第54話 鬼が笑う

 甲子園球場の改築は、これまでにも何度も行われてきたものである。

 野球人気全盛の昭和からすると、実は座席数は減っている。いや、減っていた。

 だが観客動員数がまた伸びてくるに従って、再び座席の増設計画が出てきた。

 上杉が甲子園で投げた頃からである。


 無敵の上杉が甲子園の雨に泣いた夏から、一気に甲子園は沸いた。

 昨今の優勝校は、全てが強豪の私立という中、無名公立のエースが、一年生ながら三振を奪って勝ち進む姿は、ヒーロー以外の何者でもなかった。

 二年の春、夏と、悲願の新潟への優勝旗を持ち帰ろうとする、孤軍奮闘の姿。

 投げるだけではなく打つほうでも、自分のホームランで1-0で強豪名門を倒す。その姿はまさに物語の主人公だった。


 上杉がプロに進めば、プロ野球の動員数はさらに伸びる。

 そう考えて多くの球場が改装され、特に甲子園は現在、55000人が最大で観戦可能な状態となっている。

 その55000人が満足した。

 神奈川に上杉を取られはしたが、同じセ・リーグ。

 はっきり言って上杉にならば、負けてもいいと思うライガースファンは多かっただろう。


 だが、もう一つの流れは、やはり高校野球から現れた。

 俗にSSコンビと言われる、佐藤と白石を擁する白富東。

 上杉さえも、ついに悲運のエースとして終わらせた、高校野球史上最強のチーム大阪光陰が、公立の進学校に敗北したのだ。

 その大阪光陰を相手に、エースは全てを出し切って、決勝では投げられずに敗北。

 勝った相手が、上杉の弟をエースとして擁する春日山であった。


 後からこの流れを追った者は、この流れはどこの野球の神様が書いたんだ、と首を傾げたらしい。


 ともあれ上杉の後のスーパースターは、SSの二人であった。

 上杉がその外見からも分かる、圧倒的な力を感じさせるのに対し、佐藤直史はまるで文学少年のようであり、白石大介は腕白坊やに見えた。

 しかしこの二人がまた、ワールドカップの日本の初優勝に貢献し、それまで存在しなかった層からさえも、支持をうけることになった。

 この二人の進路がどうなるのか、日本中の野球ファンが見守った。

 そして直史は大学へ進み、大介は甲子園へ戻ってきた。

 そう、やってきたのではない。大介は甲子園のものなのだ。




 二年連続の沢村賞を受賞し、二年連続でMVPを受賞し、神奈川を一気に日本一にさせた上杉。

 それに対して大介も、一年目の打者記録のほとんどを更新し、新人ではない日本記録もいくつかを更新した。

 同じリーグなだけに、一年目からこの二人の対決は見ることが出来た。

 特にライガースは、開幕から昨年よりも三割以上観客数は上昇し、九月に入ったあたりからは全てのチケットが売り切れた。

 上杉獲得用に増設していた球場の座席は、無駄にはならなかった。


 そして高校野球ではないが、同じ甲子園球場にて、巨大な才能の塊同士が激突した。


 二人の勝負として見れば、ファイナルステージの第一戦、勝ったのは上杉だったのだろう。

 しかしチームは引き分け。

 プロの長い戦いの中の一部として見れば、ライガースの判定勝ちであった。

 多くの者が予想していた通り、上杉で確実にまず勝っておかなければ、スターズの優勝の可能性はなかったのである。


 第二戦は、ライガースが二本柱のもう一方山田を立てたのに対し、スターズは二年目の玉縄である。

 昨年の新人王を獲得した玉縄であるが、今年のライガースの勢いには逆らえず、ほとんど毎回ランナーを出し、徐々に失点を重ねる。

 山田が完投をしたのに対し、玉縄は七回までを投げて、あとはリリーフに任せた。

