継ぎの奮闘で、それ以上の点はつかなかった。

 だが大介以外の部分で点を取るのは、難しいとライガースも思っていたのだ。

 上杉に勝つためには、ピッチャーは完封する覚悟がなければいけない。

 真田などは下手をすれば、最初からパーフェクトを狙うようなピッチングを初回からしてくるが、上杉相手のボールは不用意であった。

「なんなんすかこの人、なんで二刀流しないんですか」

「守備が下手だからだろ」

 大介の言葉は身も蓋もないが、確かに上杉の守備は、それほど上手くはない。

 これがパならばピッチャー以外の時は、DHに入っても良かったのだろうが。


 今季三号のホームランを打った上杉は、それなりにご機嫌である。

 首位ライガースから勝った星であるし、それにルーキー真田を木っ端微塵に出来た。

 大介には打たれたが、試合に勝てればそれも忘れよう。


 ナチュラルに真田は飲酒しているが、個室型の店なので問題ない。

 上杉はその真田の杯に、自ら酒を注いでやったりする。

 面白い勝負であった。

 ホームランを打たれて、ホームランを打った。

 これで試合も勝ったのだ。

「次は負けないからなあ~」

 酔いつぶれかけた真田が、負け犬の遠吠えをほざいていたが、それを見つめる視線は生暖かかった。

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