第2話 マイペースな男

 入寮二日目。本物のプロの生活はここから始まると言っていい。

 そしてスーパースターが入団した球団のファーム練習場は、マスコミやファンに取り囲まれるものだ。

 経営陣はどうか知らないが、コーチ陣にとってはなかなか難しい問題なのだ。

 幸いにも白石大介は、女性人気が圧倒的というタイプの選手ではないが、大阪のおっちゃんやおばちゃんは、皆大介のことが大好きである。


 だがそんなスーパースターを含めても、憧れのプロ野球選手になれてポワワンとしている新人たちに、気合を入れるのがコーチたちの役目である。

 だが今年の新人たちは異質である。

 練習開始の前にはグラウンドに出ていて、体を温めた上でストレッチなどをしていた。

「なんやこれ……」

 二軍のコーチが寮長の西岡に尋ねたところ、明確な答えが返って来た。

「白石ですよ。あいつがもう新人たちを引っ張ってます」

「白石? ドラ一っても高卒やろ? 大卒のもんまで従っとるんか?」

「従ってるとかじゃなくて、プロ意識が桁違いなんですよ」

 昨日の夜の話を聞いて、西岡も少し大介と話をしたのだ。

「プロで六億貯金するまでは絶対に油断しないって言ってました」

「六億て……。税金引かれること考えたら、12億は稼がんとあかんやろ」

「父親もプロ野球選手で、怪我した後のことを聞いてたらしいですから」

「そういえばそうか……」


 白石大介は血統的には野球エリートである。

 父親もまたプロ野球選手で、三年目に大成しかかっていた。

 そこでの事故で選手生命を失い、母子家庭になってからは母親の手で育てられたのだ。球界の人間であれば誰でも知っていることである。

「もう保険とかにも入ってるらしいですからね。とにかく金に対する執着があるんですよ。そのために野球を上手くなるのを止められない」

「それはええことやけど」

 ライガースのチームカラーとしては、ノリがいいことが挙げられる。

 過去にも優勝した時は、ファンを巻き込んでえらいことになったものだ。

 予告ホームランを達成するような快男児だと思っていたら、そういう現実的なところもあるのか。


 ライガースがペナントレースを制したのは、もう20年も前のことだ。

 日本シリーズまで制して優勝したのは、40年ほど前の一回だけ。

 今のライガースに優勝の味を知っている者はいない。

「とにかく野球が上手くなることに対しては貪欲です。ハングリー精神を持ってますよ。もう自分はこれで稼いでいくんだっていう。ただ少し扱いは難しいかもしれませんが」

「やる気があるんはええこっちゃ」

 笑顔になるコーチに対して、西岡は複雑な笑みを浮かべる。

「むしろコーチ陣が……」

 その小さな声は、新人たちに向かうコーチたちの背中には届かなかった。




 問題児には二つの種類がある。

 アウトローなタイプの問題児と、規格外なタイプの問題児だ。

「それはどういう意図でやるんですか?」

 白石大介は間違いなく後者のタイプである。

 とりあえずグラウンドを10周と言われた時の大介の反応である。

「そらウォームアップの一種……やけどもう出来てるんか。やる気があるんはええけど、コーチする方も選手の調子とかを見たいから、最初の内は色々言うからな。そんじゃもう体力測定とかいこか」

 各種測定をした上で、しっかりと今後の育成計画を練っていく。

 特に高卒で取った選手などは、ポテンシャルばかりを重視したものである。


 だがそこでも大介はペーパーを持ってきた。

「去年の秋に計測した各種測定値です。筋密度とか骨密度とか、スポーツドクターに頼んで正確に測ってます」

「……なんでそんなもん持ってるんや?」

「高校の前の監督が、とにかくなんでも計測する人で、それが続いてるんです。俺の他にも大学でやるやつとかも全部計測して、コーチ陣に育成プランも立ててもらってます」

「白富東って公立やんな? なんでそんな金あんの?」

「前の監督が勝つために自腹で全部やってたんで、その後もずっとやってるんです」

「ああ、あの金髪のお嬢さんか」


 ここいらでドン引きである。

 大介に渡された資料を読んでいくが、やることについて全部がちゃんと理論立てて書いてある。

 科学的なトレーニングは現在では当たり前のことであるが、ここまで詳細なことは球団でもしていない。

「こういった調べるの、どこが由来なんや?」

「メジャーっす。前の監督がMLB球団の外郭団体で働いていて、いつの間にかこういうことまで調べるようになってたんですよ。今は東京で主にデータ分析とかしてるみたいですけど、巨神が取り入れるはずっす」

