第53話 剛球乱舞

 本日二度目の対決。

 四回のツーアウト。ランナーは当然なし。

(これ、またパーフェクトやられるパターンじゃないだろな)

 大介にとってノーヒットノーランというのは、味方がするものであって、敵にされるものではない。

 柳本も素晴らしいピッチングをしているのだが、上杉がシーズン戦とは違いすぎる。


 一打席目は、ただボールを見ることに集中した。

 シーズン戦でも見たスピードボールで、160kmオーバーを細かく動かすという異次元染みたものであったが、まだ上がありそうに思えた。

 ただ西片をはじめ、他のバッターはそれなりにちゃんと当てていっている。

(俺だけ特別扱いか)

 なんだかわくわくしてきた大介である。


 ドカン! という音がして、キャッチャーミットに入ったアウトローのストレート。

 キャッチャーの尾田が固まったようになっていたのは、ひょっとしたらボールの衝撃が強すぎたのかもしれない。

 かろうじて見えるが、これにタイミングを合わせるのは難しい。

(170出たか……。でももうちょっと速いような)

 気合が入っている、の一言で済ませていいのかもしれないが、シーズン中のボールとは違う。


 高校時代の、戦ってきたエースたちのボールに似ている。

 やはり高校時代に、たった一度対決した上杉のボールとは、全く違う。

(ナオのボールとも違うよな。なんだ?)

 それが分からない限り、自分にこの球は打てないのではないだろうか。


 二球目、高速チェンジアップが、ワンバンした。

 ここまで落差のあるボールだとは思っていなかったのだが、何かが違う。

 ただ、理解した。

 この打席では打てないと。

 何かが違う。噛み合っていない。

 同じ舞台に立てていないという、奇妙な感覚。


 三球目は振っていったが、完全な空振り。振り遅れだ。

(あ~、ダメだな)

 バッターボックスを外して、大介は腰や肩を回す。

 硬すぎる。これでは打てない。

(気合で負けてる? いや単純に、楽しみきれてないのか)

 たっぷりと息を吐いて、もう一度対峙する。

(でかいよな)

 投じられるのはストレートだと分かっていた。

 ほぼど真ん中から浮き上がったストレートを振って三振。

 ミットの位置は、ゾーンを外れた高さにあった。




 ライガースの島野監督には、現実的な計算があった。

 たとえ上杉が第一戦で投げてきたとしても、ライガースも柳本を投入する以上、大差はつかない。

 ならば上杉は最後まで完投するだろうし、その間に特に大介との対決で消耗する。

 中三日で、そこから回復するだろうか。

 ライガースが三勝すれば勝ちぬけの状況で、たとえそこからアドバンテージの一勝を入れたとして、三勝三敗になったら。

 上杉が連投でくるか?

 

 ありえない。さすがに上杉も、そんなことはしない。出来ない。

 やるとすればクローザーだろうが、今のライガースの打力からすると、神奈川の他のピッチャーでは最後までもつれこむ展開にするのは難しい。

 先発の枚数が足りなくなれば、勝つのはライガースだ。

(まあこっちも、本気で勝つだけなら、柳本を第二戦で投げさせるんやけどな)

 それでは柳本は不満だろうし、島野もそんなことはしない。

 ライガースはそういうチームなのだ。


 五回の攻撃で、金剛寺のバットでようやくヒットが一本でたものの、その後のロイも黒田も三振である。

 MLBのスピードボールに慣れたロイでも、上杉には全く歯が立たない。

 一応MLBにも、最速が170kmという投手はいるのだが、それはクローザーだ。

 上杉のように安定して、終盤に170kmが投げられるわけではない。

(でも点は取れる気がせえへんなあ)

 神奈川も貧打とは言うが、三番の芥や四番の堀越あたりなら、柳本も打っていける。

 特に芥はクライマックスシリーズのファーストステージで、二試合連続の決勝打を打っている。


 何か手を打てないのか。

 柳本は飛ばしていく打者と、打たせる打者を明確に分けている。

 島本のリードは的確で、連打を浴びないことに成功している。

 この試合でもし引き分けに持ち込めるなら、それは勝ちにも等しい。

 なぜなら三勝三敗一分となったら、シーズン順位上位のライガースが勝ち上がるからだ。


 ランナーは出していい。点さえ取られなければ。

 引き分けならば勝ちと同じ。

 島野は口にはしないが、上杉に勝つことは難しいと思っている。

 だがこの最初から有利な状況であれば、必ず勝てる。

 一年をかけてシーズンを戦ってきたことが、ここで生きる。

 上杉が中二日でもしない限りは勝てる。そしてそこまでの無茶をすれば、大介が打つ。


 同時代に、ピッチャーとバッターに、傑出した二人の選手が存在する。

 自分はおそらく、後に伝説となる瞬間に立ち会っている。

(うまいこといったらWBCの監督になれるんちゃうか?)

