第55話 ファイナル

 クライマックスシリーズのファイナルステージは、日程上日本シリーズよりも、特定の選手に負荷がかかったりする。

 はっきり言ってしまえばピッチャーだ。

 第二戦で先発した玉縄が、中二日で第五戦の先発。

 対するライガースは、第一戦の柳本が中三日で先発。

 どちらもピッチャーへの負担が大きすぎるが、さらにこの後には日本シリーズが残っているのである。

 ライガースがここで日本シリーズ進出を決めれば、中五日で日本シリーズの初戦を迎えることが出来る。

 柳本がそこまで完全に回復するかは微妙だが、山田はなんとか回復しているだろう。

 そして三戦目あたりまでには柳本も、しっかりと回復出来ているはずだ。

 もう勝ち進む確率なんかほとんどないだろうに、素直に負けておけと言いたいライガースであるが、わずかでも可能性が残っているなら、粘ってしまうのがグローリースターズなのである。


 ライガースはこの試合を、勝たなくても引き分ければ、それで日本シリーズ進出は決定。

 スターズの方は二連勝する必要がある。

 そして選手の消耗度では、ライガースの方が有利である。

「絶対に先制点を取らせんことや」

 だが試合前のミーティングで、島野は強く言う。

「極端な話、一点でも入れたらそこから、上杉ロングリリーフなんてことがあるからな」

「ああ、あったな……」

 思わず遠い目をするのは主に投手陣で、上杉の逸話の中の一つである。


 一年目、もう全勝するしかないという試合、序盤で先制されるも、反撃して逆転。

 そのわずか一点のリードから七イニングをロングリリーフして、無失点で勝っていたりする。

 そんな奇跡のようなことを起こしてしまうのが上杉なので、有利な状況などでは油断できない。

 先制して、一度もリードを与えずに、常に主導権を握って勝つ。

 これで、今年のセ・リーグの試合は終わらせる。




 この試合、重要なのは完投することではない。

 柳本ははっきりと分かっている。あの上杉の短期決戦における支配力を考えれば、絶対にここで決める必要がある。

(最初から全力だ!)

 三者三振に打ち取った柳本が、珍しくも吠えた。


(気合入ってるなあ)

 高卒と社会人の違いはあれど、年齢は同じ西片は、今日も元気に一番バッターである。

 西片は今年、FAの権利を取得した。

 そして、ライガースを去ることになるだろう。

 ライガースは嫌いではない。むしろ大好きだ。

 生まれ育った場所から離れたこの甲子園球場は、魂の第二の故郷にさえなっている。


 だが、西片にはライガース以上に大切なものがある。

 家族だ。

 誰にも言わず、成績も落とさず、黙々とヒットを打って出塁していた西片だが、妻の第二子出産で、出身地の東京に帰ることを決めた。

 上の子供も次には小学生。やはり家族のフォローがなければ、野球選手の妻は苦しいのだ。

 西片の年俸からすると、ベビーシッターなりを雇うことは簡単であるのだが、そういうことだけが問題ではないのだ。


 野球は大切だが、家族のためになら捨てられる。

 所帯じみた男とよく言われるが、西片は高校生の頃から、ずっと自分がスターだとは思ったことはない。

 好きなことで飯を食える幸せを感じつつも、ずっと生活感が身近から消えることはない。

 中学時代からの片想いの少女を妻にした時から、西片の人生はずっと優先順位は変わらない。

 ライガースに指名されて、故郷を離れて付いて来てくれた妻。

 球界一の愛妻家とも恐妻家とも言われるが、自分はただ家族のためを思っているのだ。


 しかし、それでもここで優勝したい。

 自分がプロ野球選手として、全てを得た場所。

 甲子園球場で、優勝したい。

(だからここで、出る!)

