第154話 レコードクラッシャー

 記録は破るためにある。

 誰が言った言葉かは知らないが、今はまさに大介と上杉のためにある言葉である。

 25勝1敗の記録を残して、今年の上杉は自己ベストの勝ち星を得た。

 それも終盤はかなり、骨折のために出場できなかったというのに。

 全治一ヶ月と言われたが、二週間もしないうちに投球練習を開始。

 そして実戦に復帰したのは、骨折から三週間後。


 怪物である。

 あるいは超人である。

 現在の世界において、170kmオーバーを投げる人間が他にいないことを考えれば、まさに超人の名の方が相応しいだろう。

 だが、同時期に違う超人も存在する。


 金属バットであったとはいえ、史上唯一甲子園球場の場外まで飛ばしてしまったバッター。

 そのバッティングは今年も、バックスクリーンのビジョンを一つ破壊した。

 場外ホームランも何度かあり、さらにはNPBの年間ホームラン記録を大幅に更新した。

 NPBにしては史上初、世界的に見ても、21世紀唯一の四割打者である。


 この二人が激突したらどうなるか。

 レギュラーシーズン中も、プレイオフも、対戦はあった。

 おおよそ平均的な見地から言うと、ピッチャーである上杉が勝っている。

 だがそれでも上杉に対して、正面から勝負してもまともに打てるのは、大介だけであるのだ。


 この四年間、日本一の座に輝いているのは、セ・リーグのチームである。

 正確に言えば大介か上杉、勝ったほうのチームが日本一になっている。

 パが強かったという時代は、少なくともこの二人の化け物によって、昔日のものとなってしまっている。

 事実上の日本一は、このクライマックスシリーズのファイナルステージだ。


 


 甲子園が満員になる。

 ネットがあれば全てのライガースの試合が見られる現代においても、やはり球場での観戦というのは特別なのだ。

 まして今日は、上杉が先発してくる。

 プロ入りして今年で五年。もはや誰も疑えない、史上最強のピッチャー。

 そしてそれと対決するのは、史上最強のバッター。


 この時代に生きた者は幸いである。

 なぜならこの両者の対決を、リアルタイムで見られるのだから。

 

 もちろんテレビ視聴でも、それはそれでいい。

 だが球場内の熱気というのは、テレビ越しでは感じられないものだ。

 モニターの向こうの世界で充分と言うなら、なぜ甲子園球場のバックネット裏の席は特別なのか。

「お」

 見慣れた体格がサングラスをして、そのバックネット裏に座っている。

 夜中にサングラスって、それはもう本当に怪しいだけではないだろうか。

 だいたいほとんど同じ服装の二人となれば、バレる可能性は際限なく上昇するであろうに。


 大介は手も振らず、ベンチの中に戻る。

 神奈川からの攻撃のこの試合、ライガースは山田が先発であり、神奈川の攻撃から始まる。

 神奈川の先発は上杉なのだから、勝算のあるピッチャーは山田か真田しかいない。

 そしてまず第一戦ということで、経験豊富な山田が選ばれたということか。


 夜の空には雲が浮かび、球場からの光を受けて赤く輝いている。

 照明の下で明らかになるのは、肉体をもって行われるスポーツの試合。

 日本では一番高価な、プロスポーツのクライマックスが始まる。




 ライガースはファイナルステージに向けて、各選手は完全にコンディションを整えてきた。

 それに比べると神奈川はタイタンズとの試合を行っているが、二連勝して波に乗っている。

 

 先発を解体してリリーフに回しているので、山田は初回から全力で投げていく。

 まずは三者凡退と、調子のいいスタートだ。

 それに対してライガースの裏の攻撃。


 上杉の今日の調子はどうなのか。

 160kmオーバーのストレートが、小刻みに動く。

 当たることは当たるので、毛利も大江も打ってしまう。

 だがそのボールが内野の間を抜けていくことはない。


 この試合、ライガースの投手は継投策を取り、神奈川の打線を考えれば、どうにか三点までには抑えようと計算している。

 だが実のところは三点も取られれば、上杉には勝てないだろう。

 仕方のないことなのだ、と首脳陣は考えている。

 この試合だけではなく、クライマックスシリーズのファイナルステージ全体を見た場合、重要なのは山田を使いすぎないことと、上杉を消耗させること。

 早めの継投で山田は中二日ほどで投げさせて、上杉には最終回まで投げてもらいたい。

 とにかくダメなのは、大差がついて上杉が途中で降りてしまうこと。

 だが現在のライガース打線なら、それなりの点差でも逆転出来る可能性がある。


 上杉をどこまで引っ張るか。

 勇気を出して上杉を休ませることが出来るのか。

 神奈川の別所監督は、もう今年で契約から五年目である。

 予想以上の長期政権となったのは、上杉のおかげでチームがずっとAクラスにいたから。

 だが今のままでは、ライガースに勝てないと思われたら、契約の更新はないかもしれない。

 もっとも神奈川が優勝できないのは、フロントによる打線陣確保の失敗が大きいのだが。


 