 上杉が投げて、大介が打つ。

 気が早すぎるが、それは夢のような展開になるだろう。




 シーズン中も大介と上杉の対決は、はっきり勝ち負けが分かる部分があった。

 完全に抑えられた試合もあれば、決定的なホームランを打った試合もある。

 だがプレイオフに臨んで、おそらく大介はメンタルのコンディションを保てていない。

 それでも普通のピッチャー相手なら打てるのかもしれないが、相手は上杉である。


 三打席目の対決は、大介が見極めてフォアボールで出塁。

 正直に言えば、甘い球が一つもこなくて手がでなかった。

(ワンナウトからの出塁か。なんとかセカンドまで進めれば……)

 大介の足なら、ワンヒットでホームを踏むことも出来るかもしれない。


 上杉の呼吸に合わせて、タイミングを読む。

 シーズン中も感じたが、その呼吸は静かで重い。

 かすかな吐息が、マウンドの上にたゆたっているような気さえする。

 その足が上がったと同時にスタート。対する上杉のストレートを、金剛寺が打つ。

「バックバック!」

 差し込まれた金剛寺の打球は高いショートフライとなり、大介は戻らざるをえなかった。

 ヒットエンドラン失敗である。


 上杉相手になると、どこかで奇襲めいた攻撃が必要になるのだが、かなり分の悪い賭けになる。

(俺が盗塁決めてから……つっても無理か)

 今年も三割を打っている金剛寺は、打率もだが出塁率が高い。

 おそらく12球団の中でも、スラッガータイプの打者としては、まだベスト10に入る。

 それでもここまで、力の差があるのか。




 蹂躙するようなピッチングだ。

 それに対して柳本は、果敢でありながらもバックの力で無失点を続ける。

 九回が終わったが、大介の前で打線は切れた。

 延長戦に突入である。


 島野としてはこれから、柳本の替え時を考えなければいけない。

 まだボールに力はあるが、ここで疲労を溜めすぎては、次に投げられるのがいつになるか。

 ライガースで本当にエースクラスと言えるのは、あとは山田。

 そしてシーズン途中から先発ローテ復帰の琴山が、完投は難しいが通用する力を持っている。

(明日は山田、三戦目が琴山、次は捨ててそしたらまた上杉やろう)

 その試合もライガースは捨てて、柳本を中四日で使いたい。そこで勝てば終わる。最悪もう一試合どこかで引き分けたい。

 中三日というのはやはり、無理があるのだ。


 ライガースのリリーフとクローザーは、かなり安定している。

 青山、アラン、足立とつなげるのが、今季は勝利の方程式になっている。

 五回までしかもたない先発であると、六回に主に使う松江が、かなり不安定であるが。

 今日の柳本は、まだ体にキレがある。下手に交代するのは悪手だ。

 使うとしたら、最終回の足立か。


 際どい試合だ。

 ホームラン一発で、決まってしまう。ただ上杉はシーズンを通しても、ホームランは10本も打たれないようなピッチャーである。

 速いボールは当たれば飛ぶのだが、上杉の場合は内野フライになることが多い。当たり方が悪いからだ。


 そして10回の裏、先頭打者として大介の四打席目が回ってきた。




 ここまで投げて、ヒット一本と死球一つというのが、やはり化け物っぷりがすごい。

 軽々と投げているように見えて、165kmを超えてくるのだ。

 球数も安定していて、なんとか試合中に慣れてきた、ミートの上手い西片あたりは当てにいっているが、まともには飛ばない。

 せめて疲れさせて大介へ、というのは分かるのだが、それでも上杉が圧倒的すぎる。

 そもそも上杉は疲れたとか感じたことがあるのだろうか。

 甲子園時代は普通に連投でも完投していたし、マウンドを退いたのは球数制限があったからだ。

(ナオだってパーフェクトやった次の日に、完封とかしてたしな)

 大介としては全く安心出来ない。


 ここで打てなければ、最後の打席となるかもしれない。

 逆に一発入れば、柳本の勝ちである。

(なんだかんだ言いながら、ピッチャーにばっか頼ってるよな)