 だがここから、スターズも反撃を開始する。

 芥、堀越のクリーンナップが上手くはまり、アベックホームラン。

 そして上杉の同期であり、同じルーキーイヤーにプチブレイクした峠が、二イニングを無失点に封じたのである。

 ただそれでもスターズは追いつけず、結局は4-3でライガースが勝利した。


 しかし神奈川のファンにとっては、この敗北は絶望的なものではない。

 上杉が投げなくても、ここまで互角に近い勝負が出来ると知ったからだ。

 それに何より、峠の復活が明らかだ。


 上杉と同期の峠は、ルーキーイヤーは上杉と競い合うように、前半戦で七勝を上げた。

 しかしそこで肘痛で二軍に落ち、この年の残りは休養。

 二年目は一軍で主にリリーフとして、ほぼほぼ一イニングだけの登板を29回繰り返した。

 そして三年目、セットアッパーとして復活した。


 上杉は完投能力がありすぎる鉄人であるが、他のピッチャーはまだ若く、九回を投げるペース配分が分かっていない者が多い。

 一年目の上杉はシーズン終盤、その尻拭いとしてクローザーとして連投をした。

 今年は峠がセットアッパーとして、いけるところまでいく先発の、作ったリードを守った。

 試合によっては峠が中継ぎではなく、クローザーとして機能することもあった。

 峠は復活したと言うよりは、ようやくプロの体になったと言うべきなのだろう。

 たとえ今年は優勝できなくても、玉縄はさらに勝ち星を増やしたし、上杉に一極集中していた投手負担が、数人に分散されつつある。

 来年は復権だ、と思うファンは多かった。




 三戦目、ライガースは琴山を先発として使う。

 デビュー初年から先発ローテに入り、二年目に二桁勝利をしたものの、その後調子を落として、短いイニングの中継ぎとして機能してきた。

 今年の圧倒的な安定感から、五月終盤からローテーションに戻り、パッとしないベテランローテ勢の代役を見事に果たしている。

 32登板の16先発で、11勝4敗。

 リリーフから上げた勝利もあるが、それでもシーズン終盤の安定感は素晴らしかった。

 対する神奈川は、大卒三年目、つまりこれも上杉と同期の藍本。

 一年目も二年目も、ローテーションの合間で五勝し、今年からはローテーションに定着。

 エースクラスとまではまだ言えないが、間違いなく立派な戦力である。


 この試合は琴山が好投し、それを打線が援護した。

 序盤でライガースがリードし、中継ぎからはほぼ互角となる戦い。

 その序盤のリードを、どう守るかの戦いになった。

 勝ちパターンの中継ぎである青山、レイトナーがイニング跨ぎで投げる。

 だが足立につなげる前に、同点に追いつかれた。


 藍本も終盤は球威が落ちて峠にリリーフ。

 ここから峠は、連続奪三振などでライガースの追加点を妨げる。

 大介が警戒されたために、第二戦以降は金剛寺の打点が光った。

 この第三戦も、結局は両軍全てのピッチャーを使い切って、同点引き分けとなったのである。




 1勝0敗2分。

 アドバンテージがあるので、ライガースの2勝0敗2分となる。

 ここから神奈川が連勝しても、2勝2敗2分。

 勝敗が五分の場合は、シーズンで順位の上回っていたチームが日本シリーズへ進出となる。

 つまりこの三戦目で、神奈川は残りの三試合を、引き分けなしの三連勝する必要が出てきたわけである。


「え? そうなの?」

「お前、説明聞いてなかったのか」

 大介としては、引き分けが二回もあったのに、あと一回勝っただけで日本シリーズ進出というのが、どうも実感が湧かないのであった。さらに正確に言うと勝ちではなく、引き分けでもいい。

