第254話 最強の左、ふたたび
真田の栄光の前に立ちふさがるのは、いつも佐藤兄弟なのか。
だが同時に、負けるものかという気迫が身内から湧き起こる。
試合前の練習を見るに、真田はやはり入れ込みすぎでは、と思える金剛寺である。
だが二軍で真田の相手をしていたキャッチャーからは、もうこれ以上置いておくわけにはいかない、とまで言われている。
プロがプロのパフォーマンスを発揮しているなら、それは観客の前でみせなければいけないのだ。
二軍で投げても金にならない。それがプロなのだ。
舞台は神宮。ホームのアドバンテージは武史にある。
単純にホームだという以外にも、大学野球で散々に、この球場ではプレイしてきたのだ。
武史はほぼローテ通りに投げているため、その登板が予想しやすい。
やらかすことも多いが、狙って完封を普通にやっていたピッチャーは、大学時代からのファンを継続して持っている。
レックスにとっては樋口と武史、二人の神宮スターの獲得は、経営面からも大きな効果があった。
神宮球場は大学側に使用優先権がある。
それが分かっていながらも、球団負担で収容人数を増やす改修をすべきではないか。
現在の最大収容人数は四万四千と、元々甲子園などに比べても、比較的収容人数が少ないのが神宮だ。
今は完全に、座席の供給が需要に足りていない。
ただ武史の場合は、いずれはMLBに行くのではないかと考えられている。
そのピッチングスタイルやパワーがMLB向けだと思われているのと、日本の野球に対するこだわりが、あまりにもないように感じられるからだ。
ただそれを別にしても、レックスは弱かった樋口以前の時代でも、かなり動員数は増えてきていたのだ。
もっとも大学側はスター選手は既に引退したし、直近で建て替えまで行っている。
しばらくはやる必要がないというのがスタイルである。
中四日でもいいから他のチームに投げたかったかな、と思わないでもない武史である。
だがアウェイでの試合になるため、恵美理に見に来てもらうことが難しい。
そんな思惑もあって、中六日通りにローテを回してもらった。
そこで真田との対決である。
武史は普通に、真田の実力を認めている。
チームを勝たせるのがエースであるのだが、自分はチームに助けてもらわないと勝てないピッチャーだ。
どれだけ抑えても、一点は取ってもらわないと勝てない。
そこで、どこまでも抑えてやると考えるか、何点かは取ってほしいなと考えるのが、真田と武史の差だ。
もっともその覚悟の差が、常に決着を左右するとは限らない。
武史はもちろん、スポーツにおいて選手のメンタル、気合などを完全否定する人間ではない。
だが同時に、気合だの根性だのは、技術論よりも前にくるべきではないとも思っている。
白富東時代の、まず基礎、そして同時に技術、メンタルは最後というのが、今でもその根底にある。
しかしそれは逆に、技術などが等しければ、最後には精神力で勝つということも、言っているのと同じだ。
大介との勝負で、どれだけの勝率があるか。
正直に言うと、この神宮球場であるならば、場外を打たれてもおかしくはない。
ただしここで重要なのは、武史はピッチングスタイルは本格派でありながら、その精神性は本格派から遠いところにあることである。
初回の表に、回ってくるのが大介である。
三番打者って本当に嫌だなと思いつつ、武史は樋口のサイン通りに投げる。
樋口の感覚としては、大介とは勝負をしなければいけない。
他のピッチャーならともかく、武史はそれをしなければいけないピッチャーだ。
大卒一年目なのだ、それほどの絶対的使命とは言わない。
だがプロを興行として考える樋口は、他のピッチャーでもかなりの確立で大介とは勝負させている。そして打たれている。
武史のエンジンが暖まるのには、まだ時間がかかる。
この第一打席は逃げ気味に、外角に投げておく。
ただそれをやすやすとレフト前に運んでしまうのが、大介の大介という所以である。
次の西郷とも、武史は因縁がある。
甲子園で対決した、桜島実業。
当時のキャプテンが、西郷であった。
あの舞台で武史は、150オーバーを投げて豪打の桜島を封じた。
また大学では同じチームで、西郷はキャプテンを務めている。
西郷もまた、危険なバッターには違いない。
ルーキーイヤーから二年連続で40本のホームランを打つなど、間違いなくとんでもないスラッガーだ。
高めに投げたら簡単にパワーで、低めに投げても掬い上げる技術を持っている。
と言うか、佐藤兄弟を相手に、その技術を磨いたのだが。