 初球のチェンジアップが、いつもよりも大きく落ちた。

 キャッチャーの尾田がバウンドして前に落としていたが、ランナーがいないので問題はない。


 なにやら試合中に、変化球の変化が変わってきている。

 いいことなのか悪いことなのか。少なくともまた何かのコツを掴んだのかもしれないが。


 勝負となったのは三球目。

 内角にわずかに動いてきたカットボールを、その変化ごとわずかに掬い上げる。

 夜の甲子園には、浜風はあまり関係ない。むしろ風の方角が変わることすらある。

 だがそれでも、一伸び足りない。

 追いついたライトが背中をフェンスにつけながらキャッチした。

 これにて三打数無安打である。




 11回の表、ツーアウトから柳本はさすがに制球を乱してきた。

 ヒットを打たれた後にフォアボールを与えて、ランナー一二塁となる。

 ここで島野監督も動き、準備を万端にしていた青山を投入。

 ピッチャーゴロで窮地を脱し、裏の攻撃へ。


 だが対する上杉は全く球威が衰えず、三者凡退。

 一年目から、三試合連続延長完封勝利などをしていたのは伊達ではない。


 超人上杉に対し、12回の表ライガースは、終わらないエース足立を投入。

 こちらも沢村賞二回の、超ベテランピッチャー。カムバック賞を取ったりと、色々と伝説の多い男である。

 一イニングであれば、まだ脅威のストレートが投げられる。

 一発が出れば裏を上杉が投げて終わりなのだが、その一発を出させない。

 ランナーは一人出したが、無安打で12回の表を終えた。




 勝った、と監督の島野は思った。

 内容的には上杉に完全に封じられていたし、ランナーが一人出なければ大介に回らない。

 だがそれでいい。

 上杉の投げる試合で勝てないというのは、神奈川にとっては痛恨の出来事のはずだ。

 どのみちこの先はないので、代打攻勢はする。もっともピッチャーのところで出した代打は、あっけなく三振したが。


 しかしここから粘る。

 今年のライガースは粘りのライガースでもあるのだ。

 先頭に戻って西片が内野安打で出塁。

 これで大介に、もう一度回る。


 送りバントをするべきか。

 ツーアウト二塁にした場合、バットに当たればランナーはスタート出来るので、単打でも帰ってこれる可能性が高くなる。

 そもそも普通に打って、石井が上杉から打てる可能性は低い。

 そして石井のバント成功率は、今年はチーム一なのだ。


 剛速球ではあるが、どうにかファースト方向に転がし、ツーアウト二塁。

 最後の最後で、今日の大一番が回ってきた。




 最後の最後で、舞台が整ってしまった。

 神奈川の守備位置を見れば、外野は相当前に守っている。

 西片の足でも、ホームには帰さないという意思だ。ただその守備位置だと、さっきのような深いフライは、サヨナラヒットになってしまう。

 大介であれば、あそこまでは運べるのだ。


 大介はもう、深くは考えない。

 来た球を打つ。それだけだ。

 ここで単打しか打てなくて、西片がホームを踏めなくても、それはもうそういう結果なのだと受け止めるしかない。

 反応して打つ。それ以外はどうでもいい。




 緊張感のある試合だった。

 延長12回まで、上杉は意外と少ない、14奪三振。

 柳本から青山、そして足立へと、ライガースの継投も完璧であった。

 そして最後のバッターに、空前絶後のスーパールーキーを迎える。


 ここまでの熱戦で、見るほうも疲れていた応援団は、最後の気力を振り絞る。

 音が、音にしか聞こえない。

 爆音がグラウンドを鳴動させる。

 人々の声が、叩きつけるメガホンが、しかしその中でわずかに聞こえるダースベイダーのテーマが。

 孤軍奮闘する上杉に対しては、自分はやはり悪役なのだろうかと考える。


 反応で打つ。

 届くところに手を出せ。

 初球だからとか、変化球だとは、そうったものは関係ない。

 打つ。

 打つ。打つ。打つ!


 初球。高め!

 打てる!


 当たる!

 切れ! ボールを切れ!


 ミートした打球は、投球動作をした上杉の耳の横を通り過ぎる。

 ここから、伸びない。

 ほんのわずかな、普通ならミスとも言えないミスショット。

 浅い守りのセンターのグラブにライナーで収まり、その勢いでセンターはくるりと回転したが、打球をこぼすことはない。

 スリーアウトでゲームセット。

 第一戦目、ライガースは勝ちに等しい引き分けにて試合は終わる。




 爆音の世界から、現実の世界へと戻ってくる。

 あと一ミリミートが違えば、ボールはバックスピンがかかってバックスクリーンへ届いていた。

 しかしその一ミリが、この勝負のわずかな差か。


 何かが、あと少し足りなかった。

 大介は感覚的にそう思う。


 もう一試合、上杉との対決はあるだろうか。

 確実に当たるためには、中三日ではなく中二日で投げてくる必要がある。

 高校野球の感覚が抜けず、直史の異常な投球を見てきた大介にとっては、それは充分にありうることだと思うのだ。


 とにかくこれで、ライガースはファイナルステージを優位に戦えることが出来る。

 上杉で勝ちをとれなかった神奈川の方は、山田と同レベルのピッチャーは残っていない。

 単純に目の前の試合に全力を出せばいいわけではない、これがプレイオフの戦い方だ。

(せめて、あともう一試合)

 大介は願う。この感覚の中での、上杉との対戦を。

 ともあれ、これにて第一戦は終了したのである。

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