 意外とプロ野球ファンも、勘違いしている人もいるのかもしれない。

 それだけ引き分けに持ち込んだ試合も、重要だったということである。

「え、じゃあ上杉さんと戦うの、今年はあと一回だけ?」

「だからそう言ってるだろうに」

 黒田に呆れられたが、三戦目の終わった時点で、神奈川は予告先発に上杉を出してきた。

 延長12回まで投げた後の、中二日である。


 釈然としないものもあるが、シーズン順位というのはそれだけ重要だということだ。

 一位のチームに一勝のアドバンテージがあるというのも大きい。

 せめて一戦目か三戦目のどちらかに神奈川が勝っていれば、もう少しマシな条件に出来たのであるが。

 上杉を中二日で使う。

 さすがはプロと言うべきか、だが大介には微妙に分かりづらい。

 上杉ならそれぐらい、普通にやってきそうだ。

 直史は甲子園の決勝で、15回をパーフェクトに抑えた次の日、完封で球数制限に達するまでを投げきったのだから。

 甲子園の終盤のように、中一日で使うのに比べれば、中二日はまだ酷使とは言えないだろうと考える、大介の考えは直史のせいである。

「上杉さんならプレイオフ中一日とかやってくると思ってたけどなあ」

「日本シリーズの中三日連続もたいがい無茶だったけどな」

 過去の上杉はそんなことをしていた。

 それは、日本シリーズMVPをとっても当たり前である。


 第四戦、神奈川の先発は、中二日の上杉。

 しかしこれを落としても、残りの二戦のどちらかを引き分けるだけで、ライガースの優勝は決まる。

 だがこの四戦目で、優勝を決めるのも難しい。

 上杉に当てるほどのピッチャーが、ライガースにはいない。

 正確に言うと中二日では、まだ柳本が回復しきっていない。


 プレイオフの戦い方として、中三日ぐらいは普通にやってくる。昔は次の日リリーフなどもあった。

 上杉の超人度合いを計算に入れても、確かに神奈川が勝つにはそれぐらいしか方法はなかったのかもしれない。

 だが、やはり第一戦の引き分けが痛すぎた。

 ライガースとしては第四戦で上杉が登板してきたというのは、むしろありがたかった。

 なぜならここまでもつれる場合、ライガースは二線級のピッチャーを使うしかなかったからだ。


 二線級と言うのは気の毒であるが、明らかに上杉と比べれば、過去の栄光の残滓だけでローテを回している高橋。

 これに三イニングほどを全力で回してもらい、他のリリーフも短いイニングを全力で潰して行く。

 第五戦で、柳本と山田を短いイニングで使い、勝利の方程式に放り込めば、なんとか勝てるのではないか。

 さすがにプレイオフは、どちらの球団もピッチャーの酷使は限界ギリギリである。

 とにかくここで勝てば、日本シリーズまでにはどうにか回復出来るのだ。




 ピッチャーとバッターの勝負の舞台を作るのは、試合の展開が必要である。

 上杉が投げて、それに対するこちらはベテラン勢とオープナーもどきをするのでは、打つ方も気合が乗らないとでも言うべきか。

 初回の攻撃でいきなり二点を取られては、防御率が一を切る上杉相手には、ほぼ絶望的である。

 ただそれでも、バッターにはやるべきことがある。

 上杉の球数を増やすのだ。


 万一第五戦に負けて、中一日で上杉が先発で出てきた場合。

 柳本と山田をその第五戦で使っていれば、上杉に対抗するのは難しい。

 少しでも上杉を消耗させるためには、とにかく投げさせるしかない。


 トーナメントとも、シーズン中のリーグ戦とも違う、ピッチャーの命を削りあうようなプレイオフ。

 壮絶だな、と大介は感じざるをえない。

 そして同時にこれは、シーズン中以上に選手起用が重大になってくる。


 通常、シーズンを順当にAクラス入りするようなチームなら、ここまで極端な選手の起用はしない。

 だが上杉の力が強すぎてシーズンを戦い抜けて、そしてここでも豪腕を振るってライガースの打線を封じ込めてしまう。

 結局は上杉に頼ることになってしまう。

 チームとしてみた場合、健全とは言えない。


 このあたり、現場とフロントの間にも、問題認識に差がある。

 フロントは上杉の影響により、チームが劇的に良化していると思っている。

 確かに数字だけを見ればそうなのだが、上杉に合わせて突っ走った同期が、一年目はほとんど途中で故障したことを忘れてはいけない。