そのあたりの事情を考えて、投げられたのは高め。
ストレートを打って高くは上がったが、センターの守備範囲内。
外野フライでアウトにとって、まず鬼門の一回表は終了である。
真田は樋口のことを、一番警戒するべきバッターだと思っている。
もちろん実際に打たれているからでもあるが、決勝打や決定打を打っているところが多すぎる。
打順は大介と同じく三番。
一回の裏から、厄介なバッターである。
レックスの一番西片は、元はライガースの選手で、確かにしつこく出塁してくるバッター。
だが左殺しの真田は、それを簡単にしとめる。
分かっていても打てない左打者へのスライダー。
肘のクリーン手術をいたと言うが、その威力は全く落ちていない。
続く二番の緒方は、打撃力もあるが、それよりは攻撃の起点、チャンスを広げるのが上手い二番。
それも三振と、二者連続三振。
三番は樋口である。
打率と打点でリーグのトップ5に入っている、チャンスに強い打点製造機。
今年最初の対戦でホームランを打たれただけに、真田もやや慎重になる。
だが最終的には、一度もバットを振らずに見送り三振。
少し嫌な雰囲気がある三振であった。
投手戦になりそうな予感が、はっきりとする一回の表裏。
そしてその予感は、あながち間違ってもいなかった。
とりあえず大介にホームランを打たれなければ、それでなんとかなるか、と考えるのが武史である。
単打までに抑えるのに、樋口はかなり苦労しているのだが。
それに単打までに抑えても、次に西郷、グラントと長距離砲がそろっている。
特に西郷は打率も高いので、かなり注意して攻略していくしかない。
レックスも打線が強化されてきたが、どうしても長打力ではライガースに劣る。
キャッチャーの樋口がチームの本塁打王というのは、あまり良くないのではないかと思う。
正確に言うとチーム内では、三冠王なのだが。
二年目で、キャッチャーながら打線でも中心。
それでいて走れるというのが、ものすごいものであろう。
ホームランも去年の成績は当然のごとく既に抜いており、盗塁もそれなりにしている。
実現性は低いかなと思ったトリプルスリーが、かなり現実味を帯びてきている。
ただ今日はリードに専念だ。
ライガースはローテが上手く回って、真田がいない間にも新しい選手がその穴を埋めた。
大学の同期で、直史や武史などがいたため、公式戦の実績が少ない村上。
だが実際にプロ入りしてしまえば、その実力ははっきりと一年目から通用するものだった。
今年は谷間のローテやロングリリーフが多かったが、真田が復帰したとはいっても、おそらくこのままローテに定着するだろう。
落ちていくのは琴山あたりか。あるいはトレードか?
先発を一枚切って、リリーフ実績のあるピッチャーを獲得する。
そんな他球団のことまで、樋口は考えたりする。
だが大介の打席では、集中して組み立てざるをえない。
普通ならヒットにはなっても、さすがにホームランにはならないようなコースを、スタンドまで運んでしまうのが大介だ。
二打席目は低目を痛打され、さすがにいったかと思ったが、ぎりぎりフェンス直撃で耐えた。
チャンスになると強い西郷は、歩かせるつもりのピッチングで配球を組み立てる。
すると五番のグラントになる。
打てないパターンを持っているグラントだが、さすがにどんなピッチャーも、そこばかりを攻めるわけにはいかない。
それに失投があれば、それを逃さないのがグラントだ。
だが武史はストレートに限れば、相当にコントロールはいい。
この打席もそこを攻めて、上手く内野ゴロを打たせてダブルプレイ。
大介に打たれても点を取られない、とういう作戦が上手くいっている。
ただそろそろ、点も取っておきたい。
今日の真田は復帰初戦ということもあってか、かなり飛ばしている。
一点もやらないという気持ちは、彼の中にもあるからだ。
そう、一点を取られたら、それで勝敗が決まりかねない。
間違ってはいないが、それでも復帰初戦としては気負いすぎた。
終盤に入る頃には、かなり息切れがしてきていた。
二軍でも散々にトレーニングはしてきたため、スタミナにはそれほどの問題はないと思っていた。
だがプレッシャーを受けながらのピッチングは、やはり精神的な疲労も大きくなる。
下位打線にはある程度抜いて投げて、スタミナ配分を考えなければいけなかった。
それは分かっていたはずなのに、調子の良さがそれを忘れさせていた。
金剛寺と島本は、さすがにリリーフ陣の準備を始めさせる。
正直なところ、ここで真田で勝てないのは痛い。
だが真田に負けがつかないなら、それはそれでいいだろう。
