第153話 神の宿る右腕
上杉という存在がいる限り、今後15年は、他のピッチャーは全く話題に上がることはないだろう。
それがプロ入り二年目のシーズン序盤、さる雑誌記者によって言われた暴論である。
まさにマウンドの上の神。
さっさとアメリカに行ってくれと、ルーキーの頃から何度言われたことか。
そんな上杉でも、負けることはある。
神でも間違えることがあるのだから、上杉が負けることもあるだろう。
それでもプロ入りしてからの勝率が95%というのは、プロ野球史上はおろか、MLB史上を見ても圧倒的に一位なのは間違いない。
170kmオーバーのストレートと、160km台半ばのムービングファストボール。
そして150kmオーバーのチェンジアップがすぽんと落ちる。
狙って完封が出来る唯一のピッチャーであり、そしてパーフェクトゲーム一回と、ノーヒットノーラン三回。
沢村賞は新人から四年連続で獲得し、この時点で既に史上最多の獲得者となっている。
そしてまたシーズン終了後、五回目の受賞が発表された。
神奈川は最多セーブも峠が受賞しているため、まさに投手王国とも思われるが、上杉が入る前は投手が貧弱なことで知られていた。
今年も上杉の次に勝ち星を上げたのは、上杉の一つ下の玉縄であり、あとはローテを調子のいい選手で入れ替えていただけで、上杉に玉縄の他に二桁勝利した者は、二人しかいない。
上杉一人で、25個の貯金を作った。
それでもライガースには、勝てなかったのだ。
来年は30勝しようと心に決めながら、上杉はクライマックスシリーズに入る。
調子のいい選手と悪い選手、コロコロと入れ替えながら今年も勝ってきたタイタンズは、まず上杉の前に打線沈黙。
1-0の完封勝利で、まず一勝である。
二戦目はこれまたまだ四年目であるが、上杉に次ぐ勝ち星を上げている玉縄。
七回を終えたところで、リードは一点。
八回のマウンドには峠が登り、回またぎをするのかとスタンドがざわめいている中、その一点差を保ったまま、昨日投げた上杉がクローザーで登板。
その瞬間のスタンドの盛り上がりを見ただけで、タイタンズは自分たちの敗北を悟っただろう。
単純に能力が優れていて、素晴らしい成績を上げられるだけではないのだ。
その名前が呼ばれ、マウンドに登った瞬間、球場の全てを支配する。
そんな選手がいったい、野球だけに限らず世界中に、何人いるというのか。
三者連続三振で、試合終了。
セ・リーグのクライマックスシリーズファイナルステージは、三年連続でライガースとグローリースターズの対戦となった。
神奈川に勝つということは、つまるところ上杉以外に勝つということだ。
この二年間、シーズン中は上杉に勝ったこともあるが、プレイオフでは引き分けが一つあるだけで、勝利はない。
さらに言えば上杉は、ルーキーイヤーからポストシーズンは、クライマックスシリーズも日本シリーズも無敗である。
大介でさえ16打数の四安打なのだ。
オールスターやプレイオフでは、五割以上を打つ大介でもだ。
シーズン中とプレイオフでは、リミットが違う。
そのリミットが、まだ上杉の方が大介より上と言っていいのかもしれない。
「結局今年もまた、上杉以外のとこで勝つしかないんやろか」
島野はそう愚痴を言うが、それを否定する材料をコーチ陣は持たない。
上杉から、大介は一本、プレイオフでもホームランを打っている。
だがあれは検証したところ、ペース配分を考えて投げた球だったのだ。
おそらく本当に勝つだけならば、上杉がそれこそ中一日で投げて、大介との勝負を避ければ、神奈川が勝てる。
しかしチームプレイを知る上杉でも、そこだけは譲れない一線なのだろう。
二年連続で、神奈川は敗退してきた。
上杉の中一日、あるいは連投。
少なくともクローザーとしては、タイタンズとの連戦で投げている。
だがそんな無茶をしたとして、他のバッターはともかく、大介には勝てるだろうか?