 即戦力の超大物として大滝を指名したが、大滝は高校二年生までは肉体のバランスが取れず、故障続きであったのだ。

 160kmに魅力があったとしても、数年かけて大事に育てる素材なのだ。


 現場から考えれば、あの年のドラフトで大介以外を指名するなら、上杉正也を指名するべきだったと言える。

 高校一年生の夏から甲子園で投げ、五期連続で出場し、優勝にまで上り詰めている。

 二年の夏に小さな故障はあったが、それ以外は問題なく、薄い投手層で優勝旗を手に入れたのだ。

 兄弟がそろうということで、話題にもなっただろう。

 兄弟がそろってしまうことで、変な甘えなどが出るのではと考えたのかもしれないが、上杉はそんなことを許す男ではない。

 実際に正也はパ・リーグで結果を残し、新人王の候補となっている。

 大滝は一度だけ一軍に上がってきたが、すぐに落とされた。

 巨大なエンジンに、まだシャーシの強固さが備わっていないと判断されたからだ。

 大介以外のどんな新人も確実に取れた去年のドラフトを、フロントは有効に使えていなかった。




 上杉を消耗させて、第五戦か第六戦に勝負を持ち込む。

 だが上杉も、カウントを追い込むまでは、本当の全力投球をしてきていない。

 その手抜き投球でも、他のエースよりはるかに上というのが、やはり異次元の強さではあるのだが。


 負けることを承知の上での先発。

 ライガースの先発41歳のシーズンの高橋は、ちんたらとボールを投げて、球数を増やし失点をしながらも、試合を着実に進める。

 その中で上杉は、珍しくも連打を浴びて失点することもある。

(これは、中一日で投げてくる覚悟やな)

 ライガース島野監督は、神奈川の首脳陣の無茶さに、マウンドの上杉を見つめる視線に哀れみを乗せる。


 あんなピッチャーが一人いても、チームは優勝出来ない。

 いや、去年まではそれでも優勝していたのだが。

 神奈川が上杉一人の力で勝つには、シーズンを一位で通過するしかなかったのだ。


 上杉の一年目、シーズン終盤の九試合、クローザーとして使った上杉は、同点だった二試合をそのまま引き分けにし、勝っていた七試合をそのまま終わらせた。

 セーブ機会完全セーブで、それで最終戦で優勝が決定した。

 そこまでしなくても、二位で通過もあるだろうにと思ったが、上杉のプレイオフでの負担を考えれば、シーズンの最後に無理をした方がまだマシだったのだ。


 ここまでチームを引っ張るエースが、過去にいただろうか。

 敵ながら見事、と島野は感嘆する。

 だが今年は、日本シリーズにいくのはライガースだ。




 第四戦は、8-3で神奈川グローリースターズが勝利する。

 上杉は完投することはなく、中継ぎの峠に任せて、峠がそのまま最後まで投げきった。

 プレイオフとはいえ、峠もかなり馬車馬のごとく使われている。

 だがそれでも、監督は優勝をするために無茶をするのだ。


 第五戦の予告先発は、神奈川は玉縄。

 生まれは静岡だが、高校からは神奈川県の、今年まだ二年目の高卒投手。

 しかし今年も二桁勝利を記録し、上杉に続く第二のエースとなりつつある。


 そしてライガースは、第一戦に先発した柳本を持って来る。

 あそこまでのピッチングをして、本当に回復しているのかと言えば、まだ疑問が残る。

 しかしエースはマウンドを譲らないし、ライガースはその美学に殉じる。

 中二日の山田や、青山、レイトナー、足立といった勝ちパターンのリリーフ陣も全て投入し、ここで勝ちにいく。

 逆に言うとここで勝てなければ、最終戦に使えるピッチャーがほとんどいなくなる。


 まさか第六戦を、新人の山倉に任せるわけにもいかないだろう。

 あとは今年は飛田などもそれなりに勝ち星を稼いだが、リリーフ陣の力無しでは、勝てないピッチャーでもある。

 最終戦は、第六戦だ。

 そして第五戦は、ピッチャーの力を考えるなら、明らかにライガース有利である。

 だがこれを落とすと、一気に神奈川が有利になる、かもしれない。


 第五戦で決める。

 第五戦では決めさせない。

 上杉の投げない試合で、日本シリーズへの進出が決まろうとしていた。

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