 玉縄のボールを弾き返し、まず先頭打者がランナーに出た。




 西片の単独スチールから、二番の石井が送って、ワンナウト三塁。

 俊足の西片が三塁ランナーのこの場面、点が入る可能性はかなり高い。

 それもバッターが大介であるのだ。


 玉縄はしっかりと状況を認識する。

 高校時代は敵としても、味方としても戦った。

 関東では宿敵として、ワールドカップでは頼れる主砲として。

 SS世代のいる白富東に勝利した、数少ないピッチャーの一人が玉縄だ。

 だが今の大介は、明らかに初対決の時と、比べ物にならないほど巨大になっている。


 この試合は先制点を取ったチームの方が、圧倒的に有利になる。

 セ・リーグの対決としては当然のことだが、ピッチャーのところでどう代打を出していくかがポイントだ。

 もっとも玉縄は、少ないながら去年の打席で、0.250を打っている。

 今年の打率もさほど変化はなく、完投しやすい打てるピッチャーになっているのだ。


 柳本の防御率は、おおよそ二点である。

 一試合を投げたとして、せいぜい二点しか取られないピッチャー。上杉がいなければタイトルを取っていたことだろう。

 奪三振も多く、これまた上杉がいなければ、レックスの東条との戦いになっていたはずだ。

 要するに、自分よりもよほど上のピッチャーなのだ。


 どのみち大介と勝負するわけにはいかない。

 内角はボール球でも平気で打ってくるので、外に外す。

 ブーイングが起こるが、力と力の勝負がしたいなら、上杉との対決を楽しんでくれ。

 それに次の打者もまた、恐ろしい選手であるのだ。




 ライガースの四番金剛寺は、遅咲きの選手であった。

 しかしその遅咲きと同時に、一気に一流選手の仲間入りを果たした。

 四番に入ること、もう10年以上。

 そのうちの半分以上で、三割30ホームランを達成している。

 この数年は怪我で全試合フルイニングは難しくなっているが、今年も三割をキープし、ホームランを20本打った。

 優勝はないとはいえ、クライマックスシリーズの戦い方は知っている。

 そしてクライマックスシリーズにおいては、打率が上がるのだ。


 四番とは、打つべき時に打ってくれる選手である。

 まだ四番信仰は消えておらず、確かに状況によっては、四番というのはチャンスが来やすい。

 自分の野球人生と同じぐらい長く、プロで飯を食ってきた金剛寺には、なんとも言えない迫力がある。

 それにライガースの選手たちは、去年に比べて明らかに貪欲になっている。


 それもまた、もたらしたのは大介だ。

 大介の持っている、巨大な運命。そう、勝ち運とでも言うべきもの。

 上杉は甲子園で優勝しなかったが、大介はしている。

 チーム力の差などが色々と違うが、それでも大介は甲子園で優勝する味を知っているのだ。


 オカルト的な考えかもしれないが、玉縄は甲子園で戦うことが、上杉の敗北につながるのではと考えたりもしている。

 上杉は超一流であるが、超一流であるだけに、その散り様も超一流ではないのかと思う。

 ルーキーイヤーから二年連続で日本一と、高校時代に果たせなかった優勝の味を知っている。

 今度は新たな力の前に、敗北の美を見せてしまうのではないか。


 玉縄の予感が正しいのかどうか、それは誰にも分からない。

 この世界は野球だけで回っているわけではないのだ。

 しかし身近で接するたびに、この世界では上杉を中心に回っているかのような錯覚を覚えるのも確かだ。


 玉縄のボールを、金剛寺のバットが弾き返す。

 右中間の深いところに飛んだ打球は、やや球威に負けていたか。

 センターがかろうじて追いついたが、タッチアップには充分だ。

 かくして一回から均衡は崩れ、日本一への舞台が整っていく。




 一進一退と言うよりは、ややライガースに有利な展開である。

 初回に先制点を発生し、その後は両者無得点であるからだ。

 ライガースは五回までを柳本が投げて、ヒットは打たれたが失点はなし。

 そして六回には山倉を一イニング使ってくる。