 一回の表に点を取れず、そして一回の裏はツーアウトからバッターは白石大介。

 本当ならこの場面は、歩かせてしまいたいのが別所である。

 上杉が負けるとは思わない。だが消耗するのは間違いない。

 この一戦で全てが決まるのならいいが、まだ試合は残っているのだ。


 上杉は決して、扱いの難しいピッチャーなわけではない。

 だがそれでも、ピッチャーらしいピッチャーであり、エースらしいエースだ。

 ツーアウトランナーなしで勝負を避けるなら、それはもうエースではない。


 大介も打席に立つと、思わず笑みが浮かんでくる。

 そしてマウンドの上の上杉も、野太い笑みを浮かべる。

 ピッチャーとバッター。

 エースと主砲の、完全なる一対一の戦いだ。

 長いシーズン中、今年も全体的に見れば、上杉の勝ちだったと言える。

 だが上杉からホームランを狙って打てるのは、大介だけだ。


 上杉がホームランを打たれる場合というのは、下位打線に抜いて投げた時に、パワーだけはあるバッターに打たれてしまうことが多い。

 少なくとも相手のクリーンナップと、勝負の場面で投げて、打たれることはまずない。 

 その数少ない例外が、大介なのではある。


 初球のアウトロー、届くゾーン内のストレートに、大介は手を出した。

 パワーとパワーのぶつかり合いに、ボールは前に飛んだが浮き上がり、レフトのファールスタンドに飛んで行く。

 それは落ちることなく、スタンドの傘に当たった。

 どよめく球場内。だが勝負する二人は涼しい顔である。


 二球目は内角高め。わずかにかすったボールが、キャッチャーのミットに収まる。

 キャッチした尾田はぞっとする。

 173kmの球速が出たストレートに、タイミングは完全に合っていたのだ。

 だがそれでも、大介の想定を、上杉のストレートは上回っていたのだ。


 ここで一球、外に外れる高速チェンジアップ。

 沈む球を悠々と、大介は見逃す。

 勝負に来る前の、明らかな見せ球であるのだ。

 続いてのツーシームは、外角をわずかに外れる球。

 だが大介は打っていく。

 打球はものすごい勢いでレフトのファールフェンスに当たり、そのままレフトの定位置にまで転がっていく。

 パワーとパワーが、拮抗しているのだ。


 ただ、大介はこの打席は捨てている。

 ランナーも一人もいないこの状況では、ホームランを打たない限りは点にならない。

 この打席ではとにかく上杉のボールに目を慣らし、可能であればスタミナを削っていきたい。

 上杉は15回でも平気で投げられるピッチャーであるが、それでもさすがに体力の限界はあり、肩や肘は消耗するはずだ。

 勝ち星にアドバンテージのあるライガースとしては、長期的に対決することを考えなくてはいけない。

 もちろん大介は、目の前の勝負にも集中しているが。


 ゾーン内で勝負するボールが投げられる。

 10球目を空振り三振して、まず第一打席の勝負は終わった。




 ライガースの先発山田は、この試合長くても五回で交代だと言われている。

 もちろん状況は刻一刻と変化するわけだが、五回までだと思うなら、なんとか気合を入れて打ち取っていける。

 いささか不本意なシーズンであったが、小さな故障がなければ山田も、もっといい成績は残せたはずだ。


 ここで好投することは、クライマックスシリーズの査定に影響する。

 育成の星と言われた山田であるが、一軍に完全に先発ローテとして定着したとはいえ、まだまだ目指す先はある。

 特にメジャー志向などがあるわけではないが、のんべんだらりとしていたら、後からきた者に追い越される。


 今年も20先発11勝4敗と、一人で七つの貯金を作った山田である。

 だが真田の12個、山倉の八個というものに続く、チーム内では三番目の数字となるのだ。

 また登板した試合数やイニングでは、三年目の大原がチーム内ではトップになった。

 あれだけ力任せに投げていて、それでスタミナが切れないところが、大原に勝ち負けがしっかりとついている理由である。


 一年を通して、ローテを完全に守るピッチャーになりたい。

 二年前も20登板であったが、その時は14勝したのだ。

 打線の援護やリリーフ陣の力もあるが、自分の力で勝ち星を積み重ねるピッチャーにならなければいけない。

 そうは言っても今年のライガースは、確かにリリーフ陣が調子を落としてはいたのだが。


 四回までを投げ終えて、ヒット二本のフォアボールなしと、ほぼ理想的なピッチングが出来た山田である。

 だがあちらもこちらも、一点も入っていない。

 山田は力を抜かずに投げているので、既にかなり疲労している。

 対する上杉は、そもそも抜いていても完全に抑えてしまっているのだが。


 打線も必死で食い下がろうとはしているのだ。

 だがプレイオフの上杉は、パワーだけではなくメンタルも上げてきている。

 三回まではパーフェクトピッチであり、四回も既にツーアウト。

 ここで回ってきた大介に、どうにかヒット一本ぐらいは打って欲しいものである。




 プレイオフでパーフェクトなどされたら、今後の士気に関わる。

 まだ四回の段階であるのに、ライガース首脳陣はそんなことを考え始めていた。

 なので大介には、とりあえずこの空気を変えるために、ヒット一本を打って欲しいというオーダーがあった。

(まあそりゃあそうか)