本人はまだまだ投げたいかもしれないが、復帰初戦なのである。
0-0のスコアであるが、ここからはリリーフ陣も上手く使っていこう。
そう思ったのが悪かった。
七回からマウンドに登ったのは、左のサイドスローの品川。
今シーズンは少ないビハインドや同点の場面から投げることが多く、それだけ逆転して、勝ち星がつくこともある。
だがおとなしくマウンドは渡した真田であったが、満足してはいない。
確かに飛ばしすぎた。気持ちが前のめりになっていて、こんなにも早く疲れてきていた。
だが、おそらくこれでは勝ちきれない。
交代した品川は、確実にアウトを取っていく。
左のワンポイント以上に、かくじつに使えるピッチャーになっている。
将来的にはセットアッパーとなるのかもしれない。
少なくとも今年も、ホールドの数を積み上げている。
だが、危うい。
こんな状況で、ランナーがいるのに、樋口と勝負してはいけない。
神宮のライトスタンドに運ぶ、ツーランホームラン。
ひょっとしたら決勝打の数では、大介よりも多いのではないだろうか。
ともあれこれで、0-0の均衡は破れた。
そして武史はまだまだ元気いっぱいである。
おそらくこれが、この試合の最後の打席になる。
八回の表、ワンナウトから大介はバッターボックスに入った。
無失点で抑えてはいるが、ここまでヒットとフォアボールが、武史にしては多い。
球数も多く、かなり樋口が工夫して投げさせているのが分かる。
だが三振は11個も奪っており、強打のライガース打線に、立派なピッチングである。
ここで大介を抑えれば、九回には比較的楽なバッターと対戦できる。
ワンナウトであるから、歩かせたとしてもホームまで戻ってくる可能性は低い。
最悪ホームランでも、まだ一点のリード。
この時点で、樋口はほぼ勝利を確信していた。
もっともそれで、計算が甘くなることもないのだが。
武史に出したサインは、ナックルカーブ。
これは大介に対しても、かなりの効果がある。
ストレートと混ぜれば、目つきがつきにくいのだ。
(よし)
大きく振りかぶって投げるリリースの瞬間、武史は指がズレるのを感じた。
(ヤバ!)
ゾーンに投げるか、いや、それよりは暴投しておいた方が、打たれる可能性は少ない。
そんな一瞬の判断はあったが、ボールはとにかくすっぽ抜けた。
(何!?)
(うおい!)
そしてそのすっぽ抜けは、大介のヘルメットを吹っ飛ばした。
武史のコントロールへの過信、また武史は死球などを投げてくる人間ではないという信頼。
だが失投によるデッドボールなど、他のピッチャーでもたくさんいたではないか。
ヘルメットが飛んだ。
大介が倒れた。
ライガースベンチから選手たちが走りだそうとする。
しかしそれより早く樋口と武史が、倒れる大介に寄る。
「大介さん!」
さすがによけきれなかった大介であるが、それでも完全な激突は防いだ。
よい、と軽く足を上げて立ち上がり、その無事を示す。
「つばに当たっただけだよ。大丈夫」
ただ他のピッチャーであったら、ちゃんと避け切っただろうが。
「良かった」
ホッとする武史であったが、審判のジェスチャーにも気づく。
「あ、そうだよね」
危険球退場であった。
確かに当たりはしたが、完全にヘルメットを飛ばしただけ。
大介は一応臨時代走を出されたが、医師の確認でもとりあえずは問題なし。
ただノゴローパパのようなことがないように、一応は病院で診察を、という話にはなった。
大介としてはむしろ、あんな遅い球を避けきれずに済まない、という気持ちであったのだが。
武史の神妙な態度に、大介がその裏の守備で平然と出てきたこと。
これによってライガースの怒りの爆発は、炸裂の前に沈静化してしまった。
レックスとしては、奇妙な感じである。
同じ高校の先輩と後輩で、かなり仲のいいことも知っている。
またすっぽ抜けた球であることも確かだったのだ。
試合に対する集中力が、両軍抜けてしまったと言ったらいいのだろうか。
その中では樋口が、デッドボールで大介を歩かせることに成功して、顔には出さないが喜んでいた。
リリーフピッチャーを上手くリードし、結局ライガースはこの試合では噴火することもなし。
2-0のまま、試合は終了したのであった。
なお試合後、念のために専門の病院に行った大介は、どこも怪我してないよね、と医師に言われたのであった。
微妙な感じで、武史はまた勝ち星を積んだのであった。
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