 ルーキーがクライマックスシリーズの舞台に立ったわけだが、大介のファインプレイもあって、なんとかここは無失点に抑える。

 あとの七八九は、セットアッパー二人と、今年のセーブ王に任せられる。

 さらにこの六回の裏には、ノーアウトから二者連続フォアボールを出して、玉縄も限界が見えてくる。


 ここからの継投は難しいな、とライガースの島野も思う。

 ノーアウトでランナー一二塁。この状況で失点を許さないほどの圧倒的なリリーフは、神奈川にはいない。

 いや、一人だけいるのか。

 そしてその一人の名前がアナウンスされる。

 上杉だ。

 確かにメンバーには入っていたが、最終回のワンイニングだけではなく、この六回から入るというのか。

 さすがに疲れが溜まっているのではないかとも思うが、超人の投げる球に、そんな鈍さは見えない。


 対戦するのは四番の金剛寺。

 この試合唯一の打点を叩き出している。

 上杉と言えど、疲労などでそのボールに力が入っていなければ、金剛寺は打つ。


 しかしその右腕から投じられるストレートは、金剛寺のパワーにも負けない。

 ピッチャーライナーを捕った上杉は、ベースから離れていた一塁へ送球。

 ランナーの大介は戻ることも出来ずにダブルプレイ。

 そしてその後に残ったランナーもホームを踏めず、見事にリリーフの役割を果たした。




 上杉が投げているのだ。

 上杉が投げているのに、負けるわけにはいかないだろう。

 執念が乗り移ったスターズの打線に、七回を任されたレイトナーは圧倒される。

 しかしここで、八回予定の青山が出てくる。

 ライガースも完全に総力戦だ。この試合に負けたら、そのまま次の試合も負けるかもしれない。

 だが青山も、ベテランであり同時に、ライガースのセットアッパーだ。

 元々青山も、沢村賞を取ったことのある、先発ピッチャーであった。ライガースのピッチャーというのは、実績が大きく、それなりの能力もまだ持っているという、ベテランが多すぎる。


 ここでもまた、攻守を変えてダブルプレイが発生し、神奈川の反撃を封じてしまう。

 青山は回をまたいで、八回も力投する。

 ヒットは一本打たれたものの、これで残すはあと一回。

 八回の裏をあっさりと抑えられて、九回の表がやってくる。


 ライガースの守護神足立がマウンドに登る。

 足立もまた、沢村賞投手だ。そして二度の沢村賞のあと、セットアッパーやクローザーとして活躍することになった。

 先発に残るには長いイニングがもたなくなり、すぐにはクローザーとして使われなかった。

 先発復帰を何度も試されたのだが、それは足立の新たな可能性を奪っているだけだったのだ。


 この一イニングを投げるために、足立はいる。

 この最後の九回の表、ピッチャーの上杉の打席に回る。

 それを打ち取れば試合は終わりだし、もし一点を取られて同点になっても、大介に打順が回る。

 勝てるはずだ。

 確かに上杉は最強のピッチャーで、今はまだ全力を出せば、大介よりも上なのかもしれない。

 ただしライガースは、上杉が子供のころ方野球で食ってきたベテランが多く、なんとしてでも上杉を抑えるという気合が入っている。

 老兵の最後の輝きを見よ、といったところか。


 神奈川もここで代打攻勢だ。

 ヒット一本打ってランナーに出れば、上杉がホームランを打ったら逆転だ。

 九回の裏には大介に回ってくるが、そこで抑えれば完全にライガースを封じたことになる。

 だがその願いも虚しく、代打は倒れてランナーのいないツーアウトから、上杉が打席に入る。


 上杉はピッチャーである。

 しかし高校時代は多くの機会に四番を打っていて、プロでも一年目に七本、二年目に五本をスタンドに放り込んでいる。

 ちなみに今年は六本打っていて、DHのあるパであれば、打撃だけで使われてもおかしくない、などと言われたリもする。

 実際のところ規定打席には達していないが、OPSは打撃10傑に入っていて、上杉がバッティングも優れてうることで打線に厚みが出て、神奈川の躍進の原動力とはなったのだ。