野球が団体競技だということを否定するほどの、圧倒的な制圧力と破壊力を持つ二人。
この二人をどう使うかで、プレイオフは決まると思っていた。
ただ島野は、その使い方が間違っていたのでは、と今は思っている。
今年、大介はシーズン中の上杉との戦いで、ホームランこそ打ったものの試合にも勝負にも負けた。
そして終盤には、完全に全打席抑えられ、試合にも勝負にも勝ったが、広い視点では勝利した。
この二人の試合というか勝負は、野球を超えたものがある。
シーズン中から、今年は危険であった。
それが全力解放されたプレイオフで戦えばどうなるのか。
「勝つのはうちじゃないんですか?」
若手のコーチ陣からはそんな声が上がる。
視線で続きを促され、頭の中で考えていたままに言う。
「白石を抑えるのは、上杉にしても全力でしょう。そしてそんな全力では、さすがに中一日とかでは」
回復しない、と言いそうになったのだが、年配のコーチ陣は首を振る。
「昭和の半ば頃のピッチャーはな、そりゃあわしも直接には目にしてないんやけど、先発した次の日に中継ぎとかしてるやろ? あれは上杉やったら出来ると思わんか?」
江夏がクローザー、当時の言い方で言うならストッパーの役割を証明するまでは、エースが抑えで投げることなど、普通にあったのだ。
ただ現代の様々に、科学的見地から解剖された野球では、そんなものはさすがに不可能と思うのだ。
だが上杉である。
他のピッチャーには出来たのだから、上杉も出来ても全くおかしくはない。
「上杉、上杉、雨、上杉ってなあ」
「権藤選手みたいな感じで、本当に投げてきてもおかしくないですね」
昭和の時代には毎年30勝以上して、数年で壊れてしまうピッチャーもいたのだ。
そしてそれが、壊れる方が悪いと言われるような時代であった。
だが上杉である。
そんな使い方をしても、壊れなかったピッチャーもいたのだ。
ならば上杉もまた、同じようなことが出来るとしてもおかしくはない。
ただ、どれだけ上杉がおかしな性能であっても、先発で連投はしてこないだろう。というか監督がそれをさせたら進退問題である。
フロントがどう判断するかは別であるが、上杉の方が監督より大事というのは、全てのファンの共通認識である。
なおこの共通認識は、大介も持たれている。
上杉は、先頭に立ってその背中でチームを背負っていく。
大介は勝手に道を切り拓いて行くので、チームメイトはその後ろをついていく。
同じぐらいに影響力はあるのだが、選手としてはあり方が違う。
大介は究極的に言えば、個人主義者である。
もちろんチームに愛着がないとか、チームプレイが出来ないというわけではない。
むしろ他のチームメイトが困っていたりすると、協力したり助言をしたりもする。
だが、チームを引っ張るのはやはり、金剛寺だったり、首脳陣であるのだ。
上杉は大将であるが、大介は特攻隊長。
イメージとしてはそれぐらいの違いである。
今年もまた、甲子園球場で行われるクライマックスシリーズのファイナルステージ。
最終的なセ・リーグの勝者はここで決まる。
スターズがタイタンズと戦っている間、ライガースはここで休むことが出来る。
ただし待っている方というのは、ファーストステージで勢いをつけた相手と戦うかもしれないわけで、体力的には充実していても、精神的な勢いの差で敗北することもある。
先発上杉が、抑え上杉と変身して、タイタンズを封じ込めた。
やはりプレイオフというのは、ピッチャーの重要性が高いのだ。
対するライガースも投手陣の準備はしてある。
ただし先発はともかく、リリーフ陣がシーズン中のような具合では、比較的弱い神奈川の打線でも捕まる可能性がある。
今年のライガースは先発ローテに固定した六人が、全員勝ち越した。
真田 24先発 14勝2敗
山倉 24先発 12勝4敗
大原 23先発 12勝7敗
山田 20先発 11勝4敗
飛田 23先発 8勝5敗
琴山 20先発 7勝5敗
大原は三年目の大ブレイクと言っていいかもしれないが、二桁勝利した先発が四人もいたのである。
先発に限って言えば、ライガースもまた投手王国と言っていいかもしれない。
だが先発数は23試合という飛田が8勝5敗というのは、良くも悪くも勝ち負けがつかないイニングまでしか投げていないということだ。
リリーフ陣が重要なことは、言うまでもない。
クライマックスシリーズを前にしながらも、ライガース寮にて大介たちは、自軍のドラフトの補強ポイントなどを話したりする。
どのみち今のライガースは、打てる野手は集まっているのだ。
強いて言うならキャッチャーが弱いが、風間と滝沢の二人が、お互いの調子の悪い時を補い合っている。
これはこれでありがたいことだろう。
何よりショートという、内野守備では一番身体能力が必要なポジションに、三冠王がいることが大きい。
サードの黒田に、レフトの大江。
大江は金剛寺が離脱した時には、ファーストに入ったりもする。そもそも大学時代は内野であったのだ。
これに真田と同期の山本も、大卒即戦力として、スタメン出場は少ないながらも、
黒田と大江はポジションが定着したし、山本も一軍で代打に出ることが多い。
金剛寺や他の誰かが怪我をした時は、玉突きでスタメンに出る試合も多かった。