「なんやて!?」

 一日目から、新人ではなく二軍コーチたちの方が驚かされている。


 大介は基本的に学校の勉強は嫌いなのであまり成績は伸びなかったが、野球が上手くなるためにならいくらでも頭を使う。

 日本のプロ球団はだいたい二三年ほど遅れてメジャーの理論を取り入れることが多いので、それよりも先に最先端のトレーニングなどを導入しているわけである。

 ちなみに球団の体質もあるのか、ライガースは特にそういったバージョンアップは遅いとも言われる。


 巨大なスポンサーのついた公立の高校が、最先端の理論でトレーニングをしている。

 下手をすれば……いや、これは普通に、現在のコーチ陣よりも優れた指導法を受けているのではないか。

 プロ野球のコーチ陣というのは、基本的に元プロがなるものである。

 アメリカは選手とコーチの力量は全く別のものとして評価されるが、日本の場合は選手時代の実績がないと、コーチになれないのが基本である。

 セイバー・メトリクスは現在では選手評価の当然の手法であるが、誕生の当初はプレイヤーでない者に何が分かるものかと冷笑されたのだ。


「白石の測定はええか……。自分、何をするか決めてるんか?」

「スライド変化の多い左ピッチャーの攻略っす。130km以上のカーブかスライダーの対応がまだ出来てないんす」

「左のスライダー言うと、真田か?」

「はい。それと後は、プロ流のバッテリー相手の駆け引きです」

 何やら急に大介が賢くなったように見えるが、そうではない。

 高校時代は出来る人間に、任せていただけなのだ。

「お前の考えは分かったけど、こっちはこっちで考えんといかんこともあるから、とりあえずバッティング見せてもらおか」

「分かりました」

 そして他の新人とは別に、いきなり室内練習場行きである。

 特別待遇ではない。これは純粋に、単なる実力差だ。

 大介のプロ初シーズンは、このようにして始まったのである。




 故障への配慮、マイペース、そして効率性。

 指導者の言うことをハイハイと聞いていればいいアマチュアと違って、上記の要素はプロになれば必要なものとなる。

 即ちプロ意識だ。


 室内練習場で打撃を見てもらう大介は、バットケースからマイバットを取り出した。

「長いバットやな。高三の時から使ってるんか?」

「や、二年のワールドカップが終わってからっす。木製でもホームランは打てるし、どうせ将来は木製使わないといけないって分かってたんで」

「けどこれ特注ちゃうんか?」

「特注っすね。素材はヒッコリーで重いし、普通のバットより七割増しぐらいっす」

 こんなんでホームラン量産してたんか? と呆れるしかない打撃コーチである。


 規格外とは確かにこのこと。

 この体格で重いバットを選び、ヒットではなくホームランを狙うのか。


 現代の強打者というのは軽いバットを使い、フルスイングをしつつもバットコントロールで飛ばすのが一般的だ。

 しかし大介の打球の角度は、ホームランの理想的な角度よりは低い。

 そしてスイングスピードにバットの質量を加えて、飛距離を稼ぐのだ。

 普通なら外野のライナーが、そのままスタンドまで飛んで行く。

 バットを支えるパワーさえあれば、あとはスイングのスピードをどこまで高め、ミートするかで打球の行方が分かる。


 まずは見せてもらおうとばかりに、150kmオーバーのマシンを打ってもらう。

 始動が遅くさえ見えるスイングで、強烈にマシンの頭の上を抜く。

 10球ほど打ってもらったが、右、左、中とどの方向にも強い打球が飛ばせる。

「変化球いくぞ」

 マシンの変化球は、大介にとっては全く恐れるものではない。

 カーブだろうがスライダーだろうがフォークだろうが、マシンのリリースの瞬間を見ればそれは明らかだ。

 チェンジアップをも簡単に強打したところで、打撃コーチが頭を抱えた。

 こいつに教えるようなことはあるのかと。


 おそらく技術的な面では、大介に教えることはない。

 そもそも普通の選手と違って、大介はこの体格で飛ばすためのフォームを確立しているのだ。

 だが打撃コーチの役割はそれだけではなく、選手がスランプになった時の精神的なサポートや、弱点を分析された時の対処などがある。

 大介が弱点と公言しているのは、サウスポーの横変化の多い球。

 しかしこれをあえて捨てることで、他のボールを確実に打てるなら、そこは無視してもいいのではないか。

 チームの打線全体を見た上で、勝負に勝てる打線を作るのが、首脳部の仕事である。

 もっともファームのコーチは、純粋に能力を伸ばさせればいいのだが。