 上杉なら、ホームランが打てる。




 これがマンガなら、とどこか醒めた頭で足立は考える。

 上杉がホームランを打って同点にし、裏に大介がホームランを打ってサヨナラになるだろう。

 しかし現実はそんなことを許さない。


 足立のスピードボールが、上杉から空振りを奪う。

 上杉が生まれる前から、足立はプロで飯を食ってきたのだ。

 長ければいいというわけではないが、それだけ修羅場は潜っている。もっともこれほどのものは初めてかもしれないが。


 優勝できたら引退してもいい。

 足立の体も、かなりもうボロボロだ。勝ってる試合の一イニングだけとは言え、それなりに肩を作る日は多い。

 投手としては既に、若い頃に多くの栄誉に輝いてきた。

 だからあと一つ欲しいのは、日本一だけである。


 名球界入りの250セーブ。

 足立が目指しているのはそれだと言われていたが、実際のところは違う。

 足立はとにかく、優勝がしたかった。

 そのためには自分の力が必要で、クローザーとして投げまくった。

 よりにもよってこんな年に、最多セーブのタイトルを取ったりもした。


 けれどそれもこれも、どうでもいい。

 今はただ、目の前の超人を打ち取ることだけを考える。


 このクライマックスシリーズは、本当に上杉の力が目立った。

 同じ超人の大介が、このファイナルステージでは、ホームランを打てていない。

 上杉の圧倒的な、巨大な神木にも思えるような、安定した体幹。

 あそこから投げられるボールは、まだ成長し続けている。

 来年以降、大介とどれほどの勝負を繰り広げるのか。

 自分は自宅のソファーに座って、それをじっくりと楽しませてもらおうじゃないか。


 だから、ここで勝負は終わらせる。

 じっくりと見てくる上杉であるが、分かっているのか?

 お前の次にいる一番打者は、まずホームランを期待できる存在ではないぞ。

 ただのヒットでは足らず、ホームランを打つしかない。


 打席の中の、上杉の覚悟が決まったようであった。

 ストレートと、高速スライダーと、高速スプリット。

 そしてたまに投げるカーブ。

 まともに当たればスタンドにまで飛ばされるが、上杉はやはりスピードのある変化球にある程度弱い。


 歩かせても勝てるだろう。

 確率の問題だ。神奈川がここから日本シリーズに進出するには、どれだけの奇跡が必要となるのか。

 だが奇跡というのは、重なって起きてしまうから奇跡である。

 ここで終わらせる。




 145kmの高速スライダー。

 足立はストレートの球速と、見分けのつかないスプリットでルーキーから活躍していたレジェンドであるが、本格化して沢村賞を取ったのは、この球種によるところが大きい。

 上杉のスイングが空を切る。

 マウンドの足立から感じる、周囲の空気を揺らがせるような闘気。

 それは普段は、自分が相手に感じさせているものだと、上杉は気付いているだろうか。

(タツさん、決めよう)

 キャッチャーの島本も、足立の意図は分かっている。


 このファイナルステージ、足立の出番も多かった。

 短いイニングだけを投げているように見えても、実際にはブルペンで肩を作るのは、かなり時間をかけている。

 自分たちのような40歳を過ぎて野球をし、プロの世界にまだとどまっていられるような人間は、どこか無理をしているのだ。


 優勝して引退したい。

 それは島本も同じである。

 もう体の限界は分かっていた。

 それでもしがみついていた。そんな体で、今年は戦った。

 今年勝てなければ、もう体は動かないだろう。

(決めよう)

 高速スプリット。打っても内野ゴロ。

 上杉のスイングは、しかしボールを掬い上げ、レフト方向へ特大のファールボールとなってスタンドに入る。


 追い込んでいる。

 しかし精神的には、こちらも追い込まれている。

 だがそれは上杉も同じだ。

 足立は打席の中の上杉に、わずかだが迷いを感じる。

 ツーストライクで、いくらでもボール球を振らせることが出来る。

 ピッチャー上杉ほどには、バッター上杉は怖くない。


 これで決める。なんとしても決める。

(上杉、あとは頼むぞ)

 なぜか、敵である上杉に、これを伝えたい。

 かつては日本のエースとして、世界の舞台で投げたこともある。

 そんな足立が最後に託すのは、なぜか敵である上杉であった。


 ストレートが走る。

 上杉のスイングが空を切り、三振。バッターアウト。

 大阪ライガースの日本シリーズ進出が決定した。

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