打てる選手、守れる選手は、他にもベンチにいるし、二軍でも育っている。
なのでやはり必要なのはピッチャーであるとも言えるが、金剛寺の後の四番を、誰が打つかも重要な問題だ。
黒田も大江も二桁のホームランは打てる打力があるが、四番ともなれば30本ペースで打てるぐらいの長打力はほしい。
金剛寺はシーズン通して出場すれば、30本は打てるペースで打っているのだ。
あとは打率が三割を切らないことと、OPSがいまだに大介の次であるところもすごい。
だが確実に引退は迫っている。
大介がその後継者かというと、おそらくこれはMLBに行くのではと思われている。
単なるホームランバッターではなく、打率もあって俊足でもある。
日本国内に満足する器ではない、ということだ。
フロントはやや長期的に見て、長打を打てるバッターも欲している。
だが現場からの要望である、リリーフ陣の強化も当然ながら考えている。
大卒か社会人で、即戦力で使えるリリーフ。
今は外国人二枚と、もうこちらも相当の年齢になっている青山を考えれば、打力以上に補強していかなければいけないポイントだ。
FAでどこからか取れないものか、とフロントは考えていたりする。
そんなドラフトのことはまだ先で、とりあえず重要なのはクライマックスシリーズと、日本シリーズだ。
神奈川は第一戦、当然のように上杉を予告先発で発表する。
対するライガースは、真田ではなく山田。
今年の成績は真田はおろか山倉にも負けているような山田だが、各種数値を見るのならば、はやり真田に次ぐ二番目のピッチャーなのである。
真田を使わないのは、経験で上手く神奈川と抑えてほしいということだ。
実際のところ、首脳陣の考えはもっと打算的だ。
確実に勝ってくる上杉に対して、かなりの確率で勝てる真田を当てるのは、真田がもったいないという感覚なのだ。
山田は間違いなくエースクラスであり、それを尊重したとも言える。
あとはこの二人に、二番目の貯金を作った山倉と、イニング長くを投げられる大原で先発を回す。
元々中継ぎを多くやっていた琴山と飛田で、リリーフ陣を厚くする。
そして上杉が二度目の登板をしてくるところは、もう完全に捨てる。
星野か二階堂を当てて、他の試合で勝つのだ。
ここで心配になるのが、神奈川が予想していたように、上杉を酷使してくるかどうか。
上杉にこちらの強いピッチャーを当ててしまえば、勝てる試合も勝てなくなる。
ロースコアに神奈川を抑えて、こちらの打線で上杉以外から勝ち星を得るのが、現実的なところであろう。
「なんちゅうか、消極的やなあ」
分かってはいるのだが、島野はそんなことを呟いてしまう。
全ては上杉が強すぎるのが悪い。
日本代表であった頃は、間違いなくスコアボードに0を並べてくれる存在で、とてつもなく頼りになったのだが。
自軍に大介がいるだけで、とんでもなく恵まれているのだ。
リリーフ陣の厚みを、先発を解体して増す。
この作戦であれば、今年もスターズには勝てると思うのだ。
「いいかげんにポストシーズン、上杉に負け星付けたいですからね」
こんなことを言ってはなんだが、プレイオフで全力を出した上杉は、大介でもまともには打てない。
どうにかして引き分けに持ち込むのが精一杯で、ゴジラに対する自衛隊以上に、無力さを感じるのだ。
そんなゴジラであっても、ガメラの突進にはある程度ダメージを受けた。
シーズン序盤に受けたダメージを、ガメラは逆襲して返したというわけだ。
上杉に勝つためには、やはり大介に打ってもらうしか方法がない。
だがこちらも、神奈川を相手に完封するのは、真田からの投手リレーでも難しいか。
そう考えると柳本は、やはりすごかったのだ。
今年はMLBで、それなりの数字を残しているが、絶対的なエースとまではいかない。
柳本でもそうなら、日本のピッチャーで通用するのはいったい誰であるのか。
上杉ならば間違いなく通用するのだろうが。
10月上旬、舞台は甲子園球場にて、クライマックスシリーズのファイナルステージが始まる。
上杉はファーストステージで投げてから中二日なのだが、そのあたりの非常識さは、もう無視するべきなのだろう。
まだ観客も入っていない球場で、上杉は軽くキャッチボールをする。
先発の次の日に抑えという、あちこちで批難された上杉の起用法だが、本人としてはそれほどの無理をしている意識はない。
この甲子園球場で勝ちたい。
高校時代、五度甲子園に出場した上杉は、四回負けた。
最後の大会は球数制限に引っかかり、負け投手にはならなかったが。
1-0で負けたのが三回、2-0で負けたのが一回と、普通なら負けるような投球内容ではなかった。
この甲子園球場では、上杉は決定的な勝利をしていない。
日本シリーズになれば、胴上げは地元かパの対戦相手の球状であるし、クライマックスシリーズも過去の四年間では、甲子園で日本シリーズ行きを決めたことがないのだ。
甲子園とは縁がないのか、とも言われたりもする。
だがそんなことは関係なく、ひたすら勝つことだけを考えればいい。
神が宿ると言われるこの右腕。
今年こそは、日本一を決める舞台に進出してみせる。
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