「キャンプは一軍行きやな」

 二軍監督のその意見を、否定するコーチは一人もいなかった。




 さて、ライガースの今年の新人は、もちろん大介だけではない。

 特に即戦力として見られているのは、東京六大学の一つ法教大からドラフト二位で指名された、山倉常静(つねきよ)である。

 リーグ戦では四年間で25勝を上げた、左腕のホープである。

 MAXは150kmであり、持っている球種はカットボールとチェンジアップ。

 大学野球では寮に入って野球漬けの日々であったが、大介を見ると脅威にしか感じない。


 大学野球でもガチ勢で、それも三年目ぐらいになれば、プロ意識というのは芽生えてくる。

 自分という商品をいかに見せるかが大切になってきて、チーム事情よりも自分の体調面を第一に考える。

 アマチュアとプロの差は、結局そこなのだろうと山倉は思っている。

 プロ野球選手は個人事業主だ。自分の腕を球団に、チームに提供して収入を得ている。

 チームに所属してはいるが、あくまでもチームメイトであり、仕事仲間なのだ。アマチュアの仲良し集団とは違う。


 大介は誰とでも普通に話す。へんに偉ぶったところもないし、マスコミは出来るだけ避けているようであるが、ファンからの声援には笑顔で応えている。

 それでもどこか一匹狼なところを感じるのは、いわゆる普通の野球強豪校出身ではないからだろう。

 初日から補給食を要求し、自主練に他のチームメイトを巻き込んだ。それはいい。

 だが自分のトレーニングメニューを既に用意しているというのはどうなのか。

 記者会見などでは、散々上杉勝也にこだわる発言を青いと思っていたが、根本的な部分では完全に大人だ。

 周囲に良い大人がいたのか、とは思う。


 アップの中で基礎的なトレーニングを終えてしまって、大介だけは特別に連れて行かれた。

 室内練習場の様子は伺えない。ファームの球場の周りに集まっているファンは残念だろうが、一月のこの時期に負荷をかける練習はしにくい。

 特に投手は肩を壊さないように、慎重に仕上げていかなければいけない。

 その意味では同じく高卒新人の大原も驚きであった。


 白富東の栄光の世代と同じだったせいで、一度も甲子園には行けなかったという。

 だがその体格は高卒でありながら、新人の中でも一番のものだろう。

 初歩的なキャッチボールを、やはり肩の強い山倉と組んで始めたのだが、ボールの軌道が違う。

 全国レベルではない私立で、高度な指導を受けてはこなかった素材。

 ドラフト四位というのは高すぎるような気もしたが、どうも在京球団のスカウトの多くは注目していたらしい。

 大京や神奈川が五位か六位ぐらいで指名するという話はあったが、ドラフト直前まではライガースはほとんと監督に接触していなかったようである。


 ドラフトはいい選手を、出来るだけ低い順位で、確実に手に入れたい。

 低い順位で取れると思っていた球団より、一つだけ高い順で取れたライガースは、やはり運がいいのだろう。

(高校時代はMAXが152kmで、それでも白石には打たれまくったわけか)

 大介は左投手には弱いと自分では言っていたが、右投手からなら平気で七割を打つのだから、その弱さの基準が違う。


 そしてまた他のメンバーに混ざって練習をするわけだが、野手投げでの肩がものすごく強い。

 ピッチャーをやってもおかしくないのではないかと思えるほどだが、後に聞いたらストライクの真ん中には投げられるが、四隅を狙うのは難しいとのこと。

 つまり野手として必要な、ど真ん中ストライクに投げる能力になってるのだ。

 何より驚いたのは、よく食べるということ。

 ストレッチとアップは散々やるが、ランニング系はダッシュをするぐらいで他はあまりしない。

 高校や大学では行うであろう、選手が揃ってのランニングなどは全くしないのだ。

 そしてまたおにぎりなどを食べて、メニューに移っていく。


 あの体格で、筋肉ももりもりというほどではないのだが、かと言ってウエイトを熱心にしたりもしない。

 体作りをしろとコーチ陣も言いたいのかもしれないが、あれで場外ホームランを連発しているのだから驚きだ。

 ワールドカップでは二年生ながらホームランを打ちまくって、MVPに選ばれていた。

 同じチームで、しかもポジションが被ることもなくて、良かったと思うしかない山倉であった。


×××


 在京球団の寮って、けっこう不便なところにあるんですね。

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