第255話 基準がおかしい
オールスターがやってくる。
つまり、激戦のセ・リーグから選手がやってくるというわけだ。
それでも今年は真田が故障明けなだけ、まだマシと言うべきか。
だが強力なピッチャーが一枚増えて、成績を落としているセのバッターの中で、大介がおかしい。
こいつがプロ入り以来、おかしくなかったことは、よくも悪くもほとんどなかった気もするが。
打率0.399 OPS1.515 と、まあこのあたりはいつもと同じようにおかしい。
しかし85試合を消化した時点で、43本のホームランを打っているのだ。
二試合に一本は、ほぼほぼホームランを打つ男。
プロ入り六年目のこの時点で、既にホームラン数は346本と、歴代でも50位以内に軽く入っているのだ。
ちなみにホームランに比べればずっと軽視されてしまう盗塁の方では、既に歴代十傑に入っている。
もっとも年々、走塁での怪我を気にして、確実性の高いところでしか走らないようになっているが。
大介がおかしいのは、もういつものことだ。
それよりも今年は、セ・リーグの投手陣がおかしい。おかしすぎる。
前半戦無敗の上杉は、怪我もあったため、9勝0敗である。
そして打力の目立つライガースであるが、今年は主軸として投げている山田が10勝0敗。
一番おかしな佐藤武史が、15先発15勝0敗。
おかしいならおかしいなりに、上杉や山田はまだ控えめなのである。
上杉は12試合に先発し、山田も14試合に先発している。
その中から勝ち負けのつかなかった試合が、それなりにあるわけなのだ。
だが武史は違う。
武史が投げると、必ず勝つ。
因果関係や論理関係はともかく、現象だけを見ているとそうなる。
(でも絶対に、俺だけはただの運だ)
ナメック星におけるクリリンのような気分になっている山田だが、それでもクリリンは生身地球人最強であろう。
(それにしてもこいつ、なんでこんなに機嫌がいいんだ?)
ルーキーイヤーからオールスターに出て、武史が喜ぶのは分かる。
だがこのニコニコと機嫌がいいのは、それとは何か別の理由がありそうだ。
「つーか、なんでお前そんなに機嫌いいんだ?」
高校時代の先輩である大介の問いに、武史はその問いを待っていた、といった感じの顔を見せた。
「いや~、実はプロポーズにOKの返事もらって」
(((((そんなもんかい!!!!!)))))
大声でそんなことを言っていたので、周囲から多くの心の声が聞こえた。
「ああ、なるほどね」
大介は軽く流して、その隣に座る。
「そういや長男より次男が先に結婚うんぬんの話はどうなったんだ?」
「兄貴が特殊な路線行ったんで、なし崩し的に了解されました」
「さよか」
佐藤家の複雑な事情の、一端を洩れ聞こえた感じである。
そういえば、と大介はこのオールスターで久しぶりに同じチームになった友人にも声をかける。
「ガンのとこはどうすんだ? 文歌ちゃん卒業したんだよな?」
タイタンズで今季は先発ローテに組み込まれ、監督推薦で出場している岩崎である。
「理学療法士になって一年目だから、もう少し後にしたいって言ってる。つーかわざわざこんなところで聞くな」
内心ではかなり、緊張している岩崎である。
「ピッチャーなんだから最高でも三イニングしか投げないんだぞ~。気楽にいけよ~」
「気楽にってお前、相手が相手だろうに」
これは岩崎の方が正しい。
パ・リーグはここ最近、交流戦でもオールスターでも、かなりセに負けることが多いが、それでもスター選手は大勢いる。
織田やアレク、後藤といった甲子園で戦ったあたりや、少し上なら咲坂や尾崎といったWBC組、また大卒で成績を上げてきている谷などもいる。もちろんそれとは別に、外国人選手もいる。
ただ大介を相手にするパのピッチャーに比べれば、セのピッチャーの方が絶対に楽である。
「どうせ一イニングぐらいなんだしさ」
(それが嫌なんだよ)
上杉や山田といったあたりは、三イニングを投げるだろう。おまけに今年からは武史もいる。
なのでパのチームのバッターは、それ以外のピッチャーを特に打とうとしてくるだろう。
初めてオールスターに出ているピッチャーなどは、格好の獲物であろう。
上杉が九人連続三振を惜しくも果たせず、それでも三者凡退を三イニング続けた。
そしてその後のマウンドに立った武史は、滅多打ちを食らった。
「なんでだよ!」
「っかしいなあ」
怒る樋口と、首を傾げる武史である。