 流れ、というものがある。

 プロ入り後はあまり聞かなくなったが、高校時代は秦野などは、これを重視していた。

 セイバーの統計を用いながらも、独特の嗅覚を持っていた。

 それがプレイオフにもなると、大介にも分かるようになってくる。


 シーズン中とポストシーズンのプレイオフでは、一試合の重さが全く違う。

 ここで完全に抑え込まれたりすると、打線陣全ての調子が狂いかねない。

 大介は仕方がないので、点にもつながりそうにない、出塁を考え始める。


 大介がここでヒットを打ってパーフェクトを防いでも、大勢は変わらない。

 だがライガースの攻撃が完全に防がれているという状況は打破出来る。

 本当ならばここもホームラン狙いでいきたいのだが、まずは神奈川というか上杉に支配された、この状況を打破する必要はある。


 ここで打つべきホームランが打てない。

 大介はまだまだ、己の未熟さを痛感する。


 ヒットを打つための方法は分かっていた。

 今季のシーズン中、レックスに遊びに行った時にいた緒方が、使っていた体の力。

 小さな動きで大きな力を出す。

 必要なだけの力で、必要な結果を得る。

 大介は上杉のボールを良く見て、小さく鋭く振り抜く。


 打球はセンター前に落ちて、ようやくパーフェクトゲーム阻止。

 もっとも大介はどこかで、さすがに上杉も打たれると思っていたのだが。

 上杉に必要なのはこの試合の勝利であり、パーフェクトなどというものではない。

 この試合に勝てなければ、神奈川が日本シリーズに進出する可能性はかなり低くなるのだ。


 一塁ベース上の大介を見て、不思議そうな顔をする上杉。

 大介が一点を得られる勝負ではなく、軽く合わせて打ってきたのが不思議なのだろう。

 だがこれによって、ここから上杉がまたパーフェクトピッチを続けても、次の大介の打席はワンナウトから回ってくることになる。

 ワンナウトで塁に出るなら、まだしも出来る事はある。

 試合に勝つためには、これも一つの過程ではあるのだ。

 もちろん大介にとっては、不本意であるのは間違いない。


 それにしてもライガースの打線も、かなり強力になったはずなのである。

 特に打率はリーグ一位と、上杉相手でも少しは打ててもおかしくない。

 実際にシーズン中であれば、大介以外のバッターでも、一試合に数本は打てるのだが。

 シーズン中の143試合中の一試合とは、ギアを変えてくるのが上杉である。


 大介だって、それはそうなのだ。

 シーズン中にチームを勝利に導く打撃と、プレイオフでの打撃は違う。

 一年目は25打数の10安打、二年目は33打数の19安打と、プレイオフでの成績はシーズン中をはるかに超えるものである。

 上杉相手には、そうそう上手くはいかないのだが。


 ランナー残塁ではあるが、盗塁を狙う姿勢をしたり、少しでも揺さぶろうとした。

 だがツーアウトからでは全く上杉は動じることなく、続く金剛寺を三振にしてしまう。

 金剛寺も高打率のバッターであるのに、さすがにもう上杉には通じないのか。

 かと言って他のバッターでも、上杉から点が取れるわけではない。




 山田は責任回数の五回を投げて、無失点でリリーフにつなげた。

 二番手は今年、先発ローテとして20試合に先発した琴山。

 今年のライガースの先発陣の中では、唯一プロ入りから五年以上の経験がある。

 もっとも長くは中継ぎを経験していたのだが。


 六回と七回を、一本ずつのヒットを打たれながらも、無失点で切り抜けた琴山。

 だが当たり前のように援護もなく、そしてこの七回の裏には、大介の三打席目が回ってくる。

 グラントのポテンヒットがあったため、ノーアウトでこの回の先頭打者。

 ホームランを狙わなくても、ノーアウトからランナーに出られたら、得点のチャンスはある。


 そう思っていた大介に投げた初球は、本日最速の174km。

 これまでほとんどスタミナを使っていなかった、上杉の本気である。

(おもしれえ)

 ヒットの得点の確率だとか、ホームランを打てる確率だとか、そういったことは頭から抜いておく。

 大介はただ全力でボールを叩くための存在となって、打席に君臨した。

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