滅多打ちを食らいながらも一点も取られなかったのは、守備の強さと樋口の好リードによる。
ショートが大介でなければ、ヒットの数は増えて、確実に点が入っていただろう。
大介と哲平の二遊間は、高校時代と変わらず鉄壁だ。
ただ哲平は最近は、セカンドではなくショートを守らされる傾向にあるのだが。
そしてどうにか点を取られなければ、鬼のようなクリーンナップが待っている。
毎年50本以上打っている三番のあとに、40本を打っている四番。
これを抑えろというのが、そもそも無理な話なのだ。
ただその中でも、二年目の蓮池はかなり頑張った。
昨年の中盤からはジャガースのローテに入り、パの新人王に輝いた蓮池は、今年の交流戦でも大介とは当たっていなかった。
大介を内野ゴロに打ち取り、責任回数を無失点。
今年の日本シリーズは楽しそうだなと、大介に思わせたものである。
なおこの時点でライガースは、この間のレックスとの三連戦で勝ち越したこともあり、ゲーム差なしのトップに立っている。
ここのところ、本当にセはパに対して強い。
やはりドラフトで、上杉や大介といった、超競合の選手を取れたからだろうか。
いくら人間離れした選手であっても、仕事の中では対決していかなければいけない。
そこで負けないために練習をすることが、リーグ全体のレベルアップにつながっているかもしれない。
どんな優れた選手でも、競い合う選手がいなければ、そのモチベーションを保てない。
あるいは競い合う選手を、何かの記録や優勝ということに、変えることは出来ると思うが。
大介の場合は、やはり上杉との対決だろう。
今年からは武史も入ってきたが、脳裏に甦るのは、その二人とは全く別方向の、異質なピッチャー。
幻影を追いかけて、大介は成績を残していく。
あるいはむなしい行為なのかもしれませんが、それが慢心への道を防いでくれる。
絶対に届かないからこそ、鍛錬をし続けている。
そしてその成果を出せる相手が、今はとても少ない。
オールスターでも三本のホームランを打って、MVPを上杉と分け合う。
そしてまた一日の休みのあとに、後半戦が待っている。
最大でもゲーム差は、2.5しかなかった。
だからいずれは追い抜かされる可能性もあると、樋口は考えていた。
オールスターでポコポコと打たれた武史は、緊張感をなくしてポコポコと打たれるのかと思ったが、意外なほどにそんなこともない。
オールスターに出ながらも、むしろ休暇を取ったように調子を取り戻す上杉。
それと当たってしまって、ライガースとの差が開く。
ただ樋口が不審に思うに、もう10ゲーム以上の差が開いた三位のスターズは、着実にその位置をキープするべきだと思うのだ。
上杉を投げさせれば、それは確かに勝てるだろう。
だがこの状況からは三位を確保し、シーズン終盤で上杉を休ませるべきではなかろうか。
樋口のこの考えに、監督の木山は頷いてくれる。
「だがまあそれは、合理的に考えすぎじゃないのか」
樋口の、そこは弱点だな、と感じている木山である。
樋口の思考は、もうクライマックスシリーズに向かっている。
リーグ優勝をすれば選手を休ませることも出来るし、アドバンテージで一勝がつく。
二位と三位でもアドバンテージはあるが、優勝ほどのものではない。
「このシーズン中に叩いておけば、クライマックスシリーズでも苦手意識を植え付けられるだろう、とかな」
そちらの考えか、と樋口は納得する。
二位との差を一ゲーム縮めるよりは、四位との差を一ゲーム広げる方がいい。
確かに三位をキープするなら、それが正しい選択だ。
しかし三位になるのは前提条件として、そこからクライマックスシリーズに入るなら、一位や二位のチームに、苦手意識を与えておくべきだろう。
上杉には勝てない。
そう思わせてしまえば、実際の試合でも有利に戦える。
樋口はそうは考えないが、そう考える人間がいるのには納得した。
そんな樋口の意図など考えず、武史はサインのままに投げ込んで行く。
何も考えていないわけではないが、樋口のリードには説得力があるからだ。
自分が投げたい球を要求してくることもあれば、自分が想定していない球を要求してくることもある。
とにかく樋口に感じるのは、俺に任せろという強い自信だ。
だいたい打たれる時というのは、失投を除いてはキャッチャーが責められることが多い。
だが樋口は、かなり先のことまで考えて、配球を組み立てている。
たとえば吉村は、だいたい毎年どこかを故障する。
なので少しでも球数が少なくなるように、リードを心がける。
金原はストレートとスライダーで押していきたいタイプだ。
その場合はコントロールが荒れていても、強いて低目を求めたりはせず、球威のある高目を要求したりする。
野球を仕事にして気が付いたが、樋口は一番早く球場に来て練習をする。
ミーティングで監督などと話し合わなければいけないことがあるからだ。
ふと思い出してみれば、大学時代はそんなことはなかったと思う。
「今さら気づいたか。まあ大学レベルだと、そこまでしなくても充分にデータがあったからな」
登板日の先発を除けば、キャッチャーは一番しんどいポジションだ。
あるいは首位争いで、大車輪で回るリリーフ陣よりも。
ローテのピッチャーとしては、一試合投げれば中六日で、次の試合までには回復するのだが。
そもそも武史は、今のところ試合で疲れきったことはない。
オールスターも終わって、七月も終盤に入ってきた。
間もなくライガースは、本拠地甲子園球場が使えなくなる。
代わりに大阪ドームを使うわけだが、慣れた本拠地を使えなくなることが、どれだけ不利に働くか。
あとは気温の問題もある。
大学の試合は、八月の盛りに行われるものはほとんどない。
それが高校野球との最大の差で、武史は練習試合にこそ投げているものの、自主的に休暇を取っていたりした。
監督の辺見をげんなりとさせていたのだが、本人は単に大学生活で青春していただけで、全く悪気はない。
大学時代には、夏場に無茶をしなかった。
ドーム球場もあるとは言え、セ・リーグはまだしも少ない方だ。
そして本拠地神宮も、ドームのないタイプの球場なのだ。
「そのあたりどうなんだ、お前」
「夏休みがないって、本当にプロ野球ってクソだと思います」
「……まあ体力を維持するために、汗をかきすぎないように、でもちゃんと運動はしろよ」
先発ローテの武史は、樋口の監視下から逃れることも多い。
それでも寮にいるので、他の選手から監視はされているのだが。
プロ野球選手の結婚が早いのは、さっさと寮から出たいから、というのも言われてはいることである。
樋口は恵美理を知っているが、おそらく彼女であれば、夫の健康管理をしっかりしてくれそうではある。
まあ、そのあたりはあまり樋口も人のことは言えないが、新婚になってサルにならないことを祈る。
八月に入ろうとするこの時期、大介は相変わらず打撃でおかしな成績を残し続けているが、山田にはやっと黒星がついた。
だが上杉と武史には、まだ黒星が付いていない。
ついに先日武史も、勝ち負けなしの試合が発生しはしたのだ。
しかしそこから、黒星にはなっていない。
高卒一年目の上杉と比べても、見劣りしない成績。
離脱期間があっただけに、上杉は登板間隔を短くしても、おそらく武史の試合数には届かない。
三位でペナントをフィニッシュするとしたら、もうこのあたりから、シーズン終盤のことを考えていかなければいけないだろうか。
レックスの場合だと、吉村がまた今年も、肘の痛みで抹消になった。
痛みと隣り合わせ、騙し騙しで投げていく。
元々吉村の体格は、プロ野球選手の中では、それほど大きなものではない。
それであれだけのピッチングをするのだから、負担がどこかにかかる可能性は高いのだ。
吉村の場合は、スプリットを投げるので、肘の方に負担がかかりやすい。
単なる炎症なので、三週間ほどで戻れる。
そしてその間レックスは、新しい戦力を試すことが出来る。
(夏場だったら、星のやつが得意だったよな)
暑さの下で試合をするのに、武史は肉体ではなく、精神的に向いていない。
だが本来だったら武史よりも体力はないはずの、星は夏場に喜んでプレイする。
(もう八月なんだよなあ)
樋口は考える。そろそろ武史のピッチングの分析が終わって、対策が完成してくるだろう。
だがそこで成績を落とさせないのが、キャッチャーの役目である。
(沢村賞、どうにか取らせないとな)
それが今年の、樋口の目標の一つであるのだ。もちろん優勝などもあるが。
上杉を投げさせすぎている。
そして援護が少なすぎる。
壊れてしまえば政治家転進だが、樋口はそんな上杉を見たくはない。
チームの優勝だけではなく、他の誰かのことまでも。
樋口は色々な苦労を抱えすぎている。
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